shin-1さんの日記

○この字何と読むのですか

 今日えひめ地域政策総合センターの清水さんから「この字何て読むの?」と電話が入りました。「魚偏の右側に上は目下が高なんですけど」とまるで分らぬ質問です。漢字博士としましてはこんなもの読めないようではと「エヘン。これはコウと呼びます。多分その字は三つの漢字からなっていてその次が寿、そして最後は庵でしょう。この3文字で『コウジュアン』と読むのです。エヘン」。清水さんは驚いた様子でした。それもそのはずこの漢字の出所はわが双海町から出た漢字なのですから・・・・・。

 この漢字を考え付いたのは川口寿雄さんです。彼はメダカの学校の校長先生として愛媛県では名の知れた人でしたが、残念な事に二年前に亡くなりました。彼と知り合ったのは偶然で、私たち21世紀えひめニューフロンティアグループが双海町東越地区の廃屋を利用して10年で40回のフロンティア塾を開いたことがきっかけでした。そのことを告げる新聞を頼りに私の基にやって来た川口さんは、一見の民家に魅せられて購入し、そこにメダカの学校を開いたのです。そして東大の井尻憲一先生や宇宙メダカと運命的な出会いが始まり、多くの人がメダカの学校に訪ねてくるようになりました。私もその片棒を担ぎ随分二人で色々なことをやりました。そのメダカの学校の名前が「コウジュアン」なのです。清水さんが電話で言うように「辞書で探してもない」はずで、この「コウ」という文字は造語なのです。ですからパソコンで書きたくても私の技術では書けないのです。この文字を見る度に元気だった頃の川口さんが思い出され悲しくなります。

 実はこの漢字を思いついた時、私に川口さんから色々相談を受けました。メダカの学校の名前を何にするか迷っていました。その頃私も夕日という造語を作っていましたので、これにヒントを得て彼は「コウ」と言う字を発案し相談にやって来ました。私がこれは名案だと褒めたものですから一発で決まりました。

 私の作った夕日という造語は旭という字の向こうを張ってその字もズバリ夕偏に日と書くタダそれだけ、つまり夕と日をくっつけただけのシンプルにして妙な漢字です。私はこの漢字を名刺に刷り込んだりして随分使いましたが、一向に社会に認知されたり普及しないところを見ると首を傾げなければならないのかも知れませんね。

 でもいいんです。天国へ一足先に行った川口さんが認めてくれ、私も川口さんの「コウ」を褒めたのですから、せめて二人の息が合っただけでもよしとしておきましょう。

 これに気をよくして色々な造語を作って悦にいった時代がありましたが、もう昔のことだし紹介すると笑われますので今回はこの辺で失礼します。

  「この字どう 読むのと聞かれ 読みました 誰も読めない 世界に一つ」

  「この漢字 俺が作った 造語です 夕偏日で 一文字夕日」

  「魚偏 すし屋のコップ 書いてます 読めるの半分 読めない半分」

  「亡くなりし 友の作った 漢字見て 感慨深げ メダカを思う」

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shin-1さんの日記

○三代続かぬ

 私たちの地方に「親難儀 子楽 孫ほいと」という言葉があります。親が折角難儀をして汗水たらし作った身代も、苦労を知らない子の代になると親のような苦労はさせたくないと汗水の現場から遠ざけ勉学を志ざすよう都会へ送り、結局は家業のいろはも分らぬまま人任せで身代を潰し、孫の代は元の木阿弥どころか親の作った借金の返済に追われるという3代の物語がこの言葉には込められているのです。そんな目線で私たちの周りの家々を見てみると確かに思い当たる節が幾つもあるようです。

 私たちの子どもの頃までは、勉強をしたり上級学校へ進むのはお金持ちのすることとなっていました。長男は農家や漁家では何のためらいもなく親の跡を継がせ、次男以下の子どもはまるで口減らしのように奉公に出されたり集団就職をしました。そんな羨ましくも思えたお金持ちのお坊っやまやお嬢ちゃまは果たしてどうなったか、身の回りを見渡し指折り数えて見るのですが、それ程の出世もせず、それ程人が羨むような人生を過ごしていないばかりか、むしろ難儀をしている人が多いことに気付き、ああ昔の人はいいことを言うなあと改めて思いました。

