shin-1さんの日記

○若松さん、覚えていますか?

 「若松さん、覚えていますか?」という言葉を最近よく聞きます。その度に「えっ」とたじろぎながら記憶の糸を手繰るのですが、初老となった(自分ではあまり思わないが年齢的にそうだし、相手も思っているだろう)私には過去を思い出すような柔軟な記憶回復装置はもうないのです。「失礼ですが、何処でお会いしましたかね」と、正直に断りを入れて話を繋げるのです。

 昨日もそうでした。野川喜美子さんと一緒に人間牧場を訪ねた宮崎県ご一行の中の一人の女性が、「実は何年か前宮崎へ講演に来られた時お会いしているのです」と一冊の本を差し出し中をめくりました。「好っじゃー小林」(私たちはふるさと小林が大好きです)という、平成9年・10年小林おもしろ発見塾の報告書の中に、講演をしている私の姿に加え、塾のみなさんと楽しそうに夜なべ談義をしている姿が写っていました。柳田きえ子さんは「ほら、あなたの横に座っているのが若かりし頃の私です」というのです。勿論彼女が10歳も若いころの写真ですから私も10歳若いのです。お酒を飲んでいた晩年の頃で、顔はふっくらして一番元気な時代だったのかもしれません。

 「小林のインターまで迎えに行った車が窓も開かない、冷房の効かないポンコツだったので、開口一番そのことを面白おかしく話されましたね」と、話したことまで覚えている記憶のよさですから、具の根も出ない始末です。そういえば私はあの時出張先の島根県掛合町から夜行バスに乗って夜中を走り、博多まで出て天神発小林インター着の高速バスに乗って小林へ入りました。私の住んでいる愛媛からはもっと別のルートがあるのですが、松江からだと時刻表で調べてこれが一番の安上がりで時間通りにつける最高のルートだと思ったのでした。

 気になって自分の書棚の奥にしまっている卓上カレンダーというメモ帳をくってみると、1998年、つまり平成10年8月23日ちに確かに宮崎県小林市と書かれていました。「魅力ある地域づくりのヒント」と題し、文化会館小ホールで一般公開講座と兼ねてお話しているのです。

 私は小林市で求めに応じ様々な活性化策をお話ししました。中でも私が忘れられないのは「全国の小林さん集まれ」なんてことをやったら小林旭、小林幸子、小林亜星さんも巻き込めるのではと大法螺を吹き、みんなそれはいいアイディアだと褒めてくれましたが、多分夜なべ談義の酒で忘れてしまって実行していないでしょう(笑い)。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

(壇上で講演する私)
若松進一ブログ
(Vサインして悦に入ってる私の横が柳田さん)

 人間には覚えていることいないこと、色々なことがありますが、もし私の卓上カレンダーに、もし小林おもしろ発見塾の報告書に記録されていなかったら、私と柳田さんの出会いも淡泊だったし記憶には残っていないと思いながら、記録されるものだけが記憶されるという宮本常一の言葉が蘇ってきました。しかし記録は幾ら残っていてもそれをどう蘇らせて活用するかが重要です。柳田さんは私との再会の手立てとしてこの記録を持参してくれました。しかしもっと大事なのは沢山の方々がおもしろ発見塾で話したことをどう次につなげて行くかです。昨晩は報告書をめくりながら地域づくりのヒントがたくさん詰まっていることに気づきました。例えばは「あの橋この橋」という報告は凄い橋が小林市にあることに着目しています。この橋をめぐる橋ツアーなどを計画すると小林市にしかないコースが誕生するのです。私が訪れた高知県四万十市西土佐でもそのことがきっかけで橋巡りというツアーが誕生しているのです。参考までに気になった点を書いておきました。


  「覚えてる? そんな問いかけ 言われても 覚えているか 昔のことを」

  「そういえば ポンコツ車 お出迎え 夏の盛りに 思ったものだ」

  「あの時に 私が言った アイディアも 酒で流して 忘れ去られて」

  「小林で 飲んだお酒が 原因で 思いたくない でもそうかもね」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○綺麗な夕日にパワーを貰う

「お父さん、何でそんなに忙しいの?」とか、「お父さん、休みながらもう少しのんびり過ごさないと体が持たないよ」とは、時々聞く同居人である妻の言葉です。私自身もそう思うのですから、同居人が思うのは当然かも知れませんね。毎日朝4時に起きて書斎にこもり、本を読んだりブログを書き妻より2時間も早くスタンバイするのです。昨日もそうでした。ブログを一本書いてから急いで地元中学校の評議員や経営評価員の取りまとめをしているので、中学校から送られてきた原案を読み返しながら校正を行い、食事や朝のゴミ出しをし終わって、ブルーベリーにホースを引いて二日に一度の水やりをした後中学校へ出かけたのです。単車を走らせた中学校で校長先生と30分ばかり打ち合わせと談笑をして帰りました。その後は昼飯も食わず夢中になって1ヘクタールの水仙畑で一人草刈りをしました。午後4時になったので急いで家に帰りシャワーで汗を流して人間牧場へ向かいました。

