shin-1さんの日記

○生まれ変わった高松

 四国の玄関口という名前を長年欲しいままにしてきた高松には、その名残か今でも国の出先機関や会社の支店が名前を連ねています。しかし最近橋が架かったり情報網や交通網が発達して、大阪に近いという地の利が崩れ、NHKや郵政などが四国ブロックの拠点を愛媛県に移したりしたものですから、高松の存在が薄くなっていました。また瀬戸大橋ルートや明石・鳴門大橋ルートが開通して宇野・高松連絡船もその座を奪われると、高松の衰えが急速に目立ち始めていたのです。起死回生で望んだ高松駅周辺の再開発は予想以上の効果を生んで、今ではまさに高松の玄関、高松の目玉、高松の中心として大きな役割を果たしつつあるようです。残念な事にその反動で中心市街地の凋落は目を塞ぎたいような感じですが、それも仕方がない出来事として、新しい街への期待をしなければならないようです。

(えっ、これ東京じゃないの?と見まがう程のサンポート高松の中心施設です)

 先日5月24日内閣官房から要請があり、サンポート高松で開かれた「地域活性化応援隊派遣相談会in香川」という集会に出かけました。このところ香川県高松市での集会は殆どこの会場や全日空ホテルを使うためすっかり馴染みの場所となりました。何せJR高松駅の構内のようなものですからアクセスがすこぶる便利で、また海に面した新しい感覚の施設なので快適なのです。しかしまだこの施設は香川県や高松市はもてあまし気味で、察するに稼働率はそんなに良い方ではないのではないかと思われ、今後のコンベンションとしての利活用が待たれるところです。

(サンポートホール高松はまるで宇宙基地のようです)

(海辺の全日空ホテル)

 この日の会合は、「地域活性化伝道師」という肩書きを地域活性化担当大臣からいただいた最初の仕事でした。最近阿部内閣になって霞ヶ関の職員が盛んに地方へ出かけて対話する姿が見られます。これまで政府のことは東京で決まった話として情報公表されてきましたが、顔の見えるようなことはまずありませんでした。ましてや出先ならいざ知らず政府の役人から直接仕事を頼まれることなど殆どなかったのです。会議は内閣官房から構造改革特区・地域再生に関する制度説明に続いて二人の伝道師が30分ずつの持ち時間で事例紹介をしました。その後は伝道師・象徴担当職員による個別相談が行われましたが、私たちへの相談は防犯・防災のまちづくりの組織化と行政の関わり方でした。少し難しい話なので割愛しますが、平成の大合併後の首長選挙が大きな問題を投げかけている事に気付きました。

 首長には民間・行政経験者・議会経験者などが立候補しますが、無党派層を意識してマニフェストを掲げて現職組に揺さぶりをかけ、功を奏して就任した首長は外から行政を見ていて矛盾と思える事を様々な方法で解決しようとします。その場合義かとの軋轢や職員の抵抗にあって中々思うように進まないのですが、それでも4年という短い任期に全ての思いをぶつけて行政をするのです。結果的にいい行政が行われればいいのですが、無理難題を突きつけられた職員はたまったものではないと、冷や汗をかいているようでした。

 行政の本来の目的は地域住民の幸せ実現のためにやるのですが、人気取りになったり一部の人の都合の良い方向に誘導される危険性もはらんでいます。いいトップに恵まれた私の町も合併して少し遠い存在のトップに変りました。でもトップを身近に感じるような行動を私たち市民も参画と協働によって実現させなければならないと思うのです。

  「哀愁を 帯びた汽笛や ドラの音 五色のテープ 記憶の底に」

  「新しき 海辺の街を 潮風に 吹かれて歩く 皐月のどけき」

  「この頃は 霞ヶ関の 役人も 地方重視と 巡回歩く」

  「島行きの 小さな汽船 客を乗せ 長閑けき瀬戸を 右に左に」

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shin-1さんの日記

○まるでおもちゃの買い物篭

 娘の出産が近づくと人間は誰でもそうなのか分りませんが、今まで気付かなかった妊婦の姿があちらこちらで目に付くようになって、妙に娘お腹と見比べたりするのですから不思議なものです。「あのお母さんの腹は前へ突き出しているから男の子かな。あのお腹の具合だと女の子に違いない。」とか、「盲9ヶ月くらいでいよいよだな。」何て他愛のない目でジロジロ見たりするのです。多分相手となる妊婦は「まああのおじさん私のお腹をジロジロ見ていやらしい」と思ったに違いないのです。

