shin-1さんの日記

 今朝新聞受けに行って新聞を取り込みましたが、最近は新聞の薄さ(質・量おも)に対して何と織り込みチラシの多いことでしょう。かつて私は観光の仕事をしていたため、折り込みチラシを作っては販売店に折り込みのお願いに行ったものですが、折り込みは一枚2円程度の手数料が必要なのです。今朝は10枚もありましたので、私の家だけでも20円の折り込み料金が使われた計算になります。皆さんがおっしゃるのには「新聞はとっているが折り込みを頼んだ覚えはない」と言うのです。またある人は「折込みが紙ごみを増やしています。もっと規制をしたら良いのに」とも言われます。両方の意見とも納得なのですが、一方賢い主婦は折り込みチラシに書いてある特売や時間安売りなどをちゃっかりメモって、暮らしに生かしている方々もいるようです。また折り込みチラシを加工してインテリアにして、暮らしに彩を添えている人にも出会いました。

 最近の折り込みチラシは無造作に作られ無造作に配られているように見えますが、人の目を引くような工夫が随所に凝らされ、自分が折り込みチラシを作るときの参考になるようなものがいっぱいあるようです。

 折り込みチラシで気になるのはダイエットと消費者金融勧誘と人生悩み相談です。「一ヶ月で10キロ痩せた驚きのパワー」などと書かれたチラシを見れば、肥満に悩む特にお年頃の人は藁おもすがる気持ちになるのは当然でしょう。「私はこうしてダイエットを勝ち取った」と写真入で喜びの声を見ると、「私だってひょっとしたら」と思うはずです。結局は高いお金を出して薬を飲んだが、痩せるどころかやつれた人を何度も見てきました。消費者金融は年利30%に近い金利を取られるのですが、「保証人なしで即決」などの文字を見れば、金に困った人は誰だって飛びつくはずです。人生相談も不安やストレスの多い現代では儲かる商売だといえましょう。

 しかしこれらの殆どの商売が実体の無い信じがたい世界なのです。だからもめ事が多発し、告発や訴訟といった騒動になっているのです。

 上手い話には必ず落ちや裏があります。折り込みチラシが無ければこんなことにはならなかったと思うのではなく、折り込みチラシという多数の情報の中から、いかに良い情報を取り出して生かすかが問われているのです。動かないと痩せません。お金は働かないと儲かりません。人生は自分との戦いなのです。

 妻は今朝のチラシに一通り目を通しながら、「あっ、これ面白そう」と金物屋の広告を見つけました。「今度暇を見つけて見に行こう」と誘ってくれました。「これ買おう」ではなく「これ見に行こう」の発言は、さすがわが妻です。うちの大蔵大臣も捨てたものではありませんね。

 「チラシ見て全部買ったら自己破産お茶飲みながら財布を覗く」

 「下腹が気になる妻の言うことにゃこれで痩せたら苦労はしません」

 「あれこれとチラシが誘う買い心買えないのじゃなく買わないのです」

 「紙ごみと思ったチラシインテリア暮らしの達人何処にでもおり」

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shin-1さんの日記

○寂しくなった商店街

 日本全国のどの街もそうですが、別名シャッター通りといわれるように商店街が寂しくなりました。道の発達と車の普及によって便利になり、郊外や都会の店に客を奪われてしまったからです。馴染みのおじさんやおばさんが店番する長閑なお店も今は殆どなく、商店街にポツンと残されたようにある店さえも「もうわし一代」と嘆くように、存続は時間の問題かも知れません。私の町でも頑張っているお店は、国道沿いのコンビニと、月に一度必ず通う散髪屋さんくらいなものです。

 昔あったが、今は無いお店を思い出してみると、桶屋、下駄屋、うどん屋、塩屋、豆腐屋、鍛冶屋などが頭の中に、少年の頃の思い出として浮かんできます。

 桶屋は正目の杉板がうず高く積まれた仕事場でおじさんが板を削って継ぎ合わせ、割竹をくぐらせて作った輪の中で組み合わせ、見事な桶を作っていました。下駄屋は桐板を割ってハマや鼻緒をつけていました。切れた鼻緒を直してくれたり、高下駄を鳴らすバンカラ風な格好をしたこともありました。うどん屋の店先ではおじさんが手動の機械を回しながら、板状のうどんを何度も機械にかけ、やがて暖簾のようなうどんを鋏で切って釜に入れ茹いていました。塩は当時専売でしたので、今のようにどの店でも売っていませんでしたから、藁で作られたた塩カマスの中から枡で量り売りしてくれました。このお店は塩くらいでよう生活できるなあと思ったものです。豆腐は今のようにパックに入っていませんでしたから鍋を持って買いに行きましたし、おばちゃんが豆腐箱を下げて「豆腐は要らんかな」と売り歩いていましたが、大豆が豆腐になる不思議な謎は大きくなるまで解けませんでした。鍛冶屋のおじさんは頑固者で、鍬の修理に行っても機嫌が悪いと中々直してくれませんでした。天井から引いたベルトがクルクル回り、鉄槌機が真っ赤に焼けた鉄を音を立てて打っていました。

 桶屋はプラスチックに、下駄屋は靴に、うどん屋はインスタントに、塩屋は不専売に、豆腐屋はスーパーに、鍛冶屋は日曜大工店にそれぞれ取って代わられました。商店街のあちこちから聞こえた音の風景、匂いの風景、物の風景、手仕事の風景、活気の風景が姿を消しました。出来ればそんな思い出を語ったり記録に残して置きたいものですが、今では適わない夢かもしれません。

 先日出版会社から古い時代の写真集を出すから手伝ってくれないか相談がありました。頼る人もないというので無理やり引き受けさされましたが、その写真には様々な村や町の思い出が凝縮され、キャプションを書きながら一人少年の頃にタイムスリップしていました。

 「ぬかるみを藁の草履でパタパタと背中シリバネ頭の上まで」

 「クルクルと鉄を削って出る屑の余りの綺麗さに少し貰って」

 「下駄鼻緒布を破って修理した淡く生まれた恋もはかなし」

 「一升瓶下げて親父の酒を買う樽からトクトク音と香りが」

 「タガ取ればただの板だと口上を言いつつ桶屋木元竹裏」

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