shin-1さんの日記

○韓国旅行を終えて

 早朝5時に起床して身支度を整え、ホテルをチェックアウトしたのは5時50分でした。広島空港行きの飛行機が9時50分なので仕方のないことと諦めつつ、迎えのバスに乗り込みどしゃ降りの雨の中を一路仁川空港へ向かいました。途中土産物屋に立ち寄り店員の上手い口車に乗せられてキムチの漬物や岩のりを買わされてしまいましたが、財布の中身のウォンを使い切るためみんな予想以上の買い物をこの店でしたようでした。ウォンでレート換算すると100ウォンが約10円くらいですから10倍すればよく随分便利に出来ていると感じました。私なんぞは酒も飲まないしお土産も孫の遊び道具と家へのキムチくらいなものですから、換金した2万円が半分も余って空港の換金所で再びウォンを日本円に換金する羽目になってしまいました。仁川空港で軽い食事をとりすっかりくつろいだ雰囲気で機内に乗り込みましたが、別れを惜しむように空港は雨の帰路となって、板門店へ行ったこともあって今度の旅を象徴しているような光景でした。

 機内食を食べウトウトするともう窓の下には隠岐の島や島根県宍道湖の姿が見え始め、まさにひとっ飛びです。眼下に広がる中国山脈のひだ深い山々はどこまでも緑が広がり、改めて日本の原風景の美しさにしばし見とれていました。

 今回の旅では佐賀山さんが大活躍をしてくれました。特に「イッキョンさんを含め二人の元留学生が市内見学や夕食の世話をしてくれました。松山大学に留学していた時に知り合ったそうですが、海の向こうに友人がいるなんて素晴らしいことです。

 私たち21世紀えひめニューフロンティアグループのメンバー以外にも同行した河野さんの奥さんや湯山さんファミリーなど、楽しい旅を演出するのに一役買っていただきました。もう既に3日間の韓国旅行は過去のものとなりましたが、いい旅をありがとう。

 今回の旅で感じたこと

 ①板門店が印象に残りました。部屋の中でしたが北朝鮮の領土へも越境しました。有刺鉄線や監視所の要らない統一された平

   和な朝鮮半島が一日も早く実現するよう祈っています。

 ②日本には徴兵制度はありませんが、愛国心は北の緊張がより増幅させているように思いました。日本は平和過ぎます。国を

   愛する心を育んでゆかねばならないと強く感じました。

 ③旅は一人歩きしないと相手に頼り過ぎてどこを歩いて何を目指すのか見失ってしまいます。結局旅は自立の旅立ちなので

   す。

 ④韓国料理はよく野菜を食べます。3日間あれ程食べたのによく歩いたせいもあるでしょうが、帰って体重を測ったら幾分痩せ 

   ていました。キムチの辛さは体によいのでしょうか。

 ⑤メンバーの佐賀山さんは韓国語を勉強して話せます。私などは英語も韓国語も駄目で日本語さえ満足に話せません。少し

   勉強が足らないと思いました。今度行く時は単語くらいはわかるようにしたいものですが無理でしょう。これは願望です。

 ⑥韓国でブログを一本書くことを目標にしていましたが、ホテルロビーのインターネットでは実現することが出来ませんでした。

   残念でなりません。

 ⑦今回の研修旅行は、出発地が出発直前になって松山空港から広島空港へ変更し、予定していた方々が旅を断念しました。

   深くお詫びをします。

 ⑧一駅地下鉄にも乗ってみました。道も尋ねました。ソウルタワーにも登りました。だのに市内にある世界遺産の故宮には準備

   不足で行けませんでした。骨董市場も訪ねたかったです。

 ⑨自由と平和の重みを知り、過去の歴史の重みを知りました。また人の情けの重みも知りました。

 ⑩またお金をためて行きたいと思いました。

  「十年の パスポート期限 後八年 次はどの国 夢持ち生きよう」

  「出来るだけ 安い旅など 心がけ 度々行こう 心耕し」

  「フロンティア 結成以来 二十年余 初めて外国 心そろえて」

  「ブログにて 反省点を 書きました 次につながる 視点を少し」

             