 徳川家康は初代の家康から二代目の秀忠、三代目の家光までの三代で徳川300年の基礎を築きました。三代は名君といわれましたが、それは例外中の例外で初代家康が「人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くが如し急ぐべからず・・・・・」の心訓を持って人の生き方を律しました。しかし時が経てば五代将軍綱吉のように「生類哀れみの令」などを出して人間より犬を大事にしたり、御三家の権力争いや大奥のしがらみに混乱もしました。これも長い目で見れば私たちの地方の言葉に似ている現象なのです。

 わが家は私で四代目だと聞かされました。初代から三代目の親父までは赤貧洗うがごとき貧乏だったと聞きます。「貧乏は決して恥ずべきことではない」と、むしろ一途に生きた前三代の先祖を尊敬している四代目の私なのです。今日の新聞に面白い川柳が載っていました。「貧乏な頃も誇れる成功者」というものです。時々テレビに出て成功者が貧乏なな時代を懐かしんで波乱万丈を語っている姿は、むしろ拍手を送りたいくらいです。

 さて若松家の四代目の私は名君になりうるか、まあ若松家なんてちっぽけな財産もない家ですから、身代全部潰してもたかが知れております。でも私は前三代目よりはましな努力をしてましな人生を、いわば若松家のワンランクアップ、格上げに貢献したいものです。さらに私の息子である長男にもその気風は受け継がせて行きたいと常々思っているのですが、息子やいかに・・・・・・・・。

  「四代目 少しは家に 貢献し 次の息子に バトンタッチを」

  「貧乏の 家に生まれて ラッキーだ 潰す身代 無いのですから」

  「親よりも 勝れる宝 何がある 器用努力 全て負けてる」

  「基礎土台 家を建てたる ご先祖に 俺は中身を 息子知恵出す」  

 

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shin-1さんの日記

○風呂敷がブームの兆し

 私は大の風呂敷愛用者でした。「でした」というのは過去形ですが、かつては何処へ行くのにも風呂敷包みを小脇に抱えていました。ところがある日、いえある日というよりは15年前のやはりある日、鳥取市で行われた中国四国キーパーソンの集いにコメンテーターとして参加しました。いわゆる村おこし仕掛け人の集まりです。集まった人は一言居士の変わり者ばかりでしたが、そこへコメンテーターとして呼ばれたのですから私も相当変わり者だと思うのです。

 その時鳥取の一青年から「風呂敷を持ったら田舎者に見える」と言われました。また酒席で「風呂敷包みを持つと東京ぼん太に似ている」と言うのです。(この話を理解できる人・東京本他を知ってる人・あなたはもう古いし賞味期限の切れ掛かった人です)。

 私は風呂敷の効用について薀蓄を傾けました。風呂敷は大は大、小は小として包めること、風呂敷は日本の伝統が生んだ最高の持ち物であること、買い物袋万能、使い捨て美徳は結果的に環境を破壊していること、風呂敷は頬かむりにもなるしスカーフにもなるし、時には包帯にもなることなどの効用を挙げながら話をしましたが、彼は聞く耳を持たずカバンを持つことを私に勧め、結果的には今の愛用している木になるカバンへと話は続くのですが、風呂敷の効果は想像にお任せいたします。

 「風呂敷がブームの兆し」と表題に書きましたが、最近小池百合子環境大臣が風呂敷愛用運動を提唱したものですから、一気に日本全体に広がりました。さすが顔のいい人や肩書きのいい人は違いますね。私が風呂敷愛用運動を提唱したのはもう30年も前のことです。田舎の若造の言うこことなど一笑に付されました。でも元祖や本家があるのなら私はれっきとした元祖で本家なのですから、小池大臣様そのことをくれぐれもお忘れなきよう願います。

