shin-1さんの日記

○梅が大豊作

 昨年も梅が豊作で梅干しや梅酒を沢山作りましたが、今年も昨年に続き豊作のようで、わが家の作況指数は大豊作というべきでしょう。今日は大学の講義日だし明日の佐賀県入りのこともあるので午後からはその準備で忙しいため午前中思い切って人間牧場へ梅の収穫に出かけました。今日の午前中は昨夜の雨は上がったものの霧が立ちこめ太陽も薄日程度で暑くもなく梅もぎ作業には絶好の日和でした。昨年は日記によると6月2日に梅取りをしているのでその頃でもと目安にしていましたが、今年はその日がほたる祭りで愛媛大学の和田先生たちがやってくるので、今日が適期とばかり20キロ入りのキャリーを二つ、それに発泡スチロールの箱を2つ持ってソウチョウ時過ぎに妻の作った弁当とお茶を持って家を出ました。

 人間牧場につくと早速みかん収穫袋を首にぶら下げて梅もぎを始めました。梅の木は11本あるのですが人間の世界と同じように毎年マメに実を付ける木もあれば、隔年結果の木もあって中々上手く行かないものです。それでも一番沢山なった木は何と20キロキャリーに2杯です。「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」といわれ梅は選定をしなければいい実はなりませんが、わが家の梅の木は殊勝にも選定もせず、消毒もせず、肥料も一切やらないという完全に粗放農業なのですが、何故か毎年多くの実を付けて暮れるのです。品種ははっきり分りませんが加賀梅と紀州梅のようだと森林組合の人がいいました。

(左と真ん中のキャリーの梅が一本の木から収穫した梅の実です。右端は別の木の中梅です)

 3箱収穫したところでお昼になったので、梅を入れる容器がなくなったので弁当を食べぬまま車に積んで下山しました。お昼休みに帰った妻に収穫した梅の実を見せると少し憂うつな顔をしました。sれもそのはず、梅の漬け込みはもっぱら妻の役割だからです。加えてこの梅を漬け込むとなると容器や塩や梅酒用のビン、砂糖など材料の調達にかなりの費用が要るからです。でも人間牧場で一年間飲むに足りる梅ジュースを造ることが理想なので、平身低頭お願いする事にしました。残念な事に私が出張のため在宅で手伝えない恨みもあるので大きな口はたたけないのです。

 大正初期の国語読本に「梅の一生」という文章があったので参考までに紹介しておきます。

  梅の一生

 二月三月花盛り

 うぐいす鳴いて春の日の

 楽しい時も夢のうち

 五月六月実がなれば

 枝からふるい落とされて

 村からまちへ持ち出され

 何升何合の計り売り

 元より酸っぱいこの体

 塩につかって辛くなり

 紫蘇につかって赤くなり

 七月八月暑いころ

 三日三晩の土用干し

 思えばつらい事ばかり

 これも世のため人のため

 しわが寄っても若い気で

 小さな君等の仲間入り

 運動会にもついて行く

 まして戦のその時は

 なくてはならないこの私

  「梅の木は やたらと刺が 飛び出てて 体のあちこち 引っかきだらけ」

  「花を愛で 実を加工して 二度も得 梅酒三度目 賑やか酒宴」

  「収穫の 喜び束の間 妻の顔 梅を処理する 今日は残業」

  「大正の 国語読本 戦詠む 今は平和な 世の中ゆえに」


 

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shin-1さんの日記

○買ってもらった麦藁帽子

 もう二年前の出来事になってしまいましたが、人間牧場の構想を立ち上げるため双海町下灘池久保の廃園に入ったのは4月のことでした。教育長を辞し念願の自由人になった喜びに浮かれていた矢先、妻から地下足袋と麦藁帽子をプレゼントされました。ホームセンターの買い物袋に入った真新しいコハゼが10枚もついた地下足袋を履き麦藁帽子の出で立ちで人間牧場の大地に鍬をふるい、まるで西部開拓のような強い意志に燃えていました。あれから二年の月日が流れましたが、概ね五年間を目安にしていた構想の実現は息子の協力もあって予想以上の進捗を果たし、今は全国から沢山の心ある人たちを迎えるまでに成長したのです。

 六十歳という人生の峠を越えて普通であれば一服し、底からは緩やかな下り坂に向かうのであろう人生を、もう一度次の峠を目指そうと決意できたのは実は妻からプレゼントされた地下足袋と麦藁帽子でした。旅には旅支度というのがあるのでしょうか、無位無官となったサンデー毎日の私に似合う旅支度はどうも地下足袋と麦藁帽子がよく似合うような気がするのです。「そんなみっともない作業着は捨てたら」と妻がいう使い古しの作業着も「まだ着れるから洗濯しといて」とねだって、相変わらずその格好だと下の下の人間風袋で農作業を楽しんでいるのです。

 近頃の太陽の照り返しはひどくて、毎朝顔を洗う時自分の顔の黒く日焼けしてゆくことに気付いているのですが、別に気にもせず日焼け止めなど塗る顔でもなく平気で人前にも出ています。最近仲間から「若松さん少し元気になったみたい」とよく顔つきを見て言われるようになりました。多分日焼けのせいではないかと思うのです。胆嚢という小病を患い68キロあった体重は56キロ

にまで落ち込んだままです、ガンではないかと噂された体力もそれなりに回復し、農作業で筋力も少しだけアップししました

が、その体力を支えてくれたのはやはり妻のプレゼントしてくれた地下足袋と麦藁帽子でした。その麦藁帽子がかなり痛んできました。地下足袋も麦藁帽子も人間牧場水平線の家常備品として置いていますが、数日前わが書斎に麦藁帽子がひとつ無造作に置かれていました。「顔の色が日焼けして黒くなった」という私の言葉に反応しての妻からの嬉しいプレゼントなのです。前回買ってもらった麦藁帽子は作業に適した縁の小さいものでしたが、今回の麦藁帽子はおじさん用とでもいうべきひさしの大きいもので作業には不向きです。でもこのくらいないと夏の暑い日差しは遮れないのかも知れません

 昨日の夕方外出先から帰って夕方まで時間があったので家の外周りの草削りをしましたが、新品の麦藁帽子を被ってやってみました。仕事から帰った妻が「まあお父さん似会うじゃない」とまるで自分のことのように褒めてくれました。「お前だけじゃあ、俺を褒めてくれるのは」と大笑いしましたが、嬉しい贈り物です。多分この麦藁帽子はささやかな父の日のプレゼントとしてお茶を濁されることでしょうが、そんなに欲しいものがあるわけでもなく、これが一番のプレゼントとして喜んでいただきます。

 麦藁帽子が恋しい、そして麦藁帽子が似合う季節になりました。子どもの頃近所のおじさんが麦藁帽子を被って腰に手ぬぐいをぶら下げて自転車に乗っている姿を思い出しました。多分近所の子どもの目にも私の姿はそのように映ることでしょう。

  「麦藁の 帽子を被り 歩く俺 子どもの目には どんなに映る」

  「父の日の 贈り物かや 麦藁の 帽子わが部屋 そっと置かれて」

  「真っ黒に 日焼けしている わが顔を お元気そうでと お世辞いう友」

  「化粧品 つけず六十 有余年 だから綺麗じゃ ないはずですね」

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