shin-1さんの日記

○朝風呂で考える法則

 わが家にはお風呂が3つあります。といってもひとつは親父の隠居で親父専用です。もうひとつは人間牧場のロケーション風呂です。3つあると自慢めいた話をしていますが、日頃使っているお風呂は私たち夫婦専用なのです。ゆえに夜寝る前に入るお風呂はそんなに湯が汚れないため、私は朝目覚めてブログを一本書いてから昨晩の残り湯に入り髭を剃ったりしますが、一番のお目当ては風呂の中で体操をすることなのです。私は役場に在職中シーサイド公園の掃除を毎朝5時から8時まで、12年間にわたって掃除をしてきました。その頃は掃除から帰ると急いで入浴して体を洗い身支度をして出勤していたため、今でもその名残で朝風呂を楽しむ習慣がついたのです。そして朝風呂を楽しむもう一つの理由は、掃除で痛めた腰を温めると同時に、腰痛体操なるものをある人から教わったからなのです。

 湯船につかり体を前に向き腰を軸にして膝を左右にゆっくりと「いーち、にーい」と数えながら曲げるのです。いわば腰痛防止のストレッチみたいなもので、この運動のおかげかどうか分かりませんがこの2年、毎年のように一年に2~3回はなっていたぎっくり腰がすっかり影を潜めているのです。

 私の場合はぎっくり腰になれば、伊予市の松本整体院で2~3回揉んでもらうと治るような軽いものなのですが、それでも完治するまでに約一週間かかるし、農作業や清掃活動の度に腰の不安を抱えていると中々身に入らないのです。

 そこで始めた体操はそれこそ簡単な腰を曲げるだけのものなのですが、少し出かかっていた下腹も完全に引っ込み、原のくびれがしっかりとして効果はてきめんでした。風呂から上がって布団や畳の上で両足を思いきり開く運動のお陰でこの歳にしては180度近くも開くのですから、腰痛体操さまさまなのです。


 腰を曲げるのは毎回100回往復です。100回が目標なのですが、やる度に数を数えながらあることに気が付きました。「いーち」の始めは1/100なのに「にーい」では2/100、つまりたった1回だけ増えただけで1/100が2/100、つまり1/50になるのです。これは大きな違いで、25回すると1/4に、そこから8回増えただけで1/3に、更に17回増えれば50/100、すなわち1/2になるのです。こうして少しだけ努力を重ねると、少しだけ数を重ねる度に残りの数への展望が開けてくるのです。

 今朝もそのことを考えながら、努力と忍耐なんておこがましいことではありませんが、少しの頑張りが大きな効果を生むことのヒントを得たような気になるのです。私は一時が万時このように何事もネガティブには考えず、ポジィティブに考える方なのでいい結果が生まれるのかも知れません。

 しかし一方では、今日の新聞にも載っていた「メメント・モリ」という言葉の「死を想え」というラテン語に対しては、この計算で行くと「後がない」と焦りを感じ始めるので、むしろ人生はあるがままなすがままの方が気楽なのかも知れません。宇佐美まことさんが四季録に書いている「人がものを書くたったひとつの理由は過去を理解し、死すべき運命に対して覚悟を決めるためなのだ」(スティーヴ・キング)としたら、私は毎日ブログを死への覚悟ときめなければならないのかも・・・・・。うーん難しい。


  「朝風呂に 入って「いーち」 「にーい」「さーん」と 声をかけつつ たわけたことを」

  「死を想え 偉い人が いるものよ 俺など間際 なっても思わず」

  「腰痛に ならないために 朝風呂で 毎日体操 やってみるもの」

  「なるほどな 腰は体の 要なり 腰据え今日も 頑張りましょう」

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shin-1さんの日記

○今日は何曜日だ?

 今朝5時過ぎに親父がわが書斎の窓の外からやってきて、「今日は何曜日だ?」と聞くのです。夏至を過ぎたとはいえ、一年中で最も昼間の長い季節なので、太陽の動きとともにくらしている親父としては夜明けが早く、日没が遅い今頃は、夜の時間が長いので少々寝不足のようで、「夕べが余り眠れなかった」と寝不足を私に訴えるのです。親父の暮らしぶりを見ているとその分昼寝を楽しんでいるようなので大丈夫だと思うので、「寝不足で死んだ人はいないから大丈夫だよ」と声をかけ、今朝も二人で大笑いをしました。親父も私と同じサンデー毎日の日々を過ごしているのです。

