shin-1さんの日記

○世界文化遺産の姫路城を訪ねる(その②)

 屋根の鬼瓦や軒丸瓦には築城した城主の家紋や修理した城主の家紋、それには門の上の櫓には十字(クロス)の門瓦、扇勾配の石垣、それに油壁や塩櫓、百軒廊下、華灯窓などの建造物の話は、これだけの規模ですから枚挙にいとまがないほど物語が秘められていて、ガイドさんの説明にも力が入っていました。私もカメラを向けながら、石垣の中に姥が石という老婆が寄付したと伝えられている引き臼を見つけたり、はの門右側の礎石に灯篭の石台座を転用したものを発見したりしながら、楽しく場内を散策して歩きました。

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(天守閣への入口)

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 直径1メートルという天守閣の2本の心柱の太さにも度肝を抜かれました。天守閣は外観5層、内部は地上6階、地下1階ですが、どれほどの木材を使い、その調達をどんなに誰がしたのか、まるでミステリーのようです。

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 姫路城は播磨の守護職赤松則村が元弘3年(1333)ここに城を築き、その子貞範が正平元年に城を構えたことに始まります。その後小寺氏、黒田氏と続き、黒田官兵衛孝高の時羽柴秀吉が西国攻略の根拠地として入城し、翌年三層の天守閣を完成させました。その後羽柴秀長、木下家定、池田輝政、池田三代、本多忠政、松平氏、榊原氏、酒井氏と続いて明治維新を迎えたのです。

 大天守閣と3つの小天守閣、これらを結ぶ渡櫓など櫓27棟、門15棟、土塀約1000㎡、内濠、中濠以内は特別史跡に指定されているのです。

 黒田孝高はご存じ「水五則」の作者といわれている人物だけに、興味をもって歴史年表を読みました。

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 天守閣には最上階に長壁神社が祀られていました。この天守の丘にあった地主神で、築城の際外に移されていましたが、神のたたりがあると元に戻されたそうです。宮本武蔵の妖怪退治の伝説も有名だそうです。

 天守閣からの眺望も素晴らしく、屋根の勾配の向こうにお城の全容や外濠が見え、晴れた日には瀬戸内海の島々も遠望できるそうです。
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  「今度来る 時は愛妻 連れて来て 色々知った かぶり説明」

  「納得の 世界遺産に 胸を張る 外人どうだ 日本凄い」

  「ワンダフル モアビウティフル 連発し 外人みんな 汗を拭きつつ」

  「ああ今日も いいもの見たと 感激し 振り返りつつ お城を後に」

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shin-1さんの日記

○世界文化遺産姫路城を訪ねる(その①)

 私にとって今年はラッキーな年になりました。というのも中国地方にある世界遺産に登録されている広島原爆ドーム、広島安芸の宮島、島根石見銀山に続いて4つ目の姫路城を見学できたからです。前3つは4月に21世紀えひめニューフロンティアグループの仲間とともに訪ねましたが、今回は偶然にも姫路市で講演が予定され、一便早い特急しおかぜに乗ったために予定もしてなかった姫路城見学が小走りながら実現したのです。

 私はこれまで何度か姫路を通り、また姫路を訪ねましたが、どういう訳かいつも時間的な制約で素通りして姫路城を見る機会を逸していました。姫路城といえば1993年に法隆寺地域の仏教建築物とともにユネスコの世界遺産委員会で、わが国では初めて世界文化遺産に登録され話題を集めたお城です。

 私も仕事がら全国のお城はこれまで沢山見てきましたが、江戸時代初期の荘厳な連立式の天守閣群をはじめとして数多くの建物が築城当時のままの美しい姿で今日まで残る唯一の城として、その普遍的価値が認められたものですが、姫路城が長い歴史の中で一度も戦や災害に遭うことなく奇跡的に生き残っていることは大きな驚きとしか言いようがないのです。

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 この日はあいにくの雨模様の天気の中傘を差しての見学となりましたが、橋を渡って城内に入る前から威風堂々とした天守閣や白漆喰と瓦、それに石垣が、幾重にも重なり、歩を進めるたびに構図が違って、デジカメはレンズを出したままで雨に濡らしてしまいました。

