shin-1さんの日記

○私は貧乏くじを引きました

 ある若者との会話です。今は世の中不景気で景気回復の兆しと日銀や政府は言っていますが、景気の回復が田舎に波及するのはまだまだ先のようです。公務員も冬の時代で給料は下がるし人員は削減されるしとかつての同僚からは不平不満のブーイングばかりです。

 最近は就職難で若者にとっては「大学は出たけれど」という昔はやった言葉が思い出されますが、若者が言うには「私たち世代は不況の中で職業も限られて貧乏くじを引きました」というのです。私は彼に「果たしてそうですか」と言葉を返しました。「あなたは家から職場へ通えることや、親子で暮らせることの幸せを考えたことがありますか」と言いました。確かに都会で働き一旗挙げる夢は消えたかもしれないけれど、生まれ育った所で働く喜びは感じなければなりません。

 私の場合も病気がもとで漁師を断念し役場に入りました。転職した頃は「私は運が悪く貧乏くじを引いた」と思ったものです。しかし私はそれを転機にして少しだけ頑張り目標を持って35年間勤めました。

 先日役場を先に定年退職した先輩に会いましたが、「お前が羨ましい」と言うのです。彼の只今の日課は奥さんに尻を叩かれるようにしてみかん畑に行き農業という重労働やみかんの安さに悲鳴を上げて暮らしているのです。片や私は人間牧場に夢を賭け、日本全国遊びほうけの旅をして毎日楽しく暮らしています。彼が「お前が羨ましい」と思うのも当然のことかも知れません。しかし私は先輩に言ってやりました。「羨ましいと思ったら自分も羨ましがられる生き方をしないとだめです。人生は短いのですから」と・・・・・。「お前のようには思われん」で会話は終わりでした。

 でもブログで私の記事を読まれるギャラリーの皆さん、私の言うこと間違っていますか。同感だと思う人は直ぐに自分流の生き方を始めてください。楽しいですよ。

  「お前いい人生生きて仲間言うあんたもしたら俺には出来ない」

  「買わぬのに当るはずない貧乏くじ私買わずもいいくじ当る」

  「人社会恨んだところで何になる要は努力が幸運扉」

  「松島と聞いてトモ子を思い出すあんたは古い今は奈々子だ」

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shin-1さんの日記

○魚は塩すると腐らないが車は塩すると腐る

 この表題は笑い話のようですが本当の話です。今朝郵便局へ封書を出しに出掛けました。郵便局は民営化されてからとても明るく、「おはようございます」と大きな声を掛けられ気持ちが弾みました。双海町へ通う顔見知りの郵便局女性』職員と話し合った会話です。

 私「寒いねえ」。女性「寒いですねえ」。私「海が時化て国道に水しぶきが上がって通勤は大変でしょう」。女性「ええ大変です。塩水をもろに被るのでウォッシャー液が沢山いって困ります。車の寿命が短くなりますので、その分郵便局で給料を上げてもらわないと」。私「そりゃあそうですが、今の給料の中にその分入っていまして、先日いただいたボーナスはその分です」。女性「えっ、本当ですか」。私「それにしても魚は塩すると腐りませんが、何で車は塩すると腐るんでしょうね」。女性「えっ、そんなこと考えてみたことありません。若松さんは面白いことを考えますねえ。今日は朝から楽しいお話で元気が出ました」。

 まあこんな会話で郵便局を後にしました。次に来年の予定手帳をいただくため商工会へ立ち寄りました。

私「寒いねえ」。女性「寒いですねえ。ご依頼の予定手帳、やっと届きましたので差し上げます。大切にお使いください。若松さんも職場を辞めても予定手帳には書くことがいっぱいあるでしょうね」。私「はいお蔭様で随分と楽しく日々を暮らしています。ところで海岸国道を通勤するのは車に塩を被って大変でしょう」。女性「ええ大変です。でもこれが双海町の風物ですからそんなに気にはなりません」。私「魚は塩したら腐らないのに車は塩すると腐るのは何故でしょうねえ』。女性「でも人間だって今は塩する時代ですよ。塩サウナというのがあって美肌には良いそうです。人間は塩をすりこんでサウナに入ると発汗でお肌がすべすべになりますよ」。私「じゃあ人間は塩すると美しくなるのですね」。女性「私も時々塩サウナに行きます。気持ちいいですよ」。私「だからあなたはお美しいのですね」。女性「それは嫌味ですか」。私「いえいえ、本当のことをお世辞で言っているのです」。女性「・・・・・・・・・・(大笑い)」。

 場の雰囲気を和らげる、こんな会話は暮らしにとって必要だと思います。郵便局の入り口で顔見知りの気難しい人に出会いました。「おはようございます」と声を掛けましたが無視同然でした。何が気に入らないのか分かりませんが、くよくよ生きても人生、笑って楽しく生きまっしょい。

