shin-1さんの日記

○知らない伊予市を知る

 生まれたのは下灘村ですが、双海町という町に暮らして50年余りが経ちました。その間双海町の役場に35年間も勤めていて、双海町のことならたいがいなことは知っていると自負していました。ところが平成17年4月1日、1市2町の合併で双海町という名前こそ残ったものの双海町という自治体がなくなって、新しい伊予市となりました。その伊予市のことはまるでチンプンカンであることが、今日初めて分りました。

 今日は私が非常勤講師として教壇に立っている愛媛大学法文学部総合政策学科の学生24名を連れてフィールドワークに出かけました。出かけたといっても私の街へ来たのですから、ホームグラウンド訪問なのです。今日の研修を計画するに当たって、双海町役場時代に何かと一緒に仕事をしてきた伊予市産業経済課の米湊主幹にお願いして受け入れ窓口になってもらいました。米湊さんには研修計画の打ち合わせや会場、弁当の手配、門田文化協会長さんにお願いした街中研修のプログラムなどなど、門田さんとともに大変なお世話をかけてしまいました。

 私は米湊さんとの事前打ち合わせや準備の都合で松山駅からの引率はしなくて、班長さんにお願いしてJRに乗って伊予駅まで来てもらいました。列車到着時間の9時10分に駅まで迎えに行き、会場となる中央公民館までぶらり街を歩きました。

 早く着いたため研修時間を30分繰り上げ、企画財政課の鶴岡主幹の話を1時間、米湊主幹の話を30分聞きました。鶴岡主幹は市の総合計画に沿って話されましたが、合併の成果と問題点を分り易く整理され、また今後10年間の目指す方向を説明されました。米湊主幹は担当している観光を主体に私見を交えながら話されました。その後約1時間一人1問の質問に答える座談会をして午前中の研修を終わりました。

 まちづくりの基本理念が①地域の自立と活性化、②多様な地域の共生、③地域住民と行政の協働、④行財政計画であったり、地域の課題が①少子化対策、②産業振興、③中心市街地活性化、④高齢化対策、⑤住民自治の推進、⑥自然環境保全、⑦人口減少対策、⑧都市基盤整備などの問題点を抱えていたりすることは、前回お邪魔した今治市と大差がなくあらためてこれらの問題が日本的課題であることを思いました。

 しかし問題はここからどう一歩を踏み出し、どんな理想の町を作り上げようとしているのかが問われているような気がしました。学生の中にはそこら辺の特徴あるまちづくりへの取組についての質問が多かったようにも思います。私は伊予市の一市民ですが、総合計画樹立までの道程やその後の行政、裏づけとなる財政や人口など殆ど知らないでいることを恥じらいを持って聞き入りました。住民の参画と協働は謳い文句としての響きは良いのですが、さてこのままではスローガン倒れになりそうな雲行きも感じました。要は行政と住民の歩み寄りなしにはいい町は出来ないという事を肝に銘じていいまちづくりをしたいものです。

(岡部仁左衛門の銅像)
(栄養寺の山門)
(貴重な町家区割り図面)
(宮内邸)
(愛媛新聞エリアサービス・宮内邸)

 午後は、門田さんの案内で市内見学に出ました。町家を出発し、岡部仁左衛門さんの銅像、山崎屋さんの古い商家、栄養寺の本堂での町家の区割り図、、旅館つたやの見学、商家宮内邸の見学、愛媛新聞エリアサービス宮内邸の街角博物館などを、説明を受けながら歩きました。同じ市内といっても知らないし見たこともない場所が幾つかあって、私もいい勉強をさせてもらいました。学生にとっては古風な町家めぐりは今まで体験したこともないプログラムだけに目をパチクリさせながらの見学でしたが、時代をタイムスリップしたような歴史の一つ一つがかけがえのないものであることを感じ取ったに違いありません。殆どの学生が伊予市という街は始めての訪問だそうで、再訪を期待したいと思います。

