shin-1さんの日記

○風当たりが強い

 今日はこの冬一番の寒さに見舞われ、山も海も大荒れの天気です。あちらこちらからメールで初雪の便りが届いています。わが町の背後に聳える牛の峰山のパラグライダーランディング場には白く積雪も見えるのですから、青い国四国といえども寒く、やはり今度の寒波は日本全体に及んでいるようです。

 今日は冬の季節風が人間牧場ではどの程度吹き付けるのか調べたくて、知人の玉井恭介さんを伴って山に上がりました。海沿いの風の強さに比べ山はそれほどの風当たりでもなく安心しました。普通「風当たりが強い」という言葉はその人への反対意見や反対者が多いことをいいますが、人間牧場への風当たりはそんなに多くないとお見受けいたしました。

 しかし今年の寒さは例年の暖冬に比べ少し強いような予感がしてなりません。初雪も早いし妻の勧めで今まではいたこともないパッチをズボンの下にまとっています。60歳を超えた私への配慮でしょうか、妻は最近とみに私の健康のことを気にするようになっています。義理の兄のガン手術や近所の年恰好も同じ様な人が入院したりするものですから、病気の予感がするのかも知れません。有難いことです。

 ストーブの用意をしないとこの冬は乗り切れないと思い、息子に薪ストーブを手配するよう頼んでいるのですが、一向に連絡がありません。今日5千円も出して新品のマサカリを購入しました。チェンソーで足を切った昨年夏の悪夢を教訓に、くれぐれも足を切らぬようマサカリの使い方は慎重にしたいものです。

 少し時間があるので木の根っこをおがしていると、ノミ鍬のクサビが何処かへ飛んでノミ鍬が使用不能となり今日の作業は木の根っこ一つも掘り起こすこともなく残念ながら断念しました。それにしても寒さ対策はやはり身体を動かすことが一番です。あれほどブルブルしていたのに体がポカポカしてきました。

 小さくても薪小屋を作らないとマサカリで割った薪の始末が出来ません。さて何処へどんな薪小屋を造るか思案中です。

  「空の雲水に映して寒々と何処まで行くか白き船たち」

  「光たる魚影の群れを目指す船カモメつれづれ長閑に走る」

  「空と海以外は見えぬ山の家座して静かに想いにふけりつ」

  「背もたれてあくびに昼寝これもまた人のうらやむ俺の生き方」

  「今思う昨日と明日それぞれに生きた生きよう短か人生」

 

 

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shin-1さんの日記

○子どもは地域で

 広島県で子どもが殺され、ダンボール箱で捨てられたショッキングなニュースは、外国人の犯人逮捕という警察の努力で一件落着しましたが、その記憶も失せぬ先日、今度は行方不明になっていた小学一年生の子どもが、茨城県の山中で刃物で刺され捨てられているのが発見されました。目を覆うような痛ましい子どもを巡る事件の続発に、果たして日本の行く末はどうなって行くのだろうと嘆かずにはいられません。一昨夜隣町で開かれた家庭教育学級講演会でもその話が話題になりました。

 最近は家庭教育の乱れが指摘されていますが、こうした事件が起きる度に子どもは学校や家庭だけでは守れない、むしろ地域に目を向けるべきとの指摘が出されるのですが、事件が遠のくとまた元の木阿弥といった感じです。親は夫婦共稼ぎで働きに熱中する余りに地域の防犯などへの参加や組織の役員にはなり手がないのです。そんな人たちがいくら「子どもは地域で守るべき」との結論を出しても、所詮は空念仏なのです。要は子どもを地域の宝と認識し、地域ぐるみの輪の中へ入って自らも役目を果たさなければ、子どもを守ることは出来ません。

 家庭教育学級に参加して思うのですが、講座は主に人の集まりやすい夜に行われます。7時から始まって8時頃になるとひとりまたひとりときまり悪そうに、こっそり会場から人がいなくなって行きます。聞けば午後8時は塾や習い事に行っている子どもを迎えに行く時間だそうで、私はそのことを察知して予定の時間9時を大幅に繰り上げ8時20分に話を終わらせました。すると堰を切ったようにわれ先に帰り始めました。お役所仕事だと家庭教育学級は時間目標が一回2時間です。でも現実は7時から8時までが最も集まりやすいのであればそうすべきだと思いました。