 先日東京へ行きました。町中に人が溢れて活気があるようにも見えましたが、信号が変るとまるでアリの集団が何の目的も持たずあちらこちらへとうごめいているようにも見えて、都会のすき間を垣間見るようでもありました。そんな群集に混じって若いお母さんと生まれたばかりの子供をつれた姿を何度か目にしました。ベビーカーに乗せてゆっくりと歩いている人、赤ちゃん専用の抱っこ用具で前に抱いて歩いている人に混じって篭に入れて持ち歩いている人を見かけました。

 動くベットのような籐で出来た篭に入れられた子どもはまるでおもちゃのようで、思わず無造作に歩く母親の姿を見てしまいました。若い母親は今流のお化粧をしてとても産後とは思えない体型をしており、産後すっかりやつれた姿をしているわが娘とはまるで大違いなのです。その母親は信号待ちしている間は、腕がだるのか買い物を置くように無造作にそのベビー篭を地面に置いて化粧を直していました。明らかにベビーは二の次で、第一は自分の顔の化粧直しなのです。やがて信号が変りびこの母親はベビー篭をブラブラさせながら雑踏の中を歩いていましたが、赤ちゃんがトラックのクラクションに驚いて泣き始めると歩道の隅に寄って、ベビー篭に入れてある哺乳瓶を赤ちゃんの口にあてがい、地べたに置いたまま無造作に飲ませ消えて行きました。

 この光景をじっと眺めながら、「ウーン、時代は変ったなあ」としみじみ思いました。時あたかも国会で「母乳問題」が議論されています。「子育てには母乳を」と提案すれば、「母乳の提案は母乳の出ない人に失礼で、そこまで個人のプライバシーに踏み込むのは配慮に欠ける」と反論するなど、親と子どもの子育て議論など棚に上げ、わが党が正しいという一票獲得争いをしているにしか思えない寂しい日本の政治家の意識と行動が若い母親の姿とダブって見えました。

 わが娘は一人目もそうでしたが、今回のお産も母乳がよく出ます。生まれて10日目の赤ちゃんは毎日母乳を飲んでスクスク育っています。母乳の効果については諸説ありますが、門外なので語ることは出来ません。母親が持っている病気への抵抗力も備わっている母乳は他に比べることのできない飲み物であることは確かです。もっと大事なことは授乳を通して母親の体温や心の温かさを赤ちゃんに伝えることだと思うのです。これこそサムシング・グレート(遺伝子という目に見えない自然の偉大な力)だと思うのです。母親は授乳を通して赤ちゃんに語りかけ、時には子守唄を口ずさみます。まだ目の見えないはずの、まだ何の意識もないはずの赤ちゃんが授乳の時自分の手で母親をつかみ、目でしっかりと母親の顔を見ているのですから無意識ながら凄いエネルギーの注入なのです。

 一人の人間のまだ始まったばかりのスタートは、授乳という行為で赤ちゃんに大きな支援をしています。その行為は一人の人間の将来を左右するとても大事な出来事なのです。母乳を飲ませる行為をたとえお乳が出なくても赤ちゃんにしてあげることは日本の将来にとっても必要なことかも知れないとしみじみ思いました。

  「篭に入れ まるで赤ちゃん お買い物 今様ママは これが子育て」

  「わが娘 お産の後の やつれ顔 それもそのはず 大きな仕事」

  「目も見えぬ 赤子キョロキョロ 乳を飲む 心ほのぼの 娘の姿」

  「ああ俺も あんな時代が あったのか 今は一人で 大きくなったと」

 

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