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○伊予から土佐へ歩きフォーラムに参加しました③

 「忘れられた日本人」という宮本常一の本を、当時国立室戸少年自然の家の所長をしていた永田征さんからいただいたのは、もう20数年も前のことです。当時は21世紀えひめニューフロンティアグループを立ち上げて、華々しく無人島キャンプなどをしていたころであり、それほど気にも留めず一通りさらっと読んで、その後は書棚の奥で埃をかぶって眠っていました。それでも土佐源氏の話は強烈な印象として残っていました。数年前宮本常一生誕100年などを機に引っ張り出して読むほどに宮本常一ワールドに入り込み、佐野眞一著「旅する巨人」で目からうろことなって宮本常一を意識するようになったのです。

 土佐源氏に出てくる盲目の老人が住んでいたという橋も巡りました。大雨の影響で水かさが増し、人が住んでいたとは思えないような狭さでしたが、これまで2回公演を見たことのある坂本長利の一人芝居にはそのような場面設定がされていたような気がするのです。橋の傍から急な坂道を登り長い石段を登ると、海津見神社の境内へ出ました。長州大工の作であろう見事な拝殿の彫刻には思わずため息が漏れました。私が早朝瀬戸内海から汲んできた潮水を敬虔な祈りをささげながら寸志とともに奉納させてもらいました。

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(土佐源氏の舞台となった盲目の老人がこの橋の下で住んでいたという竜王橋)

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(海の信仰と縁の深い海津見神社には双海町の漁師さんが寄進した船や金一封の石板が飾られていました)

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(長州大工の作とされる立派な海津見神社の拝殿)

 折しも生誕100年祭や周りの仲間たちの目が宮本常一に向くようになって益々その度を深くしていったのです。私は宮本常一の歩く・見る・聞くという3つのキーワードが好きで、読む・聞く・見るや、書く、喋る、実践するといった私の理論と比較的よく似ていることから、私も宮本常一にあやかって、歩く・見る・聞くを実践すべく、全国案が屋に拍車をかけるようになりました。また宮本常一の書き記した膨大な文章には程遠いもののとにかく書こうと心に決めて、この4年間殆ど毎日ブログを2本書き綴っているのです。人の話を聞くことは前にも増して増えたような気がしていることを考えれば、牛のような、亀のような歩みながら私は少しずつ宮本常一に近づきつつあると思っているのです。

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 昨日の広島新聞社佐田尾信作さんの話は宮本常一のこれまで知らなかった部分を補充する意味で貴重な話だったと思うのです。また晩年村上節太郎さんを壺神山に案内した貴重な経験を含めて、資料がどこに眠っているか知ることができてよかったと思うのです。


 「忘れられた日本人」という本を読んで参加してくださいと言われても、宮本常一のことを殆ど知らずに参加した人にとっては、これらの話は意味が通じなかったかも知れません。でも私が宿題のような形で浜田さんにお願いしていた、宮本常一の本を読んで感じた100の話の走りを、彼はちゃんと実行していたのです。これは初心者にとってとても便利な資料だし、宮本常一の貴重な文章を読み解きほぐすキーワードになるに違いないと、今後の精進をお願いしたのです。

 脱藩の道を逃れるように土佐から伊予へ駆け抜けた坂本竜馬にとってこの道は志の道でした。一方伊予から土佐へ同じ道を訪ねた宮本常一は逃れることもなく堂々と歩いて村人と交流し、様々なことを聞き出し記録にとどめたのです。坂本竜馬は走る巨人でしたが、宮本常一は歩く巨人でした。追手に追われていたため後や周りを伺いなが未来を見つめて志に生きた坂本竜馬に比べ、宮本常一は人間の生きた歴史や今という人間の生きざまを見たり聞きつつ、後ろを見ながら前を見たに違いないのです。ないものや新しいものを求めた坂本竜馬、なくしたもの、見失ったものを求めた宮本常一、まさに対比するにふさわしい生き方だと思うのです。今回の歩きフォーラムの神髄はまさにその辺がポイントだったようです。


  「走る人 歩いた人を 思いつつ 同じ巨人を 見比べ歩く」

  「赤鳥居 くぐり境内 石段を 登り見慣れた 船に出会って」 

  「瀬戸内の 潮水備え 柏手を 打って祈りつ 拝殿仰ぐ」

  「この橋の 下に住まいし 盲目の 老人主役 一人芝居を」

 

 

