shin-1さんの日記

○ビデオテープがCDに

 私の書斎の書棚からいつの間にか本が消え、ビデオテープが消えました。本は人間牧場「水平線の家」のどでかい作り付けの書棚にインテリアとして移動し、来訪者の目と心を奪っていますが、さてビデオテープは何処へ行ったのか?と思って思い出してみると、ダンボール箱に入れられ煙会所の倉庫に眠っているのです。役場を退職する際に身の回りを片付けた折からですから2年9ヶ月も前のことなのですが、もう10年も前の出来事のような気がしています。それは私の人生がアナログからデジタルへ変化した証でもあるのです。

 妻が言うように、私は20年間のまちづくりとの出会いの中でテレビやラジオ、それに新聞や雑誌にこれでもかというほど取り上げられてきました。昨晩妻と話しをしていて、「もしも私が今日亡くなっても、通夜の晩に24時間連続で見ても見飽きないだけの物は残っている」と話したら、「縁起でもない話をしないで」と怒られましたが、そのくらいあるのです。一度ゆっくり暇を見て整理をしたいと退職時には思ったものの、その後の日々が余りにも忙し過ぎて、まだそんな余裕はないのです。

 最近私の書棚の一角に少しずつ領域を広げて存在感を誇示しようとしているのがデジタル部門です。ブログをプリントアウトして毎月一冊にまとめた綴りももう27冊になりましたし、CDやフロッピー、インク、印画紙、用紙、パソコン用品なども沢山増えて、今は整理がつかないほどになっています。これが私のデジタル進化なのだと、納得しながら眺めています。

 先日えひめ政策研究センターの清水研究員から3枚のDVDが送られてきました。2枚は11月にデビューした落伍家「夕日亭大根心」の出囃子です。DVDは2枚セットなっていて出囃子と入囃子です。私にはできない芸当で、DVDの表面には私が人間牧場水平線の家で落伍をやっている写真を焼き付けているのです。

 もう1枚はその折ビデオカメラで撮影したものをダビングしている音声付なのです。まだ人には見せていませんが、妻だけには見せました。3つのネタを約40分で喋っている当日の模様をノーカットで収録していますが、当の本人は恥かしくて全てを見ていないのです。清水さんにはこれまでも、昨年開いた「地域の自立を考えるシンポ」の際のプロモーションビデオも作ってもらっていて、これらをひっくるめると、若松進一ワールド?へ迷い込むような代物なのです。

 先日これら一連の清水さんの口添えに乗った商品?は来年への発展の糸口として、期待が膨らんでいます。もう一つ正月休みにやりたいことがあります。勿論ブログも一日三枚のハガキも辞めるわけには行かないのでそれらをこなしながらの作業になるのですが、ワープロ時代に一日365日一枚のハガキ文が印刷もされずにフロッピーに残っているのです。それを印画紙に印字して、原稿に仕上げたいと思っています。このまま死んだら心残りで天国にも地獄にも行けないので何としても仕上げておきたいのです。そして金が出来たらそれを一冊の本に仕上げたいものだと思っています。

 妻は「もうそろそろ本当の意味でのリタイアをして欲しいし自由人になって欲しい」と言うのですが、セミリタイア、セミ自由人としてもう少し遊び心で生きたいと思っています。

  「いつの間に 俺の書棚が デジタルに このまま行くと アナログ無くす」

  「来年の 種は蒔いたよ 色々な 芽と葉が出るかも 少し期待を」

  「あの人が 私と同じ 歳だとは そんなに見えるか 俺の姿は」

  「まだ死ねぬ やりたいことが あり過ぎて 今日もパソコン 前に座りて」  


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shin-1さんの日記

○二人だけでないクリスマス

 最近は日本もすっかり洋風になって、11月初めから昨日までの約2ヶ月間、特に12月は巷にクリスマス気分が溢れ、夜ともなるとイルミネーションで飾られた家々が目立つようになりました。私が深く関わって造ったふたみシーサイド公園にクリスマスのイルミネーションを飾った頃は、田舎の双海町ではまだそんな電飾が珍しく、あちこちから見学者が訪れ話題になったものでした。しかも「サンタが空からやって来る」というイベントは、パラグライダーに乗ったサンタクロースが空から降りてくるという奇抜なアイディアが受けて、今もかなりの集客を誇るイベントとしてすっかり定着しています。

 一昨日友人の玉ちゃんからメールでクリスマスカード届きました。日本語と英語が混じったメールでしたので、迷惑メールの一種ではないかと勘違いして、あわやゴミ箱へ行くところでした。玉ちゃんといえば東大卒業のお兄ちゃんで、私の友人の中では兼頭さん、えひめ地域政策研究センターの丹羽さんと三人が最も学歴の高い人で、言うこと、なすこと?全てにおいて凡人の私とは少し違っているようで、そこに魅力を感じて付き合っています。でも私も双海町に二つある東大ならぬ漁港の灯台?を二つ(豊田漁港・上灘漁港)も出たり入ったりしているのですから、ヒフティーヒフティーです。(笑)

