shin-1さんの日記

○冬至にはかぼちゃとコンニャク、ユズ湯です

 今日は一年中で最も夜の長い、朝寝坊の妻にとって一番至福の日です。昨晩は妻の職場の忘年会らしく、一次会が終わってハリーポッターの映画を見に行ったため12時頃に帰って来ました。風呂を上がり床に就いたのは0時30分を過ぎていましたが、寝る時「明日は冬至なので夜が明けるのが遅いからゆっくり寝ます」とまことしやかな理由をつけて朝寝坊を決め込んでいました。昨夜は寒気の影響で小雪が舞うなど大荒れの天気でしたし、ゴミ出しの日でもないので7時に起床したようで、慌てて朝食の準備をしていました。

 冬至といえばかぼちゃとコンニャクを食べる風習があります。特にかぼちゃは冬至かぼちゃといって夏の終わりに収穫していたものを食べるのです。最近はかぼちゃも外国から輸入されるようになって、家で保存していたかぼちゃを食べることは殆どありませんが、かぼちゃ好きの私としては、北海道鵡川町の友人が毎年ジャガイモと一緒に送ってくれるとっておきのかぼちゃを是非賞味したいのです。妻もそのつもりで朝食の後「今日はかぼちゃです」と予告してくれました。

 冬至の日の楽しみはユズ湯です。これも島根県の友人からの贈り物ですがユズを洗ってユズ湯を楽しみたいものです。甘酸っぱいユズの香りは日本料理にもよく合い、皮は香りとして、汁は鍋物に最高です。一昨日届いた寒鰤の鰤大根にユズは相性抜群です。

 こうして冬至の過ごし方を見ると日本の冬も捨てたものではありません。この35年忙しい日々を過ごしていたのでそんなことを考えたり味わったりする余裕すらなかった自分が、何故か無駄な時間を過ごしてきたような気持ちになっています。これからは季節や旬を大切にしながら味わったり楽しんだりしたいものです。

 それにしても北海道のかぼちゃといい、島根県のユズといい、宇和島市の鰤といい、私には冬至を楽しむ素敵な道具立てがあることをしみじみ有難く感じる冬至なのです。

 「食べて下さい」、今朝はチャイムの音と共に美味しそうなみかんが届きました。宅配便が美味しそうな御荘湾の殻付き牡蠣を届けてくれました。職場を退職し交際範囲が確実に狭くなった私ですが、私を覚えてくれていてるのです。涙が出ます。ありがとう。

  「寒くても北陸大雪比べればここは温暖早くも水仙」

  「寒いです冷たい指でブログ書く返信同じ季節の便り」

  「太陽の旅今日から始まりぬ北を目指してただひたすらに」

  「寒かろう老いに届いたプレゼントひざ掛け嫁の心ぬくもる」

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shin-1さんの日記

○コーヒーが飲めない私

 私はコーヒーが飲めません。「何故?」と言われても別に理由はないんですが、生まれてこの方一度だけコーヒーを友だちにだまされて飲みました。その時の苦かった舌味がコーヒーから私を遠ざけた、ただそれだけの理由なのです。今なら挑戦すれば飲めるかも知れませんが、少し怖くて飲まないのです。コーヒーを飲まない私は余程のことがない限り喫茶店には行きません。たまに仲間と待ち合わせたり仕事の打ち合わせをしたりするため、相手が喫茶店を指定すれば別ですが、喫茶店は私にとって遠い存在でした。

 そんな私の息子に、よりにもよってコーヒー専門の喫茶店を営む家庭の娘が、この秋縁あって嫁いで来たのですから世の中は理解に苦しむことが多いです。結婚話を取りまとめるためにその店に何度も足を運びましたが、私の注文はホットミルクかレモンティなのです。

 でも最近気がついたのですが、コーヒーの香りは何ともいえない安らぎを覚えます。店に入りお定まりのカウンターに座る。お冷とお絞りが出て飲み物を注文する。注文の飲み物が出てくるまではBGMを聞きながら店内に漂うコーヒーの香りを体いっぱいに浴びる。ここで「キリマンジャロ」なんて注文し洒落たコーヒーカップを片手に飲む姿は、何とも格好いいはずなのに、相変わらず「ホットミルク」しか注文できない渡しなのです。

 かつて私は総理府派遣第10回青年の船の班長としてアメリカやメキシコ、ハワイを歴訪しました。どの国でも飲み物といえばコーヒーです。これには随分困りましたが、英会話の苦手な私はコーヒーの断り方を知らなくて随分苦労しました。しかし私のホスト役の渉外担当が「若松班長さんコーヒーを断るのに英会話なんか必要ないです。ノーコーヒーで十分通じます」と教えてくれました。以来私は馬鹿のひとつ覚えとでも言うのでしょうか、「ノーコーヒー」で通しております。

 最近の日本は生活がすっかり洋風化し、コーヒーは日本の飲み物になってしまいました。どの家を訪問してもお茶と同じくらい、いえひょっとしたら来客にはコーヒーが多く出てくるのです。私の訪問を見て裏でコーヒーを入れているのを察知すると、「すみません。私はコーヒーが飲めないのですが」と断るのですが、それも出過ぎた感じがして、ついつい出されたコーヒーに手も口も付けない失礼が度々あります。食後の特に日本食後のコーヒーなど私には到底考えられないことなのです。

  「コーヒーを飲まぬ私にお歳暮が開けてみるとコーヒーうんざり」

  「砂糖ミルク入れぬブラックマウンテン飲んでも肌は白いままです」

  「理科実験思い出すよなカウンターランプ熱してサイフォン下る」

  「コーヒーは飲めぬが香りとBGMタダで鑑賞安いものです」

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