shin-1さんの日記

○沖合に数隻の艦船

 昨日気がついたのですが、このところ双海町沖の海上に何やら黒い物体が沢山うごめいているのです。夜になると煌々と灯りをつけて海面上に浮かぶものの正体は防衛省海上自衛隊の艦船なのです。私は昭和19年生まれなので幸か不幸か戦争を知りませんが、親父のような戦争体験者はまるで戦時中では?と昔の悪夢が蘇るようだと言っていました。

 これらの艦船は沖合にある呉基地所属の艦船と思われますが、数日前から沖合の伊予灘で掃海訓練をしているのです。掃海は機雷の除去作業ですが、戦後60年以上経ったこの海に嫌いなどは存在しないはずですが、海上自衛隊では有事を想定して訓練を行っているのかも知れません。

 つい最近双海町の漁船と観戦が接触事故を起こしたことがあり、共産党などが漁船の安全について抗議をした一幕もあったようです。まあ訓練なので別に目くじら立てることもありませんが、海域が操業区域と重なるだけに安全だけには注意をして欲しいと願っています。

若松進一ブログ

 実はわが家の庭の隅に倉庫を改造して、私設の海の資料館「海舟館」を造っていますが、その展示物の中にこの沖合海域の海底から引き揚げた戦争の遺物が展示されているのです。それらは長年漁師をした親父が漁船の網にかかったものを引き上げ、丹念に磨いて展示に耐えられるようにしているものなのです。

 珍しいものとしては紫電改という戦闘機の機銃や魚雷のエンジンなどがあり、それ以外にも大砲の薬きょう、望遠鏡、ヘルメットなどが所狭しと並べられているのです。これらの展示物は戦後60年経った今も親父の行き届いた手入れのお陰で光を放っていますが、大陸に出征するなど戦争を体験した親父の生き様とダブるだけに、これからも平和への祈りを込めて、大切に保管してゆきたいと思うのです。

若松進一ブログ
(紫電改の機銃)
若松進一ブログ
(魚雷のエンジン)

 こうした類のものは、時を経て保存してこそ価値がるのですが、これまではどちらかといと戦争の悲惨さを抹消しようという風潮が強く、ましてや海から上がったものの権利は国に所属するため、貧乏な時代でもあった戦後は、古鉄として処分され何がしかのお金に換金されてきたのです。多分わが家にあるものの殆どもその運命を辿るはずでした。しかし親父は仕事の合間を縫ってせっせと磨きをかけて保存してきたのです。

 今にして思えば損得勘定に走らなかった親父の行為は立派だった気がするのです。世の中には今は何の役にも立たない鍬や鎌でさえ100年も保存すると立派な民俗資料として展示に耐えうるのですから、私たちはこれからもそのことをわきまえて、古き物を大切に保存することも肝要だと思うのです。特に戦争にまつわる史料はたった60年余りしか経っていないのに、その殆どが散逸してしまっているのです。私は少なくても親父の跡取りとしてこれらを後世に伝えて行く義務がありそうです。


  「沖合に 何やら怪し 黒い影 黒船再来? 戦争再来?」

  「わが家には 戦争遺物 数多く これは価値ある 平和の祈り」

  「えっ魚雷? えっ機銃?かと 見る人は 興味深そに 見入り感心」

  「こんなもの よくも造った 日本人 愚かな行為 戒めなくば」

  

 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○今年も4等の切手シートばかりでした

 私はほとほとくじ運の悪い人間だと自分で思っています。これまで何度かくじを抜きましたが当たったためしがなく、くじのついた福撒きでさえいつも最低のたわしくらいしか当たりませんでした。そんなこともあって、「自分はくじは当たらない」と信じているので、他の人のような「果報は寝て待て」的な行動は余り取らない人間になっているのです。そんな信じ方をしているのでこれまで宝くじは買った経験がなく、当然当たったこともないのです。

 それに反してわが妻はセルフのガソリンスタンドで車にガソリンを入れてもティシュペーパーが一箱当たったり、大したものでもありませんが時々恩恵に浴しているのです。ゆえに毎年私に内緒で宝くじを10数枚買っているようですが、さすがに宝くじは1万円以上は当たったことがないようで、昨年も外ればかりでリベンジを誓っていたようです。妻は「お父さん、3億円当たったら世界一周旅行でも何でも好きなことをさせてあげる」と毎回夢みたいなことを私に言っていますが、宝くじは米俵一俵の中の一粒しか当たらない確立だそうですので、余り当てにせず待っているのです。