 事件が起こると人はハッとします。しかし何事もなければ何も考えず行動もしません。私たちは子どもを育てる認識として「百年生の木を植える」ような心を持たなければなりません。子どもは百年生きるのです。百年生きる木を育てるには水、空気、土、太陽、栄養の恵みが必要です。家庭や学校や地域をそうした恵みと考えれば、疎かにすると育たないという理論は誰にだって分かるでしょう。立派な木ばかりを育てる必要はありません。普通の木、普通の子どもを育てましょう。

  「学級に来たけど親はそわそわと塾へ迎えの時間迫りて」

  「事件起きその度親は一優し地域大事と盛ん言うなり」

  「PTA来るのは何時も母親で破れたブラジャー父が時々」

  「ガングロも一人前の親となり子に乳飲ませタバコプカプカ」

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shin-1さんの日記

○渋柿の不思議

 今年は夏から秋にかけて天候もよく、果物類の美味しさは格別で、ブドウやスイカは過去のものになりましたが、みかんやリンゴ、梨、柿などは甘みも強く、各地から季節の便りとして送られてきます。特に柿は愛媛県内にも産地が多く、美味しい柿が格安で食べれます。あちこちの店先には、篭盛りで300円などと表示された柿が売り場を独占しているような感じです。作った人のことを考えればこの安さはただ事ではないと思うのです。

 今年もわが家では吊るし柿を作りました。近所の八百屋さんに頼んで買い求めましたが、その明くる日知人がどっさり届けてくれました。「しもた。買うんじゃあなかった」と思っても、何時いただくか分からない品物を当てもなく待つことは出来ませんから、むいで軒先に吊るしました。妻が手際よく皮をむぎ、私がビニールの紐でくくり格好よくなりました。まるで暖簾のように軒先に吊るした吊るし柿は、まさに冬の風物とでもいえる風情です。

 子どもの頃、渋柿と甘柿を間違えて食べた時の口の渋さや、柿の「ずく」という熟れ過ぎた柿を食べて口に残った渋さを思い出しながら、渋柿の不思議を思うのです。

 吊るし柿は皮をむいで寒風に晒すとあのえもいわれる渋が甘みに変わるのです。自然が織り成す化学変化なので凡人の私には中々説明が出来ません。昨日から今年一番の寒気が日本列島に流れ込み、各地から初雪の便りが届くようになって、ここ双海町でも寒い季節風が吹くようになりましたが、この乾いた北風が美味しい吊るし柿を作るのです。

 最初にむいだ柿は早くも飴色になって、白い手袋をしてお乳を揉むように揉んでやります。そうすると益々甘みが増して美味しい吊るし柿が出来るのだと、おばあちゃんから教わった通りにやってます。

 甘いものに事欠く少年時代は甘くなるのが待てなくて、つまみ食いして渋さに口を歪めたこともありました。今の子どもは吊るし柿なんてご馳走でもなんでもなく、見向きもしません。時代の変化なのでしょう。

私たちが子どもの頃は「やれ何処そこの誰が柿を盗んだ」などと、今にして思えば他愛のない出来事が学校に苦情として持ち込まれ、盗んだというより柿を失敬した子どもが竹の鞭で先生に頭を叩かれたなんて話は、日常茶飯事のことでした。かく言う私もその一人で、悪ふざけをして随分先生に叱られ、雑巾バケツを持って立たされたことを覚えています。

 正岡子規の「柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」は、いにしえ昔日の出来事になりつつあります。

  「柿熟れた下を歩くも見向きせず携帯電話メールするだけ」

  「父揉みと同じ動作で柿を揉む嬉し恥ずかし誰か見てるか」

  「柿取って隣の親父に大目玉そんな昔は夢のまた夢」

  「裏山にポツリひとつの木守り柿モズが啄ばむ冬の足音」

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