 私たちは殆ど毎日毎日来る日も来る日もお店へ買い物に出かけます。その度に化石燃料で作られたビニール製の福利に入れて我が家へ帰るのです。あの薄っぺらいビニール袋は何気なく使っていますが居ちまい2円か3円します。大きいのになると5円を越えるものだってあります。これはお店のサービス品ですがこのビニール袋も枚数がかさむと大きな費用となります。結果的には商品にこの値段が必要経費として上乗せられて商品が高くなるのです。そればかりか家へ持ち込まれたビニール袋はやがてゴミとなり清掃センターまで収集車で運ばれ焼却処分されるのです。

 環境大臣の目の付け所は正しいのですが、これが大臣の任期中の人気中だから困るのです。大臣の任期は長くて2年です。どんないい考えでも次の人が出ればあっさり衣替えです。ゆとりや生きる力がいいと文部科学大臣が言うと次の大臣はそれを否定するように学力といいます。結局は国や県に踊らされた国民は「あの話は一体なんだったのだろう」と思わんばかりに終息してしまうのです。

 「文部科学省と農林水産省の言うことの反対をしたら上手くいく」と極論されるように、お上の威光は案外上手く行くものではありません。せめて大臣が大臣でなくなっても風呂敷の効用は是非広めて欲しいと思います」。そうしないと折角風呂敷ブームにあやかろうとした人たちが泣くことになるのです。これは決して大風呂敷な話ではありません。

  「風呂敷の 二枚や三枚 家にある 何故に使わぬ 古くはないのに」

  「大きいね あなたの話は 大風呂敷 包みかねます も少し小さく」

  「風呂敷が 良いと大臣 言ったから 流行り病が 日本全土へ」

  「風呂敷は 田舎者の 代名詞 それじゃあ俺は 都会人だな」 

  

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shin-1さんの日記

○みんなが言いよる

 昨日の夜は新旧の組長さんを集めてわが灘町自治会の総会がありました。この一年お世話になった組長さんには有難う、これからお世話になるであろう新組長さんにはよろしくといった意味も込めての総会でしたが、人の集まりも会がダブって行けないと事前通告のあった一人を除き全員が集合し、時間もNHKばりの7時きっかりに始まりました。私の口から言うと自慢しているように聞こえますが、いや自慢しているのです。時間が守れ人の集まりが100パーセントなんて会は滅多にお目にかかれるものではありませんから、私はこの自治会は凄いと改めて思いました。

 総会は事業報告・決算報告・監査報告・事業計画・予算を審議、こちらの説明がよかったのか異議を挟むものは殆どなく議事は約40分で終了しました。このような集会は滅多にないので、その他の項目で懸案の天一稲荷神社の建築問題と機構改革に伴う地域事務所の縮小問題、自治会の防災問題、不燃物の収集問題について約10分間区長としての考えを述べ、意見は懇親会で出すように言って食談に入りました。最近は世相を反映して女性の組長さんもいて、弁当折り詰めを持ってさっさと引き上げる人もいるので、多少盛り上がりには欠けましたが、それでもあちらで話に花が咲きました。

 「区長の説明した市の機構改革についてじゃが、わしは腹が立って仕方がない。今の市長は何を考えているのかのう。合併の責任者だったのだから分っているはずじゃが、総合支所をただの支所にして6課を2課にするとは何事じゃあ。それでなくとも何の説明もなく水道代は上がるし固定資産税は上がるし、おらは腹が立って仕方がない。このことはみんなが言いよる。市会議員は何をしよるんじゃろか。」と息巻くのです。

私が「みんなって誰ぜ」とやり返すと「みんなはみんなじゃあ」と返ってきました。私は再び「みんなみんな言うけど、みんなが誰か分らなかったら市長さんや議員さんに、あんたらの意見はわしゃあようつながん」と言ったのです。酒を飲まない私は素面、向こうは周りの人に「のう、お前もそうじゃろが。おらの意見が間違っとるか?}と同調を求め、その渦は酒の勢いで段々大きくなりました。「それじゃあ市長さんと議員さんを呼んで市政懇談会でも開くきん、みんな来てくれるかい」「そりゃええことよ、みんな来らい」「みんなというがみんなとは誰ぞな」「みんなじゃあ」とまあ延々と「みんな」論が続きました。