 昨晩は妻の仕事が遅い日なので、午後7時半頃になって帰って来ました。そこへ次男から電話が入り、「夕飯でも一緒にどうか」と誘いを受けました。自動炊飯器のセットを忘れていたこともあって、早速誘いに乗り伊予市街で落ち合う約束をして出かけました。忘れていたのですが昨日はクリスマスだったのです。

 寿司が食べたいという相談になって安上がりな回転寿司へ出かけました。8時を回っていたのでお客の数はまばらで、回る寿司も殆どなく少しガッカリしましたが、それでも目当てのネタを注文し、満腹になるほど食べました。私は赤だしと8皿を平らげましたが、妻も次男もその程度で食事を終えました。「今日は僕がおごるから何でも食べて」といった割には安上がりで、次男はにこやかに支払いし闇の中へ消えて行きました。

 「さて小腹も太ったしどうする」と夫婦顔を見合わせましたが、「お父さん、たまには喫茶にでも寄らない」という妻の提案にしぶしぶ乗って、西洋料理の店へ立ち寄りました。ここはイタリア料理の美味しい店だそうで、妻は友人と何度か利用したことがあるそうですし、私も待ち合わせや座談のために2、3度立ち寄ったことがあるお洒落な店なのです。中は満員で若いカップルや夫婦がシックな雰囲気の中で、食事をしたり雑談をしていました。

 私がコーヒーを飲まないため、夫婦で喫茶店へ入ることは殆どなく、たまに行っても長男の嫁の実家が喫茶店を経営しているため、立ち寄る程度なのです。「お父さんと二人で喫茶店に来るなんて何初めてじゃあないの」と、日頃の不満ともこの日のお礼ともいえぬ言葉を聞きながら、クリスマスにこうして夫婦が過ごすことの意味をかみ締めていました。

 私達夫婦は大家族の中で暮らしてきましたし、まちづくりの世界も集団が普通で、夫婦だけでの行動は殆どありませんでした。故に余計クリスマスを二人で過ごすハプニング?が新鮮に思えたのかもしれません。妻は帰り際「お父さん、また来ようね」と、腕を組まれてしまいました。「ばか、恥かしいが」と組んだ腕を解き払い車に乗り込みました。私のような年代は手を組むことなど顔が赤くなるほど恥かしいのです。63年間生きてきて、結婚して38年間過ぎても、二人だけのささやかなクリスマスがなかったことを少し後悔しました。これまでは家庭においては子ども達中心、まちづくりという仕事においても人様中心でクリスマスを考えた尺度をもう少し見直したいものだとガラにもなく思ったりしました。

  「気がつけば 63年 生きてきて 二人で過ごす 初クリスマス」

  「来年も 元気で二人 クリスマス 心入れ替え 手などつないで」

  「夕食を おごってくれた 優しい子 妻が育てた 勲章やりたい」

  「クリスマス カード横文字 迷惑な メール間違え おっとゴミ箱」 

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shin-1さんの日記

○ごみ焼却

 わが家の畑の隅には生ゴミコンポストとごみ焼却のためのドラム缶が置いています。この二つのわが家ゴミプロジェクトに異変が起こったのはもう10年も前のことでした。「家庭でのゴミ焼却はダイオキシンの発生が強いので使わないように」という役場からの「おふれ」でした。そのため学校や事業者の簡易焼却場は封印され、多分今も学校などの公共施設に置かれたごみ焼却機はそのまま風雨にさらされダイオキシンを含んだまま放置され、美観を損ねているのです。私は教育長の時代に、このゴミ焼却施設がダイオキシンの元凶なのであれば取り除くべきだと予算を計上しましたが、財政難を理由に却下されました。ゴミの担当も「何故危険なのか」と聞いても「国や県が言うので」と、責任転嫁の有様でした。この家庭用ごみ焼却施設はごみ減量に大きな効果を上げたことも事実で、ゴミの量が増えたため財政上対応しきれず行政はゴミ袋の有料化に踏み切りました。ゴミは住民の自己責任と思えばこれもも納得できるし、いい施策だと一定の評価をするのですが、さて糧のごみ焼却という方法がどの程度の悪害をもたらすのかは未だに説明責任が果たせていないような気がして何か割り切れない気持ちです。

 わが家は山に面しているため、晩秋から冬になると周りの山々の落葉が風に乗って嫌というほど落ちてきます。風の強い時などは一日でゴミ袋に三つも落ち、親父の掃除も忙しいのです。それらはゴミ袋で出せば重量こそ軽いものの相当な量となるため、風のない日を選んでドラム缶焼却炉で自家処分しています。よく燃えるので、寒い冬の朝は体がポカポカと温まり、焚き火の良さを実感するのです。

