shin-1さんの日記

 ○時計はアナログに限る 

 今日所用でえひめ地域政策研究センターへ立ち寄り、立ち話をしました。長ったらしい名前の準役所ですが私たちはこの場所をまちセンと呼んで、もう20年間もまるで寄生虫のようにええ餌にありついています。最近は「地域の自立」のシンポジウムがかなり高い評価と成果を得たものですから、活気がみなぎっているようで特に遠い市町村から出稼ぎに来ている研究員とは楽しく会話が弾みます。勿論他の研究員とて同じですが、政策部門は殆どパソコンがお客様で忙しいのか、私たちが行っても何処吹く風って感じです。

 私は何か調べものがあると決まってこのセンター研究員にお願いして資料を用意してもらうのですが、彼らはまるで私の秘書のようにこまめに気配りをしてくれます。ここに事務局があるえひめ地域づくり研究会議の代表運営委員をしているため、嫌といえないようでいつもこんなに使って悪いと思っています。はい本心からです。

 さて今朝は隣の日銀松山支店で会議があるので何と顔の効く日銀に車を止めてセンターで立ち話と相成りました。今朝の話題はアナログとデジタルでした。私のように人の前で話す機会の多い人間はアナログの時計が最高です。時間を管理しなければならない人間にはやはりアナログの時計は必需品でしょう。最近はデジタルの時計が重宝がられていますが、時間は正確なのですが、「あと何分話せばいいのか」なんて考え時計を見ても、現在の正確な時刻だけで、時間(時の間)は中々分らないのです。

 今日の立ち話の話題提供者である清水さんはバリバリのデジタル人間で、いつも意見が食い違うのですが、こと時計に関しては同感でした。 私は腕時計を重宝するのに腕時計が手にはめられるのが苦手で、酒を飲んでいた頃はやたらと何処ででも外す癖があって何個時計を紛失し、妻に叱られたかません。今の腕時計はもう10年も長持ちしているので、あれは酒のせいだったと思うのです。

 時間は携帯電話の付属品としてついているので不便を感じることはありませんが、やはり時間の計算が出来るのはアナログでしょう。 昨日電車に乗ったら吊り下げ広告に「いよいよ10月1日からデジタル放送開始」の広告が張り出されていました。日本もいよいよデジタル放送の幕開けです。我が家のテレビもそれまで賞味期限が持つかどうか、いやもっと心配するのはアナログで育った私たちの賞味期限のほ方が心配なのです。それにしてもアナログ放送用のテレビを買い換えなければならないなんて、なんて不経済なんでしょう。儲けるのは電気屋さんなのですから。

  「講演は外して使う腕時計何度うさして妻に叱られ」

  「千円で立派な時計が手に入る防水自動に保障までついて」

  「立ち話会話弾んでいいもんだ人の悪口言わねば最高」

  「溜まり場は酒と会話と女ありおっとセクハラ冗談禁句」

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shin-1さんの日記

 ○今日も160キロ走りました

  車とは便利なもので、私の手足となって西や東、北から南へ自由に走ってくれます。奥の細道を歩いた松尾芭蕉や日本全国を測量して歩いた伊能忠敬は自分の足で歩いて目的を成就したのですから偉いという他はありませんが、私が公共交通機関や車を使って移動する距離は、松尾芭蕉や伊能忠敬なんて比べようもないほどの距離になるのです。そういう意味での優位性はあっても、さて松尾芭蕉や伊能忠敬のように後々の世の中が評価する仕事となると、私の存在などまるで天と地ほどの差なのです。でも諦めずコツコツと潜在能力を膨らませて行きたいものです。

 今日は貯蓄広報委員会の推進員研修会と社会保険事務所の研修会がダブってしまい、結果的には双海-松山-宇和島-双海と160キロの道程を走りました。中予から南予に至る国道沿線には菜の花や杏、梅などの花が咲き、街路樹のベニカナメモチは真赤な新芽を覗かせていました。しかし宇和盆地では小雪がちらついて、遠望の山々はうっすらと雪化粧するほどの戻り寒波に、道行く人は寒そうに足早に通り過ぎていました。それでも黒潮の恵みか、法華津峠を越えると春風のような爽やかな風が吹いて、ああ春が近いなあと感じました。

