shin-1さんの日記

○世界遺産を巡る旅から帰ってきました

 昨日と今日の二日間私たち13人の一行は世界遺産を巡る旅に出て、中国地方をマイクロバスで何と二日間に800キロも走ったのです。今夜は帰りが遅かったし長旅の疲れもあるので、加えてメールの受信数がやたらと多く、その処理が思いのほか時間がかかりそうなので、書き込みはこの程度にしてまた明日報告したいと思います。

 こう書いて昨日は旅の疲れか昨夜は久しぶりにぐっすり寝込んでしまいました。しかし世界遺産を訪ねる旅をルポしておかなければならないので、今朝から鈍くなった記憶を蘇らせて少しだけルポしておきたいと思います。

 世界遺産最初の旅は安芸の宮島でした。大野インターで下車し、交通標識に沿って走ると小雨煙る瀬戸内海が見えてきました。対岸の宮島は私にとって子どもの頃から見慣れた光景です。というのも私の生まれ育った下灘は漁村なので、新造船が進水しると必ずその年の夏には海の守り神である宮島さんか金毘羅さんへお参りに行く風習がありました。子ども心にこのお宮参りは、滅多に県外へなど出ない昔ゆえ憧れの出来事だったのです。大漁旗をなびかせて勇ましく走る新造船に乗せてもらってのお宮参りは憧れでした。親族郎党が打ち揃って神殿で神主さんに大漁や海の安全祈願をしてもらったりすることもさることながら、土産物屋さんに立ち寄って小銭を握りしめて買い物をしたり、船の中で子ども同士ではしゃいで過ごすひと時は至福でした。

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 桟橋付近の駐車場にマイクロバスを止め、そこからフェリーで宮島に渡るのです。わずか10分程度の船旅ですが、神の島であり世界遺産の島でもある宮島へ渡る間にどこか清新な心構えのようなものができるから不思議です。やがて進行方向に向かって右側に海の中に立つ宮島の象徴である朱色の大鳥居が見えてきました。干潮だと鳥居のすぐ傍まで行けますが、この日はあいにくの雨、しかも中潮なので近づくことができませんでした。

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 私たちの一行はまず昼時だったので昼食を済ませてからお参りしようという話になって、大勢の観光客でごった返しているため、できるだけ空いているお店へ入りましたが、これがまた富んだハプニングで、注文した名物のアナゴ丼が人数分揃わなく、やむなく5人はカキ丼に注文を変更しなければならないというお粗末さです。テポドン発射の話題もあってテレビをつけてほしいといえば写らなし、ティシュが欲しいといえばないというし、その後のバスの中での大笑いのネタになるほどの珍事でした。

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 神の島宮島はこの日あいにくの雨ながら、満開の桜に彩られたそれは美しい場所でした。特に朱色の神殿は周りの風景とマッチしてまるで夢の世界であり、平家物語の時代絵巻を見ているようでした。丘の上に立つ朱塗りの五重の塔も見事で、神仏混合の見事な配置です。
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 満潮時には海の上に浮かぶように建てられた神殿は長い長い廊下で結ばれていて、歩を進める度に替わる鳥居の姿が遠望できて、これまた素晴らしいの一言に尽きるのです。最近は国際色豊かになって、観光客の中には外国人の数も多く、「オーワンダフル、モアビウティフル」などを連発する言葉が何度も耳に聞こえました。
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 本殿の前の拝殿は潮が満ちてきても潮に浸からないよう一段高く出来ていて、そこから見る大鳥居もまた見応えがありました。幾度も災害に遭いながらかたくなに原形を保ち続けてきた日本の文化の凄さを垣間見ました。

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 本当はロープウェイで裏山にそびえる山頂まで登って春の瀬戸内海を満喫ししたかったのですが、残念ながら登っても眺望が効かないようなので諦めました。参道の沿道には土産物屋さんが軒を連ねていました。宮島といえばもみじ饅頭といわれるようにもみじ饅頭の店が圧倒的に多く、私たちも買うでもなく味見と称して出されている饅頭の切れ端を口ざとく賞味しながら冷やかし半分でぶらり観光客の群衆に紛れ込んで歩きました。

 知っていることもあってガイドさんを雇うこともなく散策しましたが、何処まで言っても千円という高速道路割引の影響でしょうか、岩国錦帯橋といい、安芸の宮島といい雨にもかかわらず予想以上の人手にびっくりしてしまいました。

若松進一ブログ(いやあ見事な桜でした)

  「土曜だと いうのに人の 数多く 群衆の中 ゆだねて歩く」

  「雨濡れつ 小鹿愛嬌 ふりまいて 餌をねだりに わが身寄りぬる」

  「遠近く 鳥居眺めつ 歩を進め 拝殿巡る 外人ともに」

  「雨濡れる 宮島もよし 受け入れて 桜の下で カメラ向けつつ」 

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shin-1さんの日記

○今日は広島をたって島根県石見銀山に向かいます

 世界遺産を訪ねる旅が昨日スタートしました。

 昨日は旅のついでに岩国錦帯橋を見学しました。山口県岩国市は対岸の街なので、私はこれまで何度か天下の名勝錦帯橋を訪ねていますし、錦帯橋の思い出は数限りなくあるのですが、記憶をたどっても桜の季節とか、雨の日の訪問などは見つからないようでラッキーでした。昨日はあいにくの雨にたたられましたが、雨も良しとばかり春雨に煙る岩国城を頭上に見て、錦帯橋の上を足元を気にしながら歩きました。車を止めた河川敷の駐車場から見ると、錦帯橋の上は行き買うカラフルなパラソルの群れが一列になって動き、絵になる光景でした。

