人間牧場

〇人間牧場の風呂は大賑わい

 昨日は日曜日でしたが、午前中は双海中学校の運動会や松山南高校の生徒が先生に引率されて取材に来たり、親類の漁師さんから貰ったアマギという魚の下ごしらえと中々忙しい一日でした。松山南高校の生徒は最初、9月3日に予定されていた夕焼けプラットホームコンサートに合わせての取材申し込みでしたが、残念ながらコンサートが台風の影響で中止になったため変更したのです。10時にシーサイド公園で待ち合わせをしましたが、一人だけ伊予市から自転車で来た生徒がいて、その生徒を私の軽四トラックに乗せ、4人の生徒を乗せた先生運転の車に、人間牧場までの山道をついて来てもらいました。
 人間牧場に行くというだけで何の説明もしていなかったため、先生も生徒たちも多分曲がりくねった山道を走ったため、多分不安に刈られているのではないかと、時折ついて来る車をバックミラーで気にしながら走りました。先生の車を見ると多少擦り傷が見えたので危ないと思い、上の市道に車を駐車して先生と生徒さんには、人間牧場まで少し歩いて貰いました。

 生徒たちの足は速く、車で降りた私がロケ風呂のカギを開け、水平線の家のカギを開けているともう到着していました。人間牧場入り口の二股の道で右往左往する人たちが沢山いるのに、生徒たちはさすがです。水平線の家の中に案内し観音開きの窓を開けると生徒たちは一応に「わー綺麗」と歓声を上げました。早速ウッドデッキに出て足を延ばしたり寝転んだりしながら束の間を楽しんでいました。
 今回の取材は放送部の作品作りだそうで、今回は双海町のまちづくりを取り上げるそうなのです。早速生徒がインタビュアーになって、用意したメモに沿って私に色々な質問を浴びせ、その模様を音と映像にしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 取材の途中で長男息子が孫4人を連れてやって来ました。息子は孫たちが取材の邪魔にならないようにと、ロケ風呂の風呂を沸かし風呂のサービスをし始めました。取材中遠くに孫の歓声を聞きながら少し気にかけつつ取材は12時までかかりました。周辺の様子を映像に収めている間にロケ風呂に行って見ると、まあ孫たちは素っ裸になって風呂の中でお湯をかけあいながら楽しく遊んでいました。何という光景でしょうか。思わず吹き出してしまいました。私にもお湯を掛けられましたが、夏のうっぷんを晴らすような出来事でした。
 孫は4人全員が男の子なので、アウトドアーが大好きで、虫を追ったりチャンバラごっこが大好きで、鳴いたり笑ったり大変ですが、これからも時折人間牧場へ連れて行って、大自然の中でおおらかに育てたいと思っています。

  「高校生 鋭い質問 携えて 人間牧場 取材に応ず」

  「よく見ると 孫たち四人 素っ裸 お湯を掛け合い 風呂を楽しむ」

  「四人とも 男の子ゆえ アウトドアー 虫を追いかけ チャンバラごっこ」

  「いつの間に 成長したか わが孫は 秋の訪れ 楽しむように」

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人間牧場

〇結婚披露宴での主賓の祝辞

 「祝辞は縮辞といって短め、弔辞は長辞といって長めを旨とすべし」は私のけだし名言です。結婚披露宴の司会を537組やった経験や、役場に35年間勤めていた関係で、あいさつは若いころから耳にタコができるほど聞いてきましたが、これといった記憶に残るあいさつは指折り数えてもそんなにはないものです。当然私も晩年はそれなりの場面や場所であいさつをしてきましたが、自分で納得するようなあいさつも余り記憶に残っていないのです。
 もうこの歳になると、あいさつする機会はそんなにないはずなのに、年輪塾の塾長、21世紀愛媛ニューフロンティアグループの代表等の肩書きが残っているため、時々思いつくままのラフなスタイルでのあいさつを行っているのです。

 昨日は私の40年来の古い付き合いをしている塩崎満雄さんから息子さんの結婚式にあいさつをしてくれと頼まれました。断わる理由もないので気安く引き受け、受付でパンフレットを見てビックリしました。披露宴の進行次第には主賓あいさつ若松進一と書かれ、私以外に挨拶をする人は予定されていないのです。多少ビックリしながらさてどういう話にしようかと迷っているうちに披露宴は始まりました。新郎新婦が入場し司会が新郎新婦の紹介と二人の出会いの馴れ初めをし終え、私の名前が呼ばれ高砂の席のスポットへ案内されました。実はこの日私はあいさつに聞く人も驚くある秘策を考えて臨んでいたのです。
 その秘策とは、私が最近講演会等でよく使う携帯用の電光掲示板です。ネクタイにまるでネクタイピンのようにつけてマイクの前に立ちました。やわらスイッチを入れると、電光掲示板の文字が右から左へと流れて行くのです。