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shin-1さんの日記

○韓国ソウル一人歩き

 韓国旅行二日目の朝、眠りから覚めので同室の疲れて眠る日浅さんを起さぬようそっと部屋を抜け出し、ホテルの外へ一人散歩に出掛けました。昨夜の喧騒がまったく嘘のように街は静まり返り、道端にうず高く積まれたゴミの山が昨日を思い出させているようです。ホテルの裏山の急な坂道を登ると明洞聖堂という立派な教会がありました。韓国にはやたらと教会があるようで、東洋の仏教の国だというに不思議な感じがしました。その国の歴史を調べてみると弾圧や戦争の度に様々な宗教が起こり、民衆は救いや平和への願いを宗教に求めるようです。多分そんな意味もあるのでしょうが、日本で漏れ聞く統一教会の集団結婚式や最近問題になっている若い女性への性的暴行は宗教に名を借りた大きな社会問題かも知れません。しかしいずれにしても宗教心を持つことは良いことですから、外壁工事のための鉄骨足場の下をくぐり思い切って教会の扉を開けて中へ入ってみました。まさに「叩けよさらば開かれん」です。

 早朝だというのに教会の中には既にかなりの人が集まって、ミサが行われるのを待っていました。修道女や一般市民も洗礼を受けたものでしょうか頭にハンカチのようなものを被って何やら小声でお祈りをしていました。次々とやって来る人は皆胸で十字架を切って椅子に座るのです。私は仏教ですが無宗教に近く仏への祈りはそんなにするわけではありませんが、皆に習って座りました。やがて祭主が現れ、皆席で立ってお祈りや賛美歌を歌い始めました。言葉も通じず、意味さえも分らない言葉に戸惑いましたが約30分のお祈りを終えてそっと戸外へ出ました。宗教が分らなくても教会で自分自身を見つめなおす静寂の時間が持てただけでも幸せでした。

 板門店の見学を終えての帰り道、自由の橋を見学しました。朝鮮戦争で捕虜となった人たちが捕虜交換の折この橋を渡って自由の身となり、いつしか人々が自由の橋と名付けた橋です。鉄柱に支えられた木製の橋ですが捕虜たちはどんな思いでこの橋を渡ったのでしょう。この橋の向こうには橋のない橋脚だけが残る橋が象徴的に残っていました。また今話題となっている南北を結ぶ鉄道が既に結ばれ新旧対比の橋が象徴的に見えました。

 テポドンの発射などで世界中からバッシングを受けてる北朝鮮と、太陽政策を取る韓国とでは、まだまだ主義主張に大きな隔たりがあるようですが、何時の日かベルリンの壁のようにバリアーが取れてこの鉄道を平和の列車が一日も早く行き交うことを望んでいます。

 大きなイチョウの木の下で談笑する韓国人の姿が目に入りました。景福宮での光景です。韓国に来て38度線や国境、板門店、日本大使館、国連軍などの話を聞く度に何か分らぬ恐怖感や緊張感を体内に感じていました。また遠望する北朝鮮の山々は殆どが裸山で緑への愛着も感じていました。目にも鮮やかなイチョウの緑色は何とも落ち着くものだとしみじみ感じました。このイチョウが黄色く色付く秋の頃の姿も見てみたいものです。勿論冬も春も四季それぞれの姿を想像しつつ故宮を巡りました。

  「風感じ 一人歩きの 韓国で 想いめぐらす あれやこれやと」

  「軍隊に 徴兵されぬ 俺の国 母国思わぬ 人が増えてる」

  「ただ祈る そんな気持ちで 教会の 門を開けて 中に入りぬ」

  「今度来る 時には妻を 同伴し 少し自信の 街を案内」 



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shin-1さんの日記

○西土佐夏の終わり・口屋内地区(20-12)

 昨日までの3日間韓国旅行で日本を脱出していたため、時差ぼけはないのですが旅行を終えた安心感と開放感から何処となく気だるさが残っているもののそうもいっておられず、日本銀行松山支店での会議を午前中で終え12回目の西土佐へ向かいました。夏といっても6・7月の夏に向かう迫力ある時期と違い、8月末の夏は秋の気配が漂って、陽足も少し長くなった感じがします。