 人間牧場へは宮崎県から4人の来訪者があり、6時半まで熱心な討論を行いました。急いで片づけて近道を下って下灘駅へ向かい、綺麗な夕日をみんなで鑑賞して7時過ぎに家へ帰り、間もなく車検の切れる愛車プラッツのカーナビを息子の車に付け替える作業をして貰う車屋さんと打ち合わせしたりした後8時から妻と夕食です。そして夕食後頼まれているエッセー記事を一本書いてメールで送り、いよいよ〆はブログ一本を書き、入浴して予定の12時に床に就きました。まあこんな具合の一日が延々と続いているのですから、妻の心配も無理からぬところかもしれませんが、当の本人はこれが当たり前なのです。

 でも昨日は正直少しだけオーバーペースだと自分でも少し反省し、これからは休養も大切だと思いながら妻の心配する言葉を潔く聞き入れました。

 ところで昨日大番頭米湊さんと小番頭松本さんの二人が連れてきた宮崎からのお客様の中に南郷町レク協会の野川喜美子さんがいました。彼女は昨年11月に開かれた第26回地域づくり団体全国研修交流会の参加者として双海町へ来ていて、今回が2回目なのです。その折は人間牧場へは訪れていなかったので、興味深そうに見学をしたり、その折は大会の実行委員長をしていて忙しかった私と話もできなかった話を交わしました。時間になったというより夕日を見る時間が近付いたため、話を今日の夜の交流会まで中断し、夕日の見学をすることになり片づけや戸締りをして急いで下山し下灘駅で一緒に夕日を鑑賞しました。

 野川さんはよくよく運のいい方で、昨年はシーサイド公園で、今回は下灘駅でそれぞれ自慢の夕日を見たのです。中には何度来ても夕日を見ることなく帰る人もいるのですから強運です。昨日の夕日はとてもいい夕日でした。少しだけ昨日の夕日をスライドショーのような形でこのブログで紹介しておきます。

若松進一ブログ
(人間牧場からの夕日)
若松進一ブログ
(ツーショットの夕日)
若松進一ブログ
(絵になる下灘駅プラットホーム)
若松進一ブログ
(運よくホームへ入ってきた下りの列車)
若松進一ブログ
(プラットホームワンマンカー用のバックミラーに写った夕日)
若松進一ブログ
(屋島と上関あたりに沈む夕日)
若松進一ブログ
(日没後の夕焼け)

  「一日が あっという間に 過ぎて行く 充実している 思えばそれも」

  「心配を してくれる妻 感謝しつ 無理は出来ぬと 少し反省」

  「運のいい 人だねあんた 二度までも 自慢の夕日 見れるのだから」

  「ああ今日も 暮れたか忙し 一日を 振り返る間もなく 今日も同じく」  

  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○今日は草刈りで疲れ、「あーしんど」です

 双海町には花の会という女性の団体があります。エプロン会議という女性の町づくりグループを行政の肝入りというより、私の思い入れで作ったのは昭和61年ごろでした。エプロン会議は町内を視察して町の汚さをどうしたら解消できるか考えました。その時出た意見は、①掃除をする、②ゴミを捨てないよう看板を立てる、③花を植えるでした。色々話しあった挙句花作りをしようということになって、町花つつじを刺し切しましたが、残念ながら折からの猛暑腕全滅しました。エプロン会議は分裂の危機に瀕しましたが、先進地視察で息を吹き返しバーベナテネラという花を海岸国道に植え続け、3年間で国土庁長官賞という大臣賞を獲得しました。そのことがきっかけとなって町内に花が咲き乱れ、今の双海町の美しさがあるのです。

 その後花作りに関わった人たちが花の会を組織し、人づくり10年計画などで世界一の花の街ニュージーランドクライストチャーチを訪ねたりした結果花の会は水仙祭りなどを企画運営するまでになりました。

 水仙祭りの切り花は会員の畑や矢野上さんの水仙畑からいただき、来訪した人々に早春の香りを楽しんでいただいているのです。また水仙の球根は下灘の港の上にある金山さんの水仙畑から掘り起こし、みんなが背負子で運ぶという重労働をやりました。そしてその球根を増やすため本郷の仲野さんの休耕田を約1ヘクタール借り受け移植したり鉢植えにしました。

 以来水仙の圃場は大活躍の源となりましたが、会員さんは農山漁村のおばちゃんたちが殆どで、この時期は柑橘の摘果作業が忙しく、もう年に二回の雑草除草をしておかなければなりませんが、まだ一度も草刈りをしていないのです。たまたま香川県三谷の溝渕さんと大分県大山町の緒方さんから球根の提供依頼があって、花の会の駒沢会長さんに連絡したところ、圃場の球根は好きなだけ取っていいとの了解を受けたのです。