 昨日郵便局へ封書やはがきを出しに行ったついでに、窓口で今年のお年玉付き年賀状の当選番号票を貰って来ました。毎年千枚近くの年賀状をいただくのに、これまで当たったのは4等賞ばかりで、一度だけ3等賞のレターセットが当たった以外は全て切手シートなのです。もっとも切手収集をしていた時期もあって、欲しいのはお金で買えない切手シートが一番欲しいので願ったり叶ったりなのです。

 昨日その年賀状の束を机の上に置き、一枚一枚当選番号と照らし合わせましたが、1時間余りの格闘もむなしく、今年も最低4等の切手シートが20枚近くのみでした。今年の切手シートの当選番号は下2けたの番号が00と52なのですが、毎年のことながら当選番号の年賀状を送ってくれた方々にはお礼状のハガキを出すのです。たとえそれが4等という切手シートであっても、幸運をいただいた方々へ感謝の意味を込めお礼状を出せば、どこか清々しい気持ちになるのです。

 今日から佐賀県へ出張うして3日間ほど家を留守にする予定なので、当選番号の引き替えは帰ってからのお楽しみとしますが、今年の切手シートはどんなデザインなのか、これまた小さな楽しみが増えました。

 昨晩当選番号のハガキを見せながら妻に、「今年も4等ばかり」といってくじ運の悪さを愚痴りましたが、「お父さんはまだ強運の持ち主よ。だってあれだけの難関を突破して青年の船にも班長として乗船してアメリカやメキシコへ行けたし、NHK青年の主張だって県代表になったじゃないの」と持ち上げてくれました。「それは実力だ」と鼻高々言いましたが、そういえば私も年賀状や福撒きこそ当たらないものの、それなりに選ばれているのですから、まあそれなりに納得しなければならないようです。

 もうこの歳になるとくじ運など縁遠いものになりましたが、「果報は寝て待て」くらいな気楽な気持ちで、これからの人生を、「必ず当たる」と信じ込んでいる妻と一緒に二人三脚で生きて行きたいと思っているのです。


  「年賀状 あれほど届き 当たりくじ 4等だけが 二十数枚」

  「くじ運が 悪いといつも 嘆いてる だから買わない 当たらないはず」

  「おっ惜しい たったひとつの 番号が 違っただけで 前後賞なし」

  「何言うの あなた強運 妻が言う こうして元気 これも運良し」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○2年5ヶ月の幕引き

 2年余りにわたって書き続けてきた、愛媛新聞のシニアサイト「自悠くらぶ」が一月末で閉じることになり、昨日は執筆した人たちが集まって食談会が持たれました。真鍋さんのマルブンというイタリア料理のお店に集まったのは新聞社の皆さん3名と私たち執筆者7名でした。皆さんはそれぞれ達筆な方ばかりで日ごろ愛読していることもあって、私など傍にも寄れない感じがしていましたが、出会ってみると楽しいお話が沢山聞けて、とてもいい出会いとなり、これで終わるのかと思うと何処となく寂しい気持ちになりました。

 私はお酒を断っているので、お茶で濁しましたが、友人の西川さんや清水さん、それにマルブンの社長である料理人の真鍋さんは、イタリア料理に合うワインを楽しそうに呑んでいて、呑むほどにほろ酔い機嫌となって、少しだけお酒を呑める人が羨ましく思いました。

 私もこれまで長い間まちづくりの世界で生きてきたため、新聞社の方々とは顔馴染みが多いのですが、広告局の局長さんとは初対面でした。しかし聞けば若いころ、お父さんが警察官として双海町上灘駐在所に勤務していたこともあって、双海町に住んでいたし、手作りヨットで沖合に浮かぶ青島まで航海した話などを聞くと、世の中は狭いなあとつくづく思いました。

 局長さんは間もなく定年を迎えるとのこと、願わくば双海町辺りでのんびりと余生を暮したい夢を持っていることなどなど、心温まるお話をさせてもらいました。


 昨日は最後の会だからと私はデジカメを持って行きました。さあ撮ろうと思いカメラのスイッチを入れますがカメラは言うことを聞きませんでした。明日から出かける全国大会のために電池を抜いて充電器に差し込んだまま忘れていたのです。清水さんに笑われましたが、新聞社の副部長さんに写真を撮ってもらい、今朝担当の女性からその写真が私信を添えてメールで送られてきました。

