shin-1さんの日記

○地域づくり人養成講座

 えひめ地域政策研究センターでは、次代を担う地域づくりリーダーを養成するため講座を開いていますが、昨日その成果発表会と終了式が行われ、助言と総括の講演に出かけました。名前こそ違え毎年行われている講座ですが、今年の参加者は特徴のある人が多く、発表も中々味があって面白いものでした。そもそもこんな講座を開く場合の大前提は、主催する側の担当者がどんなイマジン(人間性)とスキル(やる気や技術)を持ち合わせているかです。今回の講座を担当した清水研究員はJAからの出向職員なのですが、彼の思い入れそのままにまちづくりと経済の融合をちらつかせる発表も結構ありましたし、まちづくり理論を既に実践に結びつけている人もいて頼もしい限りでした。普通まちづくりはまるで絵に書いたような理想論に走り、経済や実践へのアプローチが出来ないことが多いのですが、清水研究員の個々に対するアフターケアーが行き届いていていい雰囲気で終わりました。

 そんな中で事前に送ってもらったレポートを読んで、強いてあげれば私は次の数人の話に関心を寄せていました。

 一人は四国中央市から参加した深川正延さんです。彼は農業を生業としていますが、人間力のしっかりした人物で、食に対する造詣も深い実践家ですが、地域のスキルアップにジレンマを感じているようでした。

 保内町から参加の佐々木勝久さん(77歳)は残念ながらご病気で清水さんがレポートを代読されましたが、自分の年表を書かれ、旧家の保存活用に頭を痛めているようでした。

 大洲市肱川から参加の冨永清光さんは、ダム水没地域の地域活性化と神楽の保存について過疎と高齢化、少子化が同時に進行する山間地の活性化についてこれまた頭を悩ませているようでした。

 我孫子尚正さんはNPOまちづくりプロダクションの設立という新しいテーマの夢を具体的に提案しまちづくりと経済の融合を目指しているようでした。

 越智保緒さんは建築家で建築の創られ方について、自分の設計した建物を示しながらまちづくりと街づくりの在り方を研究しているようでした。

 自分の思いを文章に書くことはパソコンが幾ら普及しても書くと打つの違いだけで難しいものです。ましてや与えられた10分という時間内にそれを人前で発表することはもっと難しく、更に書いたことを発表し喋り、実践に移すことはもっともっと難しいものです。ましてやそのことが人々の感動を得るようになるには、それ相当の年月も必要でしょう。

 私はセンターの丹羽部長さんと二人でこれらの文章や発表に対してショートコメントを送りました。適切なコメントであったかどうかは分りませんが、文章を読み、発表を聞いたそれぞれの人に、これからも求められればアドバイスをしながらともに地域づくりを広げてゆきたいと思っています。

 イマジン(人間力)を縦軸↑にするなら、スキル(やる気・技術力)は横軸→、縦軸↑と横軸→の真ん中に結ばれる点に遠心力を加えて大きな力にして広げて欲しいと願っています。なおそれぞれの上記赤字の悩みについては、順次ブログで解き明かしてみたいと思っています。

  「十分(じっぷん)に 人それぞれの 想い込め 発表冷や汗 忘れないでね」

  「ああ俺も あんな時代が あったっけ 初しさ残る 若き人見て」

  「倖田いう 女性タレント 追っかける 近くの部屋で 地域語りぬ」

  「人は何 何処を目指して 生きるのか 人間模様の 数は果てなく」 




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shin-1さんの日記

○一本の角笛

 昨日出張先から帰ってみると、段ボール箱の宅配便が一個届いていました。送り主は群馬県大泉町議会事務局と書かれています。私の元へ爆弾など届くはずもないので、妻は私の帰りを待ってからと思い開けることもなく居間の隅に置かれていました。議長さんと副議長さんと3人で講演会終了後覗いたブラジル人相手のお店で購入した、見たこともないような食べ物が沢山入っていましたが、それらの土産品に混じって一本の角笛が入っていました。この角笛も私が講演で吹いたハーモニカを意識して、「若松さんハーモニカとホラを吹くのもいいが、大泉町の宣伝のためこの角笛も吹いて下さい」と村山俊明議長さんが、やはりブラジル人相手のお店で買ってくれたブラジルの民芸品なのです。

 妻が「これ何?」というように少し曲がった動物の角を加工した角笛のようです。私は水牛かなと思っていましたが、正体ははっきりしていません。私は夜10時を過ぎているというのに、ついつい嬉しくなってこの角笛を吹いてみました。議長さんから「角笛はトランペットの要領で吹くのです」と聞いていたので、唇を震わせて吹いてみましたが、まるで間の抜けた屁のようで、妻からは「ヘタだねえ」と笑われ、雑音として「明日にしたら」でけりでした。

 夜が開けるのを待って再度挑戦してみました。はい、何とか音が出るようになりました。要領はほら貝を吹くのと同じで、最初は唇全体で吹いても中々音が出ませんでしたが、口の横で吹くと簡単に音が出るようになりました。