 錦帯橋を渡り終わった広場は桜の花がほぼ満開で、桜やぼんぼりの下を道行くどの人も、さぞや雨を恨めしそうに思ったに違いありません。

若松進一ブログ (四連太鼓橋が清流鏡川に映える姿は絵になる光景です)

若松進一ブログ (橋の上をパラソルが行き交う姿も絵になる光景でした)

若松進一ブログ (普通桜は下から見上げるものですが、橋の上から見下ろす桜の花も見事でした)

 橋を渡ると周囲には岩国寿司やお土産物などを売る店が軒を連ね、雨のため呼び込みの人の声が恨めしく響いていました。武家屋敷周辺を散策しました。岩国錦帯橋周辺は城下町なので白壁の街が重厚なたたずまいを見せていました。

 (バスの出発する時間が近づき、末光さんが出発五分前だと知らせてくれたので、出発します。帰りは遅くなります)

若松進一ブログ (武家屋敷の中には重要文化財に指定されているものもありました。残念ながら時間がないので見学することはできませんでした)
若松進一ブログ (何気ない雰囲気ですがお堀にかかった橋も桜に映えて趣がありました)
若松進一ブログ (疎水施設の石垣から噴水状に放水されている姿も見事でした)

 私たちが子どもの頃から映画やテレビで幾度となく見ている巌流島の決闘に宮本武蔵とともに出てくる佐々木小次郎はここの出身らしく、燕返しという剣術に使われた長い刀を背中のさやから抜いた姿が銅像になっていました。同行の今回のツアーを企画してくれた佐々木さんと姓も同じなので記念に写真を撮ってあげました。

若松進一ブログ (佐々木小次郎の銅像とともに写真に収まった佐々木俊和さん)

 一行は前になったり後になったりしながら周辺を散策し、岩国名物の白蛇を見学しました。蛇はあまり好きでないので辞退しましたが、それでも統一行動ということで切符を買ってくれたため見学の列に加わりました。メラニン色素の関係で脱色した白蛇は、冬の冬眠から目覚めたように舌を出しながら怪しげに棒の上を這うように動いていましたが、雨にもかかわらず怖いもの見たさでしょうか、遠巻きの人の群れが途切れることはありませんでした。

若松進一ブログ (白蛇)

 再び往復通行券で錦帯橋を見返りつつ渡った一行はバスに引き返し、高速道路を走って次の目的地宮島を目指しました。

 ふと私は錦帯橋のすぐ傍のホテルで講演会に招かれた10数年も前の出来事を思い出しました。500人の聴衆を前に講演した折、一番前の席に座って私の似顔絵を書いてくれた一人の女性のことです。彼女は私の講演を聞きながら90分の時間内に3枚の色紙に似顔絵を書いてくれたのです。3枚だから3枚目、3枚だからサンセットなどと私のお株を奪うような駄洒落を言って聴衆を笑いの渦に巻き込みながらその色紙を私にくれたのです。これが退職後私の名刺やキャラクターとなって大活躍してくれようとは、書いた渡辺悦子さんも驚くことでしょう。
若松進一ブログ
 

  「錦帯橋 思い出幾つ 指を折る 雨や桜の 思い出増える」

  「カラフルな パラソル行き来 する姿 錦帯橋の 新たな魅力」

  「錦川 眼鏡のように 写さねど 心眼想像 向こう岸見ゆ」

  「この橋を 守る人あり 永久に これぞ日本の 美学なりけり」

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shin-1さんの日記

○今日から世界遺産を巡る旅

 私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループでは、昨年から世界さんを巡る旅をスタートさせました。昨年は南紀熊野古道を巡る旅でしたが、参加した仲間は自分の足で歩く熊野古道にいたく感動して、今年の総会でも満場一致で決まったのです。

 今年は欲張って広島原爆ドームと安芸の宮島を今日見学して広島に一泊して明日は石見銀山見学を予定しているのです。今日は天気が下り坂だそうですが、「雨もまたよし旅に出る」てな感じで間もなく出発します。旅に出るためにはブログを2本キープしておかなければならないので、妻のセットした目覚まし時計は5時まもなくですが、私はいつも通り4時に起きて既に巻き寿司とお節句のことを一本書きました。

 中国地方には今回巡る3ヶ所の他に岡山県姫路城が世界遺産になっていますが、今回はルートから外れているため次回に回すのだそうです。私は今回行く3つの世界遺産は既に見ていますが、仲間と思い出を共有することに意味があるのです。

 

