shin-1さんの日記

○人間牧場来訪者多し

 今月に入りこの一週間で100人もの人が人間牧場に訪ねてきました。遠くは県外の広島や香川から、近くは県内市内から、連日たったひとりでの対応だけに汗だくでした。遠望に恵まれない日もありましたが、上手いこと天候に恵まれ、何とか満足して帰っていただきました。4~5人の自家用車なら私の車の後について人間牧場まで何とかたどり着けるのですが、20人もの団体になると牧場へは直接マイクロバスが入らないため、上の市道から5分程度歩いてもらわなければならず、中には高齢の方や足腰が不自由な人もいて、心苦しく思っています。時々は視察研修の申し込み段階でそのことを説明しているにもかかわらず、参加者に伝わっていないこともあったりして、多少のトラブルもあるようです。

 人間牧場はイノシシも出没する山間僻地にあるため、道が狭く駐車場もないことが売りなのですが、現代人は庭先から庭先まで車で移動することに慣れていて、歩くという機能を忘れているようです。健康に良いからと市道から牧場まで極力歩いていただくようにしていますが、狭い道でも大丈夫とばかり後先も見ずに乗りつけるのです。結果的には車の幅ほどしかない行き止まりでハンドルを何回も切り返してUターンしなければならず、半泣きや汗だくで後味の悪い結果となってしまうのです。

 2年前人間牧場で開いた逆手塾に来られた方が深夜に帰ると言い出し、思わぬハプニングが起ったたことがありました。その方は朝までに香川へ帰らなければならないそうで、私の止めるのも聞かずに来た道だからと安易に一人で夜道を帰って行きました。ところが20分ほどして私の携帯電話に「車が石に乗り上げパンクして動かなくなったので迎えに来て欲しい」というのです。暗闇ゆえに自分のいる場所さえも分らず大騒動になりました。集まっている人たちは殆どが大酒を飲んでいて運転もできないのです。人間牧場周辺には地元の人でも迷うような無数の農道があり、その殆どは行き止まりのため素人が夜引き返すことは容易なことではないのです。

 その方はJAFに加盟していて救助車を呼びましたが、救助車何処へ行っていいか分らず、結局は私たちがその車を発見し国道までパンクしたまま下山したのは夜明け前でした。彼女は心酔しきって声も出ないほど疲れていましたが、松山まで送り特急に乗ってどうにか会議には間に合ったようでした。以来私はこの事件を肝に銘じて、決して無理をさせないようにしているのです。

 先日は人間牧場へ4人が泊りました。まだ何人か泊りたいと言う人もいたのですが、その人たちは酒で酩酊していたためお断りをしました。もし真夜中に酒に酔った勢いで徘徊でもしたらそれこそ大変なことになるのです。今はまだ朝晩冷えると言っても瀬戸内に面した場所なのでそれほどでもありませんが、真冬だと命の危険さえあるのです。人間牧場は人間修養の場所です。大いに議論し、大いに学び、時には飲み食いもします。でも一人ひとりが自制心を持って行動することが基本原則なのです。

若松進一ブログ

 3日前香川県丸亀市から自治会連合会の皆さんが18人研修に来られました。聞けば会長さんは85歳とか、それでも上に道から歩いて往復されました。私の目標としている年齢が85歳なので、私は随分勇気づけられました。また先日来られた広島県呉市の自治会連合会の方々は人間牧場へ来る前に丸亀で防災組織視察してこられたそうで、縁の不思議を感じました。