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○伊予から土佐へ歩きフォーラムに参加しました②

 豊田さんと浜田さんのたった二人で立ち上げて活動している「宮本常一を語る愛媛の会」が、初めて事業を立ち上げました。二人とも人間牧場の年輪塾ネットのメンバーなので、清水さんや松本さん、それに武田さんたちの支援を受けて、宮本常一の歩いた伊予から土佐の道を歩くことになりました。二人はこの事業を立ち上げるために幾度となく打ち合わせを行い、何度も現地の下見をして、西予市野村町山奥組と交流して情報を得ながら当日を迎えたのです。地域づくりにとってイベントの当日よりもそのプロセスが大事だと言われていますが、今回の事業は折からの大雨の中での実施だっただけにプロセスの大切さを身をもって感じさせてくれました。

 山間の細い道を縫うように走ったバスは最初の見学地である、男水に到着しました。この水は脱藩の坂本竜馬が飲んだといういわく因縁のある水場です。こんこんと湧き出る水はその言い伝え通り飲むと何処か元気が出そうな水でした。水場には落差の大きい滝があって休憩所も完備していました。坂本竜馬の蝋人形もリアルに設置されていて、いい雰囲気でした。またここの豊富な水を利用したからくり人形などは,今回の宮本常一とは何の関係もないものですが、必見に値する創作物でした。

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(美味しい水を飲んだ男水の水場)
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(水を使ったからくり人形)

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(落差の大きい見事な滝と、水を利用した一輪車のからくり人形)

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(竜馬が飲んだと言い伝えれれる白滝の水「名水男水」)

 男水で生気を取り戻した私たち一行は高知県と愛媛県を分ける韮ヶ峠で途中下車しました。雨は小降りになっていましたが、脱藩の道で度々紹介されている有名な場所なのです。私と孫朋樹はここで記念撮影し、集合写真も撮りました。本当はここを起点に歩く予定でしたが、雨のためさらにバスで下り、お大師さんの石像がある茶堂から歩くことにしました。

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 野村や城川、それに梼原などには沢山の茶堂があって、どこか懐かしい山村の風けを感じることができました。歩き方の説明や準備体操をして約4キロ余りの道を宮本常一のことを話しながらみんなでのんびりと歩きました。朋樹はもっぱら家から持ってきた虫籠に沢ガニやイモリなどを手当たり次第に採集して、同行した生物が専門の近藤先生に色々なことを聞いていました。

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(茶堂で一休みした後準備体操をして出発しました)

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(車もめったに通らない畑中の道をゆっくりのんびりウォーキングを楽しみました)

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)浜田さんと朋樹は参加者に配られた参加賞のバスタオルをプラカード代わりにして歩きました)

 宮本常一は歩く・見る・聞くを基本にした民俗学者です。この道を歩いて眼に映った農村の風景を見てどう感じたのでしょう。時には道端で出会った人に話しかけたり、自分自身に話しかけたに違いありません。都会の暮らしに比べ山深い高知県の奥まった農村の暮らしや営み、それに原風景はそんなに変化したとは思いませんが、宮本常一が歩いた砂利道は舗装され、自分の足で歩くしかなかった交通手段も車に乗って楽々走っています。また田んぼの畦や川の護岸はコンクリートで固められ、道端の草も草刈り機という文明の利器できれいに刈られていました。昔と今は何処かが変わり何かが変わっています。ひょっとしたら変えてはならないものまで変わっているのかもしれません。今回のウォーキングでその糸口を見つけたいと思っていますが、はてさて見つかるかどうか・・・・。彼が著した「忘れられた日本人」は「忘れてしまった日本人」へのメッセージなのかも知れないと思いました。


  「入念な 下見数回 繰り返し お陰でみんな 安心歩く」

  「山里の 夏を歩いて 先人の 足跡たどり 何をか思う」

  「夏草の 茂りて 雨の降りしきる 合羽濡らして 四キロ歩く」

  「道端の 沢ガニ見つけ 虫籠に 孫の目的 俺と違って」 

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○伊予から土佐へ①

 有名な坂本竜馬は脱藩するため土佐から伊予へ韮ヶ峠を越えました。これが脱藩の道です。普通であれば土佐から伊予へその道をたどるのでしょうが、今回は民俗学者宮本常一の足跡をたどって伊予から土佐へ思惑の道を歩くのです。今日は「伊予から土佐へ」という歩きフォーラムに参加するため、間もなく午前7時に出発します。小学校一年生の孫と一緒ですが、今日う州北部や山口県では大雨の被害が出ているようで、空模様が心配ですがとにかく出発しようと思っています。