 今朝は数日前からの雨で落ち葉が濡れていたので、紙ごみを少しだけ運んで火種にしました。お陰様で年末の大掃除で出た紙ごみはかなり処分が出来ました。年末までにはまだ2~3度くらい処分をしたいと思っていますが、ブログに書くとお叱りを受けそうですね。

 生ゴミコンポストもこれまで随分活躍しましたが、その役割も次第に影が薄くなっているようです。補助金をいただいてゴミの減量という目的で始めたものの、生ゴミの処分はボカシを使ったりそれなりの努力が必要ですが、行政もその後余り推進もしないし、出来た堆肥の活用場所が少ないため追々細りの感じがしています。

 わが家では環境がテーマと思って様々な努力をしてきました。風呂もずっと薪で沸かしていましたが、薪の手配や世話が子どもの成長と親の加齢で出来なくなり、3年前に止む無く灯油に切り替えました。薪で風呂を沸かしたエネルギー代の節約も、子ども達が薪を運んだ教育的効果も今は懐かしい思い出です。

  「落ち葉燃す 煙たなびく 風景も すっかり消えた 寂しき田舎」

  「学校の 焼却炉など どうなって いるのか一度 見に行きたいな」

  「ポストにて 出来た堆肥を ばら撒いて 野菜今年も まあまあの出来」

  「有料の 黄色い袋 二つ持ち ゴミ出しに向う 冬の坂道」 

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shin-1さんの日記

○水が勿体ない

 昨晩わが家ではちょっとした水論争がありました。というのも、こともあろうに私が忙しそうに振舞う妻の姿を見ていて、「何か手伝いをしないといけない」、なんて考えたのが甘く、浴槽を洗い風呂の栓をして灯油ボーイラーのスイッチを入れ、お湯を張り始めたのです。ここまでは完璧でした。ところが「夕食の準備が出来た」と書斎へ私を呼びに来た妻と二人で夕食を始めました。そこへ友人からの長電話です。折角温かい食べ物を用意してくれたのに興ざめといった感じでした。メモを取らされたりしたものですから余計時間がかかり、結局は食事を中断して30分もかかったのです。その間妻はさっさと箸を進めて、私の食べ物だけが残ってしまいました。

 ところがそれからが大変です。さっき蛇口をひねった湯殿のことなどすっかり忘れ、妻と私が気付いたときには時既に遅しで、お湯は溢れて満水状態です。妻には「馴れないことをするからよ」と言われるし、電話の相手に八つ当たりも出来ないので、少し険悪な雰囲気でした。

 金融広報委員会のアドバイザーを務めている私は、ことある度に知ったかぶりの「勿体ない」を連発し、やれ「水代が多い」だの、「衝動買いが多い」だのと、「箸の上げ下ろしまで(妻の弁)」口うるさくいわれているので、「あなたも同じじゃないの。それみたことか」と、「自分で蛇口をひねりながら忘れるなんて、あんたも歳ねえ」と言われたものですから、「人が親切でしているのに、これからはやらない」の一言でモヤモヤしながら口げんかを終わりました。

 それでも夫婦、一緒に見ていたテレビ番組に笑い転げ、そのうち口げんかの余韻も冷めて一緒に風呂に入りました。満水の浴槽は使っても使ってもお湯がある感じで、浴槽のお湯の中に○○の湯」とか書いた温泉の基を入れ、「お父さん、今日は温泉に入っているみたいだね」と、二人で温泉気分に浸ったのです。妻は「お酒を飲む訳でもなし、パチンコに行く訳でもなし、これくらいの贅沢はまあいいね」と、さっき感情的になった言葉を打ち消してとりなしました。

 一昨日の新聞には夏から冬にかけて少雨状態が続いて水瓶がピンチなのだそうです。水道関係者が我が家の事を知ったら多分教育的指導を受けるだろうと思いました。確かに私たちの身の回りではトイレを始め昔とは比べものにならないほど水を使っています。住民一人一人の節水意識がないと永久に水不足になるのです。「お金を払っているのだから」と開き直られると困るのです。

 わが家には数ヶ月前前まで池があって、池用に井戸を掘っています。その池も鯉が死んだため地下室にリニュアールされ、井戸の水は畑や庭の潅水専門になりました。井戸は水をくみ上げないと水みちが詰まって井戸の水が確保できなくなるため、親父は井戸水を盛んに使って野菜を作っています。夏から秋にかけての渇水でピンチだった里芋も、どうにか近所へおすそ分けが出来たのもこの井戸水と、毎日潅水をし続けた親父の懸命の努力でした。「水を制するものは国を制する」そうですが、水を持ってる西条と水が欲しい松山の水を巡る論争も一段と白熱化しています。田舎が故に水は昔からタダの風潮が強いのですが、合併によって水道代は格段に値上がりしました。ケチだけではなく、水を無駄なく有効に使う知恵をこれからも実践したいものです。