 昨日はコープえひめの尾崎部長さんと片桐さんが、研修会の下見にやって来て打ち合わせを行いました。また新しいドラマが生まれそうで楽しみです。

若松進一ブログ

  「牧場に 来る人多し 都度行き来 お陰で体 すこぶる元気」

  「牧場も 有名なって 知れ渡り 全国いたる とこから訪ね」

  「ハゼ赤く 色づき秋は 深まりて 訪ねし人と 色々語る」

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shin-1さんの日記

○手を合わせる・手を叩く

 わが家の台所には仏壇と神棚があります。なぜ台所なのかは定かでありませんが、多分朝な夕な食事を作ったり食べたりする場所なら、神仏に食べる前に食べる物や飲む物の一部を供え感謝することができるからなのかも知れません。その仕事は主に妻がやっていて、私などは手を合わせたり拍手をしたりする程度で、深い祈りなどしないのです。妻は毎朝台所に入って食事を作り、出来上がると「ご飯ですよ」と私を書斎へ呼びに来ます。やわらパソコンの前から離れた私は、食卓の自分の椅子に座って新聞を読み始めます。「ご飯を食べながら新聞を読むのは止めて」と妻にいつも叱られるのですが、私はその言葉を無視するように新聞を広げて読むのです。妻は仏壇にご飯とお茶を供えて線香とローソクに火をつけ手を合わせて祈った後、神棚にもお光とご飯を供えて拍子よく2礼2拍手1杯してから私の横の自分の椅子に座って朝食を食べ始めるのです。

 何気ないことながらこんな朝の光景を結婚してから40年余り見てきました。その間4人の息子や娘たちの入学や卒業、入試や旅立ち、孫の誕生、祖母や母の死、私の入院治療などなどの区切りには念入りな祈りをしたお陰でしょうか、その都度の人生の壁を乗り越えてどうにか今日を迎えているのです。

 私はどちらかというと無信心派で、神や仏にお願いすることは殆どありません。自分に襲い来る不幸も元はといえば自分の未熟さや努力のなさが招いたことだと思うからです。ゆえに神社仏閣へお参りしても、人のようにお願い事はしないようにし、むしろ健康でいられることへの感謝くらいなものなのです。人間は弱いもので神仏に祈るとどこか救われた感じがするものでしょうが、余りそれが多過ぎると、「荒れひどお祈りをしたのになんで・・・」と、自分の努力の足りなさを神仏のせいにしてしまうのです。

 仏様の前では手を合わす、神様の前では手を叩く、同じ神様や仏様でもお祈りの仕方は微妙に違います。無信心ゆえにその詳しい来歴は分りませんが、手を合わすとは自分と仏の静なる同行二人で無しょうか、手を叩くは自分と神の動なる同行二人で有かも知れません。いずれにしても日本人は長い歴史の中でその何たるかもわからぬまま、誰に教わることもなく曖昧模糊な気持ちで神仏を信じ神仏に祈るのです。

 友人が四国88か所巡りをしているようで、もう何度も参ったといいます。その人に会うとやはり信心の心があるのかどこか落ち着き、言うことなすことどこか一本筋が通っているように感じます。つまり自分と同居しているもう一人の自分がしっかりしているのです。祈りの修行は自らを強くしたり高めたりする、深い部分での自分との葛藤なのかも知れません。私ももう少し強くなろうと思えば神仏への信心修行をやるべきでしょうが、残念ながら遅かりしかも・・・。

 妻が旅行に出て留守のある日の朝、家にいた次男の息子が仏壇にご飯と茶を供え、線香とお光をあげて祈る姿を見て、無意識の信心の思いました。息子は生まれた時から母親が祈る姿を見ながら育ってきたのでしょうが、そのためか親思いの優しい子どもに育っています。人間の教育にとって宗教心はまさに大切な視点だと思うのです。今日本では仏壇や神棚のない家庭が増えてきました。そのことと青少年問題を重ねるつもりはありませんが、どこかに感謝や礼節といった敬虔な祈りの向こうにある「何か」の持つ意味を少し考えてみる今日この頃です。「無信心」などを自慢するようではまだまだ修行が足らないと、今朝祈りをささげる妻の姿を見ながら反省した次第です。

  「手を合わせ 両手叩いて 神仏に 祈る姿は 母に似ている」

  「生かされて 生きているんだ 俺たちは 感謝せずには いられないはず」

  「無信心 自慢するようじゃ まだまだと 自責の念で 仏壇拝む」

  「わが息子 凡人なれど 反面は 心優しい 人間育つ」

  

   

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