 区長は民意の集約と民意を市政に反映することもしなければなりません。議員さんのように一般質問をできる訳ではありませんから、市政懇談会などを開いて直接もの申すことは可能です。みんなが言うように市政懇談会でも開きましょうか。ただし私の言う「みんな」は新旧組長会に出席した60人の中で聞いたある一部分の人の話です。でも一部分の話でもそれは大切にしたい「みんな」の意見でした。

  「みんな言う みんなは誰か 尋ねたら みんなはみんな 果てなくみんな」

  「選挙から 一年経つのに 市長さん 一度も顔を 見せない何故に」

  「改革は 誰のためだと 訪ねたら 市民のためと 口先言うが」

  「役場前 ゴーストタウンの兆しあり 機構改革 追い討ちかけて」

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shin-1さんの日記

○万歩計からブログへ

 昨日は夜自治会の総会があるので、朝から資料を作ったり役場へコピー印刷をしに行ったりと朝から忙しい一日でした。夕方4時過ぎ一段落ついて夜の会合まで間があるので、久しぶりに裏山を散歩しました。急な坂道を登ってゆくと外気はまだまだ寒いものの汗ばむほどでした。周りの木々も随分新芽が膨らんでいよいよ春が来たなあと思いました。昨年の今頃は退職に当って体力をつけようと、朝な夕なこの坂道を急ぎ足で上り下りしたものです。携帯電話についた万歩計を1万歩以上にするのが日課であったような気がします。その甲斐あって体力も徐々に回復して3月・4月とも毎日1万歩を軽く越えた記録を見るのもこれまた楽しみの一つでした。

 数ヶ月して9月のある日、大学で教鞭をとっている娘婿からブログを勧められてから、私の暮らしの中から万歩計の存在が少しずつ遠のき、代わってブログの存在が大きくなり始めました。そして最近では万歩計の存在すらすっかり忘れていたのです。今日山道を歩きながら呼吸が少し荒いのに気付き万歩計を見ました。歩きながら履歴を見ると昨日もその前の日も6千歩程度なのです。この半年のブログに熱中しし過ぎていたなあと深く反省をしました。しかしそのことを悔いているのではなく、むしろブログによって随分充実した日々が送れことを感謝しながら、これからは万歩計の存在にも心を配りたいと思いました。

 人は何かに夢中になると周りが見えなくなると言われます。何事にも凝り性な私にその言葉はピッタリで、特にブログの魅力に取り付かれたような私がこの歳になって全てを完璧にこなすことはできないのですから、せめて高い所から鳥瞰する目を持って暮らしたいと思いました。

 宮本常一の生き方を書いた佐野眞一はその著書の中で宮本常一が知らない地方を旅する時必ずやることは、その土地が一望できる場所に登って粗方の土地勘を鳥瞰で頭に入れてから歩いたそうです。そうすれば余り迷うことなく効果的に歩けるのだそうです。この話はまさに今の自分に必要なものの見方かもしれません。

 今のところ体調もすこぶるよく、ぎっくり腰もこの半年病まずに済みました。健康だからこそ疎かになっている健康について少し気を配りたいものです。いよいよ退職2年目の挑戦が始まります。今年の目標はクォリティライフ、質の高い生き方をしたいと願っています。

 昨日山でオニグイの芽(タラの芽)を見つけました。ある人から教わったように棒で途中を叩くと芽がポロリ、お陰でイガで怪我することもなくタラの芽を3個収穫、今晩は懇親会で料理が出るため春旬の賞味は明日にお預けです。

  「ブログ書く そのことばかり 熱中し 万歩計など すっかり忘れ」

  「鳥の目で 見れば今俺 虫の目だ 鳥になったり 虫になったり」

  「タラの芽を ゴツンと叩き 落とす技 俺は天才 誰かの受け売り」

  「健康に なった途端に また忘れ 不規則暮らし 元に戻して」

 

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