shin-1さんの日記

○韓国一人歩き

 団体旅行とは気楽なもので、一人の旗振りさんが右だ左だシグナルを出すとその通り動けば別に迷うこともなく目的地に行け目的を達成できるのです。しかし何かのハプニングが起こって一人だけになるともうこれは大変で頭がパニックになってしまいます。ましてや言葉も通じない外国という場所で「私の行く所は何処でしょう」と聞いているようなものですからもうお手上げなのです。私は今回の板門店一人旅が3時までに到着することを知っていましたので、密かに一人歩きを目論んでいました。目的地は2ヶ所です。景福宮(キョンボックン)という李氏朝鮮の初代王によって創建された最初の王宮を見学することです。前回の訪韓では閉門儀式が見れなかったので、丁度3時の解散なのであるいはと期待を寄せていました。もう一つは南大門と市場の見学です。夕方みんなとホテルで落ち合う6時までは3時間もあるので前日の夜、同じ部屋の日浅さんが寝静まった頃地図を片手に場所の確認をして板門店行きのバスに乗り込みました。

 ツアーのバスは自由の橋や食事を終えて無事出発した場所に帰って来ました。さあ韓国一人歩き旅の出発です。首にカメラをぶら下げ、背中にはリュックの出で立ちでせみ時雨の中軽やかに歩きました。ズボンのポケットに入れた携帯電話のスイッチをオンにして万歩計もスタートです。景福宮が見えてきましたが10車線もある前の大通りは何処を横断したらよいのか分かりませんでしたが、少し下ると高架橋が見えました。汗をかきかき遠回りをして脇門あたりに出ました。中に入ると広大な敷地の中では既に閉門の儀式がまるで宮中絵巻を見ているような姿で再現されていました。大きな太鼓が叩かれ武官の群れがまるでマスゲームのように隊列を組んで動いています。この様子は韓国語、中国語、それに日本語と英語に同時通訳され見る人に説明され、その意味をよく理解することができました。遠巻きに見学する外国人の数も多く、アメリカ人と思しき観光客は「オーワンダフル」を連発していました。左から右へ前から後ろへと移動しながら写真に収めましたが、一人歩きの特典でしょうかいい韓国の一面を見せてもらいました。

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 景福宮を出て日本大使館やアメリカ大使館付近を通り、ソウルで一番広いといわれる景福宮前の世宗路から李舜臣将軍銅像を経て太平路の歩道を歩きました。そかから南大門まではかなり距離がありますが博物館や徳寿宮を横目で見ながら結構楽しく歩きました。ロイヤルホテルへは随分と迂回する道順ですが、第2の目的地南大門市場の活気はそれを忘れさせてくれました。

 ロイヤルホテルが目と鼻の先まで歩いて帰った所で雷を伴ったかなり激しい夕立のような雨に出会いました。軒先を借りて雨宿りを市ながらやっとの思いでホテルへ到着しましたが、夏の雨とはいいながらかなり濡れてしました。万歩計を見ると何と今日は2万歩も歩いているのです。お昼はバイキング形式の昼食だったので思い切って食べたつもりでしたが、どうりでお腹が空くはずです。見知らぬ異国を一人で歩けた充実感は何ともいえない楽しいものでした。

  「ソウル路を 一人ぶらぶら 散策す 新旧混在 まるで日本だ」

  「見たかった 閉門儀式 間に合って 厳かなりし これがタダとは」

  「いいですね 隣の人が 声かける 相槌打ちつつ 宮中絵巻」

  「ゴロ・ピカ・ザー いきなり夕立 濡れてゆく 少しひんやり 気持ちよくって」 

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shin-1さんの日記

○板門店への旅

 今回の韓国旅行の楽しみは、前回の研修旅行で果せなかった板門店への旅を実現できることです。北朝鮮による日本人拉致事件やテポドン発射実験など、何かと騒がしい北朝鮮をこの目で確かめたかったので、韓流ドラマ見学コース、ソウル市内見学コース、板門店見学コースの3オプショナルツアーから一も二もなく板門店行きを選びました。しかし私たちの団体でこのコースを選んだのは私だけでした。政情不安な国境へたった一人で出発することにはいささかの不安もありましたが、他の観光客と一緒なので思い切って参加しました。

