shin-1さんの日記

○給料が下がる

 昨日所用で役場へ行ったら、かつての同僚が「給料が4パーセント下がるんですよ」と不機嫌そうな顔をして言うのです。そういえば昨日の愛媛新聞に「職員の給与4パーセントカットの議案」とありました。「そりゃあ大変でしょう」と相槌を打つと、「若松さんはいい時に辞めましたね」と返されました。「何で」と訪ねると「だって急慮が下がる前に辞めたのですから」という。「おいおい」と言ってやりたかったけど途中でやめました。彼が言うのには「景気も回復し民間では給料が上がっている」と相当不満顔でした。「民間が不況のどん底にいる時、給料が下がらなかったのだから我慢しなしなさい」と言って役所を出ました。

 地方公務員の給料が安いのか高いのかは人事院が調査して勧告を出すようになっていますが、自治体の台所事情によって減らされるのは正直合点がいかぬところでしょう。しかし自治体の財政がこれ程逼迫しているのですから、三位一体の改革には職員も協力しない訳にはいかないはずなのです。

 ところで不況と無縁の社会があることをご存知ですか。そう国会議員の先生方です。議員の歳費といわれる給料は月額137万5千円だそうです。これにボーナスが8百7万円、加えると2千457万円だそうです。

 それh度給料が良いのなら俺も国会議員になろうと思っても、中々なれないのが国会議員なのです。その国会議員さんも国の台所事情がよほど悪いのか、これまで一度も給料が下がったことがなかったのに、平成14年度から一割カットされたそうですが、庶民の私たちや地方役所職員の給料から比べると、下がったといっても端数程度でしょうか。

 しかし、昨日私は役所の職員と話してガッカリしたのは、給料の減額案よりも機構改革案が上程されたという事実を誰も問題にしないことが問題ではないかと思いました。今回の機構改革案では総合支所の機能が大幅に縮小され、6日が2課になるというのです。合併時に約束した総合支所方式は完全にホゴにされるというのです。これはある意味で地方の切り捨てです。昨晩ある市会議員が我が家を訪ね、議会でのやり取りを吐露して苦悩の色を滲ませていました。自分の給料が下がることも大事だが、こうした機構改革こそ職員として心を痛めなければならないのではないかと思うのです。

 私は職域を離れた人間ですから大それたことを言える資格はありません。でも旧町の一市民としてこんな暴挙があって良いものかと憤りを感じました。その点私の家へ相談に来られた議員さんは立派だと思いました。

 街の中が最近しぼんだように静まりかえっています。飲み屋の大将もこりゃあ死活問題だと嘆いています。町が静かなのは良いことなのでしょうか。

  「給料が下がると嘯く職員に言ってやりたいもっと大事が」

  「苦悩する地元選出議員さん誰が切り捨て立案するのか」

  「何もかも変な社会になりましたこんなことなら合併しなきゃあ」

  「言っちゃ駄目口止めされて漏らす人言わない人より言う方まだまし」

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shin-1さんの日記

○えひめ人権同和教育への投稿

 投稿といえるかどうか分りませんが、昔馴染みの教育委員会の職員から原稿を頼まれ、僅かな時間で書き上げ送ったのは昨年の年末だったと思います。すっかり忘れていたらその原稿が掲載されたNO.100号の機関紙が5千円の図書カードとともに送られてきました。この記事は妻に内緒で書いたのですが、妻が呼んでくれと言うので、まるで孫への読み聞かせのような形で読むと、まあ、私だけが悪者なの、と不満顔でした。「僕が選んだ人だから」と題したその原稿を紹介しておきます。

 平成の大合併で自治体の特別職を辞するまでの35年間、何らかの役所の肩書きで仕事をしてきた私は、この4月から殆どの役職を離れた。余命を楽しく暮らそうと多少の憧れもあって自由人の道を撰んだが、世の中には肩書きをその人の値打ちだと勘違いし、去っていく人もいれば、以前にもまして人間的な付き合いをしてくれる人もいるから面白い。

 そんな矢先、わが家の長男に結婚話が持ち上がった。いくら結婚は二人の問題といいながら、私は古風な88歳になる私の父、近所に沢山いる親戚、娘夫婦や弟二人など、結婚に当って相談すべき人たちのことを考えた。長男が数年の付き合いで選んだ一人の女性を、何のわだかまりもなく結婚相手として受け入れることができるか、長年人権・同和教育にかかわってきた私が試されるとあって、私なりに色々と考えさせられた。結婚が人生の全てではないといっても、適齢を越えかけた長男の結婚に一人気を揉む妻の喜びと不安は相当なものでああった。家族会議で「相手を調べてみては」と主張するも、長男の「部句が選んだ人だから信じて欲しい」の強い言葉に、「おじいちゃんにも聞いてみないと、親類もあることだし、あなたはどうなの」と迫ってくる。同席した次男、三男は「兄ちゃんが選んだ人だから兄ちゃんが決めればいい」と長男の援護射撃に余念がない。頑固で古いと思っていた大正7年生まれの親父さえも「将来を決めるのは二人だから」と静かなエールを送ってくれた。