 昨年は私たちが訪ねた直ぐ後に中辺路の牛馬童子の首が何者かに壊され持ち去られたという痛ましい事件が起きてショックを受けましたが、日本人の心ない人のモラルも地に落ちたものだと、メールをやり取りしたことがつい昨日のことのように思い出されるのです。

 中国地方にはこのように4つも世界遺産があるのに何故か四国には一つもないのです。私たちの仲間が四国遍路道を世界遺産にしようと運動を起こしていて、暫定リストの候補に上ったものの足踏み状態になってることは残念ですが、たとえ世界遺産に登録されていなくても、世界遺産的な価値のある四国遍路道をしっかりと守り発展させてゆくことは、四国に住む者の責務だと思うのです。

 (時間が来ましたので出発します。この続きは明日の夜帰ってからにします。ごきげんよう。ここまでは自宅にて急ぎ足の部ログ書き込む)


 今日は朝5時30分に妻の運転する自家用車に乗って家を出ました。出掛けに散歩に出かける91歳の親父に出くわしました。「どこへ行くのか」尋ねたので、私は「中国地方へ行く」といったら親父は「遠いとこじゃのお」というのです。確かに島根県は遠いですが、親父はどうも「北京は上海のある中国と勘違いしていたのではないかと後で思いました。

 松山市駅で待ち合わせをして、メンバーの河野さん運転のレンタカー(マイクロバス)で出発しました。心配された雨がポツポツと落ちるあいにくの天気でしたが、海岸周りの196号線を今治まで走り、今治インターで今治組み4人を乗せさあ出発です。しまなみ海道をひた走りに走り、福山西から山陽自動車道に乗り、最初の目的地岩国錦帯橋を目指しました。錦帯橋は世界遺産にはなっていませんが、世界遺産を目指して活動していて、あちらこちらにその運動を示すのぼりが立っていました。

 私たちの今年の世界遺産をめぐる旅がいよいよスタートです。天気は春雨といったシトシト降りの雨模様でしたが、13人の同行者と楽しい旅がいよいよ始まりました。(ここまでは宿舎となったスーパーホテルのロビーにて書き込みました。まもなく22時19分です。)朝が早いのでもう休みます。お休みなさい。

  「どこへ行く 聞いた親父に 中国と 親父どうやら 中国違い」

  「欲張って 世界遺産を 三つ見る 旅は少々 きついようです」

  「雨もまた 良しと思えば 苦にならず 旅を楽しみ ながら談笑」

  「四国には 世界遺産の ひとつだに なきぞ悲しく 思うなりけり」 


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shin-1さんの日記

○巻き寿司はおふくろの味の記憶

 今日はお節句です。昔は雛あらしといって、前夜母親の作ってくれた豪華?な弁当を持ち、気の合った子どもの仲間たちと野山に繰り出して弁当を広げて食べたものです。私たちが少年時代は戦後間もないこともあってどの家も貧乏で、貧しい暮らしをしていました。日頃は麦ごはんにコンコくらいな食事でも節句は格別で、巻き寿司や羊羹が2段重ねの重箱に風呂敷包みされ、至福の時を過ごしたものでした。

 巻き寿司には漁師町らしくアナゴが焼かれ、ミツバやゴボウ、乾瓢、シイタケと一緒に具財として巻かれていました。海苔も黒海苔と青海苔があったと記憶しています。母は忙しい合間を縫って夜遅くまで巻き寿司を台所で作っていました。またヨーカンは海で採って晒した天草を使って布巾の袋で絞り、型に流し込んで、赤や青の色子で着色して手作りしていました。

 朝4時過ぎには母親が起きて、台所でコトコトとまな板の軽やかな音を立ててそれらの材料を重箱の中に手際良く入れていました。庭先の一つ葉やゆで卵に南天の葉っぱを使って兎の耳に見立てたり、かまぼこも切れ目を入れて鮮やかな飾りを入れて、リンゴだって可愛いウサギに変身していました。

 朝日が昇る頃その作業が終わり母が「出来たよ~」と起こしてくれるのです。勿論5人の子供はみんな一斉に飛び起き、自分お弁当の包みを確かめてから着替えました。

 まあこんな感じで、お節句の思い出が母親への思慕とともに鮮明に蘇ってくるほど、貧乏ながら幸せだったと述懐できる私は幸せです。わが妻も母と同じように嫁いでからこれまで、40年近くも巻き寿司を巻き弁当を作ってきました。昨日も忙しい仕事の合間を縫って巻き寿司を巻いていました。私が今日から二日間家を留守をするため、せめて昨晩食べてもらおうと思ったそうです。また親父も節句の弁当を心待ちにしているのです。

 巻き寿司を巻きながら、最近の若いご家庭では巻き寿司の巻き方さえも知らない人が増えて、近所のお寿司屋さんは注文に追われて、時ならぬ忙しさに嬉しい悲鳴を上げていると聞きました。わが家でも私たち夫婦と親父の3人だけですから、4~5本買えば済むのでしょうが、私はやはり妻の巻いた素朴な味の巻き寿司の味が好きなのです。早速昨晩の食卓には巻きだちの巻き寿司が並べられて彩りを添えていました。

