shin-1さんの日記

○孫と一緒に地域政策研究センター訪問

 私が関わるまちづくりの仕事は公私の区別をつけなければなりませんが、余り公私の区別をつけ過ぎるとかえってギクシャクして上手くいかないことも多いのです。私は家の横に私設公民館煙会所を設置し、煙会所の囲炉裏を囲んで連日連夜夕日によるまちづくりのワークショップを行いいい結果に結びつけたのです。もしもその時、公私の区別をつけて公共施設でこんな集会をしても誰もその気にはなれなかったでしょう。私の生き方第2弾として作った人間牧場も私的な部分が100パーセントの施設ですが、それでも全国から人は集まり夢を語り合うのです。

 今日は孫の夏休みの御守り2日目です。孫の自由奔放な一日に私の暮らしを合わせるのは容易なことではありません。朝起きてから風呂を入らせて眠るまで、食事や午睡、遊びと3歳の孫の世話は何かと骨が折れます。昨日はセンターの清水さんにお願いしていたパワーポイントの提出資料を作成しなければならないのに、結局は中途半端で終わってしまい、市役所地域振興課の武田さんから借りる資料の借用期限もあって、仕方なく孫を連れての打ち合わせになってしまいました。

 見覚えのある幼稚園の登園途中にセンターはあるものですから、見慣れた車窓の光景に孫はてっきり幼稚園へ連れて行かれると勘違いしていました。

 地域政策研究センターでの打ち合わせは1時間弱で終わりましたが、見慣れぬ光景に目をパチクリさせていましたが、終始静かに付き合ってくれました。

 さあ仕事が一段落したがどうすると孫に相談すると「道後温泉に行く」というのです。孫と二人で何度か道後温泉の椿湯に入った経験があるので孫のマンションの駐車場に車を止めて歩いて出掛けました。お昼時だったこともあって温泉は人もまばらで、孫と湯桶で水遊びをしながらゆっくり過ごしました。昼ご飯は近くの食堂で冷しうどんを注文、上手に箸を使ってうどんを食べる孫を見て食堂のお姉さんが、「まあ上手に食べるのね」と褒めてくれるものですからその気になって、居合わせた10人ほどの客を巻き込んでしまいました。再び駐車場に戻り車に乗ると、さすがに疲れたのか居眠りスースーで、我が家に帰ってからも4時頃まで昼寝は続きました。お陰さまでちょっと気が抜け、ブログが一本書けそうです。

 昼寝から目覚めた孫はすこぶるご機嫌で単車に乗ってドライブしようというのです。余り交通量の多い場所は危険だし、二人乗りはご法度なので目の前上灘川沿いの農道を風を切らない程度に走りました。今日は台風の接近で時折小雨がぱらつくあいにくの天気でしたが、孫は左といえば左の、右といえば右の方向指示器を出すまでに慣れてきました。単車の始動も停止もキーを回してOKなのです。

 どうです、こお格好よさやご満悦な顔は何ともいえないすまし顔です。

 二日間の子守も無事終わりそうで、夕方母親と友人の葬儀に参列した妻が相次いで帰宅し、やっと肩の荷が降りました。孫はあすから大阪のおばあちゃんの所へ里帰りだそうです。やっとわが家にも元の静寂が戻りそうです。

  「まだ弱い 俺の知識を カバーする スライドつくり ご支援願う」

  「公か私か 区別分らぬ そのままに 今日も一日 遊び働く」

  「盆終わり 送り火焚いて 母や祖母 また来年も 帰っておいでと」

  「椿湯に つかりて孫と 束の間の  遊び楽しむ 今日も平和だ」


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shin-1さんの日記

○親父が始めた池づくり

 88歳の親父は何かにつけて革新的な生き方をしています。高齢ゆえに「体が弱った」と口癖のように体力の衰えを嘆くのですが、気力は衰えておらず様々なことに挑戦し続けていて、その姿勢には目を見張ると同時に私も見習わなければならないと常々思っています。数日前鯉を飼っているため鯉の業者さんが訪れ、行き掛かり上断りきれず鯉の稚魚を沢山貰ったようです。貰ってくれる相手もなく仕方がないので当面自分で買わなければならない羽目になってしまいました。家にある大きな水槽を出して水を溜め、その中で飼育しようと試みたのですが結局は夏場のことゆえ水槽の汚れがひどく、見た目に悪いと断念しました。そこで登場したのが生簀です。昔漁師をしていた経験からみかん採取のキャリーに網を被せて池の中に半分浮かせて沈めました。ところがそのキャリーには手持ちの部分に穴が空いていて、何匹かの稚魚が池の中へ入ってしまったのです。その稚魚が池の中でうろちょろするものですから、それがストレスとなって自慢の鯉が餌を食わなくなったようです。広くて深い池の中に泳ぐ場所を得た稚魚を掬い取ろうと必死にタモ網で追いかけるのですが、親父の力ではどうすることもできず、結局は私に応援を求めその殆どを回収したのです。

 さてこの回収した鯉をどうするか、考えた末の親父の結論は庭の隅に小さな池を作るという計画に転化されました。最初は小さな計画だったようですが段々と本格的になって、やれセメント、やれブロックと近所の最近廃業した金物屋さんに在庫を分けてもらって池作りがスタートしました。折からの暑さなので予定地の上にビニールシートで日陰を作り、汗だくだくで急ピッチな作業が朝から晩まで進んでいるようです。私の書斎の横前辺りなのでパソコンを操作しながら私はただ傍観しているのです。しかし親父は器用です。土木作業、左官工事、造園業、配管工事何でもござれで、道具類も何でも揃っていてあっという間に仕上げてしまうのです。それでいてセンスがよいため仕上がりはとても素人がしたとは思えない立派な出来栄えにただただ驚くばかりです。

 私は親父の長男ですからそんな器用さを能力的に受け継いでいるはずなのですが、私のDNAの殆どは死んだ母のものを受け継いでいるようで、一向に器用さは身につきません。コツコツと続けることはできても瞬発力がないのかも知れません。

 親父は何かにつけて革新的だと述べましたが、動く距離が限られていて視野の狭くなった分だけ家の周りに目が行き届くようで、一木一草一石を見ても絶えずより以上なものを追求しているように見えるのです。例えば庭木や石は一度配置したらそれに満足しなければならないと普通は考えますが、石の配置や木の植え具合が気になると、平気で丸太を三脚に組んでチェンブロックで吊り上げ直してしまうのです。私のようにしょっちゅう家を空ける人間には、「あれ、ここの庭木がなくなっている」とか、「えっ、この石はこんな姿だっただろうか」なんて思うことはしょっちゅうなのです。

 88歳の親父に教えられることはまだまだいっぱいあります。家の隅に設置している私設公民館煙会所も海の資料館海舟館もより質の高いものを求めて進化し続けれたのは、やはり親父のそんな革新的な行動力だったと陰なる力の偉大さに感心しています。25年後の私にそのパワーは存在するはずもないと今から諦めていますが、少しだけでも学び取りたいと日々精進している私なのです。

  「鯉の稚魚 貰ろたどうする 池を掘る 直情的だが 親父実行」

  「何にでも 没頭するから いいのです 歳を忘れて 新たな挑戦」

  「器用さを 受け継ぐはずが 不器用な 人間なりて この歳迎え」

  「暮らしぶり 僅かな年金 それでいて 俺よりリッチ 親父見てると」 


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