shin-1さんの日記

○泣いてた子どもが大笑い

 今日はツーリズム研究会の委員をしているので最後の会合のため広島市へ行きました。あいにくの雨模様で海も荒れていましたが、往復2時間半余りのスーパージェットの船旅は、船のローリングが心地よい眠気を誘いウトウトしながら広島半日帰りの旅となりました。遠いと思っていた広島へ公共交通機関を使ってビジネスを組み合わせても半日で往復できるのですから便利になったものです。でもスーパージェットは早いだけ料金が高く、今日は主催者が旅費を出してくれるので助かりましたがまるで飛行機並みの料金なのです。

一時間おきに出る船の中は閑散としてゆったり座れ、リグライニングシートに体を沈めて本を読んでいると、突然隣に座っていた若妻、若妻の母親、孫とおぼしき3人連れの孫が何かにたまげて泣き始めました。最初は若妻の母親がぐずる孫を抱いてあやしていましたが、泣き止まないので若妻に孫を手渡しました。先ほどの若妻の母親ほどに上手く抱けない若妻の手の中で益々激しく泣き始め、周りの人は口にこそ出さなかったのですが「俺たちは金を払って乗っている。この鳴き声何とかしろ。テレビの音声も聞こえないじゃあないか」と言わんばかりの渋い顔です。

 子ども好きな私はその様子を少しの間見ていましたが、ひょっとした拍子に泣きじゃくるその孫さんと目が会いました。私はあやすような顔をして声なき声で語り掛けました。するとどうでしょう。あれ程泣いてた孫さんの鳴き声が小さくなり、数分したら笑顔を見せるようになったではありませんか。私は嬉しくなって「いないいないばー」なんて年甲斐もなく孫さんを必死になってあやしました。若妻さんも若妻の母親も泣きじゃくる孫に途方にくれていただけに大助かり、私の存在に気付いて会釈をしてもらいました。その後その孫さんはしゃっくりを繰り返しながらもげらげら笑って、結局は私のひざの上にやってきたのです。「済みません。大助かりです。お父さんと間違ったのでしょうか。子どもをあやすのがお上手ですね。お礼にどうぞ」と船を下りる時には、何処かで買ったのでしょうか、固辞するもモミジ饅頭の小箱まで頂だいてしまいました。

 預けていたいた車に乗って室内ミラーで自分の顔を映しながら思わず笑ってしまいました。あの孫さんは私の顔が可笑しくて機嫌を直したのか、それとも私の顔芸で笑ったのか、しまった、お孫さんに聞いておけばよかったと思ったものです。

 私たち人間は通りすがりに犬に出会うと吠えられます。ところが不思議な事に犬を自宅で飼っていたり犬好きな人だと、動物の勘が働くのでしょうか吠えないのです。お孫さんも同じで私に子ども好きという安心感が受け入れられたのかも知れません。お孫さんにゲラゲラ笑われたこの顔はひょっとしたら道化師、いやひょっとしなくても三枚目、でも石原裕次郎だったら顔もスタイルもいいけれど絶対に泣く子を笑わせることはできなかっただろうと思うと、この顔に自信が持てました。

  「船中で 泣く子も笑う いい仕事 顔が得する 饅頭頂く」

  「俺の顔 子ども笑いの 造形美 親に感謝し 今日も出歩く」

  「泣く子ども 笑わす術は 心理学 催笑術だよ ほらほら笑った」

  「泣く子さえ 止めさせられぬ 若い母 人の前でも お乳飲ませろ」

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shin-1さんの日記

○人の生き方に影響を及ぼす言葉の数々

 人生の後半戦に生きる私のような人間にとって「自分の生き方に影響を及ぼした言葉は何だったのだろう」と振り返ってみると、様々な言葉に出会います。「温故知新」「過ぎたるは及ばざるが如し」「位置を聞いて十を知る」「巧言令色少なし仁」「義を見てせざるは勇なきなり」などなどの言葉が思い出されます。誰が言った言葉かさえも知らず何気なく使っていたこの言葉の殆どが、中国古代の思想家孔子とその門弟たちが「人間はいかに生きるべきか」ということをテーマに語り合った問答を整理した「論語」の一節だとは驚きました。広辞苑で孔子について調べてみると、孔子が生きた時代は紀元前550年ころだそうですからまだ日本の歴史が始まっていないのです。こんなに長い時代を越えて語り継がれているのですから、永遠性のある真理と言わざるを得ませんが、私たちは何故かその心理について学ぶこともせず、ただ上っ面をかじっては知ったかぶりで引用しているに過ぎないのです。