 親父が曜日を気にする訳は毎週月、水、金曜日がこの地区のゴミを出す日だからです。今日は金曜日なのでゴミを出さなければなりません。ゴミは余り朝早く出すと生ゴミの日である今朝などは、何処からともなくカラスが2~3羽やってきて生ゴミを食い荒らすのです。ゴミ収集場近くの人にとっては自分の家から出したゴミならいざ知らず、人のゴミまでが散乱するのは気になるところらしく、ゴミ収集場所を変えるよう提案があるのですが、いざ変えるとなると中々難しいようです。わが家はこのゴミ収集場所まで一番遠い場所なので、ゴミが沢山ある時は手で運ぶことができず、もっぱら一輪車のリヤカーに頼っているのです。親父は散歩のついでにゴミを出しますが、生ゴミの殆ど出ない親父のゴミは少量なのに私たち夫婦のゴミはそれに比べるといつも多いのです。

 親父が曜日を気にするのはもう一つ理由があります。自分のボケを修正することなのです。91歳になってもまだある部分はボケるどころか、私より正確な部分が沢山あって、昔の記憶などはボケてはいないと思うのですが、今置いた道具類を何処へ置いたかが時々分からなくなり探す時間が長くなったことです。今朝も朝早くから庭樹である松の手入れをしていましたが、眼鏡を置き忘れたと探しているようでした。よく見ると自分の頭の上にまるで帽子のようにちょこんと乗せているではありませんか。「じいちゃん、メガネは頭の上にある」と教えると、「わしもボケたものだ」と大笑いです。私はその都度、「覚えていることを全部覚えていたら頭が爆発するから、忘れるから丁度いいのだ」と話してやると納得するのです。


 最近高齢者の免許証の更新が何かと話題になっています。確かに事故を減らすためには高齢者は免許証を返納するのが一番だとは思うのですが、公共交通機関の殆どない田舎で暮らす高齢者にとって免許証は命の次に大切なものだと思うのです。免許証の更新時にボケの検査があるらしく、そのひとつに「今日は何曜日ですか?」と聞かれるそうです。「今日は金曜日」と正確にいえばボケていないと判断され免許証が交付されるそうです。親父に比べれば頭の聡明な私などでもいきなり「今日は何曜日?」と問われたら、「はて?、今日は何曜日?」と即答できないかも知れません。サンデー毎日の暮らしが長くなった私にとって、曜日などあまり必要がなくなりつつあるのです。親父から「今日は何曜日だ?」と聞かれる度に、自分の加齢の重さをひしひしと感じるのです。ああ歳はとりたくありません。でも加齢は人間の宿命なのです。


  「何曜日? 聞かれる度に 何曜日? 俺もボケたか サンデー毎日」

  「ああそうか 今日はゴミ出し 金曜日 ゴミで連想 曜日感覚」

  「メガネ何処 頭の上に 置いてある 俺はボケたと 親父ションボリ」

  「もう限界 言いつつ親父 卒寿越ゆ ご立派ですよ 見習いたいね」

 追伸

 ここまで書いてはたと気が付きました。今日は金曜日ならぬ木曜日なのです。時すでに遅し、私が金曜日だと 教えた親父はゴミ出しに向かっていました。多分近所の人はゴミを持って歩く親父を見て、「あのおじいさんはボケた」と思ったに違いありません。ボケているのは親父ではなく親父の息子なのです。今朝届いた間違ったメールを見て、金曜日と勘違いしたのです。俺もボケました。ブログを読んだ皆さん今日は木曜日ですよ。

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shin-1さんの日記

○人材は欲しいが人罪は要らない

 私の町の人口も5千人を割っていよいよ過疎化に拍車がかかってきました。この実態を憂う人は沢山いますが、その殆どの人はまるで他人事のように嘆くばかりで、自分から何かを始めようという人は少ないのです。「人が減るから働く場を作るべきだ」、「市役所はもっと住民のことを考えるべきだ」、「過疎地は病院や買い物に行くのが不便だから過疎バスを走らせるべきだ」、「子どもはたくさん産むべきだ」などなど、何処へ行っても「べきだ論」だらけです。じゃああなたは何をするの」といえば「それを考えるのがお前の仕事だ。だってお前らはわしらの税金で生きてきたのだから当然じゃないか」と、相変わらず元役場職員への風当たりは相当きついのです。昔なら文句があっても言いたいことも言えず黙っていましたが、自由人になった今は誰にへつらうことなく生きれるので、平気で喧嘩をふっかけるのです。