 さて今日はどんなドラマが待っているのでしょう。帰りは明日の午後になりそうです。とりあえず短めのコメントを書き込んで・・・・。

 親友松本さんが午前7時に家まで迎えに来てくれました。荷物を積み込みさあ出発です。浜田さんから頼まれていた朝潮の若水を汲みに上灘漁港まで行きました。用意したペットボトルに瀬戸内海の水を汲み入れ準備万端整いました。最短距離を走ろうと、中山~内子~肱川~河辺と小田川や肱川沿いを走りました。途中の肱川道の駅で三崎の塩崎さんと合流し、孫朋樹の欲しがっていたメスのクワガタを特産品センターで買い求め、河辺ふるさとの宿を目指しましたが、到着したころには土砂降りのような雨が降り始め、先が危ぶまれました。どうやら私たちの一行が一番乗りのようなので、ふるさとの宿の職員さんたちと談笑しました。職員さんは私の顔や双海町のまちづくりについてよく知っていて、色々な話の花を咲かせました。

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 やがて武田さんや豊田さん、浜田さんの見えられ受付が始まりました。私と朋樹二人を申し込んでいたので、二人で12,000円の参加費を払い、早速資料をいただき今日の予定に目を通しながらみんなの到着を待ちました。遠方は徳島県から懐かしい建築家の白石さんご夫妻も参加されていて嬉しい限りです。また著述業の大早さんや八幡浜高校の近藤先生にも何年かぶりで会いました。嬉しい出会いです。

 「雨模様だが決行」という本部の決定に従って地元あさぎり観光の中型マイクロバスに乗って、愛媛と高知の県境に位置する脱藩の道で有名な韮ヶ峠を目指しました。私は坂本竜馬に行き方には関心があって色々な書物を読みましたが、韮ヶ峠や脱藩の道を歩くのは初めてであり、ましてや宮本常一と伊予~土佐の道となると知らない部分が多く、何かワクワクするような心境でした。バケツをひっくり返したような雨も小康状態となりましたが、バスの中では豊田さんと浜田さんが交互に案内役を務めて、宮本常一に関する話を微細に話してくれました。バスの中で合羽を着て、早目の昼食弁当を食べ、さあいよいよ峠の山水戸を歩くのです。


  「坂本の 歩いた道を 逆歩く 宮本常一 どんな気持ちで」

  「山坂を 縫うよう走る バスの中 常一研究 一端語る」

  「受付の 一番乗りを 果たしたる 孫の朋樹は 得意になって」

  「合羽着て 濡れるの覚悟 したものの 雨が味方し 助かりました」



 

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○音の世界は表現しにくい

 梅雨の明けぬまま夏になった感じのする今年の夏ですが、いつの間にか蝉が鳴き始めて「ああ夏になったなあー」と思うようになりました。今朝4時に起きて外を見渡すと雨模様のせいかまだ暗いのですが、ひぐらし蝉が「カナカナカナ」と一際甲高い声で賑やかに鳴いているのです。その声は5時13分に全て止みましたが、64年間生きていても、また少年時代は悪ガキだったのに蝉の鳴き声によって蝉を見分けたり、蝉ごとの鳴き声を文字にすることはとても不可能であることをしみじみ思いました。

 というのも昨日、今日のウォーキングイベントに参加する孫を松山まで迎えに行っての帰り、小学校一年の孫が車の中で「おじいちゃん、僕蝉に触れるようになった」と得意げに自慢するのです。と同時に蝉の鳴き方は蝉によって全部違うそうだから教えて」といわれて答えられなかったのです。


 有名な松尾芭蕉の句に「山寺や岩にしみつく蝉の声」というのがありますが、俳聖といわれた松尾芭蕉ですら蝉の声と書き記しただけで、声はどのようだったか書いていないのですから、その表現は難しいようです。私の知っている蝉はハルゼミ、ニイニイゼミ、ヒグラシゼミ、クマゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシゼミ、くらいしか覚えていませんが、その鳴き声を文字にして表現せよと言われても、ニイニイ、ミンミン、ツクツクボウシと鳴く声そのものの名前がついている蝉は別として、まったく表現ができないのです。

 動物たちはそれぞれの鳴き声を持っていますが、それを人間が耳で聞いて感じた音を文字や言葉に表現するとある人はチイチイをニイニイと言ったり書いたりするのです。

 しかし今はインターネットという優れモノがあって、蝉の種類の一覧表やその蝉にクリックすると蝉ごとの鳴き声が聞こえるのですから凄いものです。孫をパソコンの前に座らせ蝉の鳴き声で検索しながら一緒に聞いたのです。小学一年生で短絡的な孫は早速「僕の夏休みの自由研究は蝉の鳴き声にする」などとhぽざいていますが、私にとってもこのパソコン上での蝉の鳴き声は貴重で大変参考になりました。