 よく「論語読みの論語知らず」という言葉も聞きますが、原本は余程の博学やルビが打っていないと読めないばかりか意味さえも分りませんが、論語の奥深い意味を学習することは人生の生き方の学習という点では多いに推奨すべきことだと思います。それは物の豊かな時代でありながら心が貧しい現代だからこそ

そして乱れが生じた日本だからこそ、真の心を取り戻さなければ取り返しの付かない社会になるという危機感から感じることなのかも知れません。

 「論語」、聞いただけでも何か難しそうな感じがしたり、中国の古書と聞くとなおさらとっつきにくいもののように思われますが、今は難解なこれらの本も偉い先生が解きほぐし現代流に解説しているので、入門偏でも一冊か二冊購入して暇を見て呼んでみるのも悪くはないでしょう。特に管理職という地位にある人は部下の育て方の、あるいはサラリーマンのマネージメントに役立つことがいっぱいあるようです。

 私は自分で思うほど低能な人間ですから、大学も出てないし大した知識も持ち合わせていません。しかし「人間いかに生きるか」という永遠のテーマを追求しようと思うと、当然生き方の勉強をしなければなりません。雑学ながら色々な本を読み、色々な人の話を聞き、色々なものを見てきました。しかしいくら本を読んでも、いくら人の話を聞いても、またいくら色々な物を見て知識が増えても、自分の心の扉を開けるキーワードがなければこれらの知識は生かされません。論語は自分の心の扉を開けるキーワードと言ってもいいかも知れません。論語は難しいことを分りやすく考えるヒントのようなものなのです。

 さああなたも論語に挑戦しましょう

  「論語読む 論語知らずの この俺が 論語のような 論語喋りぬ」

  「過ぎたるは 誰が言ったの 問い返す 昔の言葉と お茶を濁して」

  「人の道 今も昔も 変わらない 不変が何故か 変わってしまって」

  「中学生 温故知新と 言う言葉 決意の習字に 大書している」  

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shin-1さんの日記

○日本人が日本人と感じること

 私たちは日本人です。といってもこれだけ国際社会の交流が頻繁になってくると、日本人という感覚よりも地球人といったほうが早いのではないかと思われるほど国の壁はなくなりつつあります。ソ連とアメリカの冷戦や南北ドイツの崩壊が国と国との無意味なゆがみあいに気付かせてくれ、自由主義と共産主義の隔たりでさえなくなっていますが、一方ではイラクやアフガニスタン、それにイスラエルとパレスチナのように宗教上のトラブルによって戦渦に巻き込まれている国も多いのです。

 日本人が日本人であると強く感じることは、日の丸という国旗を目の当たりにした時に強く思います。特に外国を旅していて旅先で日の丸を見たときの印象は民族として血の騒ぎを覚えるのです。

 昨日王ジャパンがアメリカでとてつもない大偉業を成し遂げました。野球の世界一を決める試合でキューバに勝ったのです。胸に日本の日の丸を縫い込んだユニホームは野球の本場アメリカで本当に世界一になったのです。しかも第一回という記念すべき時に・・・・。時あたかも今年はオリンピックの年でしたが荒川選手の金メダルに湧いた直後の出来事なので余計喜びが大きく、国内のあちこちではそのドラマチックな勝利への軌跡が号外となって国民に配られました。

 私が日本人であると意識したのはやはり二度の海外体験でした。最初は18歳のところ、愛媛県立宇和島水産高校の練習船愛媛丸で珊瑚海へ遠洋航海に行った時でした。寄港したイギリス領エスピリッツサント島は珊瑚海海戦のあった激戦地、その海岸に無造作に痛々しく残った日本軍の上陸用舟艇の残骸を見ました。戦後という言葉も遠くなった昭和38年の出来事ですから衝撃は大きく、心に深い感動覚えたものです。二度目は青年の船に乗ってアメリカ・メキシコを旅したとき、ロスのディズニーランドで丁度12時、アメリカの国歌がスピーカーを通して流れましたが、遊んでいたアメリカ国民が全て立ち上がり手を胸に国旗に向かって国家を口ずさむ姿でした。その衝撃冷めやらにメキシコアカプルコで青年の船の団員が船上から持っていた日の丸の小旗を2~3人無造作に桟橋に投げたのです。そのことがメキシコの新聞のコラムに書かれました。国旗を大事にしない日本人って感じでした。私はこの光景を思い出しながら野球の観戦をしました。角の民族意識は地球に醜い争いを作ります。しかし私たちが日本人であることの誇りは当然持たなければならないと思うのです。