若松進一ブログ
若松進一ブログ

 雑草のことが気になって今日の朝車を走らせてほ場へ行ってみて驚きました。周りの田んぼはもう実りの季節を迎えて水を落として稲刈りを待つだけとなっているというのに、真ん中の圃場は大草で人間を寄せ付けない程になっていました。それでも香川県や大分県の球根堀が今月31日と決まっているので私は、急遽引き返し草刈り機を取り出しました。あの親指ほどの雑草を刈り取るには並みの草刈り刃では太刀打ちできないと思い、近所の農機具屋へ行って新品の刃を購入して付け替えました。混合油もガソリンスタンドで購入して引き返し、さあ草刈りスタートです。最初は草刈り機の切れ味もよく何なく作業が進むと思いましたが、昼を挟んで延々16時までかかってしまいました。最後ころは草刈り機の切れも悪くなり、ことらの体力もかなり消耗してヘトヘトになりました。

 今日は宮崎から人間牧場へお客様が来る午後5時までには片付けも、シャワーもしなければならないので気が気ではありませんでした。地元の顔見知りの農家の人がやって来て、1ヘクタールの畑を一人で草を刈るのは無謀だと呆れていましたが、私の奮闘ぶりに驚いた様子でした。

 これで香川や大分の仲間との約束をどうにか果たせそうです。本当はわが家の畑の水仙を予定していて、稲葉さんの協力を得て草を刈っていますが、道が狭いし斜面なので急遽計画を変更したのです。今日の日中は残暑が厳しく目いっぱい汗をかきかなり疲れました。「あーしんど」です。ボランティアやまちづくりも楽ではありません。


若松進一ブログ

(私一人が刈った4段の1ヘクタールの圃場)

  

  「まちづくり ボランティアなど いうけれど 楽ではないな この歳なって」

  「こりゃ凄し 飯も食わずに お茶だけで 六時間弱 草刈る無謀」

  「友だちと 約束したこと 守るため 草刈りするは もどかし過ぎる」

「一ヘクの 広い畑を ただ一人 草刈り作業 腕腰痛い」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○地元の盆踊り

 そんなに遠い昔のことではありません。30年余り前の私が地元の青年団長をしていた頃、地区の秋祭りと盆踊りを仕切るのは青年団でした。神輿を担いだり相撲を取ったり、また盆踊りを踊ったりと、地元に残り農業漁業の後を継ぐ青年も多かったせいでしょうが、当然の成り行きとして青年たちはそれを引き継いで役目を果たしていたのです。しかし車やテレビが普及してから青年の生活は一変し、そんな地域に縛られるような封建的な体質は打破しなければならないと、青年団活動から次第に遠のいて行きました。青年がいなくなれば地元の自治会や公民館が何とかしなければなるまいと立ち上がりましたが、その流れも次第に消えて今ではあれほど各地区ごとに流行った盆踊りも、海岸線には下浜と灘町の2地区しか残っていないのです。その2地区もまさに風前の灯となって、今年も組長会では「止めたらどうか」という意見が数多く出たそうです。

若松進一ブログ

 それでも私の後を受け継いだ区長さんは火を消してはならないと説得して開催にこぎつけました。夕方7時30分から始まった盆踊り大会はそれほど多くの人ではありませんでしたが、4時からの戦没者や新盆を迎えた人たちの遺影を飾って慰霊祭も行われ、意味のある盆踊りとなりました。

 私は7時半に会場へ出かけ9時ころまで踊りの輪の中へ入って踊りました。炭坑節や神輿音頭、双海音頭など知っている程度の音楽がな入り始める度に、上手に踊る人の後ろに陣取って見よう見まねで手足を動かしました。暗闇だし見ている人も私だけ特化して見ていないだろうと安閑とした気持ちで踊りましたが、一年に一度程度しか踊らなくても何とかなるものなのです。盆踊りには太鼓と酒が付き物で、太鼓の音に合わせて掛け声をかけるには酒の勢いが必要とばかりに、皆さんは缶ビールを盛んに飲んでいました。私も勧められましたが飲めないと断るのに一苦労です。


若松進一ブログ
若松進一ブログ

 踊る人や見る人の中には、懐かしい顔々もあって、「若松さんお元気ですか」とか、「お父さんはお元気」と声をかけてくれる人も何人かいました。嬉しいことにある女性から「若松さん、あなたのブログを楽しく読ませていただいています」と声をかけていただきました。見知らぬ場所で思わぬ人が私のブログを読んでいるものだと驚きましたが、やはりブログへの反応は嬉しいものです。