 今朝は私を待ち合わせ場所の松山市駅まで送ってくれるついでに、娘と息子の家へ届けるのだそうで、少し余分に巻いていたようです。

 母から子へ日本の食文化は伝えなければならないはずなのに、今の日本はどこかで伝えることを忘れていることが多いようです。巻き寿司は買えば手間もかからないし美味しいし、お金もかえって安くつくかもしれません。しかし巻き寿司に食材とともに巻かれたおふくろの味は絶対出せないのです。プーンと匂ってくる酢の匂いや、海苔の香りはまさに家庭でしかできない味だと思うのです。

 妻の巻き寿司を巻く姿を見て、私はいい人と巡り合ったと、お世辞ではありませんがついつい嬉しくなります。妻の年代でも巻き寿司を巻かない人がどんどん増えているのです。私は妻の巻き寿司の巻き方を息子嫁に伝授して欲しいと願っています。今は子育てに忙しく、来月には二人目の子どもが誕生する予定なのでそれどころではありませんが、間もなく同居の予定なのでその時には是非と願っています。

 私がそうであったように、子どもも母の手作りの味を覚えています。その覚えた味を自分たちの子どもにおふくろの味として記憶させてほしいと願う私は古い人間なのでしょうか。


  「巻き寿司を 巻いてる姿 母に似て 妻はしっかり 味を受け継ぎ」

  「いい人と 結ばれたなあ 思うのは 巻き寿司作る 姿見た時」

  「巻き寿司の 一つも出来ぬ 人多く この国どこか 可笑しくなって」

  「巻き寿司は 店で買うもの 定着し おふくろの味 袋になった」

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shin-1さんの日記

○どこで習ったのでしょうか孫の言葉

 昨日泊りに来ていた孫を松山に送って行きました。少々風があって外は寒いものの車内は暖房が効いて温かでした。私がカーラジオをひねってNHKのラジオビタミンを聞いていると、チャイルドシートから解放されて前の座席に座った孫朋樹は、盛んにCDやカーナビをを触るのです。去年孫の操作でカーナビが故障したこともあって、触らせないようにしようとするのですが、手元のリモコンで画面を操作し松山城などをしっかり呼び出しているのです。そういえば最近はテレビゲームもできるようになって、私よりはるかに進化した姿に時折驚いたりするのです。昨日は松山地方気象台から桜の満開宣言が出されたようで、どこを通っても桜は満開に近いような姿を見せていました。

 途中100円ショップのダイソーに立ち寄りました。まだ早い10時だというのにもう店内には家族連れのお客さんが多く来店していて、思い思いの場所で品定めをしていました。私は迷うことなく文房具の売り場で紙の表紙ホルダーを5セット買い求めました。これは毎日書いているブログ記事をプリントアウトして一ヵ月をまとめて一冊の綴りにして保存するために使うのです。早いものでもう三年半が経ったため、綴りは40冊を超えました。表紙を付けると暦年に月を加えて2008・4と記して人間牧場のオープン書棚に陳列するのです。

 私は3枚組5冊を5百円+消費税で買いましたが、孫朋樹は色折り紙とセロテープを2百円+消費税で買ってくれとせがみました。わたしが「そんなもの家にあるでしょうが」ととがめると、「おじいちゃん、このくらい安いものよ」とまるで大人のような口利きの言葉が返ってきました。いつの間にこんなこましゃくれた言葉を話すようになったのか、驚いたり呆れたりで開いた口がふさがりませんでした。

 そういえば最近孫朋樹の言葉が妙に気になっています。何かの言葉い頻繁に「チョー楽しいとかチョーやばい」などと「チョー」という言葉をつけるのです。私たちの子どもの頃には聞いたこともないような言葉がどんどん出てくる姿を見て、「これは幼稚園で知らず知らずのうちに身についたものだと直感しました。確かに今の若者世代は若者言葉といわれるような言葉を使っており、それが家庭でも話され子どもたちは知らない間に耳から入って幼稚園で広まるという循環なのです。

 日本人は日本語という共通の言語を話します。外との交流が殆どなかった昔は「えっこれ日本語」と思われるような理解に苦しむ方言が幾つもあって、分からない言葉が沢山ありました。しかし今は大学も地域間の交流も広域的になって、東北弁も鹿児島弁も殆ど姿を消してしまいました。しかし困ったことに「これでも日本語?」といわれるような短めの単語が流行り、瞬く間に日本全国に広がっているのです。

 ある日本語学者に言わせればこれは日本語ではなく、今は日本語という文化の危機だとさえ言っているようです。「チョー」くらいなら私にも分かりますが、時折変な日本語を話す孫の言葉を聞いて、私も古くなったものだとしみじみ思うのです。

 子どもの向こうには必ず親や家族、仲間や職場、地域や団体などが存在し多かれ少なかれそれらの影響を受けて育ちます。せめて子どもに対して正しい日本語を教えてやるような賢い親になってほしいと思いながら「このくらい安いものよ」という言葉を聞きました。