 「あんたたちは人罪だ。何もしない癖に人の批判ばかりして、そんな人の足を引っ張るだけの存在だったらいない方がまし」と言ってやると、カンカンになって怒られます。「お前は横着だ」というのです。「私よりもあなたの方がわがままだ」と返せば火に油を注ぐ例えのように、瞬く間に横着者として村中に言いふらされ、根も葉もない噂話が横行するのです。

 でもそんな町にも良識のある人は何人かいて、人知れず自分でできる何かをしながらふるさとのために役立っているのです。先日散歩しながら空缶を拾っている人に出会いました。ビニール袋を持って何気ない姿で空缶を拾っているのいです。聞けばもう1年になると言います。拾ったものは不燃物回収の日に出すそうなのですが、健康のために散歩したついでに空缶を拾って何か充実したような気になると言って今朝も拾っていました。最初は何かみじめなきもちがしたそうですし、その姿を見て近所の何もしない人が「あいつはええ格好をしている」と揶揄されたそうですが、今ではそんな話もどこ吹く風で拾っています。

 先日国道を走っていて前の車が止まりました。「どうして?」と思いきやその車に乗った若者は車に積んでいた雑巾を取り出して、国道で車にはねられて死んだ猫をゴミ袋の中に入れて、車に乗せ走りだしました。余りの見事さに私は呆気に取られ、心の中で大きな拍手を送ってあげました。

 最近は自分の家の前で車にはねられた犬が死んでいると、市役所に電話をかけて処分するように苦情を言う人が多いそうです。またペットの散歩中のうんこもビニール袋や手スコップを持ち歩いているのは形だけで、人が見ていないと平気で立ち去る姿も多いと聞きます。

 日本の世の中も随分変わってきました。一方で前述のようなほのぼのとした人材がいると思えば、一方では社会を無視するどころか社会に悪害をもたらして生きる人罪もいるのです。どうやらその根源は家庭教育の欠落にあるようです。人様に助けてもらった恩を忘れない親は、その恩を社会や人にお返しをしようとします。しかしお金があることが最高の幸せと思う人は、お金を奪い合う競争社会に生きて、共生を忘れるのです。競争と共生では生き方の根本が全く違うのです。いい親からしかいい子どもは生まれない。これが家庭教育の原理原則であることをもう一度親は自覚すべきだと思うのです。その基本はやはり感謝する心だと思います。

 かくいう私も人様に自慢できるような偉い人間ではありませんが、それでもいささかの感謝する心を持ち得たのはやはり親の家庭教育だったように思うのです。人様に迷惑をかけないように生きろと口癖のように言っていた母の言葉が思い出される今日この頃です。


  「最後には 笑い人生 終えたいが 息子娘が 育つ肝心」

  「人材は 欲しいが一字 違ったら 人罪になる 今の世の中」 

「若いのに 車はねられ 死んだ猫 手厚く弔う 嬉し光景」

  「文句言い 何もやらない 人もいる せめて私は 役に立ちたい」

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shin-1さんの日記

○三年目が終わりました

 コープえひめの学識理事に就任して早くも3年が過ぎました。「よりよいくらしの想いをかたちに」というコープえひめの理念実現のために、どれほどのお手伝いが出来たのか振り返れば心もとない気もしますが、私にとって「石の上にも3年」とまでは行かなくても、実に多くのことを学ばせてもらった3年でした。この3年間に学んだことは数知れませんが、中でも①大川理事長と松本専務の生き方を通した社会を見る目、②よりよい生き方をしようとする女性理事たちの学ぶ意欲、それに③賀川豊彦という思想家を含めた生協運動の理念でした。その全てを学びとることはまだできていませんが、二期目の半分が過ぎ残任の一年を迎えるにあたって、この3つだけは整理をしておかなければならないと、総代会に参加してしみじみ思いました。

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(県民文化会館サブホールで行われた今年の総代会)

 コープえひめを支えるのは組合員であるということは言うまでもありません。しかし組合活動を運動理念に基ずいて誘導するのは理事長や専務なのです。私はかつて小さな双海町という自治体をまちづくりという手法で当時の町長とともに少なからず誘導しました。その時私は①町を愛する、②町をより良い方向に導く、③町のためにやるという姿勢で様々なことにチャレンジしました。コープえひめのような巨大組織から比べると私がやったことなどその比ではありませんが、それでも大川理事長や松本専務の生き方はかつての私とよく似ているような気がするのです。過去のデーターを分析し、社会の動きの中で今を生きる、しかも未来という遠い方向を見つめて生きる、そしてその生き方が組合員や役職員を含めた人たちをより良い方向に導いているのです。毎回事前に届く理事会資料の1ページ目裏に書かれたカルフールという理事長の書かれた文章は、まさに理事長の生き方や社会を見る目なのです。専務も度々資料の中に文章を載せ、会議の度に理事長と分担するような形で説明をしていますが、私からすれば若き二人のエースの姿は小さなプロジェクトXなのです。

