shin-1さんの日記

○Eメールで毎日が楽しいです

 私はパソコンが大の苦手です。ですから今までパソコン通信などは使わずもっぱらハガキ通信が主流でした。ですから最近になって仲間内の会合ではパソコンの話題になると、私は蚊帳の外的な孤独を感じていました。これは不味いと思ってみても、パソコンへの投資能力やパソコンの知識を持ち合わせていなかったので、ジレンマの日々が続いていたのです。職場のパソコンを使ってあれやこれやと文章を書いたり、仕事に必要なメールのやり取りぐらいだったのですが、仕事を辞めてからはその道も断たれてしまったため、このまま逃げたら駄目だと思うようになり、思い切ってパソコンに挑戦しました。息子と共謀して無線電話回線を引いて、とりあえずインターネットができる体制までは持っていったのですが、これがまた右往左往の連続で、息子に面倒くさがられながらもどうにかインターネットで連絡が取れるようになり、娘婿の協力でホームページやEメールアドレスも用意され、さらに昨年9月からはブログの書き込みもできるようになり、苦手克服と相成りました。しかしまだブログに写真を取り込んだり編集をする技術は伴ってないので、それが只今の悩みの種なのです。

 先日清水さんの紹介でいーネットのメーリングリストに名前を連ねることを許可されましたので、30人くらいのメール友ができ、傍観的ながら皆さんのメールを読んだりメールのやり取りをしているのです。たまたままちづくりサロンがあって多くのメル友が参加していましたので、最近では話題も共有できるようになり、パソコンを開けるのが毎日楽しみです。「パソコンは相手が見えないから誹謗中傷的な勝手なことを書くもの」という先入観は払拭され、こちらの意見も書き込んでいます。最近は2.3日家を空けているとメールが溜ってその処理に時間がかかる程です。

 私のパソコンにはこうしたメル友の他に業務用とでも言おうか、仕事のやり取りの情報も沢山入ってきます。今日も名古屋から原稿の校正のための原稿が添付されていたことを見過ごし、締め切りが過ぎたブーイングが電話でありました。メールは余程的確に処理しないと見忘れや処理忘れ、添付開き忘れが多く、まだまだ私のパソコン能力は幼稚園程度なのです。

 自分の自由時間の中でパソコンの前に座る時間も次第に多くなりました。今は指定でも毎日一時間はパソコンの前に座っていますし、仕事の能率も随分上がったような気がしています。何はともあれパソコンが苦手や苦痛であった一年前のスランプからは完全に脱皮したことをご報告します。「偉いぞ進ちゃん」なーんて言葉が返ってきそうです。

  「逃げてたら 追いかけられる そう思い パソコンマスター 今は楽しく」

  「メル友の 顔も知らぬに メール打つ 知ったかぶりが いいではないか」

  「スラッシュや ドットコロンと 言われても 言葉通じぬ あんたは古い」

  「メル届き 八十歳とは 驚いた 飛んでるばーちゃん きっと長生き」

  

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shin-1さんの日記

○石の上にも3年

 愛媛大学の非常勤講師をお引き受けして今年で丸三年を終えました。長いようでも短いようでもありましたが、今日幾つかの提出書類を大学に持っていって一応の区切りをつけました。最初はドギマギした大学の仕事もどうにか飲み込めて今は少しゆとりが出てきた感じです。非常勤講師は毎年契約更新ですから成果が出なかったり失敗すると声はかかりません。先日担当の先生からメールで来年もとのお誘いがあり、今日偶然にも大学から非常勤講師就任の承諾依頼書が送られて来ました。今晩妻と相談して決めたいと思いますが、断る理由もないので、大学生が卒業するのが4年だと思って引き受けたいと思っています。さて妻はどう言うでしょうか。学生の皆さんに「学びの感想」というレポートを書いて提出してもらいましたが、この一年前期30時間、後期30時間、計60時間の受講感想は概ね良好で、特にフィールドワークで県内市町を調査のために訪れたことは印象に残っているようです。