  「このくらい 安いものよと いう孫に どこで習った 思わずハッと」

  「日本語が 乱れていると つい思う まず親たちが 直さなければ」

  「チョー嬉し 孫に習って 言ってみた 妻に止めてと 注意をされて」

  「方言jを 言ったら孫に それは何? 孫と俺とは どちらが正し」

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shin-1さんの日記

○みかん類は美味しいねえ

 今年の春はどういう訳かわが家にあちこちからオレンジ系の果物が届き、家の玄関が最も温度が低く安定しているので、段ボールに入れて置いているのです。外出する時と外出から帰った時は必ずこれらのオレンジ系が目につき、手に取って食べるのです。一番早く送られてきたのは今治市大西町の大河内結子さんからいただいた伊予かんとはるみでしたが、それらはもう底をつきました。続いて閏住の谷岡顕伸さん、宮栄重治さん、塩崎さん、武田さん、黒田さん、是沢さん、長沼さんと続き、まるでオレンジ系のオンパレードのように沢山の種類を毎日食べているのです。このころになると柑橘は追熟が進んで気をつけないと腐りが出て、その腐りが傍のかんきつにも移ってしまうのです。

 昔は多少腐っても腐った部分を包丁で取り除けば、かえって完熟した美味しい部分が食べれるし、勿体ない思想が働いて好んで食べていました。今はそんなこともせず、少し腐りが出れば捨てますが、最近は毎朝妻がそれらの柑橘類を野菜と一緒にジューサーにかけてジュースを作ってくれるので、居ながらにして新鮮なオレンジ入り野菜ジュースを飲んでいます。


 それにしても最近はわが町の農家では色々なオレンジ系が作られていて、私たちの知らない品種が沢山あるのです。三崎半島の突端部分井野浦に住む塩崎さんのお陰で毎年届く清見タンゴールは今が旬で、瑞々しくて甘い果汁いっぱいの果実を輪切りにして食卓に並べるともうたまらなく幸せを感じるのです。塩崎さんは最近この清見タンゴールを手搾りしたジュースを届けてくれますが、これはもう最高でどこにもない手作りの味なのです。同じ三崎半島平磯に住む浅野さんからは少し酸味の強いオレンジ系ジュースが届きますが、同じ三崎半島でも全然違った味なのです。

 ある柑橘農家の人が、「最近は新しい品種が多く出回って、どれを作れば儲かるか全く見当がつかない」とこぼしていましたが、私が察するに売れるみかんはどうやら女性にちなんだ名前がいいようです。清見・はるみ・せとかなど素敵な女性を連想するものが好まれるようです。

 私たちはこのように毎日毎日当たり前のようにかんきつを食べていますし、庭先にはこれから旬のすっぱい歯触りの甘夏柑がこの時期になっても一杯樹上に実をつけていますが、はるか東北や北海道などでは柑橘そのものが珍しいらしく、送るととても喜んでくれるのです。昨日もひょんなことで知り合った北海道佐呂間町の船木さんや井田さんに清見タンゴールを発送しました。船木さんも井田さんも北海道の漁師さんですが、ご縁は続くもので9月には佐呂間町から講演の依頼が舞い込んでいて今から楽しみにしているのです。

 南西の四国からみかんを送れば、北の北海道から毛ガニやホタテが届くという、物々交換に似た交流はこれまた楽しいものです。柑橘もいよいよ終わりに近づきました。残った柑橘を楽しみながら食べている今日この頃です。


  「いつもある 物ゆえ価値も 分からぬが ビタミンCで 健康持続」

  「美味しいね みかん王国 だからこそ 毎日食べる 幸せ感じ」

  「今日もまた オレンジ入りの ジュースにて 朝食とって 愛情感じ」  

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shin-1さんの日記

○人間牧場で夢の実現をしたい

 新しい年度なんてリタイアした私には関係ないはずだのに、何故か35年間も勤めた役場の垢が落ちなく、今でも年末年始で変わる年の変化より、年度で変わる年の変化の方が性に合っていて、季節が冬から春へ変化することも手伝うのか、どこか浮き浮きした気分になります。リタイアして満4年間が瞬く間に過ぎ去りました。「65歳までは働く」と自分自身に言い聞かせ、妻にもそのことを約束していましたが、私は10月生まれですから後半年で目標の歳を迎えるのです。ですから仕事と思しき講演などの仕事はほどほどにして、人間牧場で楽しい遊び心を思う存分やってみたいのです。

 新年度を迎えるにあたって人間牧場での色々な夢の整理をしつつ優先順位を決めました。今年の第一の目標はまず人間牧場に釜戸小屋を造ることを計画しています。この4年で水平線の家、ツリーハウス、ロケ風呂、赤トンボの家を次々に整備してきましたが、釜戸小屋はどうしても必要な施設なのです。薪でご飯を炊いて食べるのも夢ですが、人間牧場で採れたフキや梅を使って加工品を作リたいと思っています。梅酒はこの3年間で一升瓶換算にして約50本も作りましたが、その梅酒に付け込んだ梅を使ったジャムはまだ火を使えないためできていないのです。フキも肥培管理に務めた結果見事なフキ畑が出来上がり、後は加工を待つのみなのです。昨年試作したお茶の加工もホーロクを使えば簡単にできるのです。さらには魚の燻製も今年は挑戦してみようと思っています。

