shin-1さんの日記

○今年の夢

 新しい年の始まりあたって今年の夢を考えてみました。私ぐらいの年齢になるとさすがに健康第一を考え、夢など早々見つかるものではないのですが、私の今年の目標は何といっても昨年始めた「人間牧場プロジェクト」の完成を目指しています。「人間牧場プロジェクト」には「水平線の家」などのハード面を整備することもさることながら、人間牧場を使ったソフト面の充実も図らなければなりません。私一人がやることですからそんなに大きな事業は出来ませんが、当面はミニフォーラム「宮本常一からの学び」と題する20人程度の集会を3月までにやって、「水平線の家」の使い勝手をテストする計画です。そして6月には「逆手塾」の誘致が決まっていますので、その実現に向けて全力投球をしたいと思います。既に広島の和田さんや宮崎さんからは、様々な情報発信手段で熱烈なラブコールがかかっています。

 そのために今日、第2期工事の着工に向けて息子と人間牧場で打ち合わせを行う計画です。第2期工事は念願の五右衛門風呂館の建設です。既に土台工事は完成しているので大工工事は簡単だと思われるのですが、左官工事が難工事ではと心配しています。何せ第1期工事に思わぬ出費がかさみ軍資金が底をつきそうなのです。もう一つやらなければならないのは、人間牧場に隣接する用地の購入です。地権者の方とは既に接触して売ってもいいとの了解を得ているのですが、金額面でどうなるか心配です。

 次から次へと広がってゆく私の夢は、妻に言わせれば「あなたの夢はもう限界にした方がいい」というのですが、「これ以上家庭を巻き込まないで欲しい」というのが正直なところでしょう。しかしそう言いながらも自分の友人に「人間牧場を作っている。そのうち遊びにおいで」などと盛んにPRしているのです。

 人から見れば他愛の無い私の夢ですが、それでも私にとって今年最大のプロジェクトであることは言うまでもありません。

 昨日、昨年まで上灘中学校の校長先生だった窪田久谷中学校の校長先生が人間牧場へやって来ました。窪田先生はトンボの製作で昨年度随分世話になった方です。人間牧場に赤トンボの館を建てる計画に同調していますし、これから赤トンボを特産品として売り出す算段も考えています。

  「初夢を追いかけ今年もひたすらに一本の道てくてく歩く」

  「夢があるだから今日も楽しくてせっせと道具砥石で磨く」

  「見た夢とやる夢違う落差あり見た夢やれずやる夢やろう」

  「ああでもないこうでもないと思案する夢は果てなく宇宙の彼方に」

 

 

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shin-1さんの日記

○シップを張る

 私の毎朝の日課は、朝起きると同じ敷地内の隠居家を訪れ親父の機嫌を伺う事からから始まります。春夏秋冬夜明けの時間は異なりますが、親父は一貫して毎朝5時には起床しています。漁師だった親父は漁に出てた頃は漁村でも早起きの部類で、誰よりも早く出漁していましたので、その頃から比べると遅くはなりましたが、5時過ぎにはテレビの音が離れた私の部屋にも伝わってくるほど早いのです。早寝早起きをモットーにしている親父の影響は、親父の早起きの姿を見ていたからかも知れません。

 「じいちゃんおはよう」と耳の遠い親父に声を掛けると、「何っ」と問い返してきます。私は「じいちゃんおはよう」と同じ言葉を二度繰り返すのです。一見面倒くさい感じもしますが、これが親父と私のコミュニケーションのとり方なのです。

 若い頃大病を患った父も最近までは元気に暮らしていましたが、さすが88歳の老域はいかんともし難く、あちらこちらが痛いと訴えるようになりました。特に腰は毎朝病院で作ってもらったコルセットを巻いて重装備の出で立ちですが、毎朝この腰に病院からもらったシップの張り薬を2枚張るのは私の役目なのです。

 昨日までのように寒い日は冷シップを調節肌に張るとまるで冷蔵庫に入ったような冷たさで、身震いしていますが、それでもこれが健康のためと我慢しています。また私が昨日までのように少々長く旅に出ると、家内に張ってもらうようですが、息子の嫁とはいいながらさすがに異性を意識するのか気がねがあるようで、「進一は何処へ行ったのか。いつ戻ってくるのか」と妻にしつこく尋ね私の帰りを待っているようです。

 歳をとっての隠居生活は時々不安になるようで、目や耳が不自由になったためか、枕元には病院、息子、娘の電話番号を大きく書いて、いつでも電話できるようにしています。面白いのはその大書した電話番号の中に鯉屋さんの番号もあります。池で飼っている鯉の救急病院とでも言うべきなのでしょうが、自分の病気と鯉の病気を同じに考えているのです。

 これからも寸暇を惜しんで親父の隠居を覗いて世話をしてやろうと思っています。

  「寒い朝シャツを上上げシップ張る思わず身震い父の背中が」

  「今朝もまた少し縮んだ父の背に手を暖めてシップ張るなり」

  「米食って八十八の米寿まで乗り越え生きた人生立派」

  「テレビ音ボリュームいっぱい賑やかにまるで劇場だのに一人で」

 

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