  「長電話 夕食ストップ お湯ジャージャー お陰で夫婦 お口で喧嘩」

  「満水の お風呂はまるで 温泉だ お湯は溢れど 色気溢れぬ」

  「気配りが 時には仇と なることも あるということ 肝に銘じて」

  「たかが水 されど水だと 請求書 見ながら思う ゼロの多さに」

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shin-1さんの日記

○山茶花の咲く頃・クチナシの実の色づく頃

 わが家の庭にも冬がやって来て、落葉樹は全て葉を落とし、裏山の柿の木には取り残した木守り柿が1~2個、初冬の季節を演出しています。季節は巡り今年も残り少なくなってきました。遅ればせながら今日から年賀状の準備に取り掛かります。2年半前リタイアした時に年賀状は幾ら貰っても400枚以上は出さないと心に決めていたのですが、僅か2年半しか経っていないというのに、いただいたおびただしい名刺の山を見ながら、さてどうするか思案しているところです。妻はそんな私の心情を察して800枚のハガキを用意してくれています。気がつけば昨年もその程度出したというのですから、昨年1000枚の年賀状が届いたのも不思議ではないのです。

(一重咲きのサザンカ)

 ブログを書きながら、私の書斎から眺める庭のあちこちに、いつの間にかサザンカの花が咲き始めているようです。驚いた事にサザンカの木の枝の下には時既に人知れず散りしピンクの花びらが無数に散らばって風情を醸しているのです。わが家の庭にあるサザンカは白とピンクの2種類ですが圧倒的に多いのはピンク系のようです。そのピンク系も一重咲きと八重咲きがあって、見ていると可愛いもので、思わず写真に撮ってみました。

(八重咲きのサザンカ)

 ふと辺りを見渡してみると、近くにくちなしの木がありました。くちなしは夏の花として咲く頃にはいい香を辺り一面に匂わせてくれる花なのですが、花の後の実が黄色く染まっていました。毎年この時期になると黄色く色づいたくちなしの実は摘み取って糸を通して数珠つなぎにして陰干しをし、栗を煮たりカキモチや漬物の染料として使うのです。勿論木綿布の染料としても使われるのですが、わが家ではもっぱら年末の栗きんとんづくりに欠かせないものとして重宝しているのです。もうそろそろ取り入れの時期なので、天気がよい日に摘み取って保存したいと思っています。


(黄色く色づいたクチナシの実)

 昨日は高知県西土佐の和田さんから送ってもらったユズをお風呂に入れ、一日遅れながら冬至湯を楽しみました。ユズの香りがプーンとして、冬至の夜長をポカポカした体で熟睡を楽しみました。また家の隅に置いてあったカボチャも妻が料理をして冬至カボチャとして食べました。美味かったです。季節の花を愛で、季節の旬を食べ、季節の物で温まる、これほどの贅沢はありません。田舎に住んで良かったなあとしみじみ思いました。

 これから私は年末年始を挟んで自由人らしく、何処にも束縛されず長い冬休みを楽しみます。冬休みといっても、海外旅行を楽しむようなことはありません。むしろ年中全国行脚をしているので、金をかけずのんびりと過ごす予定です。勿論日頃世話になっている妻への感謝を込めて少しだけ家事の手伝いもしたいと思っています。

  「サザンカの 花を愛でつつ 年賀状 出す人名刺 繰りつつ入力」

  「ストーブの 前でウトウト 舟を漕ぐ 一年疲れ 肩凝り腰痛」

  「サザンカや クチナシ聞いて 口ずさむ 俺は古いな 演歌が浮かぶ」

  「ユズ浮かべ 冬至湯妻と 二人して 楽しむ姿 円満なのか」   



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shin-1さんの日記

○忘年会

 酒を止めて既に8年が過ぎ去りました。昔は師走の頃になるとどちらが誘うのか誘われるのか分らない忘年会が毎晩毎晩続き、しかもその忘年会の殆どが松山とあって、妻曰く「ひょっとしたら松山から通っているのではないの?」と言われるほどでした。しかもその度に「10円タクシー」と称した妻の送迎で、妻は深夜の迎えで心身ともに疲労困憊していたのです。

 酒の飲み過ぎ?や働き過ぎ?心労疲労?が複合的に重なって胆のうを患い、胆のう除去手術によって酒を飲まなくなり、あれほど多かった忘年会はすっかり影を潜めました。故に忘年会で使ったお金は残るはずなのに、「下戸に建った蔵がない」とはよく言ったもので、小銭大銭が残ることもなく今日を迎えているのです。

 それでもまちづくりにいささかなりとも関わっている私には、まだまだ部年会のお誘いや誘いの仕掛けがあって、今月は10回くらい飲み会がありました。

 先日12月20日、生協理事会の後に忘年会がありました。道後の茶波瑠というホテルでの忘年会には女性が中心の組織だけに、一風変わった雰囲気の忘年会となりました。普通の忘年会は飲むことが目的なので、酒組とウーロン茶組の落差が大きいのですが、この忘年会は酒はほろ酔い程度で引き締まった忘年会となりました。