 第二の目標は人間牧場でスタートした年輪塾のしっかりとした運営です。塾頭や大番頭、小番頭も決まり運営の筋道は決まりましたが、まだ愛媛県内においても知名度は低く、情報発信までには至っていません。当面年2回の年輪塾と年2回の移動塾を考えていますが、夕やけ徒然草の発刊と落伍を組み合わせた話芸への挑戦も、大切な自分自身の進化のためのノルマとして、完成させなけれればならないのです。

 今年から愛媛大学農学部の学び直し講座「地域マネジメントスキル習得講座」が人間牧場を会場に15時間1単位で始まります。集中講義のため2日間びっちりと講義しなければなりません。すでにそのプログラムは出来上がってているので少し安心しているところです。

 人間は学習によって成長します。また人との出会いによっても成長するものです。人間牧場を作って4年が経ちましたが、人間牧場の学習機能は次第に高まりを見せる様相を呈していますが、もっと格調高くをモットーに成長したいものです。

 第三の目標は人間牧場を使ったふるさと教育です。すでにおもしろ教室も3年を終えました。命のリレープロジェクトもサツマイモやミツバチ飼育でいい方向に進んでいます。今年は人間牧場内の杉の木を使って、子どもの遊び心や冒険心をくすぐるような本物のツリーハウスづくりにも挑戦したいと思っています。既に仲間とはそんな夢を実現するべく準備に取り掛かっているところです。

 長年育ててもらったふるさとへの恩返しをする年代となりました。先日九州大学の教授に転出しているえひめ地域政策研究センターの部長だった丹羽先生にお会いしました。先生は私の生き方を見て「アメリカでは若松さんの生き方は理想の生き方です」と褒めてくれました。若い時に一生懸命仕事をして、ある年齢になったら大学の仕事をして余生をボランティア活動に捧げながら楽しく生きる生き方はそ、自分自身れほど価値がるとは思っていませんでしたが、丹羽さんの言葉を甘んじて受け、これからも楽しく暮らしたいと思いました。

  「春が来た 新年度連れ それぞれに 思いめぐらせ 今年頑張る」

  「公務員 辞めたけれども 好夢員 未だに続く 俺は幸せ」

  「アメリカじゃ 俺の生き方 理想だと 褒めて持ち上げ その気になって」

  「天下り せずにどうにか 四年過ぎ 茶碗と箸で 飯を食ってる」

 

 

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shin-1さんの日記

○異動の時期は人生いろいろです

 異動や旅立ちの季節になって、人の動きが活発になってきました。特に異動は陰に隠れた誰かが隠密裏に異動される人の話や心など殆ど無視してやるものですから、蓋を開けてみて驚いた様子がよく伝わってくるのです。自分の意に反して左遷異動させられた人、働きが評価に値すると自分が確信するような昇進異動の人などなど様々です。私も一時期異動の原案を作る作業にかかわったことがありますが、私事を挟むまいと思うけどそこは機械でもない人間のすることゆえ、どこかに温情や気追いが入るのです。しかし異動というのはその人の人生をも決める大切な出来事なので考えた異動をさせねば一生に禍根を残す結果になるのです。

 私も町役場に勤めたいた関係上春の異動のころになると何かと心が動きました。教育委員会・産業課・企画調整室・地域振興課と現職では3回しか異動の辞令はいただかない、比較的異動には縁の少ない人間でしたが、教育委員会から産業課に異動した一度だけ、町名変更の責任を取って左遷と誰もが認める異動をしました。しかし恩人から届いた一枚の色紙に「ぼうふらも 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水すすり浮き沈み」と書かれていて、自分の心の狭さを痛感して直ぐにギアチェンジ、その後まちづくりという大きな仕事をいただき、人生の積み木を壊さず積み上げてこれたのです。

 異動の中には満期で定年を迎えた人もいれば、早めに退職して新しい道を模索する人もいます。昨日一人の中年男性がアポも取らず私を訪ねて来ました。この人は昔Sという印刷会社に勤めていました。観光の仕事が中心でしたがイベントのポスターやチラシ、テレフォンカードなどの印刷に深くかかわってくれていましたが、ノルマ至上主義のこの仕事に限界を感じ、農業の道に入りたいと相談がありました。「儲けなくてもいい農業は楽しいが、飯を食う農業は厳しい。その厳しさに耐えられる意思があるかどうかだ」と諭したつもりでしたが、彼は40代後半で農業に転身したのです。その後2~3回会った記憶がありましたが、最近は音信普通でした。

 久しぶりに会った彼は太陽の恵みなのか、顔は農作業に適した赤銅色になってすっかり逞しくなっていました。奥さんが学校の先生をしているので経済的に助かった話、手助けしてくれたお母さんが81歳になり自損事故を起こしたため車の免許を返上した話、息子が身障者で手がいる話、細々ながらやっと農業で飯が食えるようになった話など、咳を切ったように話す言葉一つ一つに苦悩の人生を垣間見る思いでした。