車窓から眺める田んぼでは既に早い稲刈りが始まっており、リュウゼツランのオレンジ色の花や沿道に咲く百日紅の花が行く夏を惜しむように咲いていました。

 坂井伸美さんの経営する彩花で一服し四方山話に花を咲かせた後、四万十川の風情を確かめるために四万十大橋を渡ってカヌー館まで行き、橋の下にあるキャンプ場まで下りて行きました。夏休み最後の日曜日も昨日で終わったというのに、親の仕事の都合でしょうか家族連れでキャンプを楽しむ県外ナンバーの車が何台も止まって、傍では幾つかのテントで早くも夕食が始まっていました。横目で見ると相変わらず焼肉とビールで盛り上がってる人たちもいて、アウトドアーといいながら日本のそれは外国と違って屋外で焼肉と酒を楽しんでいるだけだなと思いましたが、人それぞれに楽しみ方があるので異論を挟むこともなくそそくさと立ち去ってトイレへ向かいました。傍の東屋に陣取った一団がここでも何やら焼肉を始める準備をしているようでした。見ると地元のおじいちゃんやおばあちゃんのようでした。「ほう、おじいちゃんやおばあちゃんが焼肉とは珍しい」と思った時、おじいちゃんとおばあちゃんが「夕日の若松先生ー」と大きな声で呼んでいるのです。後ろを振り向きましたがどうも私のことのようなのです。その二人は江川崎の講演会場に来ていた見覚えのある顔だと直感しました。聞くと今日は社会福祉協議会主催の「男の料理教室」があったらしく、「何で男の料理教室に美人の娘さんが集まるの」と爆笑を誘いました。すかさずあるおじいちゃんが「そりゃあおららに魅力があるきん娘が寄ってくるのよ」と一本取られてしまいました。参った参ったです。「あんたの話はとてもよかったと皆の評判じゃ」と持ち上げてくれました。「あの時吹いたハーモニカは心洗われるようでした。もう一度あのハーモニカの音色が聴きたい」と言うのです。私はわざわざ車まで引き返しカバンの中のハーモニカを取り出し時間を気にしながら戻ってきました。「夕焼け小焼け」「ふるさと」「南国土佐を後にして」を吹くと何と大合唱が始まりました。傍のキャンパーたちもいきなり起こったハリケーンに何ごとかと目をパチクリしていました。リクエストは主に軍歌やナツメロでしたが無難にこなしハスイモと鮎セゴシの酢物をいただいて再会を約束して分かれました。

 途中トンボを竿で追いかける一人の少年に出会いました。草むらを無心に走り回る姿は何とも長閑で「子どもっていいなあ」としばらくその子どもとお話していると、「若松さんじゃないですか」と再びのお声掛かりです。宇和島市嘉島の親子がキャンプに来ていました。私も驚きましたがもっと驚いたのは相手の方でした。まさかこんな場所で私を発見するなんて思ってもみなかったようです。宇和島市嘉島には宮本正勝さんご夫妻や知人友人も多く度々島を訪れているので、奇遇でした。

 カヌー館の上の道路から再び手を振りあって分かれましたが、明日はカヌーに乗るのだと張り切っていました。

 この夜の集会は口屋内です。二十年も通っている舟母という民宿があります。民宿のおばちゃんは高知県の名物女で橋本知事ともじっ魂の間柄で知事さんも時々やって来るそうです。この日はわざわざ私と中脇さん、藤倉さんのために心からなる手料理を作って待ってくれていました。うなぎといい、カニといい、全てが舌覚えのある美味しい味です。二十年も付き合える人は中々いません。彼女は小町味噌を地元の主婦グループで作り売り出していますが、人気も定着し加工場も軌道に乗っているようです。味噌を作る話を持ちかけられた昔を思い出しましたが、歳は経ているものの高知のはちきんばあちゃんは衰えることもなく元気で活動していました。息子の博君ご夫妻も元気で頑張っているようで、お土産に新米を届けてくれました。

 口屋内の集会所は沈下橋を渡った四万十川の向こうにありました。昔野塾の連中とフロンティア塾の移動塾を行い大酒を飲み大ボラを吹いた懐かしい場所です。区長さんは朝比奈君のお父さんで昔舟母で一緒に酒を飲んだ記憶があります。

 口屋内でも高齢化や健康不安があるようで、朝比奈区長さんもここのところ腰の具合が悪く今日も整体へ行ったと座りにくそうに座って役目を果たしていました。みんな歳をとりみんなやがては死ぬのですが、10年前のようなむらおこしやまちづくりの話はもうこの地区には通じなくなっています。そう肌で感じたものですから、社会の流れや時代の流れに掉さしながら自分がどう生きるかについて少し軸足を変えた話をしました。

 帰り際、「ハガキを必ず出します」という方に名刺を一枚渡し、口屋内の集会所を後にしました。暗い夜道を中脇さんと世情や合併後のまちづくり、役所職員のあり方、農政について意見を交わしながら、どこかボタンの掛け方がずれ始めている今の社会を論じました。同感です。

  「腰伸ばし 俺に魅了が あるからと 爆笑誘う 焼

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