shin-1さんの日記

○夏の水やり

 台風が相次いで日本列島を襲うようになりました。台風7号は日本列島をかすめるように北上し静岡県・神奈川県・東京都では思わぬ雨で土砂崩れがかなりあったようで、時ならぬ被害に都会の人はびっくりし、「災害がこんな都会で起きるなんて」と、さも「災害は田舎に起きるもの」なんて身勝手なコメントがテレビで映し出されました。「冗談じゃあないよ」と言いたいのですが、被災した人に悪いのでそんなことは言えませんので、お見舞い申し上げます。一方台風9号は八重山地方を暴風域に巻き込みながら北上するにしたがって予想以上に発達して石垣などでは大時化になっているようです。

 九州に比べると少ないのですが四国も台風の通り道に当たり、これまでにも室戸台風など沢山の台風がやって来て、その度に大きな爪痕を残していますが、今回に限っていえば気圧配置の影響で四国は何の影響も受けずに済みましたが、人間はほとほと勝手なもので「そろそろお湿りが欲しいと思って台風を待っていたのに、台風がそれてこりゃあ水不足が心配だ」と、来なかった台風への恨み節が聞こえています。それもそのはず、長雨だった梅雨が明けてから雨の一粒も降らないのですから、畑の作物は水が欲しいと根を上げています。

 わが家の菜園を管理する親父の日課も潅水のためにかなりの時間と手間をついやするようになってきました。わが家では親父がこんなこともあろうかと、庭の隅に井戸を掘り水不足に備えています。元々は池で鯉を飼うために掘ったのですが、裏山からの湧水で池の水が賄われるため、井戸の水は殆どが畑作用や洗い物に使われるのです。ホースを伸ばし蛇口をひねれば100メートルもの細長い畑と庭には全て水が撒かれるような配管を親父はちゃんと設えているのです。

 陽が西に傾いた夕方から親父の水やりは始まります。ナスやピーマンなど夏野菜は瑞々しさが命ですから、たっぷりやった水を夜の間に吸った野菜は朝取りとして食卓をにぎわすのです。しかしこの水やりも限界があり、日照りが続くと土地の浅い所は根が痛むのか余り寿命が長くないようです。

 植物は一度水をやり始めると、自分で土地の水を吸うことを止め、人から貰う水で生きる習慣がつくのです。ですから親父には「水をできるだけやらないように育てよう」と提案するのですが、余り言うとせっかくの丹精を傷つけてしまうことになり、生きがいをも枯らせてしまう恐れがあるので余りこだわらず、「じいちゃんがいるから野菜が食べられる」と持ち上げに懸命なのです。今はまだ野菜も何とか持っていますが、多分お盆頃には根を上げるのではないかと一雨欲しい天を仰いでいます。

 水が欲しいのは植物だけではありません。私たち人間もそろそろ水の大切さを気にしなければならないようです。先日西土佐に出かけて四万十川の支流目黒川の水を直接手ですくって飲みましたが、その美味しかったことは今も忘れることはできません。水道水に馴れていると水の本当の味や水の大切さをついつい忘れがちですが、空気と同じく人間が生きていく上で最も大切な水のことをもっと真剣に考えないといけないような気がするのです。最近は水道の蛇口にフィルターをつけて水を浄化する機械も開発され、親父はその水を飲んでいます。親父が長生きしているのはこの水のお陰かもと思うと、私も時々この水を隠居で飲んでいます。別に味が違うわけではありませんが確かに体にいい水に違いありません。水は人間の生命の源であることを今朝は親父の隠居でこの水を飲んでしみじみ思いました。

  「鯉メダカ 野菜と自分に 水をやる 親父はやはり ほんまもんだな」

  「陽が沈み 夕日見るのが 俺の役 親父は水遣り しんどかろうに」

  「水やると いつも貰うと 勘違い 補助金貰う 癖と似てるね」

  「台風が 来ぬから水が 不足する ぼやくな去年 もう忘れたか」


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shin-1さんの日記

○テレビ中継

 今日はテレビの仕事が二つ入って、少しバタバタしました。一方は南海放送の「水辺」をテーマにしたテレビ中継、もう一つはあいテレビの「キャッチあい」という番組のビデオ撮りです。いずれも顔見知りのディレクターから「人間牧場」がらみで出演を依頼されましたが、「人間牧場」がテレビに登場するのはNHKのお昼前番組で人間牧場からの眺めの写真がカットで出たのを含めると都合3回という事になります。最もあいテレビの番組は今月16日の放送だと言っていましたのでまだ正式登場ではありません。