 この日は雨模様のせいか湿度が高く、私は午後に予定されている講演のためスーツ姿で木になるカバンを提げ傘をさしたままの一風変わった出で立ちだったため、外国人観光客から奇異に感じられたのか声をかけられる始末で、起伏に富んだ場内の石段を長々と歩いたため汗びっしょりとなってしまいました。

 偶然にも外国人客を案内していた観光ボランティアガイドの説明が遠く近くで聞こえたため、ラッキーな見学となったのです。

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(菱の門と呼ばれる場内で最も大きな門は立派でした)
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 見え隠れする天守閣を目当てにい・ろ・は・にと書かれた門をくぐって進むのですが、城郭の広さは予想以上で西の丸・二の丸・三の丸などを巡りながら、天守閣が目の前に近づいてからもまだ敵を欺くための守りでしょうか、入り組んだ迷路のような道が長々と続いていました。


  「戦災や 災害合わず この日まで よくぞ往時の 姿とどめて」

  「この城が 世界一だと 胸を張る ガイドの自慢 殿様気分」

  「表では 殿が造った 城なれど 多くの人が 裏で働く」

  「そこここに 可憐な五月 花咲きて 心なごませ 坂を上りぬ」

   

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shin-1さんの日記

○播磨地区漁協女性部連合会50周年記念講演に招かれて

 昨日は久しぶりの雨でした。家を出る時も車を降りた時も雨は降っていなかったので、車の中に雨傘を置いたまま岡山行きの特急しおかぜに乗り込みました。途中川之江辺りから雨がポロポロ降り出し、車窓を濡らし始めて傘を忘れたことに気づくのですからお粗末な話です。岡山で新幹線のぞみに乗り換え姫路に到着しましたが、そのころから本降りになって、駅前のコンビニで一本500円の傘を買い求めて傘のご厄介になりました。

 この日の朝はどういう訳か松山までの道路が空いていたのと、信号が殆ど青の男時だったため、松山駅へ早く着き過ぎ一便早い特急しおかぜに乗れたのです。「そうだ世界文化遺産姫路城を見学しよう」と急に思い立ったのです。その見学の様子は次号に譲るとして、昨日の姫路行きは播磨地区漁協女性部連合会発足50周年の記念講演に招かれたのです。そもそものきっかけは、漁協女性部の会長さんはじめ何人かが数年前に双海町へ視察研修に来られましたが、その折富岡さんに頼まれてその方たちに私が説明やお話をしたのです。その話が面白くてためになったからもう一度とオファーがかかったのです。

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(私のためにこのような立派な控室を用意していただきました)

 基より私は家が元漁家で私の母も下灘漁協婦人部の部長を6年間もやりました。私自身も宇和島水産高校を卒業後家業である漁業を7年間やり船に乗っていました。役場では3年間でしたが産業課で水産を担当し、また現在は愛媛海区漁業調整委員などをやっていて、漁業のことはかなり詳しと自負をしているし、ましてや漁業女性部の地域づくり活動は随分なじみが深いので引き受けることにしたのです。

 昨日の会場は姫路駅から歩いて20分足らずの所にありました。その会場はラヴィーナ姫路という結婚式や結婚披露宴専用の会場だったのです。私も全国の様々な場所に出向いて講演をしますが、漁協女性部の会議に結婚式専用の会場を使う粋な計らいは今まで見聞きしたことがなく、一瞬会場に入って戸惑いましたが、いやあ素晴らしいの一言でした。

 担当の立田さんとはメールや電話で何度も対応しましたが、JF兵庫信漁連の若い素敵な女性で、流調な大阪弁といよりは播磨弁にすっかり惚れ込んでしまいました。

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(和やかな講演前の会場の雰囲気)

 昨日の講演は2時からの予定でしたが、記念式典の時間が押していて、結局2時20分からのスタートとなりました。新幹線の復路の切符を手配済みで16時発のため3時35分までぎりぎり話しました。会場の雰囲気は最高で、楽しい笑いがあちことから聞こえて、演壇に跳ね返る反応の良さに一人酔い知れお話をさせてもらいました。

 今世の中は何処へ行っても不景気な話ばかりです。特に京阪神は思わぬ豚インフルエンザで観光も消費もいまいちだと出会う人は口々に不満を漏らしていました。こんな時代だからこそもっと笑って暮らさなければならないのです。

