shin-1さんの日記

○人間牧場へ三度も足を運びました

 今日は午前、午後、夕方と一日に3回も人間牧場を往復する忙しい一日でした。最初にやってきたのは三崎半島の中ほどにある旧三崎町平磯という所に住んでいる浅野農園代表の浅野洋海さんと3人の若者です。浅野さんは喜久家プロジェクトの代表で、農業体験をしながら日本の文化を学ぶ人たちを、古民家を借りて受け入れています。私も一度だけ地域政策研究センターの松本さんと二人でお邪魔して交流したことがありますが、日本人や外国人が共同生活をしながら、国境を越えた活動をしている姿に深い感動を覚えました。

 平磯は私たちの町も田舎ですが、それ以上の田舎でわが町からでも1時間半もかかる瀬戸内海に面した所です。過疎地だし道もそんなにいいとは言えないこの地に国境を越えてなぜ若者が集まるのか、それは私が持論としている「人でも仕事でも愛する所に集まって来る」という言葉そのまま、愛があるかられはないかと思うのです。今日やってきた若者は岩手県や埼玉県、それに広島県出身の若者でしたが、終始熱心な研修態度にこちらも引き込まれ、2時間があっという間に過ぎてしまいました。国際ワーキングキャンプセンターを窓口にしているようですが、今日集まったのは農林水産省事業「田舎で働き隊」の隊員なのです。

若松進一ブログ
(熱心に研修する喜久家プロジェクトの若者たち)
若松進一ブログ

 彼らを送りシーサイド公園で別れると入れ替わり、北海道住宅新聞社の方が取材に見えられました。北海道市町村振興協会が発行している市町村職員向け雑誌に、私の取り組んでいることを紹介するのだそうです。私も色々な雑誌やマスコミに取り上げられてきましたが、講演などに行ったことを現地の新聞に載せてもらったことはありますが、取材に関してはひょっとしたらこれまでで一番遠い場所からの取材かも知れません。

 記者は私の「昇る夕日でまちづくり」という自著本を読破しての取材なので、むしろ退職してから取り組んでいる人間牧場構想について2時間ばかりお話ししました。煙会所や海の資料館「海舟館」も見学し火通りの取材を終え、夕日を取材するという記者とシーサイド公園で別れました。さすがプロの記者だけあって私の言葉を引き出す念入りな取材に酔い知れました。

 入れ替わって二人の女性が人間牧場見学にやってきました。下灘コミセンで午後4時に待ち合わせをしていましたが、実はこの方たちは12月に講演を頼まれている主催者で、講演の事前打ち合わせだそうです。講演に行くくらいで何も事前にとは思いましたが、彼女たちは県外からわざわざ来て今晩は松山へ泊るのだとか、「松山へ来たついでに人間牧場?」か「人間牧場へ来たついでに松山なのか?」理解に苦しみましたが、まあ深くは詮索しないように丁重に案内し、丁重に見送りました。有り難いことにこの二人は会員用にと「夕日徒然草・地の書・水の書」を沢山買いこんで、売り上げに協力してくれました。

 明日は広島県呉市から団体の皆さんが視察にやってきます。視察効果もあるにはあって、それなりに喜ぶべきでしょうが、私の空いた時間を選んで来るお客さんに今日は少々疲れた一日でした。


  「二度三度 同じ道筋 行き戻り 牧場通いも 楽ではないな」

  「牧場の 魅力はやはり 眺望で 来る人毎に 褒めて帰りぬ」

  「穏やかな 秋の日和を 来た人と 目的毎に 品を変えつつ」

  「気がつけば 昼飯忘れ 空腹を 感じて料理 つまみ喰いする」  


 

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shin-1さんの日記

○今日の運勢はは吉か小吉かも

 いつものように、朝4時に起きて、いつものように身支度を整え、いつもののように自分の部屋に入り、いつものようにパソコンのスイッチを入れました。いつものように画面が表示され、いつものように画面に写る自分の顔に変わって画面に表示されるトップページコンテンツの中から、無造作にGメールの画面を呼び出し、いつものようにメールの処理を行い、いつものようにアメーバブログの画面から自分のサイトへと入って行くのです。パソコンが苦手と思う気持ちは今でも自分の心の中のコンプレックスとしてくすぶり続けているものの、習慣化した自分の頭と手と心が勝手に動き、「いつものように」というスイッチを押し続けているのです。もう何十回、いや何百回この動作を繰り返してきたことでしょう。だのに時々画面に自分の知らない表示や記事があって、時には迷惑メールを覗いたりしたこともありますが、今では一直線で目的地までスイッチを押し続けれるようになって、脇見をしないようになりました。

 

 それでも今朝、「今日のあなたの運勢は?」なんて画面表示が目に入りました。多分自分のトップページですから毎日見ているはずなのに全く気付かず、遊びのつもりで始めてマウスを動かしてクリックしてみました。人間誰しも自分の運勢はおみくじ的にいえば大吉でありたいと願うものです。「今日の運勢」はどちらかというと予想ですから、そうなるとは限らないのにいいことが書いてあるとワクワク・ドキドキし、「今日の運勢」にいいことが書いてあると何故か自分が得したような気持ちになって書いていることを信じるのです。逆に悪いことが書いていると、これは自分以外の人のことだろうと疑って忘れようと画面を元に戻しながらクリックしたことを悔やみ、何事もなかったように次の作業に没頭するのです。

 さて私の今日の運勢はてんびん座(9月23日~10月23日)で、いい方から数えて第3位にランクされているようです。「自分の目標を実現させたいという気持ちが高まる日です。周りの人のアドバイスを参考にしつつ、思い切った行動をして下さい。ただし自分の考えを無理して他人に押し付けないようにしてください。」と書いていました。おみくじ的にいうと吉か小吉といったところで、可もなく不可もなし、要は自分の考えと行動次第でいい一日になりうるという曖昧な表現でした。

 それでも自分自身の心の中には「よし、今日もいい日になりそうだ。頑張ろう」という気持ちが芽生えてきているようです。人間の気持ちなんてこうも変わるものかと思ったりしながらブログの記事を書いているのです。さて今日は朝から人間牧場にお客さんが来る予定です。その人は私にこれからの人生についてアドバイスを求めにやって来るのですが、えっ、ひょっとしたら私の今日の運勢に書いていた「周りの人のアドバイスを参考にしつつ」とあるのは、相手のことかもしれないと思ったりしたのです。


  「いつもなら 見過ごしている ことなのに 今日は何故だか 運勢クリック」

  「第三位 少し気分が 上向いて 今日も一日 いいことありそう」

  「この運勢 天秤の人 多くいる その中一人 私も該当?」

  「信じたい 信じたくない 半々の 曖昧気持ち 夜に判明」 

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