 さてこの角笛の使い方ですが、適当な大きさではあるものの木になるカバンの中に入れて持ち運びすることは出来ないようなので、全国行脚では吹けそうにもありませんが、人間牧場でだったら活用可能ではないかと思います。人間牧場水平線の家のウッドデッキで海や大空に向かって勢いよく吹けば気持ちのいい音が山々にこだましていい気持ちになることでしょう。早速今週には人間牧場へ行けそうなのでテストしてみたいものです。村山議長さんがいうように「ハモニカもほらも吹くが角笛も吹く」というキャッチコピーが出来上がったようです。

 子どもの頃から英語や音楽を習っている日本人は何故か英会話や楽器の演奏に弱いです。私もギターやピアノが家にあるのに殆ど吹かずまるでインテリアのようです。勿体ないことです。ホラはもう何十年前から吹いていますが、数年前から始めたハーモニカは随分レパートリーも広がって、即興でリクエストに応えれる(ただし童謡やナツメロくらい)ようになりました。小さな持ち運びの出来る楽器のハーモニカですが、講演の巾を広げたような気がします。やはり日本人の心には体感音楽として昔聞いた歌の思い出が残っているのです。

 村山議長さんからいただいた角笛をせいぜい練習して大泉ラッパを全国からやって来るであろう皆さんに鳴らし続けたいと思っています。

  「ほらも吹く 角笛も吹く ハーモニカ 吹くもの増えて 汗を拭きつつ」

  「面白い パロディ分る 議長さん 角笛吹けと 宅配便にて」

  「もうコツを 全てマスター しましたよ 角笛高き 音を楽しむ」

  「大泉 群馬のどの辺 知らなんだ 今では俺の 親戚みたい」 

  


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shin-1さんの日記

○夕日が気になる

 夕日が日本一美しいと自認する双海町に住んでいながら、講演行脚を続けている私にとっては、その夕日を見ることが叶わないジレンマに悩まされています。今の時期だと日没の時間も1月1分、2月2分といわれるように毎日日没の時間が遅くなって、もう夕方7時頃でも天気のよい日は西明かりが見えるほど日が長くなってきました。多分今頃だと夕方5時半を有に過ぎる頃に夕日が沈むのです。でもその時間帯は殆どが車の中で、二日前も松山から帰り伊予市付近の車の中で真赤な太陽が海辺に沈むのを見ました。その度に「もう少し早く帰ればよかった」と残念がったり、「今頃双海町のシーサイド公園では若いカップルがこの夕日を楽しんでいるんだろうな」などと空想したりするのです。最近はデジタルカメラを車に積んでいるので旅先でもいいアングルの夕日にお目にかかるとシャッターを切るよう心がけていますが、車で移動中にはそれさえも叶わないのです。

 先日香川県高瀬町の商工会女性部に招かれて研修会に行きました。田んぼの中の立派な料理屋さんで開かれた新年会とセットの研修会には、県議会議員さんや地元三豊市議会議長さん、商工会長さんなどお歴々も集まり華やいだ雰囲気で、新年会の前の講演はまるで継ぎ足しのような感じがしましたが、それでも女性部の皆さんが沢山集まり熱心に耳を傾けてくれました。三豊市という合併によって誕生した新しい街では今春商工会も合併をするとかで、その話がもちきりのようでした。まあそんな話より私の目先は着飾りお化粧した綺麗な女性群の顔々にうっとりしながら「心豊かに生きる」と題し1時間以上も話したのです。

 カーナビで料理屋さんの場所を探し夕方6時からの会合だったので、冬のことゆえ少し早く到着して料理屋さんの駐車場あたりをうろうろしていると、庭の向こうに綺麗な夕日が落ちるのが見えました。このあたりの海も燧灘というのでしょうが、三豊市高瀬平野のその向こうに沈む夕日はやはり海に沈む双海町の夕日には適いませんが、それでも思わずパチリと写しました。

 少し高台の冬枯れの木立がその美しさを一層引き立たせているようでした。

 一方先日友人岡田さんの紹介で大阪の東尾メックという会社にお邪魔して講演をしました。岡田さんとはそんなに数は会っていないのに深いご縁をいただき、偶然大阪梅田駅近くの食堂でばったり会い、その折東尾メックへの講演依頼を受けたのです。岡田さんは東尾メックという会社のアドバイザーをしておられますが、この日は私のためにわざわざ同行してホテルまで迎えに来ていただいたり、近所の有名なお不動さんにお参りに連れて行ってもらったり、随分気配りの出来る方です。その旅の帰り、淡路島を走るバスの中から一宮辺りで綺麗な夕日を見ました。東尾メックの東尾社長や岡田さんとの出会いの余韻を感じながら見る夕日も味のある夕景でした。

 この夕日が沈む町はかつて交遊した所で、今は亡き島津三郎先生や、役場に勤める一貫田達也さんと議論したことも頭をよぎりました。夕日は時として悲しく過ぎし日や逝きし人、懐かしい人を思い出させることもあります。それでも私は燃え尽きて海の彼方に沈む夕日に明日への期待を込めて見送るのです。

  「訪れし 高瀬の町の 料理屋で 夕日眺めつ ふるさと思う」

  「この夕日 地球上では 俺一人 見てるだけかも 心ときめき」

  「淡路路を 走る車窓に 夕日落ち 亡き人思い 家路急ぎぬ」

  「また今日も 潜在夕日 コマが増え 人に聞かせる 話あれこれ」  

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