 帰り際追いかけてきたある女性が、「久し振りにいい話を聞いた。感動した。ありがとう」と言葉を投げかけてくれました。後ろ髪引かれる思いで会場を後にタクシーに乗り込み、姫路駅、岡山駅、瀬戸大橋、松山駅、自家用車と乗り継ぎ、予定通り9時前に自宅に着きました。玄関に入り「ただいま」といえば、中から妻が「お帰りなさい。早かったね。疲れたでしょう」とねぎらいの言葉をかけてくれました。幸せを感じた一瞬でした。


  「縁あって 姫路くんだり ノコノコと 俺にゃあ不似合い 結婚会場」

  「いい話 聞いたと追っかけ 声かけた おばちゃんおおきに 大阪弁で」

  「新郎の 控える部屋が 控室 新郎になった ような錯覚」

  「元気だね 浜のおばちゃん 着飾って お光物が どこか不似合い」

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shin-1さんの日記

○観光の新しい予感

 四国中央市から愛南町まで、東西に細長い愛媛県は東予、中予、南予とおおまか3つに分類されます。どちらかというと東予は工業地帯、中予は政治や商業地帯、南予は農山漁村地帯と言われていますが、県内の市町村が70から20に合併再編されたため県の出先機関も議論の末、西条、松山、宇和島に東予、中予、南予の地方局が決まり、これまであった今治と八幡浜は戦いに敗れた訳ではありませんが、出先機関として縮小存続することになりました。

 私たちのように県庁所在地に中予地方局がある場合はさして困りませんが、佐田岬半島の突端や内子町の人がわざわざ宇和島に出向かなければならないことや、上島町の人が西条に呼び出される不便も新たな不便となっているようです。

 地方局の再編に伴い、これまで本庁一辺倒だった裁量権が少しだけ地方局に与えられたそうですが、他県の地方局はかなり前から裁量権を武器に様々な取り組みが行われているだけに、今回の裁量権の付与に少なからず期待を持っていますが、はてさて本庁依存の体質から抜け出せるかどうか、少し心配、少し楽しみといったところです。


 一昨日東予地方局の課長さんが担当者と一緒にわが家を訪問されました。この課長さんとは若いころから21世紀えひめニューフロンティアグループのメンバーとして、無人島に挑む少年の集いや丸木船航海などの活動に参加してきました。また彼の結婚式では餅つきの儀式をやったり、公私にわたって仲の良い間柄なのです。

 この課長さんは度々わが家へも足を運んでいいるのですが、この4年間は少し遠ざかっていて、人間牧場へは初めてということでご案内しました。自宅での概略打ち合わせを終わり、3人で私の車に乗って出かけながら車内で色々な話をさせてもらいました。若かった彼も課長という責任ある地位に着いて、風格さえ感じさせるようになっていて逞しくも嬉しい限りです。この日の人間牧場は初夏の好天に恵まれ、霧霞で遠望こそできなかったものの、人間牧場見学には絶好の一日だったようで、人間牧場のスケールに少し驚き、私の人間牧場構想実践に少し納得されていました。

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 さて本題の仕事の話ですが、地方局が行う予定の観光の仕事のお手伝いだそうです。私は凡人ながら観光カリスマ100選に選ばれていて、その名前でアドバイザーとして協力してほしいというのです。私は東予地方のことはよく知っているつもりです。また知人友人も多く、観光資源としてはとても魅力の多い地域だけに、楽しみが増えたような気持になりました。東予地方局管内は、東は香川に隣接、南は高知に隣接、北は広島に隣接と、かなり広範囲な地域です。逆にいえばそれだけ観光の中心である交流の機会が多いものと感がれば何かできそうな予感がするのです。

 何はともあれまた新しいドラマが始まりそうな予感をお二人の話を聞きながら感じました。私自身もこの機会にしっかりとサポートして行きたいと決意を新たにして別れました。


  「責任を しっかり自覚 する人に なった仲間を お目々細めて」

  「観光は 光を観ると 書いている 玉を磨いて 輝くように」

  「県境は 逆から見れば 最前線 交流人口 増える期待が」

  「彼の目に 私やってる 牧場は どんな姿に 見えただろうか」 

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○私はエンドウ豆のご飯が大好きです

 一昨日私は人間牧場の草刈りをしました。一番草は既に刈り、二番草も年輪塾のメンバーが奉仕作業と称して刈ってくれたため、早い所は三番草の刈り込みかも知れませんが、水平線の家には人が度々訪れるので、綺麗にしておかないと見苦しい気持ちになるのです。人間牧場の整備が始まったとき妻が買ってくれた地下足袋と麦わら帽子の、まるでお百姓さんのようなで立ちで草刈りに挑むのですが、5年目の夏を迎えたこの日、大切に使ってきた麦藁帽子がついに藪けてしまいました。太陽の光から、あるいは木々の枝から私の頭や顔を守ってくれてきた熱戦の雄姿もついにお払い箱になりそうなのです。