若松進一ブログ

 こうして毎朝毎夕ブログを一日2本程度書いていますが、読んでもらっている人に思いを馳せながらこれからも少し気張って書いてみたいと思いました。盆踊りは若者の社交場であった私たちが青年団時代と違い、今はすたれゆく一歩手前のところにあるのかもしれません。「盆踊りは止めたら」という人のほとんどは参加もせずにその言葉を発します。みんなで「どうしたら盛り上げることができるか」考え行動してからでも遅くはないのです。止めたら多分この盆踊りは永久に再興できないのではないかと思いました。

 日本全国では今年くらい各地の盆踊りがテレビに出ることはありません。何故かというと地元に帰った政治家が自分の顔を売り出し、市民党だと言わんばかりのパフォーマンスとして盆踊りの輪の中に入っているからです。盆踊りを踊れば一票になるというあさましい政治家の下心も気になるところです。

若松進一ブログ

  「同じ阿呆 踊らにゃ損と 輪の中で 手足動かし 何とか様に」

  「止めようと 意見は出たが 止めなんだ 嬉し決断 応援します」

  「一年に 一度だけれど 顔を見る これも踊りの 成果だもんね」

  「いきなりと あなたのブログ 読んでいる 言われ恥ずかし 拙文悔いる」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○今日は多少ドギマギしました

 今日は10時から内子町五十崎自治センターで消費者講座があり、招かれて出かけました。愛媛県金融広報委委員会と愛媛県南予地方局県民生活課、それに五十崎自治センターの3者が共催する講座です。私は柄にもなくもう30年を超えて金融広報アドバイザーをやっているため、このような集会に時々お声がかかるのです。今日のテーマは「子どもとお金」サブタイトルが「~いつ。何を・どのように教えるか~」というのです。

 講師派遣申請が届いていましたが、先日同じような集会東予地方地方局であり、その時集まった方々が若いお母さんだったため、その先入観で話そうと、30分前に会場へ入りました。ところが次々集まって来る参加者は殆どではなく全部が子育てを終わった人たちばかりなのです。正直「これはしまった」と思いました。今時のお母さんに話す金銭教育のことを話しても馬の耳に念仏になるのではと思い、急遽話のストーリーをそっくり帰ることを決意しました。ドギマギしながら話を組み立てて行くため、多少聞きづらい点があったかもしれませんが、それでも皆さん熱心で和気あいあいのうちに一時間半の話は寝る人もなくあっという間に終わってしまいました。

若松進一ブログ
(若さはつらつの参加者たち)

 ふと、昔の私だったらどうだったのだろうと思いました。その場で臨機応変に話を変えることはかなり苦労を伴いますし、下手をするととんでもない方向へ進む可能性もあるのです。今回は昨日までの二日間大学の集中講義があって十分な準備ができなかったことがあるい身幸いしたようにも思うのです。

 まあ子育ての話や金銭教育の話はおばあちゃんの孫教育にでも役立てていただければ幸いです。

 自治センターの今回の担当は久保さんという女性でした。旧姓もお父さんもよく知っている間柄で、事前にメールでいただいていたし、最近結婚して姓が変わったようなので出会いを楽しみにしていました。帰るなり早速お礼のメールが届くなど細かい気配りができて、今日はいい思い出となりました。

 県民生活課も県庁の機構改革によって今までの八幡浜から宇和島にある南予地方局に所管が変わり、地方局といえども、遠隔の地となってしまい、行政も住民もまだ戸惑っているような感じもしました。

若松進一ブログ
(4階建てから5階建てになった巣箱)

 帰りは肱川沿いを下って長浜に出ました。昨日使った人間牧場のボイラーのスイッチを切ったかどうか記憶があいまいだったのです。人間牧場へ行ってみると何やら怪しげな恰好をした人がいました。頭からすっぽり黒ずきんを被っているのです。とっさに野村の井上登さんだと分りました。井上さんは私のミツバチの師匠です。大洲まで来たついでに蜂の様子を伺いに来ていただいたようで、既に巣箱の掃除も終わり、一つだけハチミツを採集していない箱を4段から5段に格上げもしていました。またそろそろ秋風が吹くようになって襲来するスズメバチを撃退するために、ペットボトルに秘薬を注ぎ込んで書きの木にぶら下げました。こうすることでスズメバチを退治できるのだそうです。またまた面白い実験を披露してくれそうです。

 結局ハチミツの採集はもう少し先のばしすることで話がまとまりましたが、それにしても井上さんとは愉快な人、行動の人です。東京農大出身などという匂いを一つも感じさせることなく、一人の人間として生きている見習いたい人なのです。私はまだまだ修行が足りないと今日も思いました。それにしてもまるで待ち合わせたような出会いはやはり何か通じるものがあるのかもしれません。

若松進一ブログ
(秘薬の入ったスズメバチ退治器)