 見れば酒も飲まないのにカバンを見せたり、電光掲示板をネクタイにつけたりしてパフォーマンスを繰り広げている私の写真もありました。汗顔の至りです。局長さんには自著本「夕日徒然草」まで売りつけてしまいました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ

 一昨日、大分県佐賀関に住む友人の渡邊又計さんから、【自悠くらぶ】人間牧場に執筆した全121本の掲載原稿を一枚のCDに収録したものが2枚送られてきました。私の記録など意味もないことかも知れませんが、ブログもラジオのテープもこうして保存タイプに加工してくれているのです。

 パソコンに疎い私にとって渡邊又計さんが折に触れて作ってくれる保存版のCDは私にとってお宝として死ぬまで持ち続けたいと思っています。そのCDを皆さんに見せびらかして渡邊又計さんの自慢話をしてしまいました。

若松進一ブログ
(渡邊又計さんが作ってくれた【自悠くらぶ】人間牧場のCDR)

  「もうこれで 終わりになると 思うゆえ 後ろ髪引く ような寂しさ」

  「相手酒 俺はお茶ゆえ 酔わぬはず だのに時間が 経てばほろ酔い」

  「送られし 写真を見れば 一芸を 披露している やはり悪弊」

  「横女性 どこかウキウキ いい笑顔 歳をとっても 男ですから」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○踏んだり蹴ったり

 昨日は急にインターネットの画面接続ができなくなり、「ああまたか」と思いながら、近しい人にその対処法を聞きましたが妙案が浮かばず、結局はいつものことながらパソコン本体を車に積んで、娘の所へ出かけました。パソコンが故障した時の私の強い味方は長男と娘婿なのですが、昨日はあいにく二人とも仕事が忙しく、結局は娘婿に夜か早朝診てもらおうと思ったのです。

 今朝娘から電話があって、パソコンは故障していないようなので、回線か電源に不具合があるのかもしれないと連絡が入り、所用もあったので片道40分の道を取りに行きました。早朝だったため運よく娘婿は未だ出勤前で在宅していて、色々と修正した旨を話して職場へ出かけて行きました。娘の家のインターネット回線に接続し確認しましたが、問題もなく接続できました。

 ギンー味噌に立ち寄り全国大会へ持って行く荷物を受け取り、自宅に帰ってインターネット回線に接続しましたが、やはりエラーが出てつながらないのです。たまたま昨日問い合わせしていた公民館のAさんから、「昼休みなので原因を一緒に探ってあげましょう」とわが家にやってきました。

 それから二人でああでもないこでもないといじくっていましたが、別のマイクロソフト回線で別のメールが入っているのを見て、ひょっとしたらブロバイダーが原因かも知れないと電話をすることになりました。私はNTTコミュニケーションズOCNに加入していますが、そういえば契約料が支払われていないかも?と嫌な胸騒ぎがし始めました。思いは的中し未払いだったのです。

 NTTから毎月電話使用料の自動払い込み領収書が届くのですが、多くの書類に紛れてくるため、中身まではチェックせず、当然OCNの請求書もあるいは処分してしまっている可能性があるのです。無理をいって請求書を送ってもらい、次回からは自動引き落としにするべき資料もお願いして、20分後に無事回線復旧の運びとなりました。

 昨日と今日はパソコンに翻弄されて気分が乗らず一日中モヤモヤとした気分でしたが、少しだけ気分が回復しました。しかし昨日から今日にかけてメールがどっさり届きこれまたその処理と、今朝出遅れて書いてなかったブログの執筆にアタフタしている所です。

 今晩は地元小学校の学校評議員会があるし、明日から3日間佐賀県で開かれる値域づくり団体交流全国大会があり、多くの方々と参加しなければならず、それまでに片づけたい仕事も段取りしていたのに、パソコンのトラブルでとんだ遅れをとってしまいました。踏んだり蹴ったりの一日ですが、夜までにそれらを解決してすっきりと全国大会に参加したいと思っている所です。


  「パソコンの 不具合元で あたふたと 踏んだり蹴ったり 今日は厄日だ」

  「振り込みを 忘れてネット 使えない なんてお粗末 私若松」

  「占いじゃ B型今日は 最低と 言っていたのは やはり本当」

  「私など 大きな顔を しているが 危機の管理も できない男」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○広島県三次市川西地区を訪ねる②

