shin-1さんの日記

〇でっかいヤナギダイをいただく

 昨日の朝6時ころ、わが家に一本の電話がかかってきました。漁師をしている伯母から「ヤナギダイが獲れたので取りに来ない」というのです。昨日は高知県へ講演に行く予定もあって余り乗り気ではありませんでしたが、それでもありがたい申し出に軽四トラックで8キロ向こうの下灘下浜まで取りに行きました。

 さっきまで漁船の活け間で泳いでいたというヤナギダイはまだ〆て間もないためピクピクしていました。その大きさは度肝を抜くほど大きく、えらに手を突っ込んで持ち上げるとずっしりくるほどでした。軽四の荷台に積み込み急いで引き返し、調理用の割烹着を妻に着せてもらい、出刃包丁を取り出して早速格闘です。まずウロコをとる作業をしましたが、このウロコがとても硬いのがヤナギダイの大きな特徴で、ウロコ取りの道具も歯が立たないほどで、そこら辺に大きく硬いうろこが沢山飛び散りました。

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(私の手にかかって料理された10キログラムを越えたヤナギダイ)

 やがて出刃包丁で頭と胴体を切り分け、頭は二つに割ってえらを取り出しましたが、これが一番力の要る作業で包丁をまるでなたのように振りかざして何とか怪我もせず処理しました。内臓には沢山の白子があってこれは美味しいので壊さないようにそっと取り出しました。

 三枚に下ろした身はとても大きくて分厚く、刺身にすれば30人分は有にあるほどでした。下調理した魚をそれぞれパレットやボールに小分けしてラップで包み、冷蔵庫へ収納するのですが、これが冷蔵庫の場を取るため、妻もその気になって冷蔵庫を片付けていました。わが家の台所はただ今リフォーム工事の真っ最中で、一昨日息子と二人で台所から私たちの台所へ冷蔵庫を引っ越したばかりなので、妻も勝手が違うので多少戸惑っていたようです。


 昨日は高知県へ主張して帰宅してみると、食卓に刺身と刺身を使った妻特製のにぎり寿司が並んでいました。いやあ美味しかったです。10キロ以上もある大きなヤナギダイなので脂の乗りも抜群で、少し食べ過ぎてしまいました。

 私も親父も魚が大好きで、そのことを知っている妻は毎日魚料理をしてくれます。親類に漁師さんがいるため時々魚をくれるため、きちんと下ごしらえをして大き目の冷凍庫に保存しています。肉は殆んど食べない私ですが、この歳になると魚がやはり体調管理にはいいようで、家庭菜園で取れた野菜と魚を使って美味しい料理を毎日作ってくれるのです。ここ一週間は刺身にしたり、煮付けにしたり、焼いたりとヤナギダイのフルコースが食卓を賑わせることでしょう。


  「最近は 魚の料理 するように なって妻から 感謝をされる」

  「ヤナギダイ 三枚降ろし 食卓に 刺身や寿司と なりて舌打つ」

  「肉嫌い 魚大好き お陰様 病気もせずに すこぶる元気」

  「もし酒が 飲めたらいいと ふと思う 酒の肴で ご飯を食べる」

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〇久しぶりに高知へ

 人のご縁とは不思議なもので、最近まで国立大洲青少年交流の家に勤務していた橋田さんが3年間の勤務を終えて、古巣の高知県へ帰られましたが、その後の勤務地が高知県教育委員会の生涯学習課だそうで、先日メールや電話が届き、社会教育主事等研修会の講師として講演をして欲しいと頼まれました。

 私は駆け出しのころ地元双海町の教育委員会で、13年間社会教育を担当しましたが、その後も県公連の専門委員や月刊公民館に執筆したり、依頼があれば生涯教育とまちづくりについて講演活動を行っているものの、社会教育の現場から退いてもうかれこれ30年にもなるというのに、こうして社会教育に関する引き合いがあるとは、何とも息の長い話です。

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(仁淀川町にある茶業試験場の美しい風景)

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(満々と水をたたえて太平洋へ流れる仁淀川の流れ)

 昨日はその講演日で高知へ出かけましたが、間近に迫った仁淀川町での講演の打ち合わせや、久万高原町での所用を済ませるため、本来なら高速道路を走って川之江ジャンクション経由で高知県入りするのですが、少し早めに出て久しぶりに国道33号線を走りました。

 高速道路の開通以来国道33号線は交通量が激減していて、昨日も平日とあって交通量も少なく、時折地元の高齢者マークをつけた軽四トラックがノロノロ運転で前道を塞ぎましたが、それでも所要時間は所用を含めても3時間弱で、会場となっていた伊野町にある高知県青少年の家へ1時間も早めに到着しました。

 県境から仁淀川沿いを走る国道33号線沿線は緑も濃くなっていて清々しく、先日の大雨で増水した仁淀川が大河となって流れていました。

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(背景写真パネルを前に講演する私)

 現地で背景写真パネルを持参したミミックの十亀さんや加藤さんと合流しました。背景写真パネルの設置は東広島マツダ会と人間牧場あいネットワークの研修会に続いて3度目ですが、講演前に大掛かりな背景写真パネルを設置する私たち3人の姿を見て、高知県内から集まった50人ほどの参加者たちは目をパチクリしていました。昨日の私の持ち時間は2時から1時間余り講演し、10分間の休憩の後4時半まで分散会への助言を行ないました。参加者の中には西部教育事務所の松下先生や、10年も前に愛大で行なわれた社会教育主事講習で私の講義を聞いた人もいて、嬉しい再会となりました。大川村や土佐町から参加した人と名刺を交換したりして、新しい出会いも予感しました。

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(活発な議論が行なわれた分散会)

 仕事を終え夕闇迫る中を復路は高速道路を使って、明るいうちに自宅へ帰ることができました。高速道路や車のお陰で昨日も350キロ近くの四国の道を駆け抜けましたが、わが住む四国も広いと実感しました。私は海の傍で生まれ育ち今も海の傍の町に住んでいます。子どものころから常に海の向こうを意識していて、ジョン万次郎にに憧れて、水産高校の実習船愛媛丸でオーストラリアまで遠洋航海に出かけたり、青年の船でアメリカ・メキシコへ渡ったりして、太平洋と縁が深く、そのためでしょうかおおらかな高知県の風土や高知県民の気質が大好きで、何かにつけて高知と深いつながりを持ち続けているのです。そんな心の高ぶりを久しぶりに感じる一日となりました。


  「おおらかな 高知県人 気質好き ゆえに仲間も 沢山おりて」

  「行き地道 帰り高速 それぞれに 趣きありて 一人旅する」

  「背景の 写真のパネル 今回も 度肝を抜いて 効果抜群」

  「広いなあ 一人つぶやき 四国路を 二百五十キロ アクセル踏んで」

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