shin-1さんの日記

〇夕日徒然草・風の書執筆終る(その2)

何よりも苦労したのは地の書・水の書・火の書・風の書・空の書と、それぞれ30話ずつ小見出しを決めて執筆することです。最初の地の書は書きたかったことがいっぱいあって、たった3日ほどであっという間に書いてしまいました。ところが水の書。火の書とシリーズが進むに連れて、書くスピードが鈍るばかりか、話題を集めるのにも一苦労です。でも今回の風の書もまあ何とか見繕うことができました。これは日ごろからブログを書いて書くことに馴れたからだと思うのです。

 年輪塾のからみや、えひめ地域政策研究センターとの絡みもあって、かつて研究員として活躍した清水和繁さんに監修や校正を依頼しました。また地域づくり人養成講座で知り合った村上太さんに印刷代を五年間据え置きの厳しい予算で印刷を頼みました。まあそんなこんなで地の書・水の書・火の書が出来上がり、今回風の書の出版となったのです。       地の書は全て完売したものの、水の書と火の書は忙しさの余りに販売に熱を入れることを忘れていて、多少残っていますが、これから少し頑張れば何とかなるほどにこぎつけました。まさに自転車操業で、これからの努力なしには最後の空の書の出版はおぼつかないようです。

 今年の春、本の題名を書いてくれた叔父が亡くなりました。本の題名は5冊とも一緒なのでとりあえず出版はできますが、風の書でもできたら墓前に供えて御礼をいいたいと思っています。先週監修をお願いするため清水さんにメールを入れました。清水さんはただ今国内旅行中なので、変える頃を見計らって原稿をCDに入れてプリント原稿とともに送りたいと思っています。
 人間牧場の馬路村産魚梁瀬杉の切り株に刻まれた150の年輪にあやかろうなどと、無理な決意をしたために思わぬ重い荷物を背負うことになって四苦八苦しています。非凡なことは平凡な人間ゆえに思っても成し得ませんが、平凡なことを150も積み重ねることは容易なことではありません。でも凡人ゆえに平凡なことを少しずつ積み重ねなければなりません。多分来年の今頃は121話から150話までの30話の原稿書きに頭を悩ませていることでしょう。でもその後に大願成就の喜びが待っているのですから頑張らなければなりません。逆風が少しずつ追い風に変わりつつあるようです。

   「仲間あり 助けがありて 成せる業 四苦八苦して 何とか目鼻」

  「馬鹿なこと 目標掲げ 始めたと 今頃後悔 後の祭りだ」

  「金工面 妻にも言えず 悶々と 何とかなるさ 明日があるさ」

  「来年の 今頃原稿 悩んでる 創造しつつ 原稿送る」

 

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shin-1さんの日記

〇夕日徒然草・風の書の執筆終了(その1)

 とんでもないことを思いついたものだと深く反省しているのが、落伍(落語ではなく落伍)の話芸とそのネタ本である夕日徒然草の執筆自費出版です。発想の原点は高知県馬路村産魚簗瀬杉の切り株を、友人で高知県奈半利町在住の坂本利男さんからいただいたことから始まりました。講演で2005年7月21日高知県奈半利町へ行った折、ついでに立ち寄った坂本さんの自宅兼高知新聞奈半利販売店の一階にある駐車場隅で、泥にまみれた切り株を見つけました。汚い切り株に何故か私の心が動き、譲ってくれないかと頼んだところ意外にも快く了承され、律儀な坂本さんはこの切り株を梱包して宅配便で送ってくれたのです。3人でやっと動かすことのできる切り株の輸送はお金も要ることから、着払いをお願いしたものの、物がものだけに着払いはできず、結局坂本さんが一時立替えをしてくれたので、これも高知県での講演のついでではありましたが、後日私はお礼に双海町の特産品を持って支払いに立ち寄りました。

 切り株が到着したものの一旦倉庫にしまっていた切り株は大きいゆえ、何かにつけて邪魔になりついつい倉庫の隅に追いやられていたのです。その様子を見た親父は貰った人への配慮が足りないと私に文句をいい、ついには近所の人にお願いしチェンソーデいびつな所を切り落として、電動カンナで荒削りをしたり研いたり、またゆがんだままの姿を生かして座卓に生まれ変わらせてくれたのです。
 それでも置き場に困り、結局は2005年7月29日に人間牧場・水平線の家を建前して間もない部屋の中へ、息子二人の力を借りて運び込みました。暫くの間はこの座卓を囲んで来訪者と面談したりしていましたが、余り気にすることもなく使っていました。
 ところがその翌年2006年6月10日~11日の両日、真新しい水平線の家で、広島県三次市総領町の和田さんたちを向かえ移動逆手塾を開いた折、この座卓の上に座布団を敷いて私が卓話をした折、言いようのない落ち着きと効果を感じたものですから、「そうだこの切り株の上で何かをやろう」と閃いたのです。

 色々考えた挙句数えることのできる切り株の150の年輪にあやかり、150話を話せるような人間になりたいと最初は軽き気持ちで発想したのです。自分の思い付きをまとめてみると、①切り株の年輪にあやかり150話を考える、②150話を本にして自費出版する、③出版する本は概ね一冊250円くらいで仕上げる、④一冊に30話を集録し販売は概ね500円のワンコインで販売する、⑤売れた本の原価回収分は次の30話の本の出版費用とする、⑥本の名前は夕日徒然草とし宮本武蔵の五輪の書にあやかり30話×5冊とする、⑦本の出版は概ね一年に一冊とし売れ行きや反応を見極めて決める、⑧話芸は落語ならぬ落語風として一話10分とする、⑨落語は来た人に木戸銭の代わりに本を買ってもらい一回五話を即興で演じて落伍ライブとする、⑩250円の収益金で人間牧場の運営費を賄うなど、手前味噌な考えが頭に浮かびました。しかし空想を企画にし、呼格を実践に移すことは書く能力、喋る能力、実践する能力に加え、資金調達能力や販売能力等幾つものハードルが待ち受けていました。

   「切り株の 年輪何と 百五十 あやかりたいが あやかりきれず」

  「切り株の 木霊私の パワーなる あれから私 目標目指し」

  「年輪の 数を目指して いるものの 未だ私は 到達もせず」

  「今になり とんでもないこと 考えた 悔やんでみるが 悔やみ切れずに」

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