  「若い人 思って用意の お話を 若くない人 目の前変える」

  「昔なら 頭真っ白 なったはず 今はえ加減 だから生きれる」

  「結婚を したとメールで ごあいさつ 素敵若妻 嬉し成長」

  「相談も せずに牧場 出会うとは これぞあ・うんの 呼吸と言おう」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○どうやら新型インフルエンザではなかったようです

 一年中腹がうずいたこともなく、風邪をひいたこともないような元気や活気を自認する私にも二日前、急に38度の熱が出てしまいました。少し熱っぽく体がだるいと感じたので体温計で測ってみると体温が高いのです。私は年中集会や人混みの中へ入っているので、もしや今流行りの新型インフルエンザではないか?と思い、今年の春から保健センターに異動になって新型インフルエンザを担当して忙しく振舞っている、旧友米湊さんの顔が頭をよぎりましたが、風邪薬を2錠飲んで少し早目に床に就いたくらいですっかり回復したのですから、どうやら心配した新型インフルエンザではなかったようです。それにしても近頃はお酒も飲まないし薬も飲んでいないため、置き薬の効き目がすこぶる良かったのかも知れませんが、回復の速さには自分でも驚いているところです。

 周りの人は冗談交じりに知恵熱だとかいって笑われましたが、私が二日間で15時間の集中講義をする前日だったものですから、妻は氷枕を用意してくれたり、ドリンク剤を飲ませたりして回復に努めてくれました。やはり持つべきものは妻だと思いました。

 年に一、二度ぎっくり腰に悩まされていましたが、お風呂での早朝腰痛体操のお陰なのか、ぎっくり腰もこの一年はすっかり影をひそめていましたが、この二日間立ったまま講義を15時間続けたためか、少し腰に違和感を感じていますが、今朝は腰の具合も回復して、かすれた声も元の美声を回復、今日は南予地方局と金融広報委員会のの仕事で内子町五十崎へ行くのに、不安もなく行けそうです。

 ここまでブログを書いていると、外からラジオ体操の歌が聞こえてきました。近くの広場に子どもたちが集まって夏休みラジオ体操を行っているのです。急いでその広場まで出かけ子どもたちと一緒にラジオ体操第一と第二をやりました。時ならぬおじさんの乱入に子どもたちは一瞬驚いたようでしたが、いつもはダラダラして体操とは名ばかりの行動をしている子どもたちも私を見習い、しっかりと体操をしてくれました。夏休みも終盤に入り間もなく新学期が始まるようですが、子どもたちにとっては宿題の追い込み時期でもあって一番悩ましくも忙しい日々が続くようです。

 今日は天気も良く秋近しを予感させるように流れる風もさわやかでアキアカネトンボが悠然と飛んで、早生品種の植わった田んぼでは早くも稲が実って稲刈りの時期を迎えているようです。遠くの長い鉄橋の上を夏休みのため殆ど乗客の乗っていない、4両編成の列車が音を立てて走りました。いかにも長閑な、そして平和な田舎の朝の風景でした。昨日の集中講義の後の意見交換で、宇和島の兵頭さんから「景観」について質問を受けました。冒頭に地域活性化論の総論として話した「時間的ゆとり・空間的ゆとり・経済的ゆとり・文化的ゆとり・安心安全的ゆとり」について話したため、空間的ゆとりへの反応だと思われましたが、まさに私の周りは空間的ゆとりに満ち溢れています。そのことに気づいている人は少ないようですが、これこそ私たちが暮して行く上で大事なゆとりの一つなのです。

 今日は熱も下がり腰の具合も声も回復し、いい一日になりそうです。


  「熱下がり 新型インフル でもなくて エンジン全開 今日も頑張る」

  「時ならぬ おじさん乱入 驚いて 思わずしゃきっと ラジオ体操」

  「夏休み 間もなく終わる 長かった 親は言うけど 子ども短し」

  「アキアカネ 田んぼの上を 悠然と 長閑な田舎 平和な田舎」  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○集中講義二日目

 今朝は4時過ぎに起床して早朝読書をやりました。5時になって少し外が明るくなったので外に出て、庭の隅に置いてあるブルーベリーの鉢植えに干すを引っ張って水をやりました。近くのクロガネモチの木にルビー貝殻虫が異常に発生してその影響でブルーベリーにも飛び火して、先日親父の協力で防除をしましたが、まだ残っているようで、気がつくたびに手で取っているのですが間に合わないようなので、近々再度消毒をしなければと思っているのです。水をたっぷりやり、ブルーベリーの専門家である友人の教え通り化成肥料を一振り二振りやりました。そのうちホースを片づけて隠居へ行きいつものことながら親父の腰にサロンパスを張ってやりました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 今日も昨日に続き手弁当がいるので、日曜日ですが妻は早起きし弁当を作ってくれました。そのうち泊りに来ていた孫二人も起きてきて賑やかな朝食となりました。身支度を整え私は8時過ぎに家を出ました。待ち合わせ場所には既に小田先生はじめ事務局の方々が集まっていました。断りを入れて一足早く近道を登って行きました。昨日の朝と同じように全ての施設の戸を開け、足湯のためにボイラーに火を入れてお湯を溜ました。やがて学生たちが下山して来て賑やかになりました。今日は仕事の都合なのか昨日より幾分少ないようでしたが、9時過ぎには講義が始まりました。昨日はどちらかというとまちづくり論も活性化論も総論的なことが多かったのですが、今日は理論よりも論理に重点を置いた話しようと思いました。午前中は今のの時代を読むことと私のまちづくりの発端となった自分の町を語れない悔しさや、人づくりの重傷性について、また田舎嘆きの10カ条について話しました。

