shin-1さんの日記

○今日は関アジ・関サバ食べたよ

 今日は友人の教育長就任祝賀会に出席するため西予市へ行って只今23時にわが家へ帰って来ました。私のように教育長を辞めた人もいれば、教育長になった人もいて、世の中は面白いものです。祝賀会といっても飲み友達だけのこじんまりした宴席でしたので、みんなワイワイガヤガヤやりました。

 その席に旧佐賀関町(現大分市)の友人渡辺さんがやって来ていました。彼とはまだ3度しか会っていませんがまるで古い古い仲間のように私のことも彼のこともお互いが理解しあったよき友人です。彼は私のブログの愛読者なので私の近況は私以上と思われるくらい、丹念に読み丹念に覚えているので多いに話が盛り上がりました。それは何といっても彼が発泡スチロールに入れて持って来たご存知関アジ・関サバのお陰かも知れません。東京で買ったら一匹1万円は下らないという関サバと関アジの刺身は、ブランド品だと心して食べるからかも知れませんが、油がのって口に入れるととろけるような味でした。私は魚所、しかも漁師の家に生まれたため、鯛などの高級魚をふんだんに食べて成長しました。ですから鯛などは別に珍しくもないのですが、サバやアジの方が性に合っているのか青魚が好物ですから、とにかくたらふく食べました。

 いつも新聞やテレビでしか関アジ・関サバは見ていないので「こんなに贅沢して良いのでしょうか」なんて言いながら箸を進めました。私は甘い刺身醤油が苦手です。というのも刺身醤油が勝ち過ぎて素材本来のアジを殺してしまうために、生醤油をお店にお願いして出してもらいました。勿論ワサビは付けず生姜を少し入れて食べました。歯ごたえも喉越しもこれに勝る素材はないと思いました。旧三崎町(現伊方町)の塩崎さんも同席して食べましたが、岬アジ・岬サバのブランドで対抗しているようですが、関物と味は変わらないものの、ブランド力の差はいかんともし難いようです。

 佐賀関も大分市と合併し、三崎町も伊方町と合併をして両町名の自治体は消えましたが、地域づくりの視点から考えると返す返すも残念でなりません。これも時の流れでしょうか。

 そうそう今日の会合で渡辺さんから提案がありました。私がブログの巻末に笑売啖呵を4首書いていますが、ずずらべったりで読みにくいと言われました。一つの提案として5・7・5・7・7の文字間を一文字空けるようにとのことです。私も最初は随分迷ったのですが、啖呵が泣き別れのように二段になるので今の体裁にしましたが、早速今夜の文章から手直ししてみようと思いました。これも関アジ・関・サバのDHAのお陰でしょうか。

  「同じ海 釣る人別なら 関と岬(はな) それでも値段 月とスッポン」

  「関サバの 刺身たらふく 食べました 友のお陰と 感謝をしつつ」

  「教育長 辞めた人あり するありて 辻褄合うから 世の中上手く」

  「心臓が 悪いというのに 酒タバコ 自制できない 早く死ぬかも」

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shin-1さんの日記

○覚え易い数字

 私は余り数字に強くないタイプなののでしょうか、人の電話番号も車の番号も、自分の携帯電話の番号も自分の車のナンバーも未だに直ぐは出てきません。そこへいくとわが妻は実によく覚えていて、昨日も「○○さんから電話が入っていましたよ。電話番号は○○です。直ぐにかけてください」と覚えている番号をすらすらと言うのです。驚き桃の木といったところでしょうか。「人間は何か取り得があるもの」と褒めると、「その褒め方は余り嬉しくない」ととがめられました。妻曰く「あなたは人の名前をおぼえるのが得意、私にはとともとても真似ができません。人間には何か取り得ああるものです」とその褒め方が悪いと私を咎めておきながら、口の渇かないうちにこんな言葉を返されました。まあ担ったら一貫、夫婦足して2で割ったら丁度いい夫婦ってところでしょうか。

 しかし、私のような数字を覚えられない人間でも、最近のように車のナンバープレートを語呂合わせで取っている車などはよく覚えることができます。役所のTさんは6666なんて数字を使ってますし、2525は私の息子の番号です。自分の車の番号も覚えずに、人の車の番号を覚えているのですからおかしな話です。

