shin-1さんの日記

○自由奔放に生きているあなたが羨ましいと言われました

 「あんたが羨ましい」とよく仲間内から言われます。その理由はリアイアしてからもやることがあることと、目標を持って自分の願望を叶えているかららしいのです。確かに私は4年前の市町合併を機に、どこにも属さない自由人を選びながら、大学へ教えに行ったり講演に行ったり、はたまたボランティア活動を行ったりと、年中忙しく振舞っているのです。ある部分はボランティア活動ながらある部分では何がしかのお礼をいただき、首を吊ることもなく年金生活を謳歌しているのですから、これ以上の幸せはないのです。

 私の友人に木村さんがいます。先日も西予市宇和町明間でお会いしましたが、彼は自営の自動車整備工場の経営が不況のあおりで思わしくなく、仕事が終われば夜の12時近くまでタクシーに乗って家計や小遣いのカバーしているというのです。私はこの話を聞いて世の中の不況の深刻さに少し衝撃を受けました。自動車整備工場経営とタクシー運転とは妙な取り合わせですが、活きるためには背に腹変えれないと笑って話していました。そういえば私の町の土木会社に勤める若い人も、仕事が終わるとガソリンスタンドでアルバイトをしていると聞きました。子育てや家のローンをやりくりするためにはがむしゃらに働かなければならないのだといいます。会社が厚生年金も払ってくれない零細な会社では将来の不安が何時も付きまとっているのです。

 そこへ行くと公務員はいいと、不況になるといの一番に公務員への風当たりが強くなってきます。確かに親方日の丸で、ノルマのない仕事はまるでぬるま湯のように見えるのでしょう。私も公務員生活を35年間も経験していますから、ぬるま湯といわれる部分は確かにあると思っていますが、公務員は公務員なりに苦しいことがあることも代弁してあげなければなりません。

 しかし私たちが働いていた役場のような穏やかな時代はもう終わりました。これからの公務員はどうあらねばならないのか、しっかりと肝を据えてかからなければ市民の付託にはこたえられないのです。

 仲間から羨望のまなざしを持って見られるのは、自分が描いた生活設計に基づいて夢を勝ち得ていることだそうです。私は50歳代で人間牧場構想なるものを多くの仲間に話していました。ある仲間は「そんなことして何になる」とか、「そんなこと考えても出来る訳がない」と冷ややかでした。第一安月給の地方公務員にそれだけの資金が確保できるかどうか、誰が考えても無理な話なのです。でも私は10年間綿密な計画に基づいてその実現のために動きました。そして資金を確保して人間牧場を実現したのです。血のにじむようななんて苦労はしませんでしたが、それでも強い意志力だけは持ち続けてきました。

 もし私が人間牧場構想を実現していなかったら、「若松進一は大風呂敷の嘘つき」になっていたでしょうが、少なくても私の仲間は「若松進一も中々やるわい」と思ってくれたに違いないのです。

 もし私が人間牧場構想を実現していなかったら、私の21年刻みの人生の4クルー目は味気ないものになっていたに違いないのです。

 もし私が人間牧場構想を実現していなかったら、仕事仕事と仕事に追いまくられ、壊れかけていた家族の絆をここまで修復することはできなかっただろうと思うのです。

 もし私が人間牧場構想を実現していなかったら、私の理想とする社会への貢献やふるさとへのお返しはこうも充実していなかったと思います。

 もし私が人間牧場構想を実現していなかったら、私の情報発信能力はここまで高めることができたかどうか、心もとないのです。

 私はこれからも常に目標を掲げて進化して行きたいと思っていますが、最近気力と体力のバランスが崩れそうになることがあります。昨日も孫に風邪を移され、熱が38度まで上がり、豚インフルエンザの猛威のニュースもあってつい弱気になったりします。まあもう若くはないのですから、せめて体力だけは鍛えねばと思うこのごろです。


  「不景気で 昼の仕事に アルバイト 加えて生きる 仲間は凄い」

  「羨まし 私の仲間 みんな言う 仕事があって 楽しく生きれ」

  「公務員 しっかりせねば 目の敵 市民の付託 しっかり応え」

  「熱が出て 少し弱気の 俺を見て 妻は優しく 体温計る」

  

 

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shin-1さんの日記

○兼業農家の長男は本当に幸せなのか?