 左様に音とは面白いものなのですが、耳を澄ますと色々な音が聞こえてきます。ただ今の時間は朝5時です早起きした鳥の鳴き声がもう賑やかに聞こえています。カラスやスズメ、ウグイスの声に交じって、低気圧や前線の影響でしょうか、昨晩から吹いている南風が音を立てて吹いています。風の音も耳を澄まさなければ感じることはできないのです。顔を洗うために出した水の音も聞こえてきました。早立ちする私や孫のために妻が台所で味噌汁を作っているのでしょうか。まな板の上で包丁の音が軽やかに聞こえています。遠く近くで車の音や漁船のエンジンの音が聞こえてきます。「あっ、牛乳が届いたな」と思う音、急に自分のお腹の中で「ギュッ」という音がしました。腹が減ったのでしょうか。失礼ながら思わず腹に力を入れたため小さいおならが出てしまいました。

 音の世界を書き記すのはどうやら私には難しいようです。


  「あの蝉は 耳を澄まして 孫が聞く 答えることも できずしょんぼり」

  「パソコンの 中から蝉の 鳴き声が 孫と二人で 聞き入りながら」

  「芭蕉さえ 蝉の鳴き声 書いてない 私などには とても書けない」

  「ひぐらしの 声を聞きつつ 夜が明ける あの蝉昼は どうしているか」

 

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○朝日新聞全国版に載る

 わが家は地方紙である愛媛新聞を購読しています。勤めていたころは職場で色々な新聞を読み比べることができていましたが、退職した今では地元紙一紙だけなのです。そんなこともあって、「○○新聞にあなたのことが載っていた」なんていわれ、慌ててその新聞を隣町のコンビニや駅のキオスクへ買いに行ったことが何度もありました。思い出すのは朝日新聞の天声人語に私のことが紹介された時でした。北海道の友人から早朝に電話で起こされました。「あなたのことが今朝の朝日新聞の天声人語に書かれている」というのです。新聞を作っている東京ならいざ知らず、はるか北の大地の足寄町からの電話だったものですから大きな驚きでした。早速単車を走らせて隣町の駅の売店へ出かけました。当時はコンビニもなかった時代ですから唯一駅の売店しか新聞は売っていなかったのです。でも早朝だったので売店は閉まったままで、結局朝日新聞の配達所を探し当て1部無理を言って分けてもらったのです。天声人語といえば知る人ぞ知る知名度抜群のコラムです。そこに紹介されたのですから反響は抜群で、知人友人から沢山の電話を頂いたことを覚えているのです。

 今回はかなり以前の4月10日に取材を受けていたものなのですっかり忘れていました。数日前朝日新聞の記者から採集問い合わせがあった時も、取材からの間隔が余りにも長かったためピンとこなかったのです。えひめ地域政策研究センターに出向している松本研究員から昨日メールが入りPDFファイルで新聞の切り抜きを送ってもらいました。

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(私が畳の上でデジカメ撮影したお粗末な写真)

 記事はニッポン人・脈・記、ふるさと元気通信?という紙面でした。「夕日は宝 地吹雪も宝」というタイトルで私と青森県津軽の地吹雪ツアーを企画した角田さんが紹介されていました。私の記事は夕日に出会ったころのいきさつが克明に描かれていました。もうひと昔前のことであり、「ああそんなことまあったなあ」と感慨深げに読ませてもらいました。昨日ビアホールに行った帰りに近くのコンビニで妻は、朝日新聞を一部買い求めてくれました。帰ってそれを畳に広げて写真に撮りました。後で気がついたのですが松本研究員からメールに添付して送ってもらっていたことをすっかり忘れてしまっていたのです。


 新聞の切り抜きは夕日やまちづくり、21世紀えひめニューフロンティアグループ、私の生き方などの分野で山ほどあって、段ボールの中に山ほど入れられて倉庫で眠っているのです。年齢やリタイアしたこともあってもうこれが最後といつも思っているのですが、断っても断っても新聞やテレビ、雑誌などの取材は相変わらず多いのです。まあ仕方がないかと諦めているのですが、早速2、3日うちに雑誌の取材がひとつ入っていて、対応に苦慮しているところです。