 草刈りが一段落したところで、梅林に入り残った梅の収穫をしましたが、これが何と25キロくらいあって、思わず量に喜びつつも時間を使ってしまいました。「今日は早く帰るから」と妻に告げ弁当も持たずに出てきていたので、妻はかなり心配して携帯電話を入れたようでしたが、作業に夢中になっていた私はそのことにも気が付きませんでした。

 帰り際、砥部の親友稲葉さんに貸すことになった農地を見に立ち寄りましたが、先々週と先週の日曜日にしていた作業も随分はかどって、いよいよ植え付けが始まるようで、少しだけ安心をして帰ろうとすると、近所に住む梶野のおばさんに出会いました。「まあ若松の進ちゃん、お珍しい」と話が弾み、能作業していた手を休めながら話に花を咲かせました。そしてせっかくとりいれしようとしているエンドウ豆をツル毎いただくことになったのです。

 じつは私、エンドウ豆のグリンピースを入れて炊いたご飯が大好きなのです。私はカレーや炊き込みごはんなどのような混ぜ飯は嫌いなのに何故かエンドウ豆のご飯は大好きなのです。

 ツルにエンドウ豆をつけたまま軽四トラックの荷台に乗せて家まで持ち帰り、早速サヤをもぎ、仲野エンドウ豆を殻を破って取り出したのです。網ボ-ルに入れるとかなりな量でした。

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 仕事から帰った妻は、私の作業に満足しそのグリンピースを入れたご飯を夕食に炊いてくれました。いやあ実に美味でした。この分だと二回分あるのでもう一日遠藤ご飯が食べれそうなのです。

 私にとってエンドウ豆のご飯は亡き母の思い出であり、妻の味でもあるのです。毎年このころになると母はエンドウを自家菜園に作ってエンドウ豆ごはんを作ってくれました。また妻も私がエンドウ豆ご飯が好物であることを承知していて、エンドウ豆を買い求めて炊いてくれるのです。

 もうそろそろ今年の冬には遠藤の種をし入れて自家菜園に播いて栽培したいと思っていますが、毎年のことながら忙しくてなかなかそこまで手が回りませんでした。それにしてもいくら顔馴染だからと言ってエンドウ豆をツルのままいただくなんて、やはり田舎の人情とは嬉しいものです。私も自分の家で採れた甘夏蜜柑や、昨日は青い梅を漁協女性部の皆さんに少しですがおすそ分けさせてもらい喜んでいただきました。


  「まあお食べ いきなりエンドウ 豆くれる 農家おばちゃん 気前よくって」

  「好物の 豆入りご飯 食べながら 夫婦二人で 四方山話」

  「さや割ると 中から緑 飛び出して ダダっ子ように あちらこちらに」

  「さやは親 まるで子どもを 抱くように 見習いたいな 親子関係」 

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○兵庫県姫路市へ行ってきます。

 今日は早朝の旅立ちである団体の50周年記念事業に招かれ、姫路市へ行ってきます。日帰りですが帰宅は夜遅くになる予定です。

 このように書いて朝早く出かけ、夕方9時前に帰ってきました。特急しおかぜに乗り、岡山から新幹線のぞみに乗り継いで出かけましたが、しおかぜものぞみも平日とあって営業のサラリーマン風の人が停車駅毎に乗り込み、眠ったり一人本や資料をめくりながら物静かに過ごしていました。そんな人に交じって元気のよいおばちゃん風の集団が松山から乗り込みました。どうやら私と同じ姫路を目指す友達集団のようでした。聞く気もなかったのですが大声で話すので、まあ凄いです。行き先も集団の素状も筒抜けで、時にはひきつけでも起こしたのかと見まがうほどに大きな声で笑っていました。さらにはまだ朝が早いというのに弁当を広げ、朝食と称して食べ始めました。その食欲たるや相当なもので、「私ダイエットしているから」と前置きしつつ、「まあいいか、今日は特別な日だから」と言いながら一人2個程度のおにぎりをパクついていました。見るからにふくよかで、着飾ったお光物や洋服が○○に真珠」って感じがして、思わず噴き出してしまいました。