若松進一ブログ
(昼休みには学生が素敵なフルートの音色で心を癒してくれました)

 また午後からは事例研究として夕日によるまちづくりと、人間牧場についてお話をさせてもらいました。このくらいたっぷり時間をとってもらうと微細な話もできますが、話す方は夕方少し声がかすれるくらいになりました。それだけ今回の講義には私も思いを込めて話したつもりです。最後に少し時間を取って感想や意見をいただきましたが、かなりハードな講義でしたが皆さんの反応も良かったようでホッと一安心しました。

 みんなで掃除をして貰いそれぞれの思いを胸に再会を誓い合いながら山を下りて行きました。私は愛媛大学法文学部で年間60時間の授業を受け持っています。毎週木曜日の第2時限目に講義をしていますが、今回の講義は集中講義なので少し意味合いの違った授業となりました。でも私にとっては今回の授業は初めてのこともあって何処か新鮮で、いい意味での緊張感がありました。

若松進一ブログ
(休憩時間には足湯のサービスも行いました)

 妻は一昨日熱が出たことが気がかりで帰るなり「心配しとった」と言ってくれ、疲労も吹っ飛びました。学生が「あなたのその元気の源は何ですか」と質問しましたが、私は歯が浮くような話かもしれませんが、「活力の源は家庭だ」と答えてしまいました。妻にその話をすると納得したようでした。

 妻は学生のためにお茶を仕入れて発泡スチロールに氷を入れて冷やし、持参するよう準備をしてくれていましたが、うっかり忘れてしまい、途中で電話が入りそのことに気がついたものの、あえて無視して喋り続けました。

 9月には法文学部の19人の学生が今度はフィールドワークの授業で人間牧場やわが家にやってきます。すっかり恒例になったこの研修もまた心をこめて頑張りたいと思っています。


若松進一ブログ
若松進一ブログ

  「束の間の 昼の休みに フルートの 音色癒され みんなウットリ」

  「十五時間 話して口が 疲れたと 言わんばかりに 声をからして」

  「トイレまで 綺麗に掃除 して帰る 並みではないと そちらに目線」

  「何事も なかったような 部屋一人 残って余韻 楽しむように」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○この時期のスイカ

 私はスイカが大好物です。そのことを知っている妻は7月から8月に地元産のスイカが出回るので、シーズンに概ね3回くらい、東峰というスイカの産地へ出かけて顔見知りの生産者から、4~5個まとめ買いをして帰るのです。東峰という地域は国道56号線沿いにある山奥の集落ですが、シーズンになると国道沿いのあちこちでスイカを売る農家の直売店が店開きするのです。農家の人が直接対面販売するお店は特産品センターなどとは違った趣があって、田舎の言葉で会話を交わしたり、時には値札のついた金額を冷やかし半分値切ったりして中々面白いものです。しかしこのスイカのお店もお盆を過ぎるとさすがにスイカを買う人も少なくなって、20日ころには相次いでお店を閉めているようです。

 昨日そのお店の友人が店じまいした最後の商品だと言って大きなスイカを2個届けてくれました。この人の話によると、今年のスイカは花が咲き結実するころに雨が降らなかったため実の付きが良かったそうです。でも後半は雨が多くて病気が発生してツル上りが早かったとのことでした。しかしこの業界も年々厳しく、スイカの消費量が落ちているそうです。ましてや核家族化が進んで、冷蔵庫に入りきらないような大きなスイカは売れないとこぼしていました。小玉スイカを造れば対応できるのでしょうが、一個一個の金額が低いので商売になりにくいとこぼしていました。

 さてそのスイカの味はどうかというと、お陰さまで今年も美味しいスイカを沢山食べました。友人から貰ったスイカを加えるとわが家では相当量のスイカを消費したことになります。スイカの欠点は大量の食べ残した皮をゴミに出さなければならないことです。わが集落のごみ出し日は月曜日と金曜日で、水曜日はプラスチックゴミの日です。月曜日と金曜日は両手にぶら下げきれない程のゴミが出るので、一輪車に積んでゴミ置き場まで私が運ぶのです。スイカは瓜科の植物なので、昔はスイカの皮の表皮を薄く剥いで浅漬けにして食べたりしていましたが、わが家ではそんな食べ方も殆どしなくなりました。 