 早速昨日は知人友人から沢山の感想メールが寄せられました。近況がわかって嬉しい半面、またしっかりせねばと少し心のネジを巻き直しているところです。


  「新聞 買いにコンビニ 立ち寄って 一読汗顔 穴があったら」

  「もうこれが 最後といつも 思ってる 新聞テレビ 雑誌の取材」

  「新聞を 見たよ読んだよ メール来る 近況分り 近況知らす」

  「何故夕日 朝日新聞 ミスマッチ 思わず笑う これもお愛嬌」 

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○ビールも飲まないのにビアホールへ

 酒を止めてから10年近くになりました。にもかかわらず相変わることもなく宴会のついた会議が多く、その都度ウーロン茶を飲みながら酔ったふりをして、次第に君子豹変してゆく周りの人を観察しながら過ごすのですが、会費は飲む人と同じように取られ、少々分の合わない疑問を感じています。でも酒を飲んでいたころは大酒を飲んだ分余計に払ったこともない訳ですから五分五分といったところでしょうか。

 昨夕は妻の計らいで大和屋という道後のホテルで開催されているビアホールへ食事を兼ねて出かけました。大和屋というホテルの料理人をしている姪がノルマとしてチケットを販売しているので、その片棒を担いだのです。毎週金曜日にわが家へやってきて、妻にお花の出張指導をしてもらっているお花の先生を招待し、ついでに近所道後緑台に住んでいる孫朋樹も誘い4人での食事会となりました。2階ホールには万席ではありませんでしたが、時間が経つにつれてそれなりに客が集まっていました。予約席に陣取って飲み放題食べ放題の1時間半が午後6時に始まりました。和洋中華折衷のメニューは豊富で、メインテーブルに並んだ料理の中から肉類、魚類、野菜類、スイーツ類、麺類、果物類などを少量多品目好みに合わせ選んで皿に盛り、手当たりしだい食べるのですが、飲み物と一緒に食べるので15分ほどすればお腹いっぱいになってしまいました。

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 孫の朋樹は色々な料理に挑戦していましたが、オレンジジュースを3杯もお代わりしてご満悦でした。妻もお花の先生も少しだけビールを飲もうと大ジョッキに半分程度入れて挑戦していましたが、殆ど残してしまったようです。朋樹は私のカメラを持ち出して妻と先生の食べる姿を写真に収めました。私も朋樹の写真を撮ってやりましたが、孫は今日前歯が抜けたそうで、ずっこけた姿になっていました。

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 色々な話をして和やかに過ごしましたが、1時間半はあっという間に終わりました。さあ今度はお風呂です。お酒を飲まない私たちにとってお風呂とセットになっているのはこのチケットの魅力なのです。孫と私は早速エレベーターで地下1階に降り風呂に入りました。ビアホールの宴会はまだ続いていたため広いお風呂には殆ど客がおらず、まるで私たちの貸し切り専用みたいなものでした。道後温泉の、しかも一流ホテルの温泉は手入れも行き届き、まるで温泉旅行を楽しんでいるようなゴージャスな気分になりました。朋樹は私の背中を流してくれ、私も朋樹の背中を流してやりました。あんなに小さかった孫も、はや小学校一年生に成長しているのです。それに比べ私は緩やかながら老いへの坂道を下っているのだと鏡を見ながら納得しました。

 やがて風呂も楽しんだホテルをお出て孫と先生を送り届け9時半ころにわが家へ帰ってきました。束の間の楽しかった余韻を感じながら床に着きました。

  「酒飲まぬ 身でありながら ビアホール 割に合わぬが 料理納得」

  「三杯も ジュースお代わり する孫に お腹心配 大丈夫?かと」

  「頭上 タオルを置いて いい湯だな 道後温泉 孫と楽しむ」

  「飲むほどに 酔う人の声 高くなり これもまたよし 活気があって」

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○インク論争

 今日は年輪塾の塾生第一号浜田さんが、間近に迫った宮本常一歩きフォーラムの最終打ち合わせにわが家にやってきて、1時間ばかり雑談しました。浜田さんは私の友人の中では失礼ながら少し毛並みの変わった部類の人です。浜田さんから見れば私も少し毛並みの変わった人でしょうからまあちょぼちょぼとしておきましょう。

