shin-1さんの日記

○今年最後の山陰への旅

 9月19日の伯耆町への旅を皮切りに島根県西ノ島、北栄町、江府町、米子市と続き、今回の日野町への旅で年内の山陰巡りは一応の終息です。中四国と一くくりでいわれながらこのエリアは高速道路を使っても高速道路の向こうが更に遠く、公共交通機関を使えばなお更、近くて遠い場所なのです。今回は旅のアクセントとして往復まったく別の道を通りたいなんて私の身勝手も、東京行きの立て込んだ仕事の関係で松山道・高松道・米子道を一直線に結んで突っ走るハイスピードな旅になりました。

 山陰への道すがら何気なく通る日野町の光景も、根雨という宿場町の地名も見慣れた光景なのですが、いざその町に踏み込んでみると、隣町江府町と同じように素敵なところとそれなりの悩みが見え隠れして、今回もいい勉強をさせてもらいました。伯耆町、江府町とまるで追っかけのように必ず顔を出してくれる町会議員の田中幹啓さんから、事前にその町の鳥取県における位置や文化度などの情報が寄せられるものですから、今回は「生涯学習とまちづくり」というテーマでもあったので少し内容を変えた話にしました。夕日によるまちづくりという話への期待感もあったのでしょうが、多分評価は分かれるところだと承知のうえで生涯学習に重きを置いて話したつもりです。明くる日早朝、出張先の東京新宿駅に田中議員さんから反響についての一報が入り、少し安堵の胸を撫で下ろしました。

 伯備線特急やぐもに乗って通り過ぎる根雨の駅前に役場と文化センターは並んで建っています。文化センターの下は図書館になっていて田舎町ながら施設の充実度や人々の暮しが文化的でかなり質が高い町民性を有しているとお見受けしました。それは人の集まりと話への感度からも十分読み取ることが出来たし、何よりも発表と講演のつなぎアトラクションに参加した子どもたちの真摯な姿が感動ものでした。私に対応していただいた教育長さんと女性課長さんと3人で文化センター出演者控え室のモニターテレビで説明を聞きながら見せてもらいましたが、いい子どもたちがいい教育環境の中で育っていると思いました。特に最後に登場した町民ミュージカルは、間近に迫った公演のPRも兼ねていたようですが、実に活き活きと輝いて見えました。近くだったら見に来るのにと思ったほどでした。最近はどこの街でもこうした市民ミュージカルが活発で、田舎はややもすると古い文化の伝承活動を重んじる余りに創作文化を忘れているきらいがありますが、4回も続いている市民ミュージカルに大きな拍手を送りたいと思います。多分町民は私たちの町と同じように演歌カラオケ大会の方に興味を示すでしょうが、新しい文化とは白いご飯に石ころが入っているようなもので最初は受け入れ難いものです。安心と安全にあぐらをかく人たちでも、何回かミュージカルを見ているとミュージカルが分るようになるのです。私の町だって夕焼けコンサートが受け入れられるのに21年も経っているのです。

 日野町はおしどりの里としても有名だそうです。おしどりはその羽色の美しさから色々と紹介されているし、おしどり夫婦なんて言葉も仲のよい夫婦の代名詞に使われているようです。鶴が一生相手を変えないのに比べ、おしどりはあくる年別の鳥に求愛することを揶揄する話も聞きますが、まあ賢明な人間ですら不倫をする時代ですから余りそのことを詮索しない方がいいのかも知れません。

 おしどり観察小屋の見える料理屋3階の部屋で短い時間ながらお歴々とともに昼食をいただきました。鴨肉を陶板で焼いて食べる定食は中々の味で、下を流れる川や根雨橋を遠望しながらひと時の懇談をし、小雨そぼ降る中をインターに向けて走りました。

 帰り道金持神社の看板や金道下・金道上なんて地名も珍しく眼に入りました。何でもこの地名や神社の名前が最近有名になって、山陰の旅ツアーにも組まれているそうです。まちづくりアイディアマンの私としては是非この地名を使ったまちづくりを提案したいものです。差し当たり金持神社の横に宝くじ売り場を設置したいと思います。そうすればどんどん人がやって来て、噂が噂を呼んでくるに違いありません。人間はお金持になりたい、幸せになりたい、長生きがしたい、成功したいという4つの願望は殆どの人が持っているのですから、成功間違いなしだし、経済的効果も期待できるでしょう。

  「目に付いた 金持神社の 看板に アイデア色々 必ず儲かる」

  「おしどりは 不倫の鳥と 揶揄するが そんな人ほど 不倫に期待」

  「ミュージカル それより演歌 言う人が 多い田舎は これからつまらん」

  「根雪より 根雨の響き 雨情詩が 似合う宿場に 小糠雨降る」 

  


















 

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shin-1さんの日記

○田舎と都会

 田舎の反対は都会でしょうか。定年でサラリーマン生活をリタイアした私には出張など縁遠いものと思い、都会への旅はもう旅行にでも行かなければ高嶺の花だと諦めていましたが、私のリタイアを知った多くの方々から講演のお声がかかるようになって、再び田舎と都会の往復が出来るようになりました。つまり私は当てはないけれど不定期的な田舎と都会のパスポートや情報回路を手に入れたのです。これは私の人生にとって極めて大事な出来事で、今やそのことが日々の暮しにメリハリをつけてすこぶる充実した日々を送っているのです。