 数日前、理事会担当の部長さんから「忘年会の余興でハーモニカでも吹いてくれませんか」と打診メールが届きました。言われたら何でもするのが私の前向きな生き方ですから、二つ返事で「了解しました」とメールを送りました。聞けばもう一人の学識理事さんはバンドを入れて心酔している吉田卓郎を弾き語りするというので、私のハーモニカは余りにもシンプル過ぎるので、急遽最近凝っている例の落伍とハーモニカを組み合わせる事にしたのです。

 やがてプログラムも粛々と進み、30分くらいすると、いきなり私の指名がありました。私はあらかじめ用意した座布団2枚の上に座って落伍です。しかもえひめ地域政策研究センターの清水さんが、国土交通省主催の観光カリスマ塾のために作ってくれた出囃子に乗って始めたのです。案の定私のつまらない落伍の余興に会場は大受けでした。更に私はこの日のために、何とこともあろうか商売までしてしまったのです。今秋出版した落伍家夕日亭大根心講座本を木戸銭と称して一冊500円で販売したのです。ひんしゅくをかう事を承知での挑戦でしたが、酒が入った参加者は全員この場往年会詐欺商売に引っかかってしまったのです。

 結果的にはワンコイン、つまり一冊500円の高座本は参加者33人全員に売りつけました。多少心にやましさは残るものの「移動落伍独演会」は大成功となりました。

 しかし大変なこともありました。高座が終わると部長さんが、「折角ですので、高座本にサインをお願いします」とサインペンまで用意して私に迫りました。驚いたのは私です。字のまずいことを自認している私にとって、人前で字を書くことくらいつらいことはないのです。行きがかり上詐欺商法の返礼として、書く事にしました。それからはもう汗ダクダクです。下手な字ながら、短い時間に全て書き終わりましたが、こればかりは予期せぬ冷や汗でした。



 大野理事さんのギター弾き語りはプロ顔負けでしたし、大川理事長と松本専務のデュエットもいい歌でした。高座が終わった頃、友人から携帯電話が入り、今治の友人河上さんの親父さんが亡くなったという知らせを受け、通夜に出席するため奥道後~玉川のルートを走り、一人今治へ向いました。忘年会と通夜というこれまた似ても似つかぬ落差を僅か1時間の間を置いて体験した夜でした。

  「忘年会 騙したつもりが 騙されて サインするとは 赤面至り」

  「酒飲まず お茶で酔った ふりをして 余興するとは 何て度胸だ」

  「下手糞な ハーモニカ吹く 忘年会 これでも芸かや 泣くよりましか」

  「ギター弾き 吉田卓郎 歌う人 格好いいなあ 俺は適わぬ」 

  



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shin-1さんの日記

○妻の気配り

 「若松さんですか。昨日は美味しいみかんが届きました。いつも心に留めていただいてすみません。家族で美味しくいただきます」と、旅先の秋田県横手市に携帯電話がかかってきました。講演に出かけている、しかも講演が始まる前の緊張した時間にかかったものですから、相手の名前も聞こえにくかったし対応もそこそこに、「今秋田県横手市に来ています。間もなく講演が始まりますので失礼ですがまた後で」と小声で断りを入れて電話を切りました。講演の途中もそのことが気になって仕方がありませんでした。講演終了後携帯電話の着信履歴を読み出したのですが、相手の電話番号は公衆電話になっていてまるっきり分りませんでした。それでも「後で電話します」と言った手前、はてさてどうしたものかと、自宅へ電話をしました。妻もあいにく留守で、結局は明くる日の早朝になって、妻が私の知人友人にみかんを贈ったことが判明し、その中から思い当たる人に電話をかけ、会話が通じたのです。

 私は講演などで日本全国を一年中行脚しています。講演に行く先々で、公私にわたってお世話になり、縁もゆかりもないのにお土産までいただく奇特な人がいて、持ち帰る度にその人の話や町の話題を聞かせながらいただくのですが、過分なものをいただくと、妻はせっせとメモをして返礼に地元の特産品を送るのです。 

 私の町はみかんの産地です。また煮干しなどの海産物の産地でもあるのです。したがって主にそのようなものを送ってくれるのですが、私に余り相談もせず送るものですから、ついつい今回のように送ったことすら知らないで言葉が通じないことがよくあるのです。