 今日の集会で懐かしい人に会いました。私は余り覚えていませんが、私の友人の友人で「若松さん、あなたの話は直接聞かなくても、友人がいつもあなたの話をしていますので、もうタコが出来るぐらい聞いています」と言うのです。私の仲間は私のことをこんなにも話してくれているのかと思うとついつい嬉しくなりました。その人の話によるとその仲間も今年の春、つまりあと一ヶ月で退職だと伺いました。彼も私と同じでご多分に漏れず大酒飲みの部類でしたが、数年前に体調を崩し酒が飲めない体になっているそうです。人それぞれの人生があるのでしょうが、あと一ヶ月を大過なく過ごされ円満な退職をと願っています。

 あと30キロの所で長浜町に出て海を見ました。落ち着くというのでしょうか、血が騒ぐというのでしょうか、私はやっぱり土の人ではなく、風の人のDNAが体内に埋め込まれているのではと思うほど、海を見ると心が安らぎます。特に子どもの頃から見慣れた瀬戸内の海はやはり私の母なる海なのでしょう。 かつて私がデザインして立てた「双海へようこそ」の看板も、長年の風雨や潮風に晒され随分くたびれているように見えました。多分こんな看板なんかに心を動かす市役所職員もいないだろうと思いながら時速60キロで菜の花畑あたりを通過しました。太陽は西に傾き、強まった北西の季節風の白波が容赦なく防波堤を越えていました。希望に燃えてまちづくりをしていた10年前とまったく変わらない風景であるはずなのに、何故か心がときめかないのは歳のせいか、それとも想いのせいか・・・・・。とにかく無事160キロを走行して妻の待つわが家へ帰って来ました。

  「宇和島も近くなったよ半日で往復仕事できるのですから」

  「われ語る友あり人の口伝えご無沙汰詫びて電話するなり」

  「町示す看板風雨に晒されて時の流れを知るは我のみ」

  「半日で百六十キロを走っても汗もかかずに文句も言わず」

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shin-1さんの日記

 ○130円の買い物

  私の町に数年前コンビニができました。私の発想で造ったシーサイド公園に人が来るようになり、表通りだった商店街が国道バイパスの完成とともに裏通りとなってしまったため、地元の酒屋さんがコンビを開店したのです。このコンビには深夜は閉まる青少年にとっては余り好ましくないコンビにですが、私たち大人からすれば健全なコンビニなのです。そのコンビニに行ってお目当てのものを探しましたが、店長さんは何も買わない私にまで丁重に「またお越し下さい」と声をかけ深々と頭を下げてくれました。コンビニができただけで何かこの街もすっかり都会化した雰囲気になるから不思議なものです。仕方がないので隣の伊予市までと思いきや、「あっ、そうだ。私の町も今は伊予市だったっけ」と思う有様です。

 昨日コンビニに行き130円の買い物をしたのは朝日新聞なのです。先日の「地域の自立を考える」シンポジウムの模様がシリーズも含め都合7回載りました。その都度朝日新聞さんへの儀礼も込めて7回もコンビニへ走りました。結局同じコンビニへ足を運び、「朝日新聞下さい」となりました。 私たち田舎に住むものは新聞を買うという習慣はなく、新聞は届くものと思っていました。ですから新聞が130円で買えるという実感も、新聞が130円の値打ちであるということも分らず読んでいるのです。私たちのように新聞記者と知り合い、この記事がどんな想いや取材を経て書かれたのか分る人間はそういう目で読めるのですが、何も知らない人はそのことすら分らず読んでいる、いわばチラシのようなものかも知れません。「何気なく過ごせる幸せ」は結局、「何気なく過ごす傍観的な人」を作っているのです。

 130円の買い物で買った朝日新聞はハサミで切り取り無造作にまtダンボールの中それにしても、あれだけの量と質を保ちながら毎日紙面を送り続ける新聞はあれでたった130円とは安いものだと思いました。隅から隅まで丹念に読めば私は凄い物知り博士になるものを、読んでも分らないと決め付けて政治や経済など斜め読み見出し読み、いや実際には読むこともなく目を通すだけで終わっているようです。 私の書斎にはこれまで新聞や雑誌に載ったり書いてもらったスクラップされた記事が山のように積まれています。いずれ暇が出来たら整理をと思いつつその整理も出来ぬまに納まりました。

  「新聞が百三十円とはこりゃ安いそんなにするのいつも分らず」

  「俺の顔まるで三面記事のよう手配写真で使われるかも」

  「新聞を読んだとメールで文届く愛媛の果てから瞬時感想」

  「九時間に及ぶ話を十行によくぞまとめる記者さん偉い」

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