 彼は自分の作った自慢のポンカンを一箱持参してくれました。「自分の心が揺れ動いていた頃、双海町の役場で営業の折、コーヒーをいただきながら人生について色々語ってもらったことが励みになった」とウルウルするような話を聞きながら、甘んじてポンカンをいただきましたが、そのポンカンは飛びきり上等な味でした。

 年齢的は早くも55歳になったと言っていましたが、彼は先見の目があったのか今は厳しい印刷業界に早々と見切りをつけこの歳を迎えています。最後の再チャレンジが55歳とよくいわれますが、早めに再チャレンジした彼の行動は称えるべきだと思いました。彼は今まで「一人前になるまで若松さんには会わない」と心に決めていたそうです。何年か前段階3の上という大腸ガンにかかり大病を克服したようでした。数日前師匠と仰ぐみかんの指導者に自分の園地を見てもらい及第点を付けてもらったことや、病院の定期診断でガン克服の良い結果が出たことを契機にして私に会おうと決意したようでした。

 人はそれぞれの想いでそれぞれの道を歩みます。それを左遷と思うか栄転と思うか、また転職を終焉と思うか最初っぱつと思うかはこれまた人それぞれです。彼のような生き方は目立たないけれど凄い立派な生き方だと思いました。近々奥さんを連れて人間牧場へ来たいと笑顔で去る彼に大きな拍手を送ってやりました。


  「そういえば そんな話を したっけな 逞しなりて われを訪ねる」

  「栄転も 左遷も心 がけ次第 新た生き方 つかんで生きる」

  「役職は 定年なれば くそくらえ みんな同じだ 何が残るか」

  「十年も 音信不通の 人が来る ポンカン提げて 嬉じゃないか」

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shin-1さんの日記

○釣りの釣果がありました?

 花冷えとでも言うのでしょうか、このところの気温は異常なほど寒く感じるのです。今日も朝から北西の風が吹いて海は白波が立って漁にも出れないほど時化ているようです。昨夕孫が春休みも最後なので泊まりに来るというので夫婦で迎えに行きました。帰りに温泉につかり孫のリクエストに応えて回転寿司屋さんで食事をしました。私たちは魚中心ですが、孫は唐揚げやポテトなどを注文して、寿司屋らしいものはイクラとエビ程度でした。

 孫には今回のお泊りの魂胆があって、釣りをしたいとうのです。帰りにジャンプという釣り具屋さんに立ち寄り、釣針とサビキを買って帰りました。普通自宅では8時過ぎには寝るそうですが、この日は少し遅くなって9時半の就寝となりました。寝る前釣りの夢を見るのだと張り切っていましたが、疲れたのか5分で夢の世界です。

 私は通常と同じで朝4時に目がさめブログを書いたりして過ごしていましたが、孫は7時半に起きてきました。本当かどうか分かりませんが、昨晩は魚を10匹も釣った夢を見たそうです。今日は釣りに行くと張り切って身支度をしたものの北西の風がかなり強く吹いていて、釣には行けそうにもないのです。妻は「折角楽しみにしているのだから、内港から釣り糸を垂らす程度でも納得する」と勧めてくれました。私と孫は釣竿を用意して釣りの仕掛けを作りました。さあ出発です。着膨れするほど洋服を着て上灘漁港に行きましたが、かなり風波が強く釣りを楽しむような雰囲気ではないのです。それでも風の比較的吹かない木陰を選んで釣り糸を垂れました。

若松進一ブログ (何処となく釣り人の風格が漂い、様になっている朋樹君)
若松進一ブログ (「釣りは楽しいねね」と言わんばかりに、寒さをものともせず釣りを笑顔で楽しんでいました)

 「朋樹君寒いか」「寒くない」、こんなやり取りで30分ばかり釣り糸を垂れましたがさっぱり釣れません。思い切って遠くへ投げた釣り糸に何やら引っかかり、釣り糸をぐいぐい引っ張るのです。「しめた」と思ってリールを巻くものの大き過ぎたのか残念かな逃げられてしまいました。朋樹君の落胆は相当なものでした。大きいから逃げたのか、逃げたから大きいのか分かりませんが、まあこの程度で幕引きとなりました。朋樹君は別の場所へ移動して再びチャレンジしたいと言い張りましたが、風も波もさらに激しくなってきたので諦めてシーサイド公園の岡田鮮魚店に立ち寄りました。訳を話すとそれは可哀そうだと生け簀の少し小ぶりなコショウという生きた魚をくれました。朋樹君は釣竿を持ってきて、海ならぬ肴屋の店先で見事大きな魚を釣り上げたのです。この様子に来店した人たちは思わず大喜びでみんなで拍手をしてくれました。

若松進一ブログ (海ならぬ魚屋さんの前で釣りを楽しむとは・・・)
若松進一ブログ (どうだ、釣ったぞー)

 じゃこ天のお店に立ち寄ると今度はおばちゃんたちにたこ焼き用の生きたタコをいただきました。ここでもタコの話で大にぎわいでした。結局私たち二人は釣りに出たものの釣るどころか、釣り上げた以上の釣果を得て帰宅したのです。タコは塩で揉んでぬめりを取り、コショウという魚はうろこと内臓を取って煮つけ用として、妻の手料理で食卓に上りました。タコの刺身もタコを使ったお好み焼きも最高でした。