 今日の南海放送さんの「おかえりテレビ」はシーサイド公園に中継車を置き、ハイビジョンカメラの映像に人間牧場と翠小学校界隈グリーンツーリズムの話題を二本からませ、スタジオとつなぐものです。スタジオにいる江刺アナや永野アナは旧知なので面白いと思ったのですが、夏休みのことゆえ話題やニュースも多く、残念ながら短いやり取りで終わってしまいました。それでも人間牧場のVTRはいい雰囲気で撮影されており、シーサイドの砂浜での小原アナとのやりとりも「まああんなもの」なのでしょう。それにしても短い時間ながらハイビジョンカメラに映し出されたシーサイドの海辺は、シリーズ「水辺」のテーマに相応しく、とても美しく夕景をお茶の間に届けてくれました。

 どうです。この小原アナとのツーショット、中々様になっていると思いませんか。私はリハーサルが大の苦手だという事をディレクターの三瀬さんに伝えていました。だってアナウンサーのようにまるでVTRを見ているような同じ事を二度も言えるほど記憶力がよくないからです。三瀬さんもその事を承知で質問事項を引き出すようなVTRを用意してくれていました。テレビは即反響があります。友人知人からわが家へは「今テレビを見た」「退職後元気そうで何より」「人間牧場は凄いね」などなど、各方面から電話が沢山かかり、食事の準備をしていた妻は、右往左往したそうです。

 南海放送の中継が終わって直ぐに下灘の駅に車を走らせました。下灘駅に着いたのは6時40分、水平線辺りに雲の多い夕暮れで美しい夕日は諦めていたのですが、何と何と次第に尻上がりによくなって、こんな美しい夕日を見ることができました。

 この夕日を見てふと20数年前にこの場所で見た夕日を思い出しました。NHKの「明るい農村」というテレビ番組を撮りにきたカメラマンが上灘駅と下灘駅を間違って降り、この夕日よりももっと凄いそれは美しい夕日を見て「この夕日は綺麗」と感嘆の声を上げたことが、夕日によるまちづくりをはじめたきっかけだったし、この場所を使った夕焼けプラットホームコンサートが第一歩だったのです。「キャッチあい」の村上ディレクターは自分でカメラを回しながらその辺をしつこく、さりげなく夕景をバックにカメラに収めていたようです。どんな番組に仕上がるか全てVTRなので今から楽しみです。それにしてもテレビの撮影や何人かの観光客(名古屋から夕日を撮影に来た人、若いカップルでツーショットを撮りに来た人、自主映画の撮影に来た人)で、日ごろ散閑とした無人駅は結構な賑わいでした。近所に住む顔見知りの早苗さんも駅の草刈などを自主的にやっていて、「下灘駅も有名になったもんじゃねえ」と話しこみました。

 取材や話や「済みませんがシャッターを押してください」という求めに応じていたため、すっかり自分のカメラの存在に気付かず、気付いた時にはまさに夕日が沈まんとする時でした。慌てて2~3枚シャッターを押しましたが、時既に遅しといった感じです。でも下灘駅からの美しい夕景をこうしてブログで配信できてほっとしています。

 下灘駅界隈は相変わらずの寂しさです。駅前の福井商店は店じまいし、無人駅の構内を鈍い街路蛍光灯が照らして一層ローカルな駅の風情を醸していました。夕景に浮かぶプラットホームや「しもなだ」と書かれた駅の看板は、フーテンの寅さんの映画そのままに夢の世界のようでした。

  「ラジオ向き 顔をしてるに 何故テレビ 出るのと言われ 寅さん同じ」

  「下灘の 駅から見える 夕景が 全てドラマの きっかけとなる」

  「日々同じ 場所に沈みし 夕日だが 一ヵ月後は 相当西に」

  「ねえおじさん シャッター押してと せがまれて えっおじいさんと 耳を疑う

 追伸 

 南海放送の三瀬さんが扇子と日本タオルをプレゼントしてくれました。大学時代に落研に所属していたらしく、人間牧場の高座用にと持ってきてくれたのです。扇子も落語家が使う白扇、日本タオルも松葉をあしらった染め物で本格的です。まちづくり高座も清水さんの鳴り物テープが届くといよいよスタートです。

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