若松進一ブログ

 昨日は人間牧場での研修会の準備で早朝に出かけましたが、私が農地を貸している稲葉さんは朝5時過ぎに農場に来て涼しいうちに農作業をしていました。行ってみるとこの時期なのに畑にはスイカが沢山実っていました。農地耕しが遅れて植え付けも遅れたのでこれからがスイカのシーズンだといって、スイカを初収穫していました。近所の畑のスイカは殆どイノシシやハクビシンに食べられたというのに稲葉さんの畑はスイカ一個ごとに金網の囲いをしていて、それが効果を生んでいるのかもしれない近所の人が羨ましがっているようでした。近々に稲葉さんからこの畑で採れるスイカをおすそ分けしてくれるそうです。スイカ大好物人間の私としては、心待ちの日々が続きそうです。


  「シーズンが 終わり今年も 食べ納め スイカ何だか 愛おしくて」

  「友人の 作りしスイカ これからが 旬だと言って 胸張り威張る」

  「妻の腹 スイカ腹だと 言ってるが スイカくらいで そんな太らぬ」

  「盛り過ぎ 残暑厳しき 日々なれど スイカ食べれば さっと汗引く」 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○1日8時間2日で15時間の集中講義はかなりきついですね

 愛媛大学農学部の客員教授になって初めての仕事は今日と明日の二日間、合計15時間の集中講義をすることです。既にレジメやパワーポイントも仲間の協力を得てできているので、安閑とその日を迎えました。9時に下灘コミュニティセンター前に弁当とお茶を持って集合するよう小田先生を通じて学生たちに連絡していました。私は7時半に家を出てとりあえず人間牧場へ行き、水平線の家やツりーハウス、ロケ風呂の鍵と戸を開けて朝の空気を中に入れました。また主会場となる水平線の家の板間に掃除機をかけて掃除をし、藪蚊対策として蚊取り線香をつけました。すでにかまど小屋の工事のため大工さんが仕事に来ていましたが、8時30分になったので山を下り待ち合わせ場所のコミセンへ行きました。この時間に集合するため早い人は5時過ぎに家を出たというから驚きです。愛媛大学の実習林管理棟で行われた最初の会合で出会っただけなので、顔と名前が一致しませんでしたが。みんな月一回の土日をスケジュール調整してやってきていて、早速40人近くの学生や先生が車いっぱいに分乗し私の先導する軽四トラックの後をついてノロノロと上がって行きました。沿道にある顔見知りの家の前では多くの車が動くので、時節柄選挙運動ではと思ったに違いないのです。皆さんの車は駐車場もないことから町道の沿線の広い場所に駐車して、牧場まで歩いて下山してもらいました。

若松進一ブログ

 私のパソコンに接続した息子所有のDVD映写機は2~3日前から早めに準備したにもかかわらず光源の光の容量が少なく、ましてや私が頼んでいた資料も手違いでプリントしていないらしく、準備や講義を始めるのに少し時間がかかりましたが、何とかスピードを上げ、2時間×4コマの時間を確保して講義をすることができました。

実は私、昨日文教会館での講演をしたことは昨日のブログに書きましたが、文教会館の冷房温度が体調が悪いのかとても冷たく感じたのです。家に帰ると友人のJA職員である清水さんがやってきて、ノンフィクション作家佐野眞一さんを招いて行う予定の日程のすり合わせをしまして帰りました。夕食時になると寒気がして熱が出始めたのです。もしや新型インフルエンザではと心配しましたが、妻の差し出す置き薬を飲み、妻の作ってくれた氷枕を使って、早めに床へ就きました。

 夜になると少し熱が上がっていましたが、うなされるように寝込んでいたと妻がいうとおり、朝4時までぐっすり寝込んでしまいました。妻は6時に起きて私の弁当を作り薬を飲むと眠くなるからと、断る私の手に置き薬を2錠持たせ無理やり飲ませました。


若松進一ブログ

 病み上がりなので正直今日は少し疲れました。何せ集中講義と言いながら8時間も講義をするのは余程の体力がないとできません。まあ疲労困憊ながら今日はどうにか集中講義を終えたのです。

 明日は同じ時間に人間牧場へ行き7時間の集中講義が待っています。話す私も相当きついのですが、聞く学生さんも板間に座った座学ゆえに相当きついものと思われます。でも文句も言わずただひたすら聞いてくれる学生のためにも頑張りたいと思っています。

