shin-1さんの日記

○地域教育実践交流集会②

 私はこの日のためいつものように、バッグに100枚入りの名刺箱を入れて出かけました。ジャンパーのポケットに入れていた名刺入れにはもう殆ど残っていなかったので、青少年交流の家で注ぎ足したので残った名刺を数えると30枚程度、つまりこの二日間で使った名刺は70枚くらいなのです。勿論渡した半数以上の人から名刺をいただいたので、私の名刺入れは入りきれないほど膨らんでいました。その名刺一枚一枚をめくりながら出会った人と名前を思い出すのですが、当然凡人な私には全ての人を覚えることはできず、その程度でお茶を濁してしまいました。昨晩はその中から3人の名前を抜き出し、今朝の休み時間に手持ちのハガキを取り出して書いたのです。この作業は昨日も今日も、また明日明後日も25年間続けている私の習慣なのです。

 一枚は前日私の所に届いた北広島町の平田さん、二枚目は私の顔を立ててここまで来ていただいた松下倶子先生、そして三枚目は私に会いたいと私の本を読みやってきた伊藤さんへです。字の下手な私が毎日三枚のはがきを二五年間も続けることができたのは、自分自身大きな驚きですが、これからもこのことは出来ることなら習慣として続けて行きたいと思っています。

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 さて昨晩は食堂で行われた食談交流会は大いに盛り上がりました。酒を飲まない私にはいささか手持無沙汰ですが、やはり讃岐先生がいつも言うとおり、さんずい、つまり汗、涙、酒は社会教育やまちづくりには欠かせないもののようです。青少年交流の家ゆえに時間には制約がありますが、皆さん人に迷惑をかけないように夜遅くまで交流を楽しんだようです。

 そのためでしょうか、中庭で行われた朝の集いには心なしか参加した人数が少なかったようですが、これもまた要らぬ詮索なのでよしとしておきましょう。少し肌寒い朝でしたが新居浜から参加した高校生たちが中心になって国旗や所旗を揚げ、久しぶりに大洲の朝の空気をいっぱいに吸ってラジオ体操をやりました。

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 食事が終わりいよいよ本番の分科会です。五分科会に分かれ、日本でもかなりレベルの高い先生たちをコメンテーターに迎え熱い議論を交わしました。私は第二分科会の会場責任者だったため約三時間その会場に張り付き、皆さんの話を聞かせてもらいましたが、八幡浜高校の発表も西条市玉津公民館主事津嶋さんの発表も素晴らしく、また香川大学の清國先生の助言もいいお話でした。最後に私が締めくくりの総括挨拶をして分科会ごとの流れ解散となりました。

 いつものことながら手弁当で参加するこのような集会は後味がいいものです。最後の別れ方は来年はもっと工夫しなければならないと思いつつ、ロビーで遠来の人を見送り、松本さんの車に乗ってわが家へ帰ってきました。帰って玄関に入るなり一本の電話です。宮崎県南郷町の竹本さんから、「旅の途中にシーサイド公園に立ち寄って今食事をしている。出来れば顔を見て帰りたい」というのです。早速石を積んだままのトラックに乗って行ってみると竹本さんご夫妻でした。八幡浜経由で変えられると言うので、下灘まで行き、車を置いて私の車の荷台に竹本さんを、助手席に奥さんを乗せて人間牧場まで上がりました。遠来の友人を粗末にしてしまいましたが、お二人は感激の面持ちで下山し、佐田岬に向けて帰って行きました。

 今日もいい出会いと別れの、そして充実したいい一日でした。

  

  「昨日今日 三枚ハガキ 書き綴る 郵便ポスト 思いを込めて」

  「昨晩の 酒の力を 借りながら 熱のこもった 議論真夜中」

  「いつの間に 友の頭も 薄くなり 少し寂しや 秋の夕暮れ」

  「俺の本 読んでここまで やって来た 東京女性 話し弾んで」 

 