  「面白い話に花を咲かせると人が集まり会話も弾む」

  「おはようの元気なあいさつ先取りし無口なおやじ思わずおはよう」

  「塩水は車腐らす言うけれど魚育てる命の水なり」

  「昔ボラ国道泳ぐ見た人はこの道海だと言いました」

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shin-1さんの日記

○サツマという郷土料理を食べる

 双海町は古い時代は伊予と呼ばれていました。ゆえに伊予市という合併後の名前はとても素敵な名前だと思っています。その伊予に何故かサツマという郷土料理があります。多分薩摩の殿様が参勤交代で瀬戸内海を航海途中伝えた置き土産ではないかと推測するのですが、来歴は別としてこれが以外と上手いのです。今流に言うレシピなんてそれぞれの分量は知りませんが、作り方はは子どもの頃から手伝わされていましたのでよく知っています。

 まず白身の魚をひちりんで焼き骨や内臓を取り除き、すり鉢に入れてスリコギでよくすります。昔はこれが子どもの仕事でした。白身の魚といっても瀬戸内海には無数にあるのですが、時には小骨の多いコノシロなどは小骨ごとすり込みますから骨の味が出て美味しいとされてきました。身がほぐれすられたら田舎の麦味噌を適当に入れてまたするのです。これが難儀なため時々休むと母がもっと力強くと要求します。今度はそれをへらですり鉢に満遍なく塗りつけ、裏返しにしてひちりんで少し焼くのです。逆さまにしても落ちない母の技術に子供心ながら驚き「ホー」と感嘆の声を上げました。味噌と魚の甘い香りが漂ってヨダレが出そうになりますが、見計らってもう一度すりこみ、そこへだし汁を少しずつ足して薄めてゆきます。終わったらトッピングというべき具財(みかんの皮、朝つき、コンニャク、ゴマなどを細かく刻んで入れます。あとは熱々の麦ご飯にかけて食べるのですが、中々の味で食欲をそそります。

 貧乏な少年時代はサツマ汁にたくあんだけという質素な夕食でしたが、それでも家族が同じ食卓を囲み美味しい美味しいと言って食べたものです。田舎には田舎ならではの美味しい、それでいて健康に良い食べ物が沢山ありました。その殆どが伝承されることもなく消えてゆくことは寂しい気もします。外国人が日本に来て日本食が食べたいというと料理屋さんに連れて行く、よその町の人が双海町に来てサツマ汁が食べたいといえば料理屋さんに連れて行く、何ともはや寂しい食文化です。お袋の味は袋の味に変わってしまいました。ご馳走は魚や肉、砂糖だと思っていたのはもう昔となってしまいました。子どもの健康が蝕まれてゆくのもこんな所のほころびからかも知れません。

  「サツマ汁薩摩の殿様伝えたのそう母に聞いた昔懐かし」

  「みかん食べ柿を食べてもその皮を勿体無いと干してまた食べ」

  「骨のある魚食べない今の子は魚に骨がないもの思う」

  「骨食うて骨が強いは当たり前ポパイは野菜であんなにパワーが」

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shin-1さんの日記

○フーテンの寅さん裏話

 私の町にフーテンの寅さんがやって来たのは、私が広報を担当していた頃でした。大洲が舞台となった「殿様と寅次郎」には嵐勘十郎、真野響子が出演しましたが、双海町はその映画の冒頭に短い時間ですが出ているのです。

 寅さんは下灘駅のプラットホームのベンチに寝そべって天狗党に追われ逃げる夢を見ていました。「お客さん上りの列車が来ますよ」とエキストラに扮した下灘駅の駅長さんに起こされ、「あーよく寝た」と瀬戸内海に向かって大きなあくびをしてストーリーが始まるという算段です。

 私は丁度広報をしていたこともあって取材に出掛けました。山田洋次監督にお願いしそのシーンを遠巻きにカメラに収めました。ワンカットシーンの撮影が終わって、少しぶらり歩く姿をお願いしましたところ、寅さんは山高帽にトランクという出で立ちで、駅のプラットホームをゆっくり歩いてくれたのです。

 映画は数回見に行きましたしビデオも購入して何度となく見ましたが、その舞台となった下灘駅のプラットホームが、後の「夕焼けプラットホームコンサート」の舞台になろうとは、当時は知る由もありませんでした。

あれから20数年が経ちましたが下灘駅界隈もすっかり様変わりしました。日本一海に近い駅の称号も「かつては」の注釈が必要だし、予讃線を我が物顔で走っていた特急列車も山周りに、その座を奪われすっかり様変わりしています。また複線だった駅構内も無人化となって山側のレールが外され、駅前福井商店も閉まるなど寂しい雰囲気が漂っています。今だったら山田洋次監督のメガネに適ったロケーションポイントだろうかと思うことが時々あります。でもフイルムの影響は絶大で、未だに隠れたファンが訪れます

 昨日仲間がDVDにその映画を納め送ってくれたので、改めて鑑賞して見ましたが、かすかな記憶が蘇り懐かしく思いました。寅さんも嵐勘十郎さんももう天国に行っていますし、振り返ってみれば私も定年を迎え時の流れの早さに驚くのです。

 残したい、伝えたい記憶はいっぱいありますが、私にとってもフーテンの寅さんとのほんの短い裏話は、取って置きたい記憶なのです

  「フイルムを切り取り記憶にしまい込む寅さん映画の寝ているシーン」

  「やあーとだけ返った言葉が嬉しくて何度も見たな寅さん映画」

  「20年続いた駅のコンサート今日もお客を案内し行く」

  「俺の夢駅に寝相の寅さんを造るつもりだジレンマ悔し」 

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