 今日は地域活性化論概論でしたが、明日はいよいよ事例紹介として旧双海の夕日を地域資源にしたまちづくりも話す予定ですし、人間牧場の今後についても話します。今日は少し早目に寝て鋭気を養い明日に備えようと思っていた矢先、娘ら家族がわが家へ泊りにやってきました。うるさいので休めたものではありませんでしたが、「おじいちゃんは病気なの」と妻がなだめ一足早く床に就かせてもらいました。


  「ひょっとして 新型インフル? 思うほど 急に熱出て 急に収まる」

  「熱が出て 妻の優しさ 垣間見る 氷枕や 薬を用意」

  「八時間 話す気力と 体力で やっと乗り切り ヘトヘト帰る」

  「昼休み 人がゴロゴロ 横たわる これこそ目指す 人間牧場」 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○「あなたの学歴は?」と尋ねられた思い出

 愛媛県の県庁所在地は松山市です。愛媛県内の東・中・南予に住む人間にとって、特に東・南予から松山市を目指す場合は、高速道路ができて便利になったとは言いながらかなり時間がかかるのです。それでも県大会などの9割以上が松山での開催となるため、特に南予の人たちは延々3時間もかけて松山市へ集まって来るのです。ところが逆に東・南予でたまに会議が行われても中予の人は何故か余り集まらないのですから理不尽と思わざるを得ないのです。

 松山市には県民文化会館のような3千人規模の集会ができるコンベンションホールが整っていますし、○○会館などと呼ばれている会議場が温泉ホテルを含めると沢山あって、私もこれまで沢山の会議場へ出向いたり、時には自らも会議を主催してきました。ですから中には支配人や担当者が私のことをよく覚えてくれていて、声を掛け合うほど親密になっている人もいるのです。

 昨日は教育会の招きで道後温泉にある文教会館へ講演に行きました。エポワールという別名を持っているこの会館もえひめ地域づくり研究会議のフォーラムや結婚式の司会までやってすっかりお馴染の会場なのですが、残念なことに駐車スペースが限られていて、いつも会議の度に車のことが気になるのです。昨日も100人以上の人が集まる集会でしたから、予定の30分前に会場へ到着しました。しかし駐車場は満車で、キーをフロントに預けて寿司詰め状態となり、奥まった場所への誘導だったので帰りのことが気になっていました。

 会館へ入ると顔見知りの支配人さんが「若松さんお久しぶりですね」と声をかけていただき、また築山先生集会を主催している副会長さんと講師控室で談笑しました。文教会館はもう古い建物の部類になりましたが、最近リニュアールして、別の会館ではないかと見まがうほどになっていました。

 昨日は長年お世話になっている築山先生からのお声がかりなので、むげに断ることもできず「環境を考える」というテーマで、13時30分から1時間半ばかりお話をさせてもらいました。会場の参加者は教育界の方々なので聞く態度も反応も申し分なく、思っていることの半分以上は話せたかなと少しだけ満足して終わりました。

若松進一ブログ

 会場には知人や友人、それに顔見知りの人もいて、あちこちから手を振ったり笑顔で会釈をしていただきました。特に関谷省三先生からは事前に電話連絡があって楽屋まで訪ねて来られ、かつて一緒に社会教育をした時代を懐かしみました。先生は私のためにわざわざ花の苗を持参していただきました。研修会のどさくさで残念ながらその花の名前は聞き洩らしましたが、今朝にでも電話をかけて聞きたいと思っています。

 私がまだ駆け出しの頃、この会館で「これからの教育を考える」という鼎談(3人)が持たれました。一人は愛媛大学教育学部長、もう一人は愛媛県小中学校長会長、それに平の公民館主事だった私でした。会場に入るなり教育学部長さんが私に「若松先生は何処の学府をご卒業ですか?」と尋ねられました。3人の鼎談の相手だから多分学齢期の高い人だと勘違いしたのでしょう。高校しか出ていない私は頭を殴られたようでしたが、とっさに「はい私は公民館大学に在籍中です」と答えてしまったのです。やがて一日がかりの鼎談の収録も無事終わって控え室へ通されました。公民館主事や公民館大学在学中と人を食ったような私が、理路整然と鼎談しこれからの教育について鋭い意見を吐いたため、学部長さんは自分が相手の学歴を聞いた不味さに気づいたようで、「大変失礼をしました」と深々とお詫びをされました。間髪を入れず「人間の値打は学歴でなく学習歴だ」と、少し胸を張った反論をしたことを思い出しました。

 その当時の鼎談録は分厚い本になって今も私の書斎の書棚で埃を被っているのです。


  「学歴は? 聞かれとっさに 答えたら いたく心を 痛めお詫びを」

  「意味もなく 昔日のこと 思い出す 俺も歳だな 後ろを向いて」

  「涼しげな 花を持参の 旧友に 会って久方 昔話を」

  「こんなこと 思っていたのか 鼎談の 記録たどりつ 読み返し見る」 

  

 

[ この記事をシェアする ]