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(大川理事長から感謝状を受け取る藤岡さん)

 昨日の総代会で藤岡理事さんが退任されました。家庭の都合で千葉に転勤するための退任だそうですが、毎月一回のペースで出会った藤岡さんのこの3年間の成長は目を見張るものがありました。それは藤岡さん自身が本来持っている資質の素晴らしさや学ぶ意欲であると同時に、理事集団の人を育てる気風が育てたともいえるのです。数ある理事の中で私は藤岡さんの姿をじっと見続けてきましたが、毎回の理事会で常に明るく、そしてみんなのためにお茶を汲んでくれた姿は、特に印象深く残っているのです。昨日は立食試食会の後の会場で、簡単な送別のセレモニーがありましたが、少しセンチメンタルな気分になりました。

 千葉の地でのご活躍を祈るとともに、今後も出会いを重ねたい女性の一人だと思いました。

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(真珠の間で開かれた試食会)

 さて生協運動については、まだまだ学ぶ点が多くあり門外漢の私なのでこれから残任の一年をかけてゆっくり学びたいと思っています。特に生協にかかわりその存在を始めて知った、時代を超えた思想家賀川豊彦の生き方を少し勉強していますが、まだまだ意思半ばで進んでいないのです。

 私は思想家ではないので賀川豊彦の間口の広い多方面の生き方や奥行きの深い考えを、全て学び取ることはできませんが、活動家を自認する私としては何としても学びたい歴史上の人物であるのです。

 昭和30年、ノーベル平和賞の候補にも推されたという賀川豊彦の生き方をもう少し頭の隅に置いて活動したいと思っています。昨日の総代会はそういう意味でもいい一日でした。


  「三年が 過ぎたところで 立ち止まる さて過去未来 生きた生きるか」

  「学ぶこと 沢山ありて 良かったと 次のステップ 踏みだしました」

  「フェロモンの 匂い立ち込め 判別が 出来ぬ女性の 姿追いつつ」

  「見られてる 緊張している 明らかに 俺など誰も 見ているもんか」

 

 

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○お四国参りいよいよ大詰め

 谷岡さんのブログに刺激され、お四国88か所参りの大詰めとなる松山8ヶ寺詣りを昨日やりました。昨日のブログに浄瑠璃寺のハスの花の話を書きましたが、八坂寺、西林寺、浄土寺、繁多寺、石手寺、太山寺、円明寺と僅か半日で八つものお寺を回れるのですから凄く密度の濃いいいお参りとなりました。

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(46番札所浄瑠璃寺)

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(47番札所八坂寺)

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(48番札所西林寺)

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(49番札所浄土寺)

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(50番札所繁多寺)

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(51番札所 石手寺
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(53番札所太山寺)

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(54番札所円明寺)

 妻と二人のお参りは、嫌がる妻をあちらこちらに立たせて、まるでモデル撮影会のようでした。妻も私も般若心経を覚えていいないため、むしろ心の祈りとでもいうのでしょうか、妻は家族のことや気になることをお祈りするように念入りに拝んでいました。私は仏様にお願いするような他力本願ではないので、無新に手を合わせるだけのお参りでした。それでも納経帳は全て終わっているので、掛け軸に書いてもらい後は川之江の三角寺と高野さんだけとなりました。


 10年をかけた夫婦二人のお四国参りもいよいよ佳境を迎えつつあります。思えば長い道のりでした。思いつくままに、順番など全く無視してのお参りですからご利益なんてあろうはずがありません。ましてや般若心経も最初はカンニングペーパーを持ってやっていましたが、途中からは無心の祈りに変えました。それもいいと自分に言い聞かせながらのお参りは、それでも多くの人と巡り合い、多くの教えを学び、お寺界隈や周辺のあれやこれやを五感で感じつつのノロノロ旅でしたが、あれから10年後の今、こうして元気に過ぎせていることそのものがあり難い仏のご加護のような気がするのです。さあいよいよ高野山が近づいてきました。