 結婚式を祝す。塩崎太志さん・川端里江さんご結婚おめでとうございます。お袋・智恵袋・月給袋・胃袋・堪忍袋・子袋の6つの袋が大事。幸せはみなみ(南)(皆身)にあり。


 

 

 

 

 

 

  

 僅か80文字がネクタイにつけた小さな電光掲示板のうえをすべるように流れて行くのです。遠い末席からは文字を読み取ることは出来ませんが、まだお酒によっていない時間でもあり、会場のみんなが一斉に私に注目したのです。そして私のスピーチはこの電光掲示板をオートローディングさせながら話させてもらいました。マイクの通りもよく、原稿を書かなかった割にはスムースにいい祝辞を話せたと自負しているのです。
 実はこの仕掛け、結婚式の前日に思いつき、新居浜に住む友人のミミック十亀さんに無理を言って手助けしてもらい、入力してもらったのです。昨日結婚披露宴から自宅に帰り、私は直ぐに手伝ってもらった十亀さんに披露宴の様子を交えてお礼のメールを送りました。何気なく話せば何気なく終るあいさつですが、ちょっと発想を変えただけで注目を浴びるのです。私は昨日食事を終えて席についてからも、ずっとこの電光掲示板のスイッチを切ることもなく、会場の中を移動したりしましたが、まあ行く先々話題になりました。

  「あいさつを 頼まれ急な 思いつき 電光掲示を 使ってみようと」

  「ネクタイに 電光掲示を 着けたまま あちらこちらで 話題沸騰」

  「結婚は 六つの袋 大事だと 諭しの言葉 しっかり述べる」

  「幸せは 皆身にありと 捨て台詞 自分の暮らし 本当にそうだ」

 

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人間牧場

〇子どものころからの疑問

 私は子どもの頃から疑問を持っていることが幾つかあります。その一つは夕暮れ時、西の空の雲間に隠れた太陽の光が、雲間からまるでスポットライトのように海面を照らす光景です。単純な考えだと光源である太陽の光を頂点とするなら、雲間から漏れる光は放射状になるはずで、当然人間の目にはそう見えるのです。
 昨日の夕方通学合宿「夕焼け村」の会場となっている潮風ふれあい公園に出かけました。「夕焼け村」はこの一週間開かれていて、指導している公民館主事赤石さんから、開村式の日に、夕日の話をしに出かけたお礼状ハガキが届き、都合がつけば覗きに来て欲しいと書かれていたものですから、覗きに行ったのです。

 昨日は子どもたちも間近に迫った運動会や、陸上競技大会の練習もあって、かなり疲れかなり遅れての帰着となったようで、食堂では更生保護女性会の皆さんが夕食の準備の真っ最中でした。女性会の皆さんには久しぶりに出会うので、雑談をしながらいつもながらの労をねぎらいました。
 そのうち子どもたちも次々帰って来て声を掛け合いましたが、私は外に出て西の空に沈み行く夕日を眺めていました。昨日はあいにく曇り空でしたが、私が常日頃疑問に思っていた放射状の光が印象的に海に降り注いでいました。

 

 

 

 

 

 

 

 どうです。この写真を見ていると、まるで神々が天空から舞い降りてきそうな荘厳ささえ感じるのです。太陽ははるか彼方に存在します。その距離は光の速さでも何分もかかる遠さです。そう考えれば漏れ落ちる光は放射状ではなく、平行に近いなはずなのです。この疑問は凡人故に私の頭では、小さい頃から66歳の今日まで答が見つからず、ずっと疑問の館に入ったままなのです。他愛のないこんな疑問を持つ人はそんなにいないでしょうが、いつかNHKが夏休みにやっている、「何でも子ども相談室」に電話を入れて聞いて見たいと思っています。それにしてもラッキーでいい写真が撮れました。

  「何故放射 光差すのか 分からない 疑問の館 入ったままで」

  「太陽は はるか光年 向こうある 光並行 なるはずだがなあ」

  「偶然に 撮りたい写真 撮れました 絵になる一枚 私の蔵へ」

  「一週間 ぶりに出会った 子どもたち すっかり元気 成長の後」 

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人間牧場

〇祝婚歌

 私の友人に埼玉県熊谷市に住む龍前宏さんがいます。龍前さんとは私が埼玉県へ公民館の講演会で出かけた折、ひょんなことで知り合いました。それ以来むしろ龍前さんの方から積極的に手紙をいただき、時にはダビングしたテープを何本も送っていただくのです。その殆んどは前の車にカーテープレコーダーが付いていたため、しょっちゅう聞いていました。テープの殆んどは講演録と私と同じ年代でしょうか、昭和時代の懐かしい流行歌が吹き込まれていて、私を若い時代にいざなってくれていたのです。ところが私の車が2年前モデルチェンジしたため、その車にはカーテープレコーダーが付いていないため、もっぱら書斎で聞く程度になっていました。