 先日高知へ行って面白い話を聞きました。日本には3が何と12個も並ぶ緯度経度の地点があるというのです。東経133度33分33秒、北緯33度33分33秒という地点が高知市を流れる江の口川の河口付近に実在します。同じ数字が12個も並ぶ地点は日本でここだけだそうです。そこで思いつくのは村おこしやまちづくり、この奇妙な数字にあやかって高知ロータリークラブが南岸にモニュメントを建て、「地球33番地宣言」をしたそうですが、当時はテレビもそんなに普及していなかった昭和37年頃のことだったので有名にはならずに経過しました。その後高知市が平成3年に「地球33番地フェスティバルを3月3日に333万円の予算で333匹の鯉を地元小学校3年3組の33人の児童で放流するというユニークなイベントをやりました。

 あやかりもここまで徹底するとマスコミが飛びつきますが、じゃあその経済効果はとなると疑問符がつくのです。いくらいいアイディアでも投資効果や地域への定着がなければ川に捨てるようなものです。もう一度その辺を考えて平成33年に向けて考えてみては如何でしょうか。愛媛県から高知県へ伸びる国道はご存知33号線です。高知は晴れの国燦燦と降り注ぐ太陽もサンサン(33)と呼べますし、3を九つ並べればサンキューともいいます。サン(3)フルーツだって、珊(3)瑚だって、3月3日生まれだって何だって3は縁起のよい数字ですから探せばゴロゴロ、面白いですね。

  「携帯も車も番号覚えない数字に弱い俺の欠点」

  「3言われ3のつく事思い出すここから始まる謎解き問答」

  「世の中は面白楽しいことがある思い出しつつ思わずウフフ」

  「うとうととしつつパソコン打ってたら同じ数字が画面いっぱい」

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shin-1さんの日記

○結婚披露宴の司会537組やりました

 そんなに結婚式の司会をやったという意識はありませんが、昨日ある知人から結婚披露宴の司会をやってくれないかと内々打診がありました。その知人は自分の結婚式の司会を私がしていたので、夢よ再びと思ったそうです。やれないことはありませんが何が何でもそれはと、妻の助言もあってお断りをしたのです。

調べてみようと書棚に保管していたこの30年余りの手帳を見みると、やはり紛れもなく結婚披露宴の司会は537組まで通し番号がつけられ、1999年5月12日に終わっているのです。プロの司会者ならいざ知らず、これだけの結婚披露宴の司会を素人がこなすことは容易なことではありません。537組といえば毎日司会をしても優に一年半かかる計算ですから気の遠くなるような数字なのです。手帳のあちこちにはナンバーの打たれた○○家結婚式(司会○○時間~、会場町民会館)などと詳しく書かれていますが、多い年には一年間で20組もやっているのですから驚きです。私が司会した全てのけぅこん披露宴を覚えているわけではありませんが、私の司会をしたカップルは離婚率も低くみんな幸せな家庭を築いています。

 先月ある研修会で講師に招かれ行った会場で、私が若い頃に司会をした結婚披露宴に招かれて私の司会ぶりを体験した人にお目にかかりました。その人の話だと最初披露宴の案内をもらった時、正直気が乗らなかったそうです。双海町という田舎の、しかも生活改善運動の一環で会費制の結婚披露宴なんて、一生に一度だのにと不振がっての出席だったそうです。でも幕を開けてみるとそんな暗い雰囲気どころかハラハラ、ドキドキ、ジーンとする手作りの、それでいて手間暇かけたどの会場にも負けない実に素晴らしい披露宴だったそうです。彼女はそのお礼が言いたくて走り書きのメモとご家庭で作られた立派なトマトを持ってこられていたのです。彼女も私も感激しましたがふとその時のシーンが蘇りました。

 住所が分らずそのままにしておいたのですが、先日知人を介して再び立派なトマトが届き、私はその知人に住所を聞いてお便りを出し、その家を訪ねて双海町特産の煮干しを少しお礼に伺いました。こうしてこの方とはやりとりが始まり、深いご縁を交わすようになったのです。

 結婚式も当世はすっかり様変わりし、まるで芸能人の披露宴かと思わせるような華やかなものから、地味婚まで様々です。幸せになれるのならどんなに派手でお金をかけた結婚式でも良いのですが、一分に一組の離婚が定番となった現代では、結婚とは何かという根本を何か忘れているような気がしてなりません。

  「結婚の司会を頼まれ辞退する自信はあるがやれないそぶり」

  「結婚の司会で俺は度胸つく人の前でもあがらず喋る」

  「やったよな涙と笑いの披露宴お陰でわが家記念の品々」

  「気がつけばあいさつ増えて司会なくそんな歳になったいうこと」

 

 

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