  「十年も 一体何を していると 大師お叱り 聞こえてきそう」

  「十年の 間にわが家 色々と それでも二人 こうして元気」

  「ひたすらに 感謝の気持ち 忘れずに これから先も 豊かに生きる」

  「八ヶ寺を 一日回る 荒技に 少々疲れ 道後湯に入る」


 

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shin-1さんの日記

○地域づくり人養成講座のお手伝い

 昨日は忙し一日でした。午前中に人に会い、午後からははえひめ地域政策研究センターの主催事業である地域づくり人養成講座と地域づくりアシスト事業の発表会が合同であったので、アシスト事業の審査を担当した前田さんとともに、アシスト事業発表会のコメンテーターを務めました。その後はオフライン交流会に望み、夜は地域づくり人養成講座の講師として来県した高知県馬路村農協東谷組合長を囲んで、年輪塾ネットの面々が飲み会をやりました。まあこんな風に一日中あっちこっちと顔を出し、家へ帰ったのは10時半ころでした。それでも、どの会場も予想以上の参加者が集まり、議論百出でとても盛会でした。

 えひめ地域づくり研究会議の代表をこの春退いて、地域づくりの現場から少し遠のいたのかと思いきや、昨日一日の出会いやふれあいを見る限り、完全に復調して地域づくりの輪の隅にいることが分かり、少しだけホッとしているのです。

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(大勢が参加して松山市民会館で開かれた合同会)

 今年の地域づくり人養成講座は大学生もいるなど、若い人が多く参加していました。世の中が停滞すると若者が世直しに立ちあがり、逆に落ち着くと歳を召した方が文化を開花させると言いますが、若者が活躍した明治維新と年齢の高い人が文化を花開かせた元禄文化はその最たるもののようです。

 100年に一度といわれる経済不況の中で、ひょっとしたら若者たちが止むにやまれぬ気持で立ちあがろうとしているのではないかと、アシスト事業の発表を聞きながら考えていました。

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 馬路村の東谷組合長の話がある間、県庁へ行って打ち合わせを終え農協会館リジェールでのオフライン交流会に合流し、閉会後居酒屋あかりという店で年輪塾ネットの皆さんと宮本常一に関するイベントの打ち合わせをしたりしながら議論を重ねましたが、旧友である東谷組合長も私と同じ観光カリスマ100選に選ばれているつわものだけあって、その後も精力的に活躍しているようでした。

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 夢を語る人が少なくなった最近の風潮ですが、やはり夢を持つとどこか生き生きとします。昨晩は誰もが酒の力を借りて何時になく大きな声で議論をしていました。酒の力を借りれない私は熱いお茶を3杯も飲みながらいつの間にか酔ったような錯覚にとらわれ議論に加わっていました。

 素面で話す私は、相手が酒に酔うほどに心の窓を開けて行くのが手に取るように観察できるのです。かつて大酒飲みだった?私もあんな風に頃の窓を開けたのかと思うと、少し恥ずかしく、少し可笑しい面持ちですが、今にして思えばいい思い出なのです。


  「飲むほどに 酔うほど心 窓開け 本根で語る 友をうらやむ」

  「酒飲めぬ 体になって 思うこと 飲める間が 花かも知れぬ」

  「握手して 再開祝し 握手して 再び別れ 吾は去り行く」

  「今飲んだ 酒は体の どのあたり 通って行くか 見えぬ分からぬ」

 


 

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shin-1さんの日記

○八ヶ寺詣り

 「おい、急な思いつきだが、これからお寺さんのお詣りに行かないか」と9時頃に妻を誘いました。6月21日は夏至の日、加えてわが家入口上安置されているお地蔵さまの月に一度の縁日、さらには父の日と沢山のことが重なった上、その日に予定していた地元で行われる健康診断に行く予定だったのに、食事を食べずに行くと前夜から決めていたにもかかわらず気の緩みでブルーベリー園に水をやる作業中に卑しい心が頭を持ち上げてついつい2~3粒食べてしまい、おじゃんになってしまったのです。

 妻と二人で行く予定の健康診断をキャンセルしたため時間が取れたのです。でも女性、特に主婦が家を出るとなると、お接待のために炊いた赤飯を近所や親類に配らなければならず、親父の夕食を作っておかなければならず、何かと時間がかかるのです。それでも妻は久しぶりの休日を外で過ごす気分転換への期待もあって、私の提案に乗ってくれ、私がお接待の赤飯を配る間に身支度をするという約束で準備に取り掛かりました。