 今日はインク論争でした。私たちはイン奥の存在をよく知っています。本も雑誌も新聞もチラシも紙にインクで印刷されて文字や写真が再現されるのですが、最近はそのインクの存在を余り見る機会が少なくなったような気がするのです。私たちが若いころにはインク瓶に入ったインクにペン先をつけて紙に書いていました。インクは黒と青と赤の三種類でしたがペン先は渇くため何文字か書くと面先をインク瓶につけなければ万辺にきれいな文章は書けませんでした。高校生の頃姉が入学記念に万年筆を買ってくれました。その万年筆にはスポイドでインクを入れなければならなかったのです。

 ところがインクがカートリッジになって万年筆は重宝になり、いつの間にかインクの入ったインク瓶が机の上から消えてしまったのです。今ではパソコンのプリンター用インクもカートリッジで、インクがどんなものかもったくその正体は見えないままになってしまいました。ゆえに今の若者にインクの話をしても通じませんが、浜田さんと私は古いタイプの人間なのでインク論争がかみ合うので、何処か古い人間の戯言のような気もするのです。

 インクは染料と水分でできています。私たちの知識をインクに例えると、知識はどんどん増えているのに、忘れたり失ったりするものですから、インクの量はそんなに増えないようです。むしろ忘れることの方が多いため、余程勉強をしないと増えるどころか減ることだってあるのです。

 インクの中から色を取り出して使うことは大切な人間の知恵です。ところが何気なく過ごしていると色を取り出すことができないのです。さらにはその色を使って文字に加工して使うこともできないのです。長い間使わずにインク瓶の中で水分が蒸発し顔料だけが残ったのを見かけましたが、まさにこの姿が現代社会なのかもしれません。インク瓶にインクを継ぎ足す、インク瓶のインクを使って文字を書く、書いた文字で相手に伝える、何でもないこのようなことを私たちはおろそかにしているように思えてならないのです。

 万年筆に手を汚しながらスポイドでインクを入れ、あるいはペン先にインクをつけてラブレターを書いた懐かしい青春時代、書いた手紙は相手の心を動かしたことでしょう。私が第14回NHK青年の主張に応募した原稿用紙5枚の原稿も万年筆で書きました。多分海外派遣30周年記念論文募集に応募して総務庁長官賞を受賞した原稿用紙5枚の原稿はワープロになっていたでしょうが、文字をペンで書くことすら少なくなった今だからこそ、それらを懐かしく思うのです。

 手元に残る航海日誌と思われる実習船愛媛丸での日記も万年筆の文字なのです。

 浜田さんのインク論争は映画館で見たハリーポッターという映画にまで及び、結局は結論も出ぬまま終わってしまいましたが、インクを思い出しながら時代の変化の中で消えていったインクを懐かしく思いました。

 はてさて、私が高校生時代にラブレターを何回か書いた彼女は果たして元気に暮らしているのでしょうか。追跡してみたいと急に思いつきました。


  「スポイドで 手を汚しつつ インク入 手紙書きたる あの娘は何処に」

  「インクなど 今の人には 分らない 議論する人 賞味期限が」

  「折々に インクで書いた 原稿が 自分成長 手立てとなりぬ」

  「スポイドも 万年筆も 要らぬ世に 便利といえば 便利になって」

  

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○畑の見張り番

 未だにどんな動物が食い荒らすのか現場を押さえていないので分りませんが、親父の言うのには「鳥のいたずら」のようです。せっかく手塩にかけて育てたトウモロコシを半分以上食い荒らされてしまいました。これまでにもハクビシンに食べられたりして悔しい思いをしていたので、今年こそはその被害から守ろうと、網を張ったりおどし用のテープやテグスを張って万全な備えをしていたのですが、トウモロコシが実るほどに被害が拡大しているのです。業を煮やした親父は近所で聞いてきた、カラスのおどしなるものを買ってきてほしいと私に頼みました。私は早速近所の種物会社へ行き、店主に相談したところ鷹のような風船を取り出して、「この鷹の効果は抜群だ」と吹聴するのです。この鷹はビニール風船や浮輪と同じ原理で、空気穴から空気を送り込むと漫画チックな鷹が出来上がるのです。1050円は少々高めですが、それでも背に腹は代えられず買い求めました。この風船は欠陥があるらしく、空気が漏れると言って返品する人もあるようで、その場で膨らませて納得づくで買ってほしいというので、その場で膨らませて車に積んで帰りました。

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 親父と二人でトウモロコシ畑の真ん中に細いロープを張り、その中央に鷹をくくりつけてみました。少し低空過ぎるので、親父は木材で上に押し上げるように工夫して立派に完成したのです。これで大丈夫と思っていると、あくる日に畑を見ると、鷹の空気が抜けていて威勢のいい鷹の姿は見られませんでした。親父はこれを欠陥商品だといい、交換してくるよう頼みましたが、私が忙しかったり、あいにく土日を挟んで種物会社が休みだったため、延び延びになっていました。