  「伊予市とは 自分の住んでる 街なのに 知らないことが 余りに多くて」

  「昨日まで あの人と同じ 立場にて 声高話す 自分しみじみ」

  「もう一度 基礎から学ぶ 気概持ち 前向き生きる 一人の市民」

  「知恵者にて 町を案内 する友は 頭の中に 街の全てを」

 

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shin-1さんの日記

○新聞スクラップ

 私の書斎の書棚の上には無造作に段ボール箱に入れられた新聞スクラップが沢山あります。昔はその都度フォルダーに入れて整理をしていたのですが、その整理も追いつかずこの醜態です。私がまちづくりに関わるまでは「双海町」という文字を新聞やテレビで見ることは殆どありませんでした。多分年に二、三度出ればいい方だったように思います。まちづくりが活発になったのは昭和も終りに近づいた昭和61年頃からですから約20年間、時には小さく、時には大きく「双海町」という文字が新聞紙上を賑やかにしました。自分でいうのも何ですが、その記事の殆どの出所は私の所だったのです。

 ところが伊予市と合併した2年前から「双海町」という名前はだんだんと消えて今は狸が石を投げる程度しかお目にかかれないし、その伊予市でさえ他の19市町村に比べればはるかに少ないマスコミ掲載量なのです。最近は合併した伊予市でも少なからずほころびが目立ち、マイナス的記事が新聞紙上を賑わせているのも気になるところです。

 新聞記事は人の動きや社会の動きから生まれるもので、何にもしなければ新聞記事にはなりにくいものです。かつての双海町のようなどこにでもありふれた特長のない町は、新聞もテレビも相手にしませんでした。多分ニュース性がないからでした。私はまちづくりにとってこれは致命傷だと考え、むしろ意識的にマスコミを使ってまちづくりを仕掛けようと考えました。次々に打ち出す政策や活動の様子をアイデアでカバーしました。よく言われる「犬が人間に噛み付いたらニュースにならないが、人間が犬に噛み付いたらニュースになる」の如く、一工夫も二工夫も知恵を出しました。マスコミが注目するニュースをどんどん出したのです。結果的には県内では注目を集める町になりました。

 今ではすっかり有名になっている夕日だって、マスコミの力がなかったらこんなに成長はしなかっただろうと思うのです。宣伝費のないわが町が巧みな情報戦略で公共情報媒体を使ってやったまちづくりの数々はこれからもまちづくりのヒントとして見習って欲しいと思うのですが、残念ながらその素養を持った役所の職員にはお目にかかれないのが実態です。マスコミに媚を売るようなことはしなくてもいいのですが、せめて地域の人が頑張る姿を小まめに新聞に載せてその気にさせることぐらいはやって欲しいものです。

 先日マスコミ関係者と最近のまちづくりや役所の実態についてお話をしました。役所は昔から臭いものには蓋をする習慣があります。マスコミはその臭いものを蓋を取って確認したがるのです。蓋を取って匂いが出れば市民の知る権利や正義として記事にします。役所はその蓋に鍵を掛けて匂いの出ないよう統制をする、マスコミはその鍵を更に開けようとして攻防が始まり、結局は後手に回った役所は事の重大さに気がつきお詫びや説明責任を果たさなければならない醜態となるのです。マスコミを敵にするか見方にするかは、こちらのやり方だと思います。

 先日佐賀県へ講演に出かけました。その模様が佐賀の新聞2社で記事となり、関係者から送られてきました。見落とすような小さな記事ですが、この情報発信こそ大切な仕事なのだということを、役所の人間はもっと認識すべきではないかと思うのです。私が毎日書くブログも、新聞に出た記事も読まない人には何の情報にもなりません。毎月発行し広報委員さんを通じて送られてくる広報も読まない人には紙ごみです。どうしたら読んでくれるか考えなければその次には進めないものです。読者を登場させるという関心の引き方もたまには必要だと思うのです。

  「近頃は 新聞テレビ 出なくなる 双海という名 陰に隠れて」

  「スクラップ 箱に入れられ 書棚上 一度整理を 思いつつウーン」

  「三面に 出る記事役所 嫌がって 蓋をしたがる あいも変わらず」

  「佐賀の地で 話した話 新聞に 友の送りし ファックスを読む」

 

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