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 妻の準備ができたのは10時前でした。親父には夕方帰宅が少し遅くなるかも知れないと告げて家を出ました。妻の友人からいただいたビワを車に積んで道沿いを少し外れてはいますが遠回りをして2軒に立ち寄ってご機嫌をうかがい、いよいよお四国参りです。なんで急にお寺参りをとお思いでしょうが、メル友の谷岡さんが自身のブログにお四国詣りのことを書いていて、私たちもお四国詣りを10年間もやっているのに完結しないことへの妻のいらだちを感じていたからでした。調べてみると納経帳は全て終わっているのにあとから始めた掛け軸はまだ松山市内の8ヶ寺と川之江のお寺、それに高野山が残っているのです。谷岡さんに刺激されたことをよいことにこの日は松山市内の8ヶ寺全てを回る予定を立てました。元より松山市内のお寺はカーナビの力を借りなくてもお寺の所在は全て知っているのです。こんな場合は一番端のお寺から始めるのが上策とばかりに九谷の浄瑠璃寺から始めることにしました。

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 お寺が近くなりにつれて、同じような目的を持った車が同じ方向を目指して走っているのに気が付き始めました。車の多数には紅葉マークがついていて、しかも県外ナンバーが多いのに驚きました。多分高速道路の割引が魅力で始めている人も多いのかもと話しながら、見ず知らずの白装束の人たちに「こんにちは」とあいさつを交わして行き交いました。

 浄瑠璃寺で思わぬ人に会いました。県庁のOBの方でしたが、聞けば退職して俳句に凝っていて今日はこのお寺のハスの花を見に来たと言いました。この人に合わなければうっかり見過ごす所だったようです。お寺の境内の裏にある池には今が盛りと咲くハスの花がまるで天国を絵にしたような姿で咲いていました。不浄の池に何故こんなに美し花が咲くのか、ハスの花を見るたびにまちづくりに通じる話としてハスの花のことを思うのです。

 いやあ見事でした。お陰さまで今回の8ヶ寺詣りは幸先のいいお詣りとなりました。


  「泥池に 何故にこんなに 美しき 蓮の華咲く 不思議なことよ」

  「蓮の花 愛でつつ俳句 作る人 にわか雨降り そそくさ帰る」

  「予期もせず 蓮の花咲く 姿見ゆ これも仏の 導きなのか」

  「あの花は もう散り消えて 次の花 人世も同じ 運命辿る」

 

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shin-1さんの日記

○昨日は昼が一番長い夏至でした

 私が役場に勤めていた現役時代に作った2005年版の夕日の時刻表を、私はカバンに忍ばせ殆ど毎日のように持ち歩いています。B4の紙を4つ折りにした8ページ仕立て縦長サイズですが、広げると4ページにわたって夕日の沈む時間が一年365日書かれています。

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 毎年そんなに変わることはないので、この時刻表さえあれば夕日の沈む時間が分かるのですが、夕日の日本一美しいといわれる双海町なのに誰に聞いても、勿論「今日は何時ころに夕日が沈むの?」と私に聞かれても堪えることができませんでしたが、松山地方気象台でいただいた資料をもとに作成した、この「夕日の時刻表」という私のアイディアによって一目瞭然分かるようになりました。当時は「日本で初めて夕日の時刻表を作った男」として新聞やテレビで紹介されたりして、有頂天になっていました。


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 夕陽の時刻表に載っている私が書いた記事に、夏至に関する「夕日は旅人」という夕日夕焼け一口メモが書かれています。

 双海町から見える夕日は、まるで旅人のように一年をかけてゆっくり旅をします。夕日のミュージアムを基点に沈む夕日を一年かけて観察すると、最も北寄りのコースを通るのは、夏至の6月21日で、山口県東和町(合併したので現在の周防大島町東和)方面へ沈みます。また最も西寄りのコースを通るのは、冬至のころの12月22日で、大分県大分市に沈みます。

 こうして太陽は朝日になったり夕日になったりしながら、休むことなく西から北へ、北から西へと一年をかけてゆっくりと、今までもこれからも、悠久の時を超えて旅をするのです。


 また「夕日の沈む時間」というメモには次のように書かれています。

 夕陽の時刻表によると、夕日は11月29日から12月11日にかけて最も早い17時00分に沈みますが、6月25日から7月4日にかけては最も遅く19時24分に沈みます。その差は2時間24分もあり、太陽の起きている時間と寝ている時間は人間世界と同じように季節によって違うのです。素敵な夕日に巡り合うためには、まず日没の時間を確かめることです。