 昨日北海道の佐呂間町から立派な帆立貝が届きました。高知県馬路村で開かれた全国大会で船木耕二知り合ったことがご縁で、紋別で開かれた網走管内の社会教育研究大会に招かれました。北海道といえば鮭やじゃがいもやシシャモなど、海の幸山の幸がどっさり獲れるところですが、佐呂間の船木耕二さんは帰りに立派なホタテの貝柱干物を土産に持たせてくれました。そのことが気になっていたのか、私に相談もなくみかんを贈ったそうです。シシャモを送ってくれた北海道鵡川町の菅原さんとともに・・・・。左様なことから帆立貝が届いたという訳です。勿論奥多摩の鈴木さんからはお菓子が、西土佐村の和田さんからは冬至だから風呂に入れろとユズまで届きました。

 船木さんから送られてきた帆立貝はこれまで食べたどの帆立貝よりも一流で、この2日間は妻と親父と三人で美味しい帆立貝の料理を堪能させていただきました。

 妻のこうした配慮は嬉しいもので、私の人間関係のよき潤滑油となっているのです。26歳で結婚して今日まで、波風もありましたが、妻の気配りに感謝するような余裕が持てる年代になりました。面と向って感謝の言葉を言えるほど器用な人間ではありませんが、それでも心の中ではちょっぴりだけ妻の気配りに感謝する今日この頃です。

  「おみかんを 送ってくれて 有難う 突然電話 何処の誰です?」

  「おみかんが 帆立の貝に 変身す 熱々食べて 北に思いを」

  「今晩は ユズのお風呂に 二人して 温もり友の 噂話を」

  「来た孫が 目敏く見つけ 封を切る 奥多摩鈴木 書かれた荷物」

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shin-1

○秋田県横手の街は凄いです③

 前日の交流会が1次・2次・3次会と深夜にまで及び、ウーロン茶と焼きそばの余韻で眠れない夜を過ごしたため、気がつくと時計の針は午前7時を回っていました。急いで身支度を整え思い切って戸外へ出てみました。昨夜からの雪は止んでいましたが辺り一面銀世界、まるでモノクロの写真を見ているような雰囲気でした。

(横手セントラルホテルのエレベーターの窓から見える雪景色)

(ホテルの前の道路の街路樹もまるで白い花が咲いたようです)

 舩木さんと同行の小林さんと三人でバイキング料理の朝食を済ませ、約束の午前8時45分きっかりに横手市物産観光課の方たちが出迎えにやって来ました。市内を視察して何かアドバイスをして欲しいという願いからの見学なのですが、最初に出かけたのは市役所の直ぐ横にあるふるさとセンターかまくら館でした。ここには年中マイナス10度に保たれた冷蔵庫のような展示室にかまくらが置かれいます。横手=かまくらというイメージが定着しているための展示なのですが、妻は友人たちと旅行に来て本物の横手のかまくらを見ているものの、私は初めてとあって興味深く見せてもらいました。私が想像していたかまくらはエスキモーが作っている炭窯風のものでしたが、円筒形なのにも驚きました。

 センターの入口には梵天も置かれていて凄い迫力でしたが、秋田市で秋田竿灯の体験展示を見ているだけに、少し雑然として展示方法に難点があると感じました。

 その後私達は増田の座敷蔵を見学しました。この地域には座敷蔵が70とも80ともいわれているそうですが、とにかくその規模の壮大さと優雅さには度肝を抜かれました。ケヤキの木の木組みやそれらを漆塗りで仕上げた匠の技は、今まで見たこともないような立派さです。かまくらも確かに横手を代表する文化かも知れませんが、この内蔵は全国級だと直感し、舩木さんと二人で様々な提案をしました。多分この文化を理解し情報発信すれば、やり方によっては冬の横手を変えるかもしれないと予感しました。こうした文化財を活用したまちづくりは市役所職員の誰かがまずその価値を信じて先鞭をつけることから始まります。誰がその役割を担うのか、それは夕日でまちづくりをした私のような存在を考えれば明らかです。市役所の無理解と地域の冷めた状況を覆して行くのは骨の折れる仕事でしょうが、そのハードルを越えねば地域は活性化しないのです。

(座敷の中に座敷があるという表現がぴったりの座敷蔵の外観)

(座敷倉の内部)

(座敷蔵の中は中二階になっていて二階部分も立派で、二度びっく

りでした)

 舩木さんと私は座敷蔵と日本舞踊、落語、食文化などとコラボレーションする事を幾つか提案しましたし、その手助けをする事を約束しました。
 私たちはその後、釣りキチ三平のふるさとと呼ばれるまんが美術館を訪ねました。横手市増田出身で「釣りキチ三平」の作者、矢口高雄さんのアトリエを再現したまんが工房は、矢口さんの人脈の広さで集めた日本全国の有名漫画家の原画が沢山展示されていました。入場料無料とは何とも勿体ない話です。

(釣りキチ三平は日本中でも有名なマンガです)

(生涯学習センターホールの緞帳も釣りキチ三平でした)

 慌しい最後はあきたふるさと村です。美術館、トリックアート、手づくり体験工房など複合テーマパークで、秋田県のお土産が全て購入できるようになっていました。年間80万人ともいわれる集客をしているそうですが、第三セクターも経営的にはかなりきついようでした。

