shin-1さんの日記

○息子との面会

 私には一女三男の子どもがいます。もうそれぞれ大人になってそれぞれの道を歩んでいますが、幸せなことに4人の子ども全員が県内の職場であるため県内に住んでいます。しかし子どもたちはそれぞれの仕事が忙しく、子育てで休職をしている娘を除けば三人の男の子は男というせいもあるのでしょうか、中々家には帰って来ないのです。それでも長男は一人の子どもができ、来年には第二子誕生予定ということもあって、一カ月に一度は家族で泊まりに来ます。しかし看護師をしている次男は仕事が三交代と不規則なため中々帰れず、末っ子に至っては警察官のためこれまた帰るることができず、みんなが出会うことは殆どないのです。

 昨日の夜その末っ子の三男から自宅に電話が入ったらしく、年末調整の申告に生命保険の払い込み証明書が必要なので送って欲しい旨の連絡があったそうなのです。たまたま私が西条市で開かれる厚生年金受給者の集いという研修会に講師として招かれているので、少し寄り道をして持って行くことにしました。

 本当は国道11号線を通るのですが、今日は旧北条を通る海周りの道を走りました。島影織りなす瀬戸の海は、このところの寒さで少し北寄りの風が吹いてどことなく秋の深まりを感じさせましたが、島影は少し浮島現象も見られました。

 時折入る携帯電話に対応して広場に車を止めて対応しながら今治まで行きました。息子の務めている警察は私も行ったことがないのでその所在を調べるためカーナビで入力しましたが、いつも利用している国際ホテルや旧地方局のすぐ近くだけに直ぐに分かりました。警察の駐車場に入って息子に電話すると12時を少し過ぎていたためあいにく外へ昼食に出ていました。食事を注文しているので15分くらい待つよう言われたので車の中で待っていると息子は帰ってきました。昨年までは交番や派出所勤務でした。今年の春から別の仕事をしていたようですが、先月警察学校で特別な訓練を受け刑事になったようで、私服の背広姿も凛々しく働いていました。

 々警察とは言いながら職種が変わったため、その後どうなのか尋ねてみると、好きでなった仕事だけに生きがいを持ってやっていると胸を張って答えてくれました。親としてとても頼もしくそれでいて嬉しい面会でした。妻から預かった書類を渡し、私も次の予定の時間が迫っていたので僅か5分くらいの立ち話で警察の駐車場を出て海岸沿いの道を西条に向かって走りました。

 三男は、大学を卒業して直ぐに民間の会社に就職しました。そこの会社は果樹の選果機製造メーカーでしたが、愛媛県下を揺るがす入札問題で経営者も変わり、技術者として働く意欲がなくなったようで、思い切って転職の道を選び、子どもころからの夢であった警察官になるために猛チャレンジし、幸いなことに社会人枠で憧れの警察官になったのです。妻は危険な仕事だからと大反対でしたが、「警察官が一番安全」という訳の分からない言葉の説得で夢をつかんだのです。


 子どもが4人も入りと子育ては上手くいって当たり前、下手をすると子どもと親の断絶があるものですが、幸せなことに優しい子どもたちに育って人様のお役にたっているのです。官舎に入っての一人暮らしは大変だろうと思いますが、当の本人はいたって気楽なようで極楽トンボを決め込んでいるようです。今年の正月は日勤になったので帰れるかも知れないと別れ際に話してくれました。


  「私服にて 働く姿 凛々しくて いつの間にやら 大きく成長」

  「別れ際 安全運転 気をつけて 親に諭しの 労い言葉」

  「歳をとる はずだと息子 見て思う 早く嫁でも 貰ってやらねば」

  「正月は 帰れるかもと 濁らせる これも仕事が 言わせる言葉」

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shin-1さんの日記

○日本列島は広いねえ

 4日前に四国愛媛県伊予市双海町を脱出し、名古屋経由で長野県へ行きました。出発した日は20度近くあった外気温度も東北上するにつれて下がり始め、長野県木曽福島に着いたころは10度を下回る寒さでした。旧開田村のある開田高原に行くと5度前後とさらに冷え込んで、御岳山や南アルプスの山々はには今年の秋始めて見た白くて雄大な冠雪です。さすがに南国とは言い難くも四国瀬戸内に暮らしている人間にとっては、15度も下回る急激な温度の変化は身に堪えました。下着は年中袖なしのランニング薄着で暮らす私ですから、そんな薄着のままで出かけコートを持って行かなかったため、寒くて寒くてぶるぶる震えました。長野の二日間は旧友大目富美雄さんがつきっきりで案内してくれましたが、大目さんはさすがにそんな寒さの中でも私のようにぶるぶる震えるでもなく、薄着でコートも着ていないのに平気で過ごしている姿を見て感心してしまいました。

 私の住む愛媛県伊予市辺りも秋が深まったとはいいながら、山の木々はまだ緑が多く、ウルシやハゼがどことなく色づきかけたかなあと思う程度で、クヌギなどはまだまだ11月下旬でないと紅葉はしませんし、その紅葉も紅葉する前に枯葉になってしまうのです。

 私は飛行機で松山~名古屋便に乗れば早いのですが、名古屋便がとれなくて往路をバスや列車を乗り継いで行ったものですから、近いと思う場所も中々目的地まで時間がかかりました。願わくば旅はのんびりゆっくりをモットーにしている私としては、結果的に自分の願い通りの旅になりましたが、それにしても狭い日本といいながら広いと思いました。

 日本が広いと感じるのはこうした気候と時間的距離だけではありません。日ごろ慣れ親しんでいる言葉も特に地方へ行けば方言がまだまだたくさん残っていて、「それは何?」と聞き返さなければ分からない言葉だっていっぱいあって、おかげ様で傍耳を立て興味を示せば長い列車の旅も結構楽しいものなのです。この4日間の珍しい言葉を名刺の裏の白い部分に書き込んでいましたが、最後に書いた名刺をワイシャツの胸ポケットにしまっていたため、妻が洗濯して溶けてしまいました。これも笑い話の一つです。


 そうそう、広いといえば食べものだって地方には美味いもの珍しいものがいっぱいあって、今回も大目さんの配慮で随分堪能しました。寒い地方には寒い地方なりの食べ物があります。信州はそばと漬物とおやき、それに五平もちが有名ですが、漬物は美味しいもの珍しいものを沢山食べました。今回は山深い古民家の民宿に泊めていただきましたが、夕食朝食に食べた野沢菜や大根の漬物はご飯や酒の肴によくあって、ご飯のお代りをしたいくらいでした。

 また泊めてもらった民宿では奇しくもおじいちゃんの49日の法要の日と重なったため、80歳がらみおばあちゃんが朝早く起きて仏壇に供えるぼた餅を作っていました。その姿に今は亡き母や祖母の背中姿を重ねながら色々なお話をさせてもらいました。お陰さまでそのぼた餅もご相伴にあずかりました。

 旅の目的は違うのですが、「旅を楽しむ」心を持てば目的以外のことが楽しめて、今回も楽しい旅となりました。

  「旅先で 食う寝る遊ぶ してるうち 異文化ギャップ 心洗われ」

  「ぼた餅を 作る民宿 ばあさんの 背中にダブる 今亡き母祖母」

  「昔言う 旅は道連れ 世は情け お一つどうぞ 隣席から」

  「のんびりと ゆっくり向かう 信州路 日本は広い 体感しつつ」

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