 私自身も若い学生との交流で随分学ばせてもらいました。今の若者がどんな意識を持ちどんな行動をとるのか興味があり研究もしたかったので積極的に学生と情報交換をしました。また学生が考えるまちづくりについては「えひめ地域政策研究センター」の機関紙「舞たうん」に、二回連続でその成果を掲載してもらいましたし、研究員の皆さんと学生の話し合いの場も持てました。

 私のゼミには今年は26人の学生が参加し「地域振興とまちづくり」というテーマで様々な切り口から講義を試みましたが、一年間の学習を経て学生が提出した「私の感がえる地域振興とまちづくり」には、A4i一枚の短い文章ながら踏み込んだ意見が随所に見られました。

 大学は最早先生から講義を受けるだけの時代は終わったように思います。講義は勿論大切ですが、私たちのような社会人の経験から生まれた論理を聞いたり見たりしながら主体的にどう学習ができるか、そして願わくば大学と社会の間の大きな壁を取っ払って、いかに社会貢献できるかが試されているようにも感じました。学生たちには「たのくるしい」という私が作った造語を最初に贈りましたが、はて楽しくも苦しくもあったでしょうか。 さてさて来年はどんな教え方をしようか、思案中です。

  「大学へ 三年通って 教えたり 知識増えたと 感謝レポート」

  「たのくるし そんな造語の 学び終え また新しき 学生たちと」

  「優良可 顔と名前と レポートで 点数つける 首をひねりて」

  「春始め 冬終わりの 授業する 学生衣 春から冬へ」   

 

 

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shin-1さんの日記

○私立中学校が人気です

 現在日本の中学校は義務教育ですから、殆どの子どもが地元の中学校に試験や選抜もなく通うことが半ば通例になっています。ところがつい最近ではそうした当たり前だと思われていたことに変化が起こり始めました。私立の中学校がその勢力を増しつつあるのです。田舎には私立の中学校が殆どないのでピンときませんが、都会では水面下で立派な中学校へ子どもを入れるための激しい親のバトルが繰り広げられているというのです。つまり私立の中学校へ進学するということは小学校6年生になると志望校への受験が待ち構えているのです。そのため子どもたちはうかうか遊ぶこともできず、もう小学校3年生になると塾通いが始まり、ゆっくりした子ども時代など夢のまた夢にになりつつあるようです。

 私たちのように子育てを終わった年代はこんな話を聞いても他人事だと冷めた雰囲気で聞き流しますが、これから子育てをする人たちにとっては他人事ではなく気を揉むことでしょう。

 こうした時代背景には文部科学省が出した「ゆとりの教育」を基軸とした学習指導要領によって学習時間が大幅に短縮され、その結果学力が世界の国々と比較して低くなったという調査結果が発表されたからだという説がありますが、その真偽は定かではありません。最近では中高一貫教育などを推進する各県の動きもあって、ベルトコンベアーに乗り遅れまいとする親の焦りも拍車をかけているようです。

 冷静に考えれば子どもを伸び伸びと育てた方が良いし、最近の青少年を巡る世相からもゆとりは大切だと思うのですが、猫の目とか、風見鶏とか、はたまたあんま膏薬とか悪口を言われるように文部科学省のやることなすこと全てに、良い結果が出ない現状ではこうした混乱も仕方がないことと言わざるを得ない現状です。文部科学大臣が変わる度にこう方針がガラリと変わるようでは、たとえ教育基本法に「国を思う心」を盛り込んだところで国を思う心を持った子どもたちは育たないような気がするのです。

 私たちが中学時代にもこれとよく似た現象が起こり、私たちの同級生のお金持ちや知識人の子どもの何人かは松山の中学校に進学しました。結果はどうであったか見てみると、地元の中学へ行った私たちと左程変わった人生を送っているとは思えず、同級会などに来ても恩師もなく親しい仲間もなく、むしろ肩身の狭い思いをしているように思えてならないのです。