 鷹を降ろして種物会社へ行きました。店主は非を認めて交換すると言いながら、自分で空気を入れて店の外の水を張った桶の中に入れて、空気の抜け具合をテストしていましたが、あぶくが出る個所が見当たらず、もう一度使ってほしいと頼むので、仕方なく取って帰り同じようにつり下げました。

 今朝その姿を畑に出てみましたが、確かに前よりはましながら、羽は空気が抜けているようでし、威勢のいい姿はあまり感じられませんでした。このままだと毎日空気を追加せねばならず、返品するかどうか迷っているところです。


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 鳥の被害はトウモロコシばかりではありません。傍のトマトも食べられていました。鳥たちは毎日が私と同じサンデー毎日なので24時間監視することもできず、味をしめた鳥たちの襲撃は今も続いて親父の悩みの種となっているのです。種を蒔いて種を食べられ、できたものを食べられ、それが悩みの種になるとはおかしな話ですが、これも自然の原理と諦めて共存の道を考えなければならないのかもしれません。

 近所に住む姉の家でもトウモロコシをハクビシンに食べられ全滅したと嘆いていました。少し残ったわが家のトウモロコシをおすそ分けしてやりましたが、姉はもう来年はトウモロコシは作らないと諦め顔でした。親父もやはり来年は作らないと諦めています。人間牧場でサツマイモをイノシシに食べられて全滅した時もそんな焦燥感に駆られました。でもイノシシに力で負けたのだから今度は知恵で勝とうと頑張った結果網を張って見事に克服しました。親父には内緒ですが来年もまた挑戦しようと思っています。

 動物の被害に遭わないよう各地で様々な営みが行われています。そのうち農作物を囲う時代から、人間が囲われて暮さなければならない時代が来るかもしれないと思う今日この頃です。

 

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○皆既日食

 今日は山口県で土砂崩れによる死者が出るなど大きな被害をもたらした昨日の大雨もやっと峠を越しました。裏山が崩れた経験のあるわが家でも、息子から心配して電話がかかったりしましたが、かなり雨が激しかったものの、幸い災害もなくホッとしているところです。私はかなり疲れていたのでぐっすり寝込んでいましたが、妻は雨脚の強さが気になって寝つきが遅かったようで、今朝は寝不足を訴えていました。

 天気予報だと今日は曇りのち晴れといっていましたが、天候の回復が少し遅れたようです。天気が気になったのは今日が皆既日食の日だからなのです。多分四国では雨模様のため見えないだろうと言われていましたが、私が昨日の雨の後の見回りに人間牧場へ行っての帰り、薄日が差してきたので、路側帯に車を止めて空を見上げると11時過ぎ、箒で掃いたような薄い雲の切れ目から半月のようになった太陽が顔をのぞかせていました。こんな時に限ってカメラを持っていなくて残念とばかり、車を走らせ急いで家に帰りました。デジカメを取り出して空を仰ぎ、アップにして何枚か撮りましたが、カメラが悪いのか腕が悪いのか分りませんが、まあおぼろげながらの証拠写真となったようです。

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 庭で制定作業をしていた親父にもう死ぬまで見えないのだから見るようにと、訳の分らぬ説明をして一緒に見ましたが、白内障の手術をして遠方がよく見えるようになったものの、91歳になった親父の眼には少し眩しかったようでした。マスコミの影響もあってか全国的には皆既日食の話題でもちきりのようで、マニアは良く見えるとされる鹿児島県などに出向いて見たり、皆既日食観察会に出かけたりした人も多かったようです。次に見えるのは26年後だそうですが、私はその年90歳になる計算になります。妻は「私はこの世にはいない」と言っていますが、90歳といえば親父の歳なのであながち不可能なこともないようです。今日の私と同じように、息子が「じいちゃん皆既日食だ」と一緒に見てくれるでしょうか。

 前回の皆既日食は46年も前の1963年7月27日ことだそうですが、私はのころ18歳の高校生でしたが、見たような見ないようなで正確な記憶がないのです。

 昔の人は天文の知識もなく、ましてやマスコミも発達していなかったので、今日のような馬鹿騒ぎなどはせず、ただただ自然現象に恐れおののき。神仏にすがってご加護を祈ったに違いないのです。今日は昼は明るいものなのにまるで夕方のように暗くなる現象を体感しましたが、文明の世の中にあっても私のような凡人は何故このようなことが起こるのかさえまともに答えられない始末です。