 龍前さんは大の読書家であり、また時々送ってくれる封書には「相思樹」という俳誌に投稿した文章がコピー同封されていて、また読むと龍前さんの博学を思わされるような凄い文章で、浅学の私には到底真似のできないものなのです。7月に送ってもらったコピーには祝婚歌というテーマで薀蓄が語られていました。龍前さんは吉野弘という詩人の「祝婚歌」を、NHKの名アナウンサーだった中西龍さんが、絶妙な語り口で朗読したものを知人の結婚式で、乾杯の音頭に替えて流したそうです。哀調を帯びた中西流の名調子が会場いっぱいに流れ、盛大な拍手に包まれて乾杯は無事終ったそうです。詩の全文は次の通りでした。この文章を読んで、私も明日友人の息子さんの結婚式に祝辞を頼まれていることを思い出し、送られてきたテープを使わせてもらおうかとも思いましたが、中西龍を知る人も少なくなった若者の結婚式に、私の駄弁では真意が伝わらないと思い、別の祝辞を考えているところです。

 二人が睦まじくいるためには

 愚かでいるほうがいい

 立派過ぎないほうがいい

 立派過ぎることは

 長持ちしないことだと気付いているほうがいい

 完璧をめざさないほうがいい

 完璧なんて不自然なことだと

 うそぶいているほうがいい

 二人のうちのどちらかが

 ふざけているほうがいい

 ずっこけているほうがいい

 互いに非難することがあっても

 非難できる資格が自分にあったかどうか

 あとで疑わしくなるほうがいい

 正しいことを言うときは

 少しひかえめにするほうがいい

 正しいことを言うときは

 傷つけやすいものだと

 気付いているほうがいい

 立派でありたいとか

 正しくありたいとかいう

 無理な緊張には

 色目を使わず

 ゆったりゆたかに

 光を浴びているほうがいい

 健康で風に吹かれながら

 生きていることのなつかしさに

 ふと胸が熱くなる

 そんな日があってもいい

 そしてなぜ胸が熱くなるのか

 黙っていても

 二人にはわかるのであってほしい

 

 

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人間牧場

〇白い大地

 

 

 

 

 

 

 

 この写真を見て何だと思いますか。この写真、実はわが家の家庭菜園の今日の様子です。昨日と今日の二日間、私はわが家の家庭菜園の中耕や種蒔き作業に明け暮れました。明け暮れたといえばいかにも大働きしたように聞こえますが、日ごろ畑仕事には目もくれない私にとっては大仕事でした。まず草刈機でカボチャ畑の草を刈ってその草を畑の隅に寄せ集め、耕運機を小屋から取り出して中耕し、定規と定規紐を使って畝を立てて行くのです。昨日も今日も好天に恵まれ日当たりのよい畑は一日中太陽が容赦なく照り付けていました。長袖シャツに麦藁帽子、ゴム長靴の出で立ちで農作業に挑みましたが、まあ凄い汗をかきました。

 途中木陰に入って休んだり、自宅へ入って冷蔵庫の冷たいお茶を飲んだりしながら、作業をした結果、大根3畝9列、聖護院大根1畝3列、小松菜1畝3列、チンゲンサイ1畝3列、秋ジャガイモ1畝1列、ホウレンソウ1畝2列、ニンジン1畝2列、春菊1畝2列とまあ凄い数の種を蒔きました。そして蒔いた種を保護するため籾殻を被せ、その上に牛糞肥料を置いて行くのです。畑の畝毎に折角蒔いた種を取りに食べられては大変と、鳥おどし用のキラキラ風で揺れるビニールテープを張り、最後はジョレンに水を入れてたっぷり水をやりました。作業は立ったり座ったり、中腰になってやるものですから、多少腰が痛くなりましたが、何とか作業を終えることが出来ました。

 時折友人や知人が訪ねて来る度に作業が中断したり、畑の隅の木陰に座って雑談したり、また時々かかる携帯電話を取ったりと、まあ忙しく働きました。知人や友人は私の仕事ぶりを見て、ご立派と褒めてくれたり、「これ程の野菜は出荷するのですか?」と質問されたりしました。私は家庭菜園でできた野菜は近所や親類に配って喜んでもらうのです。まあ人助けのようなものですが、無農薬に近い農法ですから出来や見栄えは今一ですが、味は良いと褒めてくれるのです。今年は中耕の折石灰を撒くのをすっかり忘れていました。慌てて今日の午後近くの農協へ買いに行き、苗物用の畑に撒いておきました。冒頭に紹介した白い大地は、実は石灰を撒いた畑の様子なのです。最近の石灰は加工されているのか、昔のようにそこら辺が真っ白になるような飛散もなく、綺麗に撒けました。ちなみに20キログラムの石灰は750円ほどでしたが、直感的に安いと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 「疲れたと 思いながらも 安堵する これで安心 冬の準備が」