(雪景色の秋田ふるさと村)

(ふるさと村ののロビー)

(テナント運営している物産館)

(雪の重みで曲がった竹)

(ふるさと村で稲庭手延べうどんをご馳走になりました。四国は讃岐うどんがありますが、絹のような滑らかな喉越しはやはり名品でした)

  「驚きの 目で見た増田 座敷蔵 これを活かせば 横手は磐石」

  「稲庭の うどんが勝った 料理ショー 讃岐も負けじ ご当地ひいき」

  「かまくらを 初めて体験 冷蔵庫 今度来るときゃ 本物みたい」

  「珍しき 人には雪も いいけれど 住んでる人には 厄介荷物」 

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shin-1さんの日記

○クリスマスのプレゼント

 今日はクリスマス前の3連休の初日とあって、わが家の子ども達は相談をして長男の家でクリスマスパーテーをするというのです。娘の子ども朋樹クンは5歳なのでプレゼントを楽しみにしているようで、何日も前からこの日を楽しみにしている様子が、時々かかる電話で想像できました。しかしあとの尚樹君と希心君はともにまだ赤ん坊で、何のことだかさっぱりです。娘の家族4人と長男家族3人、それに次男が参加して午後からパーティーだそうで、私達も誘いを受けましたが妻は仕事、私はペレット土づくり講習会とダブったために参加できませんでした。先日娘から連絡があり、孫朋樹君がパーティー後泊まりに来たいので迎えに来て欲しいと連絡が入っていたので、人間牧場から下山したその足で、田舎のオープンカーに乗って松山に住む長男の家に迎えに行きました。

(頭に帽子を被せてもらいご満悦の尚樹君です)

重いほどプレゼントをいただいていた朋樹君は終始ご満悦で、そのプレゼントの保管を母親に頼んでさっさと私の車に乗り込んで雨の中を双海町のわが家に向って走りました。昼間の疲れが出たのか途中眠くなったいって目を閉じようとしていた矢先、視界にマクドナルドの看板が目についた朋樹君は、一瞬蘇えったように目を覚まし、モスバーガーを買って欲しいとせがむのです。普通は泣こうが騒ごうが買ってやらないのですが、今晩はクリスマスプレゼントのつもりで立ち寄りました。ドライブスルーとかで、車の中からインターホンで注文をすると、出口で金を支払い用意された品物を受け取るという早業には参りました。インターホンの前でウロウロする私に朋樹君は○○味シェイク、ポテトフライ付き、ハンバーガーはチーズ○○、おもちゃ付きでお願いします」と、馴れたものです。うーん、時代の差を感じました。朋樹君は親元を離れた寂しさなど微塵もなく、「今晩はおじいちゃんと一緒に風呂に入り、おじいちゃんと一緒に寝る」なんて殺し文句を連発するサービスぶりには参りました。

 次男から携帯電話が入りました。先日わが家に休暇で帰った折、「ボーナスが出たらお父さんとお母さんと一緒にご飯でも食べよう」と招待を受けていましたが、ボーナスの行方も分らずすっかり忘れていました。今日長男お家へ朋樹君を迎えに行った折、次男も来ていましたが、みんなの前ではさすがに言いづらかったのか分かれた後直ぐの電話です。次男はこの4月に専門学校を卒業し正看の資格を取得して日赤に看護師として務めています。今年の冬が最初のボーナスなのでワクワクしてこの日を待っていたのでしょうが、どうもボーナスが出たらしいのです。何時になく笑顔の明るい次男の顔を見て直感しました。「食事をする時間がないのであれば洋服でも」という有り難い申し出でしたが、私には洋服のことなど分らないので「お母さんと相談して」といって電話を切りました。次男にとっては向い勤めていた会社を辞めて専門学校へ入り、正看の資格を取っての遅い再出発でしたので、今年の冬のボーナスは期待と不安で貰ったことでしょう。その一部を親へのプレゼントとは、涙の出るような嬉しさです。

 4人の子どももそれぞれに成長し、それぞれの道を歩んでいます。この日三男は仕事があってパーティには参加できなかったようですが、警察官という仕事柄年末年始は仕事だそうで、年末までには一度ご機嫌を伺いに帰郷する旨の連絡をもらいました。妻は適齢期である次男、三男の結婚のことが心配なようですが、こればかりは幾ら気を揉んでもどうにもなりません。来年は次男、三男にとっていい年であるよう願っています。

  「ボーナスが 出たのか次男 いつになく 顔色優れ 親への感謝」

  「幾つもの ポケット持った 孫たちは 晴れの日来るを 指折り数え」

  「ハンバーガー ドライブスルーへ 入るものの 戸惑うわれに 孫が説明」

  「今何処に 次男三男 赤い糸 親はやきもき 子らは冷静」

 