 その集団に私の顔を覚えている人がいて、ヒソヒソ話をするのです。「ねねあの人双海町の若松さんじゃあない。私あの人の話を生涯学習センターで聞いたけど面白かったわよ」なんて調子です。そして本を読んでいる私の所へその人はやってきて、「失礼ですが双海町の若松さんではありませんか」と尋ねられました。「どちらまで」「何をしに」「いつ帰るのですか」。聞きもしないのに「私たちは世界遺産を訪ねる旅に出ました」「今日は姫路城を見まして、それから・・・・」と、お菓子はいただくは、お茶はいただくはで、結局岡山についても新幹線まで、姫路に着いてからも姫路城までと、まるで金魚のフンのようについてくるのです。「私は旅行会社の添乗員でもないのになんでこうなるの」と思いましたが、やっと別れたのは昼過ぎでした。「お礼に昼食を」と誘われましたが、「急ぎますので」と断り雨の中を講演会場へ向かいました。お陰でこの日は昼食を食いぱくれてしまいました。


 その日の帰りの列車でまた別のおばちゃんたちに出会いました。岡山から特急しおかぜだと3時間弱かかりますが、その間行きのおばちゃん集団と同じようにしゃべくりまくっていました。このおばちゃんたちは岡山で駅弁を買って乗ったらしく、観音寺を過ぎたところから弁当を食べ始めました。私は注意深くこのおばちゃんたちの食べ具合を見ていました。どのおばちゃんも弁当を開けて蓋を取るとまず蓋についたご飯粒から食べ始めるのです。今の若い人はこんなことしないのです。このおばちゃんたちはご飯粒を粗末にしたら罰が当たる、目が不自由になると教え込まれて育った人たちなのです。弁当一つの食べ方を見ても時代が分かるのですから、私も相当な洞察力だと思うのです。

 それにしてもおばちゃんが3人集まると旅の恥はかき捨てです。金はある、暇もある、体力もあるこのおばちゃんたちは今度は何処へ行くのでしょうか。

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○年寄りのぐち

 私の従兄、つまり私の母親の姉の子どもに芳雄という名前の80歳がらみの人がいます。私はその人のことを子どもの頃から「芳兄ちゃん」と親しみをこめて呼んでいますが、先日「年寄りのぐち」という40ページ足らずの本を出したというのでいただきました。私と同じく学歴もない人ですが、双海町の商工会長をしたり、教育委員長をしたり、まちづくり30人委員会の会長をしたりして活躍をしてきました。最近は輸入住宅を手掛ける息子に社長業を譲り、後方支援に回っていますが、学びの意欲は旺盛でいつも頭が下がる思いがしています。独学で学んだのでしょうが、字の汚い私などはいつも羨ましくなるくらい墨字もきれいで、今回出した本の題字も自分で書いているのです。

 彼は昭和3年生まれの彼は若くして交通事故で父親を亡くしたため、5男5女の10人兄弟を母親と一緒になって育てながら、下灘で小さな製材業を営んできました。木材不況の中どうにか生き伸びてきたのは、チャレンジした焼杉材が殊の外売れて、傾きかけていた製材業を軌道に乗せれたからです。商売といい社会活動といい、その生き方に従兄ながら深い共感を覚えるのです。

 何年かに一冊ささやかな本を出しているようですが、私はこの本を出す勇気に惜しみない拍手を送るのです。

 「あとがき」にこんな言葉が書かれていました。

 人間は等しく年齢を重ねてゆく。若い頃には突っ走った自分も年齢と共に気分も変わった様な気がする。例えば暑中見舞いや賀状等にも人生観が変わったと思う節々が現れて来て人様の優しい一声が胸を熱くするこの頃である。