  「指折って 数えるほどの 種を蒔く 苗を植えると 相当な数」

  「朝と夕 鋤簾に水入れ たっぷりと 一週間後の 芽吹き楽しみ」

  「今年ほど 菜園力 入れた年 ないと思いつ 有頂天なる」

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人間牧場

〇今日から7年目

 ブログを書き始めて6年間が昨日で終りました。今日から10年に向けて7年目の挑戦が始まります。私の日々の生活にとって今や人間牧場というタイトルで書くブログは、私の暮らしの一部に組み込まれ、なくてはならない存在になっているのです。私の友人たちの中には、私のブログを愛読したり、たまにアクセスしてくれている人たちもいて、ブログの画面を通して書き込みやメールで交流へと広がっているのです。もし私がブログを書いていなかったら、私の情報も皆さんに知らすすべもなかったし、私の情報発信も上手く行かなかったことでしょう。

 7年目を迎えるにあたって、私はこれまでを振り返って一番の汗顔はブログ記事に誤字脱字の多かったことです。忙しいことを理由に誤字脱字が多いという指摘も笑ってごまかしていましたが、これからは極力そのことを頭の隅において、しっかりと書こうと思っています。私のブログ記事の素材は暮らしなので、これまでの記事は余り難しいことを書いてきませんでした。多分読者の方は私の浅学な知識や智恵を心の中では笑って読んでくれていたと思うのですが、これからも身の回りで起こっている日常を書こうと思っていますが、7年目にもなると毎年同じようなことを書いたのでは読む方も新鮮味がないので、極力新しいネタを探して、今までかかなかったことに挑戦しようと思っています。

 昨日辺りからこれまで6年間居続けてきたブログの部屋から引越しの練習をしています。娘婿が引越しを手伝ってくれて、何とか新居の準備も出来ました。使い方はまだまだ知らないことばかりですが、徐々に馴れて今月いっぱいを目途に引越ししようと思っています。間もなく故障して修理に出していたカメラも修理を終えて戻ってくることでしょう。今日から書いてアップしたブログ記事は、その日のうちにプリントアウトしようとも考えています。そうしないと、今回のように4ヶ月も溜め込んでプリントアウトするのは大変だと思うようになりました。まあ分からないことだらけですが、古いアメーバブログ同様今後ともよろしくお願い致します。

 私の新しいブログアドレスは、https://blog.yuuhi.jp/です。よろしくお願いします。

  「七年目 気合を入れて いきまっしょい 誤字と脱字は 極力なくす」

  「六年の 積み重ねあり 今がある これから先も 凡事徹底」

  「分からない 打ったつもりが また消えた こんな状態 いつまで続く」

  「ブログ書く これは私の 清涼剤 すっきり日々を 暮らして行きたい」

 

 

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人間牧場

〇古い自宅よさようなら

 2005・9・08・14:40:10という数字は私のメモリアルです。つまり私は2005年の9月8日に「shin-1さんの日記」というタイトルで、現在のブログを書き始め、今日で満6年間を終え明日からいよいよ7年目に入るのです。長いようでも短かった6年間を振り返りながら、こうして古い自宅とも思えるブログの自宅から飛び出して、新しい自宅へと引越ししようとしているのです。

 古いブログの自宅は部屋が幾つもあって、6年間殆んど毎日のように書き込んでいたのでとても居心地がよく、移転すること等考えてもみませんでした。ところが一ヶ月ほど前に画像フォルダに「もうすぐ画像フォルダがいっぱいになります」という警告が出て、私にブログを勧めてくれた娘婿に相談したところ、移転をした方がいいと勧められ、娘婿は忙しい合間を縫って移転先の準備をしてくれました。

 さて私のブログの画面を呼び出そうと、娘婿から届いたメールを頼りに書き込み用のアドレスを入力するのですが、これが中々上手くいかず四苦八苦でした。やっとの思いで入力し始めると、今度は書いた行がいきなり消える等、もう朝から散々です。早速娘婿に状況を報告しましたが、娘婿のサポートは当分の間続きそうです。

  「移転先 居心地悪く 四苦八苦 慣れるまでには かなりの苦労」

  「今思う 慣れ親しんだ 古い部屋 狭いながらも 楽しい日々を」

  「わが知識 危機の管理も 出来ぬゆえ これから先が 思いやられる」

  「今日最後 明日から性根 入れ直し しっかりせよと 自分に発破」

 

 

 

 

 

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