 子どもは親の理論だけでは生きて行けません。子育ては何処を出たかより、何をどうするのか常に子どもの目線で考えてやることが重要です。ましてや少子化で子どもたちは兄弟も地元の友人もいない寂しい思いをして生きていくのですから、せめて中学校くらいはふるさとととの深い関わりの中で育ててやりたいと思うのです。

  「六年で 早くも進学 競馬馬 親は馬券で 大穴狙い」

  「飛びきりの 学校出ても することは 親を立派な 特老預け」

  「子を預け 年寄り預ける この社会 何か狂って いると気付かず」

  「名門の 私立中学 出たという 社会じゃ俺が 一枚上だぞ」

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shin-1さんの日記

○新友にして親友との深友としての付き合い

 昨日の夕方「ごっくん馬路村」で有名な高知県馬路村から木下さんがやって来ました。彼とは昨年12月に「地域の自立を考えるサロン」の打ち合わせを馬路村で開いた時、東谷専務が声を掛けていたので参加していた馬路村役場職員です。人なつっこい彼はたった一夜の出会いで私の新しい友人、つまり新友になったのです。そして今年の2月に開催されたサロンに東谷軍団の一員として来県しちゃっかり親友となり、人間牧場まで押しかけて来ました。そして昨日年度末のこのくそ忙しいのに休暇までとって三度やって来たのです。

 「忙しくて日程が詰まっているから来るな」というと、「いつが空いているのか」、「土日はいっぱい」というと「平日でも休んでいく」と、まあこんな具合に粘られうっやられて昨日の出会いとなりました。彼の本当の目的は馬路村をデザインしている人間を私に会わせたかったそうなのですが、出発直前になってそのデザイナーが風邪をひいてダウンしてしまい、結局は何の目的も果たせぬまま無目的な一人旅でやって来ました。

 せっかくやって来たのですから、飲み会でもと地域政策センターに声を掛けたところ、サロンで知り合った遠来の友を大切にする井石主任さんをはじめ全員が参加してくれました。木下さんも感激でしょうが私も僅か1時間前に声を掛けてもしっかりと対応してくれた研究員の皆さんに心から感激しました。

 「小雪舞う中4時間もかかって大変だったでしょう」と研究員が言うと、「いえいえ大したことではありません。僅か4時間で来るのですから」とはさすが高知のいごっそです。彼はユズですっかり有名になった馬路村を魚梁瀬杉で有名にしたいと思っています。ユズや農協にあらずんば馬路村民ではないという風潮の村で、平気でユズを否定する辺りが私の最も気に入っているところです。人と話をする時彼は必ずメモを取ります。「酒を飲んでいる時にメモをされると場がしらける」と注意をするのですが、彼は私の忠告など何処吹く風です。こんな彼を私は深友といわざるを得なくなってきました。

 昨日は何処かのホームセンターに立ち寄って、清掃道具を買い車にしのばせやって来ました。「明日の朝師匠と一緒にシーサイド公園の清掃をするのだ」と張り切っておりましたが、泊まる場所が松山だったためさすがにそのことは丁重にお断りをしました。

 彼はこの日馬路村温泉の若い林支配人から私宛の手紙を携えていました。彼から届く文面はこれで2度目ですが極太墨字の手紙には、先日出した夕日の絵葉書へのお礼と心情を吐露していて何か温かさを感じました。こうした若い人たちとの付き合いは進友的な想いを感じます。これこそ信友・真友・心友・伸友だと思います。

  「新友が いつの間にやら 親友に やがて深友 なるとの予感」

  「まるでハエ 追っても直ぐに やって来る 見上げた根性 そうでなくては」

  「彼を見て 若い自分を 思い出す 転げ傷して それでも前へ」

  「帳面に 几帳面づら メモを取る 今時珍し 阿呆な悪癖」 

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