 平成十六年夏  避けられぬ老いなら今を楽しもう ひと工夫すれば一味違う道がある

 平成十七年夏  くすぶり続けて生きるより 燃やし続けて生きる道を歩きたい

 平成十八年春  手を伸ばせば届くところに 声をかければ聞こえるところに友がいる

            だから今年も楽しく生きられる

 平成十八年夏  聞くよりは見る方がいい 座って居るより行く方がいい

            行動しよう楽しみが増す

 平成十九年春  始まりと思うのも自分 もう終わりだと思うのも自分

            私はまだまだと思って頑張ります

 平成二十年夏  一笑一若 一怒一老とか言われます

            今夏は肩の力を少しぬいて さわやかに過ごします

 平成二十一年春 八十路を過ぎた人生 仕方なく生きるより

            毎日毎日を夢中で生きようと思います

 この後に八十余年の歳月の中、自らの体験や先人から受けた教訓を糧として一生懸命生きて居られる事に誇りを持っているし感謝している。


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 私にもいただいたであろう年賀状や暑中見舞いに書いていた言葉を、私は何気なく読んでいましたが、こうして書きつづった文章を見ると、改めて芳兄ちゃんの人生哲学の凄さに驚くのです。

 私も先日そのお返しに「夕日徒然草」という自著本を贈りました。私の文章などまとまっているように見えても、芳兄ちゃんの文章には勝てるはずもないのです。私も少し目線を変えて今後も努力しながら進化したいと思っています。


  「理論より 論理の道を 極め人 心にずしり 一言堪え」

  「俺などは まだまだ修業 足りないと 従兄生きざま 坂の上雲」

  「年寄りの ぐちといいつつ 愚痴でなし 尊い教え 俺にぴったり」

  「いただいた 一冊の本 一気読み 俺は今まで 何をしてたか」

 

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shin-1さんの日記

○梅の処理に翻弄されました

 今年は梅が不作だという話を聞きました。普通であれば気にも留めない梅不作の話も、人間牧場に梅林を持っているため少しだけ耳に残っていて、「ひょっとしてわが人間牧場も不作かな」と思ったものです。確かに木によっては全く梅の実がついていない木もありましたが、他の木は平年並みついていて、収穫してみると20キロ入りのキャリーに4箱ですからまずまずでした。ところが昨日人間牧場の草刈りを終えてとり残しの梅を収穫しようと思って梅林に入ったところ、金曜日に時間切れで帰ったため、一本だけ収穫していない木が見つかり、集めるとキャリー1箱もあって、不作どころか合計5箱で豊作だったのです。

 ワカメにしろ梅にしろ何でもそうですが、妻が近所の歯科医院へパートで働きに行っているため、自分で取ってきたものは自分で処理して欲しいとの頼みもあって、梅の処理に挑戦しました。縦のものも横にしないかつての私には考えもつかない大変身です。それでも妻は日曜日、塩や砂糖や容器を購入してきて、二人での共同作業となりました。

 まず私が梅を桶に入れて、ヘタを取ったりしながら水洗いをしました。ザルに上げて水気を切って少しの間干し、3キロづつ秤にかけてその都度20パーセントの塩を振って付け込んで行くのです。桶は2つ用意しました。ひとつの桶に21キロ入れましたので、今年の梅干しは42キロです。何でこんなにと思われるかも知れませんが、出来あがった梅干しは弁当に欠かせない漁師さんに、お魚をいただくお礼に差し上げるのです。いわば物々交換なのです。何日かしてほどよく梅が漬かったら土用のころの天気の続く日を見計らって土用干しをして本格的に漬け込むのです。

 梅干しは比較的単純な作業ですし塩も安いのですが、問題は梅酒です。まず容器を用意するため昨年付け込んだ梅酒のビンから梅酒を一升瓶に移す作業をしなければならないのです。予め用意していた一升瓶はとりあえず10本余り、それにワインの瓶や二合瓶などありとあらゆるビンに移し替えました。今年も甘酸っぱい梅酒が沢山取れました。8Lのビン一本で2升くらい取れるので一升瓶換算すると14本も取れました。妻はその一升瓶にガムテープを貼り「21年」とマジックで書いて記憶させました。