 先日熊本大学教授徳野貞雄先生の本に書かれていることが話題になりました。「兼業農家の長男は幸せ」というのです。先祖から受け継いだ家と財産があって、お米や野菜など食べるものにも事欠かない姿は確かに幸せそうに見えるのです。しかし現実はそうでもなく、日曜百姓という重労働が重くのしかかり、不自由な暮らしを強いられているようです。

 市役所に勤めるKさんは農家の長男として生まれました。昔のことゆえ均分相続とはいいながらお父さんがなくなったとき、農地のほとんどを兄弟が相続放棄して長男に譲ったのです。以来Kさんはミカン畑と田んぼの世話がついて回り、週休二日となった最近では年老いたお母さんと奥さんのやっている農業を手伝う形で、殆ど休みのない暮らしをしているのです。

 4月下旬から5月初旬までは田起こし、草刈り、水引き、田植えなど年休をためてこの時期に集中してお休みをいただきながら、先日無事一連の田植えを終えたようです。私と出会ったのは月曜日でした。どこか疲れているような気の抜けた感じがしましたが、聞けば田植えの重労働で体の節々が痛くて、「今日は仕事にならない」とこぼしていました。

 田植えの終わった日本の農村はカエルの鳴き声が聞こえて長閑に見えますが、こうした目に見えない部分の苦労を隠して保たれているのです。Kさんがいうのには、3反の田んぼを守るのに田植機や稲刈り機などの機械を購入したり、圃場整備でこの20年間相当のお金をつぎ込んできたそうです。お米が60キロ1万2千円として24俵、28万8千円の素収入から苗代、農薬代、肥料代、機械代などを差し引けば完全に赤字だそうです。相続放棄してくれた兄弟姉妹にお米も送らなければならないし、「まあ自分が作ったお米が食べれるくらいなものでしょう」と力なく笑っていました。

 農家の朝は早いです。今は5時過ぎに明るくなるので、お母さんは6時になると畑へ出るそうです。Kさん夫婦は勤めていることや子どもの世話もあって6時半が起床だそうで、Kさん夫婦とお母さんの時間差が嫁と姑の人間関係にも響いて、中に入った長男の舵の取り方も大変な気配りを強いられているとこぼしていました。

 田んぼは自分が嫌だったら止めればいいという単純なものではありません。集落内の隣近所が群れなければ成立しないのです。いいかえれば止めたくても止めれないのです。年老いた人が増えて耕作放棄地が目立つようになってきましたが、水の管理や害虫駆除、役割分担など、遺された人への荷重は年々増えているのです。

 土日に農作業をして月曜日には出勤するも骨休めといった人を田舎が故に沢山見てきました。その都度色々な厳しい言葉を浴びせられて農家の長男は肩身の狭い思いをしているのですが、Kさんの話を聞いてすっかり同情してしまいました。

 私の家は半農半漁といいながら漁家だったためそんなに重労働を伴うほどではありませんでしたが、それでも最盛期にはみかんをかなり作っていて、同じような心労があったことを記憶しているのです。

 「兼業農家の長男は幸せ」という言葉は、こと双海町のような田舎には当てはまらず、むしろ「兼業農家の長男は不幸」と言わざるを得ないのです。


  「兼業の 農家跡取り 幸せと 先生言うが そんなことない」

  「財産を 貰ったものの 不自由な 暮らし毎日 ついて回って」

  「日本の 農業暗い 一面を 持って守られ 故に悲しき」

  「カエル鳴き 長閑農村 見えるけど 溜まった水は 汗と涙か」 

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