 今にして思えばわれながらあっぱれな切り口で夕日のことを調べているようです。このメモが正しければ昨日の日没が19時23分ですから、私は冬至の2月22日より2時間24分も長い昼間を過ごした計算になるのです。昨日はテレビの興味ある番組を見て夜更かしをしてしまいましたので、余分に夜の時間が短くなったような気分でした。何気なく過ごしている一年365日ですが、太陽太陰暦の24節気の一つ夏至は、太陽が黄道上最も北にある夏至点を通過する時刻で、これを含む日が夏至の日です。太陽の視黄経が90度に達する時です。

 夏至前20日がしとしと雨の梅雨前期、夏至後20日が集中豪雨の梅雨後期で夏至頃は梅雨の中休みといわれますが、今年は梅雨前期に愛媛では殆ど雨が降りませんでした。夏至の昨日は少しですが夜ほんのお湿り程度の雨が降り体地を濡らしてくれました。

 さあいよいよ夏本番です。少しずつ短くなる昼の時間を日除けをして熱中症に気を付け、元気に夏を乗り切りたいと思っています。


  「昼長く 夜が短い 夏至の日を 意識しながら 楽しみました」

  「今日からは 昼がだんだん 短くて 夜の長さが 長くなりぬる」

  「夏至の日が 父の日ダブり 初物の スイカ贅沢 買いてかぶりつく」

  「大阪じゃ 夏至にタコ食う 風習が 稲の根タコ足 ように広がれ」

 

  

 

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shin-1さんの日記

○400字詰原稿用紙40枚をたった半日で書き上げました

 私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループのこれまでの活動状況について、「4000字程度で原稿を書いて下さい」とメールで依頼がありました。講演依頼と原稿依頼は余程のことがない限りお引き受けするようにしていて、依頼された時も締め切りは一ヶ月後となっていたので、「はいはい」と一も二もなく引きうけていたのです。ところがこのところの忙しさで、メールでの依頼だったためをすっかり原稿を書かなければならないことを忘れてしまい、メールの掃除をしていてその文章を見つけたのは締め切り一日前の一昨日でした。驚いたのなんのって、正直「しまった、締め切りに間に合わない」とパニックになりそうでした。

 とりあえず項目だけでも起こして順番に並べ替えながらつなぎを修正しようと、片っぱしから書き始めたのです。「思考は危機の産物である」という言葉がありますが、たまたま日程が空いていて少し余裕の時間があったのが幸いして、僅か半日で400字詰原稿用紙40枚を書いたのです。早書きのため拙文はまぬがれませんがとりあえず書き終え、もう一度依頼メールを読み返すと、様々な注意書きが添えられていて、文字は12ポイント程度とか写真を添付するようにだとか書かれていました。

 私はかつて6年前に台風の襲来で裏山が崩れ、その復旧作業をしていてチェンソーで足を切る大けがをしたことがあります。救急車で県立中央病院に運ばれ手術の後、約2週間の入院を余儀なくされました。家族の心配は大変なもののようでしたが、2~3日で痛みが引いてからは病院は何かと退屈で、足に大怪我をしているのに一日に一回の処置で後は何もすることがないのです。仕方がないので気心の知れた役場の職員にノートパソコンを運んでもらい、病院のベットの上で僅か2週間で「今やれる青春」という一冊の本を書きあげたのです。このことは看護師さんを通じて主治医に知られることとなり、「病院を何と心得る」と大目玉を喰らいました。ひょっとしたらブログを毎日二本書いている今の文章を書くスピードの方が、その時以上に進化しているので昨日の半日で40枚もあながち嘘ではないのです。

 今回の原稿はその時の本に書いたことがベースになっているため、早く書けたともいえます。昨日の夕方メールでその原稿を送りました。相手が土日で休みなのか、届いた旨の反応がないところを見るとまあ何とか間に合って明日月曜日には原稿到着のメールが届くことでしょう。


 私のように生まれつき字が下手だとコンプレックスを持ってい人は、下手ゆえに人目に触れる場所で字を書くことはわが身の恥をさらすようなものですからまず書きません。ところが時の上手い人は何かにつけて字の上手さを褒められそめているものですから、もっともっとと上手に書くことを訓練して、いつの間にか自信に満ちた字が書けるようになるのです。

