shin-1さんの日記

○農地の借り手が見つかるかも知れません

 わが家には家の傍の家庭菜園と人間牧場以外にもう一ヶ所農地がありますが、母親が亡くなる前から手入れが行き届かなくて荒れたままになっていて、心を痛めていました。景観は人間牧場と同じく港が見えるなどすこぶる良く、人間牧場構想の候補地に挙げたほどなのです。4年前リタイアした折農地として利用しようと全ての草や木を取り除いたものの、その後忙しくて放置したため放任園となっていました。

 昨日今治へ講演に行く途中、ミツバチの師匠である野村の井上登さんからミツバチ分封の嬉しい知らせが携帯であって、何としても昨日中に確認したいと思い始めました。その時ピンときて顔を思い出したのは砥部町で自動車修理工場を営む稲葉さんでした。彼は少しばかりの農業を営む夢を持っていて、再三農地を探す相談を受けていました。これまでにも候補地を買いたいので見てほしいと同行したりしましたが、売り主と折り合いがつかず頓挫していました。先日宇和町明間の佐藤さんたちと交流した際に久しぶりに出会いましたが、まだ農地が見つかっていないようだったのです。「そうだ私の農園を使ってもらったら」と思い立ち稲葉さんに出先から電話を入れました。「午後6時に家に帰る予定。ミツバチの分封を見に行く予定。ついでにわが農地を見たらどうか」と誘ったのです

若松進一ブログ

(農地から見える下灘豊田漁港の眺望は人間牧場と同じ位置に見えます)

 私が自宅へ着いたのは午後6時に10分前でした。稲葉さんはあいなしにわが家へ見えられ稲葉さんの運転する車に乗って目的地へ出かけました。急がないと日が暮れると思いつつ現場に到着し鎌を片手に農地を見て回りました。

若松進一ブログ
(草に覆われた農地)

 草茂る中へ分け入りましたが、思ったほど密林にはなっていなくて、草を刈れば直ぐにでも農地に復元できるような雰囲気に稲葉さんは興奮気味で、早くも「ここへこんなものを植えたい」などと抱負を言いながらすっかり気に入った様子でした。他人の農地との境目を確認するように歩き現地説明を終えましたが、「農地は売らないので無償・無期限・無条件」という約束で検討するよう話をまとめました。稲葉さんは早速にでも取り掛かりたいと意気込んでいたようですが、妻から「お父さん、稲葉さんに押し付けたら人間関係が壊れるから駄目よ」と釘を刺されていたので、一晩二晩冷静になって考えてみるようお話をしました。


 稲葉さんは人間牧場の水平線の家が新築したとき、水平線の家の清掃作業に携わってくれた人です。また水平線の家の囲炉裏に敷く木灰をわざわざ砥部焼の窯元から譲り受けて運んでくれた恩人なのです。ひょんなことから知り合いとなり、お互いの息子の結婚式に出席したり、私の車の修理を頼むなど私的な人間関係が続いていますが、親父とも懇意にしてもらっているのです。

 稲葉さんと夕闇せまる人間牧場へ上がりました。井上さんから一報を受けたミツバチの分封を確認するためです。ミツバチは夕暮れ時とあって入口にたむろして羽を休めていました。第三の巣箱であるツリーハウス傍の巣箱にも沢山のミツバチが確認されました。第二の巣箱は井上さんの言うように勢力が弱く今後の成り行きが心配されていますが、第三の巣箱は楽しみが増えました。農地の耕作といい、ミツバチの分封といい人間牧場周辺は面白い話題がどんどん増えて、また新しい動きが始まりそうです。

若松進一ブログ
(分封が確認されミツバチが羽を休める第三の巣箱)

  「荒れ農地 借主できる かも知れぬ 無償・無期限 無条件」

  「分封の 知らせ嬉しく 牧場へ ミツバチ羽を 休めて眠る」

  「またひとつ 楽しみ増える 初夏のころ 人も仕事も 愛に集まる」

  「面白い こともある世を ことさらに もっと楽しく 心次第で」

 


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○「講演料はいかほど」とよく聞かれます

 私の所へ講演の依頼がある人の中には、講演の打ち合わせが終わってから言いにくそうに、「所で若松さん」と話しが続くのです。「実はお金がないので誠に申し訳ありませんが~」と講演料を口に出すのです。その度に私は「そちらの都合もおありでしょうからいいですよ」と提示した意見に耳を傾けるのです。だって講演の内容を詰めてから「そんない安いのだったら駄目です」なんて言ったら、それこそ破談になって両方が気まずい思いをするからです。私は社会教育や福祉、それに地域づくりに関する団体やグループの台所事情をよく知っているので、こちらの主張などできないのです。「私の話でも聞いてやろうという人たちがいる」と思うと、銭金でなくボランティアの心が頭を持ち上げるのです。「お米一俵で講演してほしい」という現物支給や、旅費の足しにもならないような場所へでも喜んで馳せ参じる心は、リタイアしてからこの4年間、しっかりと心に生きづいているのです。

 よく聞かれる質問に、「講演料はいかほどでしょうか」と聞かれます。講演をする人たちの世界ではコンサルが介入して講師と講演を聞く側の間に入って講演料や講演条件などを全てマネジメントする場合が増えてきました。そんな場合はこちらの条件を求められるのでビジネスとして対応し、驚くことに時には見積書の提示まで求められるのです。

 私の友人たちで名前の売れている人の中には、一回の講演を50万とか10万とか決めている人がいます。教育や福祉、地域づくりの現場でそんな大金額を提示されるともうお手上げで、むしろその金額を提示した人に対して「あいつは金儲けでやっている」という悪評がはびこるのを何度も見たり聞いたりしてきました。確かに日本という国は講演などという形のないものに対して価値を測ることが下手で、お互い暗黙になり過ぎてトラブルの原因になることがしばしばです。私のような専門家でもない雑学な人間の話など値の付けようがないのです。私の話はむしろ講演をする私自身が「聞いてもらう」という、へりくだった感謝の気持ちで対応しているのです。

 さて私の話の値打ちはいかほどか、自分自身としてはこれまで社会教育や地域づくりの現場で得た論理を様々な場所で話し、それ相応の訓練をしてきたので、90分や2時間といった与えられた時間を飽きさせないようにする話芸は持っているつもりですが、それは話す私の値打ち感で、本当は聞いた人が値打ち感を感じなければ何の意味も値打もないのです。先日のように100人の学生たちに40歳も歳の離れた私が講演をした時などは、果たして私の話を受け入れてくれたかどうか、車を運転しながら帰り際に反省したり、多少不安になったりします。でも帰るなり感動のメールが幾つも届いたり、後日ハガキや来訪が相次ぐと、それこそ冥利に尽きて、世代を超えた付き合いへと交流の輪が広がるのです。

 青年団活動から身を起こし、社会教育やまちづくりの世界で腕をならぬ舌や話芸を磨いてきた私ですが、これからもしっかりと訓練して人々や地域の活性化にいささかなりとお役に立てるよう精進したいと思っています。


  「重さなく 長さ測れぬ 話芸にて なんぼと聞かれ そちら次第と」

  「俺値打ち 人様決める ものだから 良いと思えば それで良しとす」

  「金がない お米一俵 どうですか 言われ嬉しい 現物支給」

  「秘書もなく 自分で決める スケジュール 故に楽しい 講演旅行」 

 

 

 

 

[ この記事をシェアする ]