若松進一ブログ(じゃこ天のおばちゃんに貰った大きなタコ)

 食事が終ってただ今19時33分、相変わらず北西の風は衰えることなく吹いています。「春の一日(ひして)西」ということわざがあるので、明日にはこの風も収まるものと思われますが、満開を迎えた桜もちょっぴり寒そうでした。早く春がいたと思っていたのに意外や意外、とんだ春への足踏み状態で、私の春休み二日目も相棒である孫と二人三脚の楽し一日となりました。


  「海ならぬ 魚屋店で 釣りをする 魚にタコが 釣果となりて」

  「時ならぬ 風波に魚 逃げたのか 逃げた魚は いつも大きい」

  「食卓に 上った魚 さも自分 釣った顔して 大ぼら吹きぬ」

  「春休み 間もなく終わる 思い出に 孫は間もなく ピカピカ一年」 

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shin-1さんの日記

○私の春休み第一日目は人間牧場の草刈り

 「この一週間は私の春休み」とブログで公表してお休みを取り始めての第一日目の昨日は、「それなら家にいるだろう」と、ブログ愛読者の何人かから御誘いの電話が入りました。それでも昨日は曇りながら人間牧場での草刈りや春を迎える準備をするべく、誘いの電話での予約を夕方に回して、草刈りを決行しました。春まだ浅いというのに外の風はまだ結構冷たく、体を動かしても汗をかくこともなく草刈りには絶好の日和でした。人間牧場の草刈りは半日ペースで3日間くらいかかるのですが、とりあえず水平線の家やロケ風呂、ツリーハウス周辺の草を刈ることにしました。私と同じく古くなった草刈り機に混合油を入れ、始動のひもを引っ張ると、昨年秋からお休みしていたエンジンなのに2~3回で動き始めました。ロートルながら凄い働きの草刈り機に感謝しながら草を刈って行くのです。人間牧場のあちこちには青々と茂った野生のツワブキがやたらとあって、草刈りの度に残しておけば3年で立派な親株ができて、このころになると食用になる太い新芽が次々伸びているのです。草刈りの手を休めて食用に二束ほど引き抜きました。皮を剥く手間がアクが強くて厄介ですが、これがとびきり美味しい山菜なので、明日の夜には魚と一緒に煮つけて食べる予定です。

 草刈りの邪魔になる、草に埋もれている冬の間に剪定していた杉の枝を一か所に集め、焼却処分することにしました。毎回野焼きする場所にそれらをうず高く積んで火をつけると、杉葉は勢いよく燃え始めました。牧場内のあちこちから枯れ木を集めるため、畑を上がったり下がったりするため結構きつい運動力でした。

 草刈り機で草をなぎ倒していくのですが、この時期ははこべ草がスネくらいの深さほども伸びていて、何度も草刈り機に巻き付き、その度にエンジンは鈍い音を立てて息絶え絶えです。午前中約3時間で周辺は見違えるようにすっきりとしました。

 ウッドデッキに座り妻の用意してくれた弁当を食べながらお昼をのんびり過ごしましたが、小雨がパラついていた天気も予報通り、昼を過ぎると青空が広がり、海の色も真っ青な春の海に変身です。遠望の山々は新芽が伸び始めもう間もなく萌えるような季節を迎えます。山桜は深い小豆色の葉と花をつけて春を彩っています。遅まきながら藪椿も咲き始め人間牧場周辺は一年中で一番美しい時期なのです。


 草刈りの途中にズボンのポケットに入れた携帯電話のマナーモードが振動し、盛んに私を呼び出すのです。そういえば昨日は年度末最後の日でした。退任・新任・異動の連絡がひっきりなしにかかってきました。また北海道の船木さんからは9月18日に佐呂間での講演依頼が入りました。便利な世の中になったもので、草刈りの仕事をしながら、またこんな人里離れた場所で連絡が取れ会うのですから驚きです。この4年間、この人間牧場でどれほどの講演依頼や打ち合わせをしてきたことでしょう。電話回線にインターネットを接続すれば完璧にここでも仕事は十分可能なのです。

 草刈り機で草を刈って行くと、思わず刈るのは惜しい草花に出会います。アザミなどはその典型で、とげがあるものの濃い紫の花は気品漂う花なのです。いちいち残しておくこともできないので倒しましたが、可哀そうと思いデジカメに収めました。

 草刈りを午後3時に終え、水平線の家の窓を全部開けて風を送り込み、掃除機を丁寧にかけて掃除を終え、友達との待ち合わせ約束のために山を降りました。


  「山桜 濃い小豆色 咲き誇り メジロ二三羽 長閑に飛びぬ」

  「ポケットで 携帯バイブ 肌伝う その度作業 中断せざる」

  「草埋もれ 刈られし定め 野アザミを カメラに収め しばし見とれて」

  「野の花に 囲まれ過ごす 一日を 至福と思い 鼻を花寄せ」 

  

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