shin-1さんの日記

○今年度3回目の山口県への旅

 最近は山口県に何かとご縁があって、今年度に入って3回も山口県入りとなりました。三津浜から防予汽船に乗って山口県入りするのですが、対岸の目見えるような場所なのに島々の間を縫うように走るフェリーには、往復5時間も船に乗らなければならないのです。でも逆にのんびりとした船旅ゆえに座敷席に陣取ってゆっくりと昼寝をむさぼったり、本を読んだりすることができて、私にとっては決して嫌いな航路ではないのです。

 普通山口県へ行くのには柳井港から山陽本線で新山口を目指すのですが、今日の会場は山口県でも最も東にあり、広島県との県境に位置する所なので、柳井港から上りの各駅停車に乗りました。かつては三津浜から岩国まで高速船が走っていて、私も度々利用しましたが、今はその高速船も赤字で廃止となり、三津浜と柳井港間がしか交通ルートはないのです。車窓に広がる瀬戸内の海はべた凪で穏やかな瀬戸内の海が車窓から見えました。沿線はただ今田植えの真っ最中でしたが、岩国の郊外に入ると一面レンコン畑が広がって、レンコンが岩国の特産品であることを誇示しているように見えました。

 岩国駅には担当者が既に迎えに来ていて、車で会場入りして昼食をいただきましたが、岩国寿司もレンコンも美味しく頂きました。聞けば生涯学習係長の野村さんは若いころ、国立大図青年の家で20数年前に開かれた青年指導者養成講座で、私の話を聞かれたそうで、今は山口県の和太鼓連盟の会長さんをされていて縁の不思議を感じました。

若松進一ブログ
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 束の間の時間を割いて会場から1キロ足らずの錦帯橋の見学に連れて行ってもらいました。k錦帯橋のすぐ近くにある石人形という珍しいものを展示している場所に初めて案内してもらいました。鏡川の石に付着したカゲロウの一種、つまり川のみの虫と同じようなものなのだそうですが、これがまた1センチほどなのに見方によっては様々な人間の形に見えるから不思議です。大名行列などにアレンジしていましたが、実に見事な作品でした。4月には錦帯橋の橋の上から桜を眺めましたが、今日は燃えるような新緑と錦川の清流が錦帯橋に映えてまぶしいくらい光り輝いて見えました。

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 何年か前、岩国市と平成の大合併で合併した美川町を何度か仕事で訪ねたことがあります。合併後の自治について考えるものでしたが、今日は私が岩国にやってくることを察知した、旧美川町の前町長さんと旧友の岡元課長さんがお揃いで、私の講演を聞きに来てくれました。2年間も通った町なのでお二人の顔を見た瞬間懐かしさで涙が出そうになりました。岡さんは腰の具合が良くないと風の噂に聞いていましたが、お二人ともお元気そうで何よりでした。

 今日はいわくに市民活動センターが主催する登録団体交流会と公開講座でしたが、会場には各団体の方々が沢山集まっていました。午後1時30分から1時間30分お時間をいただいてそれなりの熱のこもった話をさせてもらいました。

 先を急ぐため講演が終わると野村係長さんに岩国駅へ送ってもらい、スムーズなダイヤ連絡で周防大島大橋の下をフェリーで再びくぐり、三津浜を経て家に到着したのは午後8時ころでした。

 清水さんとメールをやり取りしながら横目に見える周防大島や民族学者宮本常一に思いを馳せたのんびり長閑な旅でしたが、出会いや再開もあって今日はいい一日でした。


  「懐かしき 人に出会って 過ぎ去りし 日々を思いつ 少し感傷」

  「錦帯の 橋の向こうに 見える山 緑燃え立ち 遠望借景」

  「レンコンが 特産品と 聞いていた 車窓広がる ハス見納得」

  「いつ見ても 匠の技の 凄かりし 錦帯橋の 見える場所立ち」

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shin-1さんの日記

○一枚の写真

 年輪塾ネットに参加している西条加茂蕎麦倶楽部の高橋啓さんが、時々近況報告として送信してくれるメールを読みながら、楽しい生き方をしている人だとしみじみ思うのです。高橋さんとは何かの集会のついでにまだ一度しか出会ったことがないのですが、その折肩掛け流しの布製袋をいただいていて、とにかく遠く離れていても気になる人なのです。棚田を開墾して仲間と蕎麦を作り、その蕎麦を打ちながら豊かな自然の中で自然に暮らす姿は、私の理想とする生き方だけに、一度は蕎麦畑や高橋さんの暮らしぶりを見てみたいと思っているのです。

 高橋さんが自然派だと思うのは、年輪塾ネットで流すメールにいつも身の回りの自然を写した写真が何枚かさりげなく添付されています。その写真は原風景であったり草花であったり、加茂蕎麦倶楽部の活動写真であったりするのですが、その写真を見る度にどこか昔の郷愁を覚えるのです。

 写真は自分が被写体を撮ろうと思わなければ成立しないのです。つまり暮らしの中で「ああ草花が咲いている。美しい」とか、「ああ今日は石鎚山が見える。綺麗だ」、「そうだ、写真を撮ろう」と花や風景に心を動かすからなせることなのです。

 先日年輪塾ネットに流された高橋さんの記事に添付されている写真の中に一枚珍しい写真を見つけました。ご存じ旧丹原町に住むちろりん農園主の西川さんが写っていたのです。私はパソコンの操作が苦手で、メールに添付して送られてくる写真を取り出して利用する方法は息子や清水さんに教えてもらっているものの、覚えることができず、いつも失敗ばかりして結局取り出せないことが多いのですが、この写真はどういう訳か一発でブログ転載ができたのですから驚きです。

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 ちろりん農園の西川さんとも最初何処で会ったか定かではないのですが、その後私の主宰するフロンティア塾に参加してくれたり、私を「ししょ~う」と呼んでくれたり、はたまた彼の出版した本と私の自著本に寄稿しあったり、とにかくつかず離れずのいい関係を保っているのです。

 この写真には西川さんが自宅の横に設置しているゲストハウスでくつろぐ、西川さんの姿が写っていますが、その後ろに「第二縁開所」と書かれた看板が見えます。これはゲストハウスができた時に私と家内が案内されて訪問した時持参した看板なのです。看板の板も書家である叔父に頼んで書いてもらった文字も全て私のプレゼントなのです。私の家の横にある「私設公民館煙会所」が第一ならば、さしずめこのゲストハウスは第二だと思ったし、西川さんには「煙会所」より「縁開所」が似合うと思い命名したのです。

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(煙会所の看板もすっかり風格ができました)

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(色々と変遷がありましたが、煙会所は今も健在です)

 西川さんとはもう随分出会っていませんが、私の紹介でい愛媛新聞社のシニアサイト「自悠くらぶ」に一ヵ月に二回「ちろりんだより」という記事を書いてもらっているし、手書きのちろりん便りを時々送ってもらっているので、出会わなくても近況は手にとるように分かるのです。

 写真を見る限り若かった彼もいい歳になったようですが、高橋さんと同じく彼の生き方も自分らしくて、見習いたい所が沢山あるのです。


  「添付した 写真の中に 懐かしき 看板発見 あの日あの頃」

  「あと戻り できない歳に なったなあ 過ぎ越し日々を 懐かし思う」

  「影響を 受ける人あり 幸せと 見習いたいが 自分にゃできぬ」

  「わが家の ゲストハウスも 健在で 訪ね来る人 未だに多く」

 

 

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