 黒い太陽とコロナこそ見えなかったものの、歴史の生き証人として、お粗末な写真にキャプションを添えて書き記しました。26年後生きていたら、「記録しないものは記憶されない」のですから記憶として残り、このページをめくって懐かしく読んでいることでしょう。

 今日人間牧場へ行きました。帰りに「鍵を閉めたかな?」と思い引き返しました。鍵はきちんと閉められていました。数分前に鍵を閉めるということを無意識にしている私なのに、鍵を閉めたことを数分後には忘れているというミスマッチは、どうして起こるのでしょう。不可解といえば不可解です。

  「鍵閉めた ことを忘れて 引き返す 鍵を閉めると いうこと覚え?」

  「偶然に 空を仰いで 月似たり 皆既日食 しかとこの目で」

  「十八の 時に見ていた ような気が するけど今は 思い出せずに」

  「器具もなく 肉眼見える ラッキーだ 曇りの空が フィルター代わり」

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○衆議院解散

 遅きに失した感のある衆議院が昨日解散し、告示もないけど選挙戦がスタートして街中が賑やかになってきました。選挙に無縁の私でも日本のかじ取りをする人たちを選ぶ選挙ですから、しっかりと考えて選ばなければなりません。最近は国民の意識調査の精度が高まっていて、誰がどんな方法でどう調査するのか分かりませんが、戦う前から当落が決まっているような、味気のない報道が気になるところです。今回の選挙は苦戦自民対躍進民主という構図が既に報じられていますが、少なくともこれから一ケ月間だけは日ごろ偉そうに振る舞う国会議員の先生たちはお国入りして「選挙民は神様です」と言わんばかりの低姿勢で、握手を求めたり挨拶したりして庶民派をアピールするのですが、残念ながら選挙民もその人の本心や日常を知っているだけに、そんなに甘いことではないのです。

 国政議員の場合に限って言えば、江戸時代の参勤交代の頃と殆ど変らない暮らしをしているのです。当選すると議員の家族はみんな東京へ引っ越し、妻はセレブとなり子どもは英才教育され貢ぎ物や様々な身入りで豪邸を建て、自分の支援者のおめでたお悔やみには帰って来るものの、任期切れの選挙までは東京からお国入りするのは言い訳程度の国政報告に留まって殆ど顔をのぞかせないのですから、地元の苦しみなど選挙のときだけ分ったような顔をして、やれ中小企業の振興だ、やれ農政に力を入れると言っても、殆ど信じる人がいないのです。これは私の意見であると同時に、巷で聞いた庶民の話でもあるのです。


 私たちの住んでいる地域は、選挙の度に「一票の格差」という名のもとに選挙区を変えられてきました。昔は松山市と同じ一区でした。その後南予と一緒の三区となり、今は今治と一緒の二区なのです。立候補する人にとっても煩わしいのでしょうが、選挙民にとっては今回も今治地方出身の人を選ばなければならず、まさに松山市を越えた向こうの人を選ばなけらばならんない越境選挙なのです。

 このことが私たちの町の人の選挙への関心を薄くした第一の原因であるのに、今回もその不満は解消されぬままなおざりにされているのです。合併前のかつてのように市町村がしっかりしていると、民意も上へ上がっていくのでしょうが、今は民意が届きにくい無組織な時代になっているようです。

 じゃあ、そんな不満を持っているんだったらお前が出たらと言われそうですが、一票を入れる程度の反論手段しか持たない私には、政治を変える行動など起こせる訳がなく、くすぶり続ける火種は今回も不完全燃焼のままなのです。

 「街をきれいに」といいながら、何処かしこにベタベタ張った顔写真入りのポスターも、後一カ月余りで姿を消すのでしょうが、最近は色々な幟も数知れずまちづくりや景観的には気になるところです。

 私の知人で、よくまちづくりに顔をのぞかせてくれた三区の先生は今期で議員を退職するそうです。議員をしながら不満を持ってる不満が不満なのでしょうが、いい選択だったと思います。今の政治家に大きな期待は正直な話できないと思います。


  「誰にする 言われてみても 分らない 松山越えた 人しか選べず」

  「選ぶのも 選ばれるのも 大変な 選挙近付き 街が賑やか」

  「解散は 伝家の宝刀 言うけれど 抜いてはみたが 竹刀だった」

  「不満なら お前が出ろと 言い合って 結局俺も 評論仲間」

  

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