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○第2回地域教育実践交流会①

えひめ地域政策研究センターの松本さんが、「土曜日の午前10時わが家で」という迎えの時間を守ってわが家へやってきたのは昨日の10時5分前でした。松本さん車に荷物と私が乗り込み、約1時間離れた国立大洲青少年交流の家へ向かいました。夜来の雨も上がって穏やかな秋の日差しの中を海岸線や肱川沿いの道を走りましたが、途中にある紅葉の名所白滝の山々は紅葉が少し紅葉してきたようで、週末の観光客を当て込んでか、あちらこちらに駐車場の看板が立てられていました。

 大洲青少年交流の家の入口にはメタセコイアやカラ松の木々がありますが、端正な姿で紅葉が始まって秋の風情を感じさせてくれました。見慣れた光景の青少年の家に入ると、これまt見慣れた職員が愛想よく笑顔で迎えてくれました。思えば何度この施設を訪ねたのだろうと、30年を超えた施設での思い出が蘇ってきました。

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(開会のあいさつをする世話人代表の讃岐先生)

 所長さんはこの日の講師である松下倶子先生を飛行場までお迎えに行ったらしく、あいにく留守でしたが、所長室に案内され早く到着していた讃岐先生やスタッフの方々とお茶を飲みながら親しく懇談しながら束の間の時間を楽しみました。話題の中心は何と言っても政権交代による仕分け作業の動向で、関係者は心配や不安の声をあげながら関係筋や新聞で読みとる情報の分析をしていました。

 やがて先発の事務局関係者が揃いそれぞれの仕事が動き始めたので、とりあえず昼食を食べながらそれぞれの分野で打ち合わせを行いました。

 そのうち後発の松下先生も東京から到着し、世話人代表の讃岐先生のあいさつを兼ねたオリエンテーションで集会は始まりました。先生は風呂敷・おでん・納豆と、「結んで開いて」の歌を引用され、分り易くこの集会の意味と構成を話されました。講演は淑徳大学学園長松下倶子先生でした。先生は30年も前私と総理府派遣青年の船でアメリカやメキシコへ一緒に行った間柄なので、私が口をつき確約を得た方なので、嬉しい出会いでした。「私の側道50年」は「人の生きる道には、生活を支えるために働く『本道』と、ボランティア活動や趣味活動のように、報酬を期待しないけれど自発的に続ける『測度道』があるのではないかと思う」という話しから始まり、「大切なことは『若い時』とあこがれのリーダー』」について、とてもいいお話でした。

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(講演をする松下倶子先生)

 今回で2回目を迎えた地域教育実践交流集会は、昨年私と坂井先生の二人が卓話をやっていい反応を得ていました。今年の今年の役割は講演の後のアトラクションになっていました。アトラクションといえば何か大掛かりなことをイメージするのでしょうが、1部はトーンチャイムの演奏、2部は私が指導するアイスブレイクみたいなレクリェーションなのです。

 私はインスピレーション、つまりその場でとっさに思いつくことで行動する悪い癖があるので、別に綿密な準備をすることもなく望みました。でも何か準備をしようと妻に相談して、自宅にあるハチミツ、サツマイモ、ジャガイモ、ごっくん馬路村、オレンジジュースを箱に詰めて持参しました。そして電子ホイッスルを交流の家でお借りし、昔取った杵柄とでもいう幾つかのレクを組み合わせてワイワイガヤガヤやりました。商品が当たるだけにこれが結構受けてあっという間に持ち時間の30分は大いに盛りあがって終わりました。

 その後18の分散会が持たれ夕方まで熱心な議論が行われました。

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(アトラクションをする私)

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(わが家から持参した特産品を差し上げるところ)

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(トーンチャイムの演奏)
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(フロンティアグループの大野事務局長が発表した16班の分散会)

  「早いもの あれから一年 過ぎ去って 再び出会う 懐かしお顔」

  「講演の 依頼の電話 あなたなら 仕方がないと 快諾嬉し」

  「今回も やってしまった いい加減 それでもどうにか つじつま合って」

  「

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