 文章も同じで、文章を書くことにコンプレックスを持ったら、年賀はがきや暑中見舞いの一枚でもおっくうになるのです。私のように字も下手、文章を書くことを下手と自認しつつも、それもオンリーワンだと思って書き続けると、人様並に書けるようになるのです。私はこれからも文章を書き続けたい、それはもうこの歳ですから進化することよりも現状維持、あるいは緩やかな下降線であってもボケないための処方箋なのです。

 原稿を書き終え久しぶりに「仕事をした」って感じの充実感を味わいました。今はすっきりです。


  「半日で 四千文字を 書くという 俺の実力 まままあ自信」

  「物忘れ 近頃ひどく 認知症? 言葉悪いが 私も仲間」

  「平凡を 重ねて非凡 なりにけり 書くネタ無尽 記憶を記録」

  「追いかける ことより多い かけられる せめて追いかけ 気概を持って」


 

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shin-1さんの日記

○覚えたらもう忘れる

 パソコンの苦手な私はいつも息子たちの厄介になっています。何かあるとすぐに息子に電話をして聞いたり直接手ほどきを受けるのですが、昨日も別の場所に保存している写真をE判印画紙にプリントアウトすることができず早速電話です。この写真が加工できないと今日が締切の原稿を相手に送ることができないと急いでいるのに、「今晩帰るからその時にしよう」と軽くいなされてしまいました。親が息子に教えてもらわなければならにとは何とも情けない話です。

 息子は「電話のついでだが、昨日約束していた父の日のプレゼントは何がいいか考えたかい」と聞かれました。そういえば前日にそんな電話があったことを思い出しました。「適当な物が浮かばないからいい」と断りましたが、息子嫁のたっての希望もあって靴を買うことにしました。「じゃあ10時にエミフルで待ち合わせをしよう」と約束ができ、原稿のことが気になりながらもノコノコ出かけて行きました。

 昨日は梅雨になっても雨が降らず、多分30度近くまでは温度が上がっているのではないかと思われる今年一番の蒸し暑い日でした。

 
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(息子夫婦の父の日のプレゼント)

覚えたと思「そんなに気を使わなくてもいい」といいつつ、強い誘いに乗って開店間近な10時にエミフルで待ち合   

 郊外の田んぼの中に中四国でも一・二を争うようなショッピングモールができてから1年余りが過ぎました。夏の売り出し商戦はもう始まっているように、店内はバーゲンセールも始まって中々賑やかでしたが、私のような年代になるとこうした騒々しい場所はどうも苦手で、用さえ済めば逃げ出したいような心境でしたが、二人の孫を連れた息子夫婦と私はカートや乳母車に孫を乗せ、お目当ての店内を見て回りました。「もう靴に凝ったり着る物に凝ったりする年代でもないので」と、いちいち歳のせいにする自分を「そんなことはない」と打ち消してくれる息子嫁の助言を得て、靴屋でお洒落ないい靴を一足見つけてくれました。着るものも履くものも全て妻任せの私にしては、仕事で同行できなかった妻を外した珍しい買い物です。

 人に会う約束と午後から二つの会合に顔を出さなければならないので、食事もせず孫と一緒に本屋の喫茶店でお茶を飲んだだけで別れました。

若松進一ブログ
(お店の前の縫いぐるみの前で記念撮影)

 愛媛大学で地域実践交流集会の実行委員会を終え、家へ帰ったのは午後7時を回っていました。長男息子家族がやってきていて、早速パソコンの操作伝授です。こうしてどれほどのことを息子に教わったか分かりませんが、一つのことを覚えたと思ったら前のことを忘れたり、それを使って応用へとは中々結びつかないのですが、息子もそれを承知でメモをしてくれたり、慣れるまで私に実習をさせたりしてくれるのです。お陰さまで今日もまた一進一退ながら進歩したようです。孫を風呂に入れてやり、孫を抱き、賑やかな夕食をして息子たちは午後9時ころ帰って行きました。まあ一日早い父の日は息子夫婦からのプレゼントとパソコン伝授はしてもらいましたが、どっちがどっちなのか迷うような食事会で幕を閉じました。私たち夫婦も親父に座椅子をプレゼントし、和歌山に住む弟からは毎年のことながら親父にお酒の宅配便が届き、今年も健康で平和な父の日を迎えることができました。皆さんありがとう。

  「お洒落など 似合わぬ俺に 息子嫁 見立てた靴を 似合うと褒める」

  「今年また 父の日迎え プレゼント ゴマすりだとは 思いたくない」

  「覚えたと 思った矢先 前忘れ 一進一退 情けないやら」

  「今の世は 親父息子に 教えられ 逆じゃないのと 時々思う」 

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