shin-1さんの日記

○束の間の休日

 次男の演劇鑑賞のため八幡浜から訪れていた妻の友人魚本さんが一昨夜わが家に泊っていたため、魚本さんを八幡浜まで妻と二人で送ることになりました。噂に聞いた人間牧場を見たいという彼女の希望に沿ってまず山の上に上がりました。あいにく海はガスがかかっていて遠望はきかないものの夏の日差しがまぶしく照りつけても吹く風は涼しく、優雅にトンボが飛び交っていました。案内する施設に感動した様子で、長いお喋りとなりました。妻は私と年齢が一歳しか違わないので彼女も既に退職し悠々自適の生活を生まれ故郷の八幡浜で過ごしています。夫に死に別れ子どももいない彼女にとって、早くも始まった老いの暮らしは余りにも不安が多いと述懐していましたが、彼女の目に私たち夫婦の幸せな暮しは「羨ましい」の言葉に凝縮されているようでした。私は今の充実した人生を勝ち取るためにどのような努力をしてきたか、押し付けではない話をしました。彼女も納得した様子で聞き入り、これからも宜しくで山を下りました。

 山道を本村まで走り国道378号に出ると海沿いの道の右側には、盆が過ぎ夏もそろそろ終わりと思われる凪の海が沖合い遠く広がっていました。その国道378号でも一番長いごぜヶ峠のトンネルを越えると、左に4キロ「平家谷の流しそうめん」という看板が出ていましたので、昼時でもあり3人でそうめんでも食おうという話がまとまり、曲がりくねった道を登って道端に車を止めて川沿いを下りて行きました。地元の老人会が運営しているそうですが、夏休みの日曜日、しかも昼時とあって中々の人出で、食券を求めるのも食べるのも長蛇の列でした。幸い結構なお席が確保できて500円分の元は取れたかどうかは分りませんが満腹になりました。この季節そうめん流しも風流でいいものです。

 丁度魚本さんのご主人のお墓と妻の実家のお墓が隣近所ということもあって、人間牧場で確保したシキビと大宝寺で汲んだお水を持って、お寺の境内の裏手にある墓地へ墓参りをしました。暑さ真っ盛りの1時なので、汗が噴出し暑くてたまりませんがふと見下ろした八幡浜湾の遠望は遠くに九州の山並みが見え、これまた素晴らしいものでした。

 八幡浜は隣町の保内と一市一町の合併でかろうじて市としての人口規模を保っていますが、狭い土地柄が災いするのか、人口減少に歯止めが利かず、市でありながら過疎地域に指定されていましたが、今回の合併でどうなったのでしょう。でも港町らしい風情があって、私は妻の実家のあるまちのなので大好きなまちの一つです。

  「束の間の 休日楽しむ 身近旅 話して食って お墓参りも」

  「八幡浜 かつての賑わい 今何処に シャッター通り 秋風吹いて」

  「年代の 同じ人々 喋ること 年金話か 孫のことしか」

  「五百円 出してそうめん 食った後 元は取れぬと 風流語らず」 

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shin-1さんの日記

○私の帽子

 孫が買ってもらった麦藁帽子を嬉しそうに被っているのを見ると、ついつい私も孫に合わせて帽子を被って出かけたくなります。その場合やはり孫に合わせて麦藁帽子にしたいのですが、残念ながら私の麦藁帽子は畑の作業用で人間牧場の水平線の家に置いて帰っています。仕方なく野球帽を被ると孫は「おじいちゃんはどうしてそんな帽子を被るの」と、相変わらず「どうして」を枕詞に話しかけてくるのです。「どうして」と急に言われても返答に困ってしまうのですが、「おじいちゃんはこの帽子が好きだから」と答えにもならない答えをしてしまうのです。

 私は妻が「おとうさんは帽子が好きねえ」というほどに帽子が好きで、頭に帽子を被っていないと何か忘れ物をしたような錯覚をするくらい帽子を被ります。しかし好きな割には帽子をよく忘れて、いつも出かける前に「おい俺の帽子は」と妻に帽子の在り処を聞くのですが、妻もそんな長年の私の質問を心得たもので、「あそこの帽子掛けにあるでしょう」と素気ない返事が帰ってきます。仕方がないので帽子掛けのある廊下へ出てみると、ちゃんと妻が片付けて吊ってくれているのです。帽子吊りにはよく使う5つもの帽子が吊られていますが、その中からお気に入りの帽子を選んで外出するようにしています。私はこれまで色々な帽子を愛用してきましたが、残念ながらお酒が好きな頃は酒の席に置き忘れ、旅先では忘れとその殆どは忘れてその生涯を終えているのです。そんな私を見て妻は帽子に名前と住所まで書いてくれましたが、それでも帽子は帰って来ることもなく闇から闇へゴミとなって処分されたのです。

 そんな中でよれよれになりながらも相変わらず20年間以上も被っている帽子があります。それはシーサイド公園を清掃中に拾った帽子です。シーサイド公園には忘れ物が多く、ラジカセや携帯電話、免許証まで様々です。その都度持ち主を探したりするのですが、帽子やタオルなどはきりがないのでその都度処分するのですが、その中にたまたま帽子を忘れてしまって代用に被った帽子がこれなのです。別にメーカー品でもなく特長があるわけでもないのに洗濯して被り始めると愛着が出て今日までの長い間世話になったのです。残念ながらその写真は見せられませんが、妻はもうこのボロい帽子は捨てたらと言うのですが、私にとってはシーサイド公園の思い出がいっぱい詰まった帽子だけに捨てきれずもう少しご厄介になろうと思っています。

 昨年カナダへ行った折、妻が買ってくれた帽子、双海町時代に町のシンボルマークを募集し、そのデザインを使って青年団が製作したマーク入りの白い帽子、慶事のお返しにカタログで注文し届いたナイキのマーク入りの帽子など、よく使う帽子は先程の落し物拝借帽子に加えこの4つですが、この春結婚記念日の贈り物として息子嫁が可愛らしい山高帽子を贈ってくれました。少しお洒落なのと勿体無い気持ちでまだ贈られた箱に入って箪笥にしまってありますが、よそ行きに使いたいと思っています。

 只今の外出用はこの山高帽子です。昨日もこの帽子を被りましたし、結構重宝に使っています。帽子を被ると少し外出気分が味わえるし、少しお洒落な感じがして嬉しいものです。要はこれらのお気に入り帽子をどこかに置き忘れないことを肝に銘じなければなりません。私にとって帽子は今や時計、免許証、携帯電話、財布とともになくてはならない5つの外出携帯品なのです。

  「帽子何処 いつも妻聞く そこら辺 答える声の 向こうに吊り下げ」

  「孫が聞く どうして帽子 被るのと そんな理由 あるはずもなく」

  「忘れ物 拝借帽子 二十年 よくぞ被った もう時効かも」

  「日除け帽 お洒落帽子と 作業帽 俺の帽子 何と数ある」


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