 今回川西地区から講演のお誘いがあった時、密かな楽しみだったのは平田克明さんに、ひょっとしたら会えるかも知れないという期待感でした。中四国には中国地方7人、四国地方7人、系4人の観光カリスマがいますが、平田観光農園の会長である平田克明さんも私もその一人なのです。観光カリスマに剪定されている方々は独自の持論を持った生き方をされている人が多いのですが、独自ゆえに独自な世界で生きているため、中々カリスマ同士で出会うことが少ないのです。多分平田さんには何処かで出会ったことがあるのでしょうが、直接お話を伺うことはなかったようです。

若松進一ブログ
(平田農園のインフォメーションセンター)
若松進一ブログ
若松進一ブログ
(築150年の民家を移築したレストランやまぼうし)
若松進一ブログ
若松進一ブログ

(ピザ釜を兼ねた特大の暖炉)

 福永館長さんは感の鋭い方で、そのことを察知したのか、昼食を平田農園のレストランで取るよう手配がされていて、有り難いことに平田克明さんも昼食をご一緒しながらお話しすることができました。平田農園は15Haの果樹園に50万個の果物が実り、四季を通じて楽しめるようになっていて、リンゴ、ブドウ、キウイ、イチゴ、サクランボ、ナシ、ブルーベリー、プルーン、プラム、ラズベリーなど、ありとあらゆる果物が植えられていました。桜や藤棚、ブーゲンビリアなどの花も楽しめるようになっていて、果木を含めると一年中花に囲まれているような人生の楽園なのです。

 平田さんは謙虚な方で決して威張らず、好感のもてる方でした。

若松進一ブログ
(平田克明さん)
若松進一ブログ
(福永館長さん)

 午後1時30分からコミュニティセンターの2階で講演会は始まりました。会場には双海町まで視察に来られたことのある坂田尚也さんもお土産まで持ってわざわざ駆けつけてくれました。坂田さんは双海へ来た時の様子を事細かくアルバムに整理をされていて、私の書いたつたないブログの文章もプリントアウトされ、また私が書いたであろうお返事のハガキまでアルバムに貼りつけ、汗顔の思いでした。

 「昇る夕日でまちづくり」と演題をつけていただきましたが、夕日の町からのメッセージとでもいう私の話は、皆さんの心にどう響いたことでしょう。受講した皆さんは聞き慣れているという感じの反響が演台まで響き、とてもいい雰囲気で話すことができた講演会でした。

 昨日平田さんはじめ何人かの方々からメールやお葉書をいただきました。嬉しい反応に喜びながら、私もメールの返信やハガキを書いて出しました。縁はいなもの味なものです。今回の日帰りの旅もいい縁を深めることができてホッとしています。


若松進一ブログ

 追伸

 平田農園のレストランやまぼうしで珍しいオンドルを見つけました。思わず微笑むような素敵なアイデアでした。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

  「会いたいと 思った人と 食事する 今日は男時か 思うようなる」
  「冬景色 これもまたよし 田舎流 コタツ足入れ 四方山話」

  「そこここに 知恵の塊 垣間見る さすがさすがと うなずきながら」

  「そういえば カンピューターが 動き出す 何年か前 出会いし人と」

  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○広島県三次市川西地区を訪ねる①

 先週の土曜日といっても3日前、しまなみ海道を渡って広島県三次市川西地区へ出かけました。広島県でも奥まった所にある三次市へ行くのには、普通松山観光港から船で宇品に渡り、電車で紙屋町まで出て、バスセンターから出る高速バスで出かけることが多いのですが、この日は土曜日ということもあって高速料金が割引されること、川西地区が三次市内から少し離れていることなどのため、思い切ってマイカーで行きました。

 早朝に出発したため行きは今治北インターまで地道を行き、しまなみ海道を過ぎると尾道~世羅~三次川西のルートをあらかじめカーナビにセットした道順に沿って出かけました。国道184号線を通る世羅までは何度も通っている道なので安心して、途中トイレ休憩を道の駅などで2度しながら、逆算した時間通りに走りました。


