shin-1さんの日記

 ○人間牧場入塾生第一号にすべきかどうか 

 2月は何故か滅茶苦茶忙しく、北や南へ日本列島を旅していたため、今日は久しぶりに日程が空いていたので人間牧場へ行きました。畑を耕して春の植えつけ準備をしなければならないので鍬をふるっているとポケットに入れた携帯電話が鳴りました。昨日予約の浜田さんです。彼とは宮本常一の研究で何かと意気投合し出会うのですが、船会社に努めるいわば得体の知れない不思議な男です。しかし身元のしっかりした人なので、人間牧場へも案内していますが、今日はどうしても会いたいというので畑仕事の手を休めて海岸まで送り迎えしました。本当はこんなに天気の良い日はまたとないので畑仕事を優先したいのですが、たっての頼みを断ることも出来ず海岸まで迎えに出て軽のマイカーで案内しました。

 今日の人間牧場は時折名残の雪がちらつき北西の寒い風が吹いていたので、ストーブに火を入れ、ストーブを囲んでの会話となりました。彼に私の人間牧場構想を話していたこともあって、人間牧場の塾生にして欲しいと、彼の55歳の誕生日が昨日だったこともあって決意を書いた封筒をいきなり手渡されました。

 人間牧場はこれまでのフロンティア塾のようにみんなで集まって勉強会をすることもありますが、基本的には概ね一年を区切って自分でテーマを掲げ、そのテーマを研究する場所の提供と人の縁を手助けすることに加えて、塾長の私が浅学ながら指導するというスタイルをとりたいと思っていたものですから、彼はそのことを頼みにやってきたのです。宜しく頼むと深々と頭を下げて帰ってゆきましたが、さてこの願書の扱いをどうするか、畑を耕しながらずっと考えていました。

 私には師匠と仰ぐ人がいます。その人を目標に今日まで生きてきましたが、人間牧場が人間の自立を目指す場所であれば、人間牧場らしくその機能を発揮するためには、浜田さんのように希望に燃える人を迎え入れることも考えなければいけないのではと今のところ思っています。

  「入塾の願書届けに登り来る人間牧場いよいよ始動」

  「鍬を打つ土の中から春が出る雑草根と目を力の限り」

  「春近し三寒四温巡り来る明日はゆるむと天気予報で」

  「梅の香は隣の畑風運ぶ遠くウグイス下手な初鳴き」  

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shin-1さんの日記

 ○それがどしたん

  まちセンでの立ち話の続きです。主任研究員の井石さんが「この職場へ出稼ぎに来て(行政からの派遣ですから出稼ぎといえるかどうか)いつも不思議に思うのは、まちづくりの議論は『なぜ』『それがどしたん』という基本的なことをいつも議論している事に不思議さを覚える」と言うのです。それまで気付かなかったのですが、そういえばまちづくりという業界(業界と言えるかどうか)では、コンセプトワークとでもいうのでしょうかこの議論が大半を占めているように思います。おっしゃるとおり普通行政のシナリオは出演者の看板は誰で、何人集める、何処にその人数を割り振る、人が何人集まったから成果があったなどなどに神経が注がれ、本来の目的である「何故この集会を開くのか」「そのために何をすべきか」「その目的は達成されたのか」なんてことは二の次のような気がします。

 双海町でほたる祭りをやろうと20数年前思いついたとき、隣の町がそうしているようにほたるを集めて会場に擬似自然をつくり蚊帳の中で飛ぶほたるを見学してもらおうという話になりました。その時ある人が「ほたるは二週間の短い命、何で人間のエゴでほたるを集めるのか、そんな自然やほたるを無視したイベントだったら止めちまえ。ほたるが見たかったらほたるの飛んでいる所へ行って見ればいい」と大見得を切ったのです。みんなびっくりしましたが、その発言がきっかけになって「ほたるを一匹も登場させない」というユニークなほたる祭りが誕生し、今もその精神を守り続けています。

 これも私の経験ですが、夕焼けコンサートが軌道に乗り青年たちの要望は「さだまさしや南こうせつを呼んで欲しい」でした。私は「確かにさだまさしや南こうせつを呼ぶと彼らの人気で人は来るかもしれないが、そんなコンサートなら大阪や東京や松山でやればいい。このコンサートは夕日が主役だから夕日に似合う、夕日を引き立たせてくれる人がいい。無名な人でもいいじゃあないか」と説明したら分ってくれ、それ以来金をかけないながらも20年間コンサートは続いているのです。

 井石さんがいうように、確かにまちづくりの社会ではいつも「何故」「どうして」という議論に大半の時間を費やします。無駄と思えるこの議論こそまちづくりなのです。そういう視点から考えると先日の「地域の自立を考える」シンポジウムは議論の絡みという点で多少の反省が浮かび上がります。でもあれ程の時間をかけて議論し、あれ程の準備をしてもなお悔いは残るものなのです。人間のすることですから・・・・・・。

 井石さんいい事に気がつかれ、私たちの立ち話に石を投げてくれました。さすが主任研究員、まるで井戸の中に石を投げた波紋のようです。姓が井石さんか、なるほどなるほど・・・・・・。

  「石を投げ石受け止めて議論する伸びるはずです私たちは」

  「何のため聞かれて言葉詰まるよねも一度聞くよ何のためにと」

  「二十年やっても未だ極めれぬ奥の深さに未熟を恥じる」

  「議論するとにかくやろうと一歩出す歩きながらのまたまた議論」

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