 結局、妻一人の孤独な意見はかき消され「何かあったらあなたが・・・・」のt間の捨て台詞でOKとなった。それまで何かにつけて反感反目していた長男は、口にこそ出さないものの「話の分る親父」と思ったらしく、近頃はすこぶる中の良い親子関係を維持するようになった。

 それにしても「何を調べるん」「僕が選んだ人だから信じて」「兄ちゃんが決めればいい」と、母親を諭す言葉を言った3人の息子たちは何処でどんな教育を受けたのだろう。学校教育の成果か、はたまた親の教育が良かったのか定かではない。しっかりとした結婚観や人を信じることの大切さをいつの間にか身に付けた子どもたちに、大きな拍手を送りたい気持ちであった。

 人の夢は年齢とともにしぼむもの、しかし還暦と定年を同時に迎えた私はサンデー毎日の日々ながら、夢の風船を膨らませ目を輝かせて生きている。海の見える小高い岡の上で「人の心を解き放つ人間牧場を経営したい」と思っていた念願の構想も、家族の後押しや建築家を目指す長男のアイディアを取り入れいよいよ完成間近かとなった。家族とともに向き合った長男の結婚話は、幕の途中ながら結果的にハッピーエンド

になりつつあるが、やがて迎えるであろう次男・三男の結婚話という二幕・三幕のストーリーも、家族の深い絆を確かめ合いながら困難を乗り越えていきたいものである。 

 私がいなくても地球は回るし歴史も動く。人生もまた何気なく過ごせばそれでも一生は終わる。しかし、どう生きたかという人生の意味を確かめながら生きることが重要ならば、タブー視され疎かになりがちな「家族の人権」をお互いが意識し、尊重して生きることこそ人権の基本かもしれない。長年の人権教育とのかかわりは知らず知らずのうちに自分の心を変えていた。人権教育は結局自分づくりなのである。

  「投稿の雑誌とともに図書カード学生次男やると喜び」

  「他人事と思って話す問題もいざ自分だとまるであやとり」

  「投稿の妻が悪者物語読んで聞かせて二人納得」

  「いつの間に小雀大きく成長し親に諭しの言葉言うよに」

 

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shin-1さんの日記

○輝いている人

 昨日ある団体から講演の依頼がホームページに寄せられました。時代は変わったもので、講演依頼をパソコンが代役してくれるのです。私の「名前は知っていても電話番号が分らないので」という注釈の後に、希望する日時と会場など、電話で話してもこんなにはいかないと思うほど講演に必要な条件が書かれているのです。私は早速予定表を見て「快諾」のメールを送りました。見ず知らずの、しかも声も聞いたことの無い」相手と商談成立となったのです。依頼文には「講演の演題をお知らせ下さい」とあるので、相手が希望している話の内容を基に「輝いて生きる」と書いたのです。

 演題が決まってから書棚の本を2、3冊縦読み乱読して仕込みを始めましたが、「輝いて生きる」ということについて話す場合、「輝いている人」とは一体どういう人を言うのだろうと、私の周りで輝いて生きているような人を2、3人思い出しました。

 私の町に富岡喜久子さんという女性がいます。彼女は漁協女性部の部長をしながらシーサイド公園でじゃこ天を起業したおばちゃんです。女性としての気品もリーダーとしての指導力も抜群で、書けて喋れて実践できるまれに見るいい女なのです。彼女との出会いは私が公民館主事として駆け出しのころ知り合い、結局はまちづくりの世界まで同行二人活動をしてきました。年齢は高くもう老域でしょうが、決してそんな年齢には見えないのです。探究心も旺盛で常に前を見て生きています。彼女を見ると「ああ生きているな」と思うのです。

 手前味噌で恐縮ですが私の妻の若松繁子さんも、前述の富岡喜久子さんから見ると月とスッポンって感じですが輝いているなあと思います。富岡喜久子さんが太陽の輝きなら若松繁子さんは月の輝きだと思います。4人の子どもを生み育て、わがままな夫を輝かせるために功名が辻の千代ではありませんが内助の功発揮しています。祖母と母を看取り、父の面倒も見ながら近所の歯医者さんに勤めて民生委員までこなす超多忙な女性です。特にわが家にやって来る年間1500人もの人の中で、逗留や研修生の面倒を長年にわたってサポートしてくれました。

 私は遠い存在の富岡喜久子さんも、近い存在の若松繁子さんも輝いている人だと思いました。結局「輝いている人」は、明るく、逞しく、希望を持って、楽しく、人のために尽くす、よく働く、人間関係が上手い、言葉遣いが上手、金銭感覚が優れているなどなど、幾つもの共通点があることが分りました。妻はさておいてとさて置きがちになりますが、私も随分考えるようになったものです。身近な妻の存在を有難いとこうして歯の浮くようなお世辞が書けるようになったのですから・・・・。ああ恥ずかしい・・・・・・。

 結局輝いている人は、心と体がまるで貸借対照表のようにバランスよくなっている人だと思いました。

  「輝いて生きてる人を数えれば二番目思う妻の偉大さ」

  「何気なく過ごした二人の40年同行二人人という字に」

  「あれこれと輝き条件指折るが明るく楽しい人が一番」

  「パソコンで講演依頼の文届く快諾日時予定書き込む」

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