 さあ残りの梅を梅干しと同じように綺麗に洗って水気とヘタをとり、8Lビンに3キロづつ砂糖と一緒に入れ、梅酒を作るのです。梅3キロに砂糖を2キロ半にして、ビンの中へ入れるのですが、これが中々上手く入らず一苦労です。それでも今年も10本近くのビンに醸造しました。普通梅酒といえばホワイトリカーを使って作るのですが、酒を飲まなくなったこともあり、また人間牧場へ訪ねてくる人たちのためにホワイトリカーは使わずノンアルコールの梅ジュースなのです。

 夏になると妻がこの梅酒を水で割って冷蔵庫でシャーベット状にして食べたり飲んだりしますが、梅酒は胃腸にもよく愛飲しているのです。昨晩梅酒を絞った後の梅を食べたり、その梅でジャムを作ってみました。今朝はご飯だったので試食はしていませんが、パンにつけて食べてみたいと思っています。

 私の夢は梅酒のレッテルを作ってビンに貼り、人間牧場産梅酒として販売したり(買う人はいないかも)仲間たちにおすそ分けしたいと思っています。

 今年も梅の処理に翻弄され少し疲れました。でも残った梅は親類におすそ分けしてほどよい疲れでした。


  「百キロの 梅を見ながら ため息が 今年も牧場 梅は豊作」

  「梅干しも 梅酒も手間を かけるから 食卓飾る 脇役なりぬ」

  「梅に雨 梅雨だというのに 雨降らず 天を見上げて 恨めしなりぬ」

  「地下室に 一年寝かせた 梅酒出し ビンに詰め替え 味見しながら」

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shin-1さんの日記

○砂時計の不思議

 私の部屋にアンティク風な真鋳でできた砂時計が一個、プリンターの横に置かれています。正確に記録を記憶して記録するデジタルなプリンターと、アナログな砂時計とは似ても似つかぬ取り合わせですが、誰かに持ったであろうこの砂時計を、パソコンの打つ手を休めて時々いじくりながら時や刻について考えるのです。

 砂時計をひっくり返すと、青色の砂は上から下に向かって細い通路を通って、砂がなくなるまで留めなく流れ落ちるのです。凡人である私は「果たしてこの砂はどのようにして入れたのだろう」と、その不思議さを思うのですが、手元の腕時計で測ると1~2秒の差はあるものの5分計であることは間違いないようです。それにしても砂時計を見ながら、砂が落ち始めてから落ちてしまうまでの5分とはかなり長い時間であることに気づきます。時計は1秒、60秒、1分、1時間、24時間の単位でこれまた休むこともなく動いていますが、砂時計はリセットし変えないと5分という時は止まってしまうのです。

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 砂時計は人生のようなものであるととしみじみ思います。例えば私のように85年と自分の寿命を定めて生きていると、昭和19年10月3日に母親と父親の手によってひっくり変えされた私という砂時計は約4分の3を落とし、4分の1しか残っていない計算になるのです。21年後には上の砂は下に全て落ちてわしの砂時計人生は終わりを告げるのですが、さて砂時計は途中で何度でもひっくり返せることができるのですが、人生は何度でもやり直せることができて半永久的に長生きできるのかその相関関係を考えてみましたが、凡人な私にはその解明は難しいようです。落ち続けている砂は円錐形のジョウゴのように一点に向かって落ちてゆきます。動かさなければ下の砂は上下対称のように円錐形に溜まります。その姿もまた妙なのです。

 はてさて私の人生の砂時計の残り21年分の砂は一体どんな砂なのでしょうか。未来学者なら自分の未来を予測できるのでしょうが、全く見当がつかないのも人生の面白さかも知れません。でもいえることはこれまで留めもなく落としてきた砂の延長線上にあることだけは間違いないのです。

 今日という日も一日計の砂時計、今年という一年も一年計の砂時計、私の人生も若松進一計の砂時計、それぞれの砂時計をいかに確実にそれでいて綺麗に落とせるか、考えただけでもワクワクする砂時計を私は幾つも持っているのです。さあ今日の砂時計は一体どんな言い落ち方をするのでしょう、いや「するのでしょう」ではなく

「させるのか」かも知れません。

 今日は6月最初の一日です。今年も5カ月の砂が落ちました。今日から一ヵ月早めの後半が始まります。少しのんびり、少し馬力をかけて、今年も暑い夏を乗り切りたいと思っています。