 シンプルな、それでいて気品漂う日の丸も、昨日の様な国民の祝日ですら家の角々に立てられなくなりました。町中を歩いてみても昨日は余程しっかりした家庭でないと日の丸は見えませんでした。わが家に日の丸を立ててたら、友人が夕方やって来て「若松さん今日は王ジャパンが優勝したから日の丸を立てたのですか」とジョークにも似た発言があるほどでした。

 時あたかも教育基本法の文言に国家愛などの表現をするかどうかで主義主張が大きく分かれて議論されています。国を愛することは自分を愛する事に繋がります。それを教えてくれたのは王ジャパンだったのかも知れません。もう一度国家とは、日の丸国旗とは何かを自分自身に問いたいものです。ジョン・F・ケネディは大統領の就任演説で「国家に何かを求めるのではなく、国家のために何ができるか考えよう」と問いかけました。私も国家のために何ができるか考え、行動したいものです。

  「日の丸は 日本の象徴 だのに何故 祝日日の丸 町中見えず」

  「日本人 意識しました 王ジャパン 多分イチロウ 一番意識」

  「戦争の 記憶を持った 人減って 平和尊さ 分らず過ごす」

  「国旗見て 野球勝ったと勘違い 今日は春分 国民祝日」

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shin-1さんの日記

○お払い箱になった筆記用具

 私の書斎をはじめ家のあちこちには筆記用具が散乱しています。マジックインキ、ボールペン、シャープペンシル、鉛筆、マーカーなどその種類はおびただしいのです。昨日はハガキを書いていて途中で文字が書けなくなり、ボールペンに八つ当たりして雑記メモ帳に何度も書いて見たのですが結局は書けず終い、芯を取り出して見てみると、何とインクがまったくなっていることに気がつきました。普通ボールペンを使い切るなんてことは殆どありませんのっで、少々嬉しくなりましたが残念な事にその後はこのボールペン、ゴミ箱行きの運命と相成りました。

 半永久的とも思えたボールペンの出現は私の暮らしに大きな変化をもたらしました。それまで愛用していたインクをつけて書く万年筆さえもカートリッジとなって便利を感心していましたが、さらに追い討ちをかけるようにシャープペンシルの出現によって筆記用具は大革命となりました。それまで削って使っていた鉛筆さえ手動から電動の鉛筆削り機となり、何不中なく文字が書けるようになったのです。私が町の広報ふたみを担当していた初期の頃は鉛筆と消しゴムのご厄介になって原稿を書いていましたから、まだ三十年弱しか経っていないのにこの変化ですから驚きです。

 こうした変化の影で急速に消えゆく運命にあるのが鉛筆です。色の薄さや濃いさでHBを基準にHとBを沢山持っていましたが、今の子どもたちはこうした基準さえも分らないほどで、毎日鉛筆を削って筆箱に入れた少年時代が懐かしく思い出されるのです。昨日久しぶりにペン立ての鉛筆を取り出してカッターナイフで削ってみましたが、削りたての鉛筆はプーンと木の香がして、五角形の鉛筆を握った感触がとても新鮮に感じられました。まざまざと見つめる鉛筆には、何やら分らぬ文字が書いてあり、中にはお土産として貰ったのでしょう、温泉地別府の文字がPR用として書かれていました。一時代を築いた鉛筆も既にその役割を終えており少し寂しい気もしますが、この際整理しようと使わなくなった筆記用具を捨てる事にしました。

 ところで、ボールペンと鉛筆で線を引いた場合どちらが長く引けると思いますか?。こんな単純な質問を考える私は単純馬鹿かもしれません。でもそんな単純馬鹿を実際に試した人がいるのです。多分大方の予想ではボールペンに軍配を上げるででしょう。書き方にもよるのでしょうが鉛筆は50キロメートル、ボールペンは僅かに1.5キロメートルだそうです。この比較を見ていかに人間の作った鉛筆が優れているかが分ります。消えゆく運命にある鉛筆をいとおしく思うのは私だけではないと思うのです。

 24色の色鉛筆を買ってもらった時の嬉しさは今も忘れるることはできないし、鉛筆が全て折れて学校の授業にならなかった悲しい思い出もあります。鉛筆とともに過ごした少年時代が懐かしいですね。

  「鉛筆は どうして丸か 五角なの 不思議な疑問 今でも消えず」

  「筆箱に 削った鉛筆 忍ばせて 入試受けたな 鉛筆倒して」

  「鉛筆の 芯は本当に 鉛なの これも疑問で 鉛筆割ったな」

  「鉛筆で 書いた文字消す ゴムもある 小刀ともに 昔持ち物」 

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