 やがて三次と世羅の道路標識が入り混じる目的地近くになったので、福永館長さんから送られてきた資料の中にあった、既に廃校になって地域づくりに活用している木造校舎に立ち寄ることにしました。有名な平田農園入り口とは反対側の道を行くと、「ほしはら山の学校」は直ぐに見つかりました。長閑な山村のたたずまいの中にある木造校舎は、ふるさと体験塾や日帰り・宿泊体験などができる施設として活用されているようで、運動場の真ん中に立つと子どもたちの歓声が聞こえてきそうな気がしました。

 パンフレットには、滝遊び、昔の生活道での木のブランコ、虫取り、棚田での米づくり、キャンプやキャンプファイヤー、柏餅づくり、ドラム缶風呂、蕎麦収穫、蕎麦打ち、農家民泊などのメニューに興じる子どもたちの生き生きとした活動ぶりが紹介されていました。

若松進一ブログ
(運動場から見た学校)
若松進一ブログ
(道沿いから見える木造校舎)
若松進一ブログ
(開校100年の記念碑は建つ学校の正門
若松進一ブログ
(玄関には薪が沢山積んでありました)

 予定の時間より早く目的地である川西自治会館へ到着して福永館長さんと地区の概要について懇談しました。川西地区の人口は三次市全体の人口58,040人に対して1,257人ですが、高齢化率は43.3パーセントだそうで、三若、海渡、石原、上田、有原の5地区の中でほしはら山の学校のある上田地区は高齢化率が56.4パーセントになっていて、山村の過疎や高齢化の深刻さを垣間見ることができました。

 それでも、山間地を除けばどこも圃場整備が終り、特に福永館長さんの地域では、圃場整備を終えたのを機に農事組合法人「海渡」(うと)を設立して、農業の近代化を進めているのです。地域の自立を目指した先進的な取り組みは、過疎や高齢化という避けて通れない問題を真正面から見据えた、素晴らし自立への行動だと思うのです。

 私も色々な山村を見てきましたが、この日は平田農園といい、農事組合法人「海渡」といい、いい取り組みを見せていただきました。


  「分け入りて 見えぬ子どもの 姿追う 見えるは爺婆 それに猪除け」

  「この学校 多いころには 百人も 寂し聞える 昔の話」

  「高齢化 聞けば五十を 越える言う 二人に一人 七十前後」

  「逞しく 生きる人あり 法人を 作りて守る 山里栄え」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○欠席して見えてくるもの

 「あなたが参加していると思って参加したのに顔が見えず寂しく思いました」と、昨日何人かの人からメールをいただきました。そうなんです。実はこの20年余り、必ず出席していたえひめ地域づくり研究会議主催の年次フォーラムに初めて欠席しました。というのも例年この年次フォーラムは、20日前後に開かれるため1月23日の予定をを空けていました。ところが12月私に届いたフォーラムの案内状には、一週間後の1月30日となっていました。1月23日にフロンティアグループの総会を入れ、1月30日は広島県三次市川西地区への講演が入っていたので、断ることもできずやむなく欠席してしまいました。

 昨年度末でえひめ値域づくり研究会議の代表運営委員も降りたため、強制的に行く理由もなくなりましたが、少し気になりながらの欠席でした。案の定常連として名前と顔を連ねていた私でも、何人かの人は寂しく思っていてくれたのです。まあこれも時代の流れと諦めて、新しい生き方をするのが私の運命の切り開き方なので、その辺について考えをメールをいただいた人に返信しておきました。

若松進一ブログ

 今回のフォーラムには事例発表があって、わが年輪塾も発表依頼がありましたが、論客である塾頭の清水さんにお願いして何とかなりました。フォーラムの模様は昨日の愛媛新聞で、発表の様子は明くる日清水さんからそれぞれ報告がありましたが、モノレールに挟まれて足を大怪我した伊方町三崎の塩崎さんも欠席したようで、年輪塾生兼頭一司さんの発表が聞けなかったのだけが少し心残りでした。

 えひめ値域づくり研究会議の代表を降りてホッとしたことがあります。それは組織の若返りです。請われるままに代表を続けて20年、組織はいつの間にか私やその人たちの色に染まっていました。何度かそのことを訴え辞任の意向を示しても組織は楽な安心と安全を選ぶのです。辞めて見えてくるものはいっぱいありますが、やはり組織に新しい風を起さねばなりません。むしろこれからも未練がましく顔を出すのは止めた方がいいのではないかとも思っています。そうすることが次を育て新しい風起こしにつながるのです。