 通訳のパクさんが朝早くバス乗り場までタクシーで連れて行ってくれました。さあ出発です。バスが進むにつれて川の両岸には有刺鉄線が二重三重に張り巡らされ、コンクリートで作られた監視小屋がやたらと目に付くようになり、改めて国境付近の緊張感が漂い始めました。ガイドの話も北朝鮮と韓国の50年にわたる戦争の出来事を克明に伝え、「ここからは写真撮影禁止です」と不安を増幅するかのように更に高いトーンで話すのです。

 最後のトイレ休憩場所を発つ頃には空の雲行きも怪しくなり、小雨がぱらつき始めました。国連軍の二重三重のチェックや国連軍のバスに乗り換えて更に高まる緊張感の中板門店に着いたのは出発して2時間余り経ってからでした。いよいよ板門店の見学です。

 この建物は北朝鮮の監視場で北朝鮮の兵士が銃を構えじっとこちらの様子をうかがっている様子が目の当たりで見えました。窓の中からはやたらと兵士の目がこちらを見ているような視線を感じつつ、見学はさらに緊張の度を深めました。

 この場所からだけは撮影が出来ますというガイドの言葉に、みんな堰を切ったように写真やビデオに周りの風景を収めていましたが、目の当たりにした非武装地帯の国境最前線はテレビや新聞でしか見ることの出来ない場所だけに、私も埼玉県から来たという隣の席の人に監視所バックに一枚写真を撮ってもらいました。

 観光客は2列に並ばされ、無口で板門店の会見場へ入って行きました。会見場の中にはテーブルがあってそのテーブルの真ん中が38度線なのです。つまりこの部屋に韓国と北朝鮮の国境があるのです。本来私たちは北朝鮮には行けないのですが、この部屋に中だけなら国境を越えれるのです。一人一枚だけ写真を撮ることが許可され、ガイドさんに国連軍の兵士とともに一枚、シャッターを押してもらいました。これが38度線を越え北朝鮮の領土にいる私です。

 国連軍の兵士が見守る中、バスは本当の板門店という国境沿いの見学所へと向かいました。韓国側は草もなく北朝鮮側が見えますが、国境の向こうの北朝鮮はうっそうとした林になっていました。見学所からは北朝鮮が希望の村と呼んでいる村が見えました。韓国では宣伝村と呼ばれるこの村には大きくて高い鉄塔があり、その突先には北朝鮮の国旗が威厳を誇示するように折からの緩やかな風になびいていました。

 この写真は、私が別に悪いことをして逮捕された訳ではありません。ガイドさんが「めったにない機会ですので一枚如何ですか」とシャッターを押してくれました。習いたての言葉で「カムサハムニダ(ありがとう)」といったら「カムサハムニダ」と、少し笑って答えてくれました。

 板門店を見学して感じたことは、どこにでもあるこんな風景が珍しい光景としてとらえられなければならない人間の世界の愚かさです。朝鮮戦争が勃発して既に50年、日本の成長を支えたのは皮肉にもこの戦争でした。この戦争による軍需景気で日本は戦後の成長を遂げましたが、同じ民族が来たと南に分かれて戦い、今もなお肉親といえども国境や非武装地帯を挟んで行き来できない厳しい現実があるのです。更には私のように平和な国にいるものがこの場所を観光でしか見れないことも愚かといえば愚かなのです。再び板門店を訪れる時はベルリンの壁のように国境も有刺鉄線も地雷もない場所になっていることを願わずにはいれませんでした。

  「北南 同じ民族 三八で 分ける悲しい 戦争愚か」

  「同じ部屋 同じテーブル 話せども 未だ解決 何故にできぬか」

  「おらが国 誇示するように 鉄塔の 上にはためく 北の国旗が」

  「目と鉄砲 俺の姿に 向けられて 威圧感じつ そろそろ歩く」 

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