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shin-1さんの日記

○ペレットによる土づくり講習会

 今日は朝から雨です。私たちの住む四国は瀬戸内海に面した少雨地域で、台風などの風雨は別として、日頃はどちらかというと水不足に悩まされる地域なのです。地球温暖化の影響なのでしょうか、このところさっぱり雨が降らず、真夏でもない初冬のこの頃というのに水不足で、対策本部が設置される所もあるようです。ですから今朝からの雨は恵みの雨として喜ぶべきことなのでしょうが、今日は少年少女おもしろ教室のペレット利用による土づくり講習会が人間牧場で予定されていて、「うーん雨か、参ったな」てな感じで空を見上げました。でも私は長年まちづくりやボランティア活動に取り組んでいて、天気など人間の力ではどうにもならない出来事と割り切り、「天に向ってブツブツ言うな、雨の日には雨の日のやることがある」と割り切って、雨をどう効果的に使うか考えて行動してきたのです。ですから今日も天気予報を見て「雨かも知れないので」と雨でもできるプログラムを準備をしていました。

 今日は少年少女おもしろ教室にとっても今年最後のプログラムでした。朝からイチゴ狩りに出かけてイチゴをたらふく食べ、その後は保健センターの調理室でクリスマスケーキづくりを行い、午後1時に出発して、人間牧場に午後1時30分到着という日程を組みました。

 私はえひめ地域政策研究センターの松本さん、清水さんと三人で人間牧場へ先発隊として入り準備に取り掛かりました。昨日軽四トラックに積んで一人で運んだ40体のペレット牛糞、今朝現地で落ち合って運び入れたペレットストーブ、ペレット燃料などを所定の場所に置き、青いビニールシートを水平線の家の広間に敷き詰め、落ち葉や発泡スチロールに入れた土を用意しました。ペレットストーブとの対比実験をするため水平線の家の薪ストーブに火を入れ、パソコンやスクリーンも用意して準備万端整えました。

(ペレットストーブと薪ストーブの比較実験のために持ち込まれた大きなペレットストーブに火を入れ、テストを開始しました)
(薪ストームにペレットを入れて燃焼実験しましたが、よく燃え過ぎるようでした)

 あいにくこの日は水源地の谷の水が枯渇寸前らしく、トイレへの水の供給が間に合いそうもなく、心配の種が増えましたが、事前に子供たちにトイレは済ませて来るよう依頼をしていたので事なきを得たようです。それでも心配になったのか水源をいただいている農家のご主人西嶋さんはわざわざ水平線の家まで足を運んできてくれました。

 やがて予定された時間ピッタリに懐かしい子どもの歓声が聞こえてきました。車に分乗してやって来たのです。外は雨で傘を差しての来訪となりましたが、靴の脱ぐ場もないほど多くの子ども達が参加してくれました。

 ビニールシートの上に座った子ども達は、講師を務める清水研究員の巧みな話術に引きこまれスクリーンに映るスライドを見ながら土づくりの勉強を熱心に行いました。清水研究員はJAの職員でこの話は十八番で、子ども達にとってはまるで理科の勉強のようでした。

(土づくり講習のために集まった子ども達)
(高校生や大学生も参加をしてくれました)
(土づくりの講師を務めてもらった清水研究員)
(清水さんの指導で土と葉っぱとペレット牛糞で腐葉土づくりの実習をしました)

 やがて実習に入り、大きなたらいの中へ土や落ち葉やペレット牛糞を交互に入れて、実際に手で触り体験しました。普通は臭い牛糞もペレット状に加工処理されているため、無臭で子ども達は不思議そうに手にとっていました。約1時間の短い時間でしたが、参加した子ども達は納得して、お土産に?牛糞ペレットと燃料ペレットをポケットに詰め込んで下山して行きました。あの牛糞をポケットから出すのを忘れて洗濯したらどうなるかと思うと、笑い話では済まされないと思いつつ見送りました。

 清水さんと子どもを送って帰ってきた松本さんと三人で後片付けを行い、水平線の家の広間を丹念に掃除機をかけて一段落です。これから冬休みの私の仕事は再び落ち葉を集めて前もって用意した2メートル四方の土づくり実験場へ運び入れることです。その上にペレット牛糞や土を入れ、また米ぬかや油粕を撒いて落ち葉が発酵するのを待つのです。さて上手く行くかどうか心配ですが、来年の春4月には出来た腐葉土の苗床に種芋を植えて発芽を待つのです。芋の命をつなぐプロジェクト事業の成功を祈りながら春を待つのもワクワク・ドキドキですね。

  「腐葉土を 作る講習 受けました ペレット牛糞 匂いもせずに」

  「理論では 上手く行くはず 現実は 甘くはないと フンドシ締めて」

  「ペレットの 牛糞ポケット お土産に 洗濯する親 多分××××」

  「外は雨 中は熱気の 土づくり 子どもに分る 話難し」



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