 一昨日まで東京で2日間過ごしました。このところ頻繁に行く東京ですが、さすが東京は世界に誇る街だけあって行く度に様々な新しい発見があって、何か分らない新しい風を感じるのです。多分私が普通は田舎に住んでいるからその異文化ギャップの大きさを感じるのかも知れません。だとしたら田舎に住むことは都会を感じる一手段だと思えば、うかうかと田舎に住むのではなく、都会から帰って感じる田舎の良さも悪さも含めて少し勉強しなければならないのです。

 私の町に住む人たちの殆どは田舎暮らしに満足したり不満を言ったりしながら日々の暮しに明け暮れていますが、都会という対立軸にある社会をさも知ったかぶりで一方的にののしったり、田舎の良さを誇張しているのです。「都会は人間が信用できなくて治安が悪い」「都会は騒音がひどく大気が汚い」「都会の水は臭くて飲めない」「都会は人が沢山いてごみごみしている」などなど、都会の悪い面が強調され、結果的に「都会は悪い」というレッテルを張るのです。

 じゃあ反対に都会から見た田舎はどうでしょうか。確かに田舎が主張する都会の悪さはある面であるにしろ、田舎だって五十歩百歩だと思うのです。「田舎はのんびりしているというがハエが止まっても分らないような田舎ののんびりは如何なものでしょうか」「2時間に一本しか来ないような列車を待たなければならない不便さは如何なものでしょう」「雨が降れば濁る水は果たして衛生的で美味い水といえるでしょうか」「人の噂を噂話としてあることないこと話して喜ぶ社会は正常でしょうか」。なんて考えると田舎の住みにくさも随分考えさせられる部分があるようです。

 水は必ず高い所から低い所へ流れます。人間は文化の低い所から高い所を目指すのです。じゃあ文化が田舎にないかとお叱りを受けそうですが、決してそうではありません。むしり田舎には都会にない誇るべき文化が一杯あるのです。でも田舎はその持てる文化に気付かず、時代の流れと片付けてどんどん失っているのです。このような田舎では過疎になって住む人がいなくなるのは当然のことかも知れません。水が美味い、空気が美味しい、人がいいだけで人は住めないのです。事実私の町でも水が美味しいのに、空気が美味しいのに、人がいいのにこの50年間で人の数は1万人から5千人に半減しているのです。つまり田舎は田舎らしく生きる知恵をこの50年間持たなかったのです。空気が美味く水が美味しく人情が豊なのに自分の子どもには「こんな田舎に住んでいたら父ちゃんみたいに田舎にくすぶって生きなければならない」と「向都離村」の教育をさせ、優秀な子どもに育てて都会へと送り届けてきました。田舎は都会人になるための「都会人養殖場」だったのです。結果的には長男がいやいや残る社会となりました。役場も過疎地脱却と称してそれを後押しし、都会の真似をすることがさも過疎対策だと言わんばかりに横並び幕の内弁当のような文化会館を無造作に建てたりしてきました。嘆かわしいのはこれほど時代が田舎のスローな暮しを欲しているのにそのことに気付かず、いや気付こうともせず相変わらず田舎の何であるか分らぬままに一方では田舎の良さを過信し都会の悪口を言いながら何もせず暮らしているのです。

 昨晩愛媛大学で藤目先生に出会いました。立ち話もなんだからと先生の研究室で話しました。前回会った時はグリーンツーリズムをお互い進めようと張り切っていた先生が、少し落胆するような話をするのです。愛媛の、特に南予を活性化しようと愛媛県庁がやっきになっているようです。多分来年早々行われる県知事選挙の対策と思われますが、それでも遅れている第一次産業を活性化しようとする方針には大賛成です。でもかつて南予レクリェーション都市構想をうたい、莫大な資金を投入した惨めな結果は誰も責任も取らず説明責任を果たさぬまま風化している現実を思うと、手放しで喜ぶ分けにはいかないのです。自分たちの地域を自分たちの手で起さねば幾ら補助金を投入してもいいまちは出来ません。グリーンツーリズムはその意味で南予活性化の大きな知恵ですから、藤目先生の意見には大賛成なのです。あれ程地域を二分する激しい議論を経て合併した市町村も、過ぎてしまえば新しいまちづくりの胎動どころかくだりのエスカレーターのような有様です。広島に次いで合併先進県と胸を張るだけで地域づくりはできません。

 田舎と都市という対立軸を往復しながら、そのギャップを肌で感じ、是々非々を伝え行動をすることが私の使命かも知れません。

  「田舎いい 何処がいいのと 尋ねたら ただ何となく それでもいいか」

  「都会など 住むとこじゃない 言うけれど 住んだことなく 高言吐くな」

  「ノロノロと まるで亀さん みたいだね 田舎に帰って いつも感じる」

  「東京が 俺の頭を 刺激する 今度も少し 風に当たって」 

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