  「部屋の隅 置かれたままの 砂時計 久方ぶりに ひっくり返す」

  「人生に どこか似ている 砂時計 アナログゆえに 何が起こるか」

  「落ちた砂 早くも七分 近くなり 残った砂の 少なさを知る」

  「何粒の 砂があるのか 知る由も ないまま今日も 砂は落ちつつ」 

 

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○風評被害は恐ろしい

 豚インフルエンザは震源地のメキシコで死者が沢山出たものの、病気自体は今のところ弱毒性のようで、少し安心した政府も市町村もガードを低くして、臨時休校措置などを次々に解除しています。というのも近畿圏に集中した発症によって、近畿圏への修学旅行の中止や延期が相次ぎ、加えて風評被害へと発展しているのです。ただでさえ不景気な国内事情に加え、旅行や出張をキャンセルされるともうお手上げで、観光業者の中には倒産まで出るという厳しさです。

 日本人は風評に弱い国民だと言われています。つまり誰かが言ったことが良かれ悪かれ次々と伝わりとんでもない根も葉もない話に発展するのです。それは多分風見鶏的な集団行動の性格が強く、自分の考えをしっかりと持たずに生きているからかで、風向きを見て都合のいい方についてしまうのです。人の目を気にする人は案外多く、私も随分それらのうわさ話に悩まされました。

 不快感の法則と感動の法則というのがあります。広島県瀬戸田町(今は尾道市)の和気元町長さんから聞いた話ですが、不快感というのは1人→10人→7人→3人と広がりを見せ、結局210人に広がって終息を見るのだそうです。例えばどこかの観光地の公衆トイレが汚なかったとします。それを感じた人は自分の身の回りの人10人に「○○のトイレは汚かった」というのです。その10人は自分の周りの人に「○○さんから聞いた話だが、○○のトイレは汚くて鼻もちにならない。行かない方がいい」と言い出すのです。そして極めつけは7人の人が周りの人3人に「あそこのトイレは日本一汚いので絶対行かないようにすべきだ」と言いふらされ風評被害はピークに達して終息を見るのですが、レクリェーションでよくやる電信ゲームとどこか似ているのです。1チーム10人ずつのチームを作り、少し短めの同じ文章を最初の人に耳元で伝え記憶させます。それをやはり次の人に伝えて行くのですが、最初の文章は人間の耳から聞き記憶させて次に伝えるのですが、何と不正確なことか、それを最後にみんなで発表して種明かしして大爆笑となるのですが、風評被害となるとこんな爆笑では済まされないのです。

 不快感の法則に対し感動の法則は中々伝わらないもので、1人→7人→5人→2人と広がりを見せるものの不快感の法則ほど広がらず、70人で終息します。例えば1人の人が双海町の夕日を見て感動すると、その人は周りの7人に感動したことを伝えます。するとその7人はそれぞれ周りの人5人に「夕日がとてもきれいだった。あなたも行ってみたら」と伝えるのです。さらにその人たちはそれぞれが2人に「双海の夕日は日本一」と持ち上げ終息するのです。結局その数は70人で不快感の法則の3分の1なのです。

 私は道の駅の整備から運営に長らく携わってきましたが、不快感の法則によって風評被害を被ったことも何度かありました。しかし風評被害をまき散らす人たちは裏を返せば風評効果を生む人であることを知ってからは、随分戦略が立ちやすくなって、風評効果で自称日本一の夕日を作り上げてきたのです。

 風評被害はいつの間にか消えますがそれを待つだけでは被害甚大で足腰が立たなくなります。一早く風評効果の情報を流して風評被害を食い止めることが肝心です。風評被害を出す人も風評効果を生む人も実は同じであることを肝に銘じるべきなのです。

 消費者100人を分類すると本物消費者5%(いくら高くても本物を買う)、学習消費者15%(学習して自分に得なものを買う)、普通消費者50%(流行に流されて買う)、無意識消費者25%(安いものばかりを買う)、風評被害をまき散らすのは普通消費者50%、つまり2人に1人いることを忘れないようにしたいものです。


  「不快感 伝わり易く 感動は 伝わりにくい ジレンマしきり」

  「インフルは 風評被害 深刻だ マスク業界 無口で笑う」

  「風評の 被害出す人 いるものの 風評効果 出す人同じ」

  「いつの世も 真実一つ コナン言う 何が本当か 心眼見抜く」  

 

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