 私が気がかりな組織に21世紀えひめニューフロンティアグループという小さなグループがあります。結成以来25年も経っているのに壊れもせず残っています。かつては愛媛県で最も輝いていた時期がありました。私が仲間とともに作った団体ですから、自分が代表となって20年間ありとあらゆる知恵を使って一生懸命リードしてきました。町の教育長に就任したため2年余り代表を辞していましたが、フリーになったのを機に再び代表に返り咲きました。私は無人島キャンプなどのプログラムを人間牧場へ置き替えてそれなりに輝いているのですが、グループのメンバーと代表の私の温度差があり過ぎて多少の戸惑いと不安を抱えているのです。

 フロンティアグループの精神は人間牧場にしっかりと根付いているのですから、どういうことはないのですが、少しだけ首をひねりながら将来のあるべき姿を摸索しているのです。


  「欠席を  して見えてくる ことありて 拳拳服膺 肝に銘じる」

  「欠席し 顔が見えぬと メール来る 欠席しても かえって目立ち」

  「川島が 歌った歌を 思い出す ♭時代遅れの♪ 口ずさみつつ」

  「人は皆 同じ運命 辿るもの どこかで気づき  どこかで終る」

 


 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○外に出てわが町を知る

 自分の町から外に出て旅の途中に、何気なく手にしたパンフレットや、壁に貼ってあるポスターを見て驚いたことが何度かあります。パンフレットやポスターの写真に見覚えがあるからです。先日環境省の仕事で三重県御浜町へ行く途中、トイレ休憩と昼食のために立ち寄った高速道路のサービスエリアで、同行した環境省の職員が一枚のチラシを見つけ、私に「双海町の恋人岬が載っています」と渡してくれました。

 そのタブロイド版8ページ立てのチラシは恋人の聖地を特集したもので、全国の恋人の聖地が紹介されていて、恋人の聖地の選定にかかわった桂由美さんと假屋崎省吾さんからのメッセージが特集されていました。さすがに首都圏にある街でもない田舎町の双海町は、写真の隅に百選に選ばれている伊予灘サービスエリアとともに言い訳程度の掲載なのですが、特にシーサイド公園の写真は手前味噌ながら、「行ってみたい」と思うような一枚で、その存在感を示していました。

若松進一ブログ
(左隅に小さな写真が載っているだけなのに・・・・)

 この写真は、かつて私が恋人岬を発想し整備したモニュメントの穴に夕日がスッポリ入った印象的な一枚で、夕日夕やけフォトコンテストで特選に輝いた一枚なのです。写真一枚がどれほどの主張をするかは、広報や観光に長く携わった私には痛いほど分るので、ある意味「中々いい写真じゃない」と少し鼻を高くしました。車内では暫くはこの話で持ちきりとなり、沢山の裏話を饒舌に話しました。

 偶然でしょうか何年か前、これと同じような体験を紀州和歌山へ講演に行く途中の列車の中で体験したことがあるのです。列車に乗れば吊革付近に色々な吊り広告が目に止まります。その中に一枚列車のダイヤ改正に伴なう時刻表広告が載っていました。その横に青春18きっぷのキャンペーンポスターが貼ってありました。何とその時刻表裏表紙とポスターに見覚えのある下灘駅の写真が使われていました。

 とっさに立ち上がりそのポスターをまじまじと見ながら、傍に座っている田舎のおじさんやおばさんに、「この写真の駅は私の町の日本で一番海に近い下灘駅です」と、聞かれもしないのに自慢タラタラ話をしました。ふと我に返って赤面したことが懐かしく蘇ってきました。

 こんな風に外に出て自分の町を再発見することがたまにありますが、何となく気分がいいもので、帰りにわざわざ和歌山駅に降りて駅員さんに、「あのポスターをはがして不要になったら送ってくださいませんか」と交渉し、1ヶ月後送ってもらったポスターは、私の大切な宝物として額に入れ人間牧場へ運んで、全国から来た人に見せているのです。

 「ふるさとを輝かせたい」、そんな思いで様々な仕掛けを仕組んだ昔が懐かしく思い出される今日この頃です。


  「立ち寄った サービスエリアで 見たチラシ わが町堂々  載ってて嬉し」

  「そういえば 何年か前 列車にて わが町見つけ 興奮したっけ」

  「わが町を 輝かせたい 一心で  色々仕掛け 昔懐かし」

  「ふるさとは 遠くにありて 思うもの そうかも知れぬ 納得しつつ」


[ この記事をシェアする ]