shin-1さんの日記

○あんた「ガンじゃとなあー」

 2年前、早朝の浜辺で掃除をしていると、ある顔見知りの人が唐突に「あんたガンじゃとなー」と私に言うのです。驚いた私は「えっ」とわが耳を疑いました。その頃の私は健康診断の結果胆嚢にポリープが見つかり摘出手術の結果、1減りも減ったり13キロも体重が減っていたので、自分でも「ひょっとしたら」と思っていた矢先のことだったので驚きました。『私がガンだと誰から聞いたの」と問い返すと『集落ではもっぱらの噂」だというのです。その人の話によると「若松の進ちゃんは堪能の手術をして痩せてしまった。あれは多分ガンに違いないし、長くはないかも知れない。よく働いた人だし、若いのに奥さんも可愛そうに」なんて噂話が、私の知らないところでひそひそと話されていたのを聞いたその人は、うっかり本人に口を滑らせてしまったのです。でもうっかりとも思えないほど次の言葉は私を傷つけました。「ところで進ちゃん、どこのガンぞな」と言われたから頭にきて、「ええ近眼(キンガン)です」と答えてしまいました。しかし本人を前にこの言葉はいただけない。私のように少々ではへこたれない性格だからよいのですが、気の弱い人なら気にして飯も喉に通らなくなるかも知れません。

 私の家は親父が鼻ガン、叔父が胃ガンなどガン家系なので、ガン検診の問診の度に、「あなたの身近な人でガンになった人はいますか」の質問に何時も暗い気持ちになります。これまでは何とかクリアできたものの検診は「もしや」の気もめが何時も頭を悩ませるのです。

 61歳になると健康は特に気にかかるし、健康を手に入れるための努力も快食・快眠・快便と惜しまずしていますが、ガンという目に見えない病気だけは早期発見・早期治療以外どうすることも出来ないのです。

 姉の旦那も前立腺に異常が見つかり、今月中旬に入院手術が決まりました。姉の落胆も気になるし、義理の兄の一日も早い回復を祈っていますが、孫との同居で先日まで蜂の巣をつついたように賑やかだった姉の家も、少々ふさぎこんでいるように見えます。「健康以外金も名誉もい要らない」とは姉の言葉です。私もそう思って同情します。

 いよいよ人生の曲がり角、今まではやれ仕事だ、やれ地域の活性化だとグローバルなことに何のためらいもなく励んでいましたが、これまで気にならなかったローカルで身近な問題が問題となってきた分、それだけ歳を取ったということかも知れません。

 「アー嫌だ、嫌だ」もっと前向きに生きて行こう。

 「ガンガンと働くうちは人のことわがガン気になる歳を重ねて」

 

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shin-1さんの日記

○お墓参り

 妻の兄の息子が近々結婚するというので、大安吉日を選び昨日お歓びを届けに妻の実家へ妻と二人で出かけました。この息子、今は新潟に住んでいるようですが、結婚式は何とアメリカ・ラスベガスで挙げるのだそうです。地球も狭くなったし、世の中も随分変わったと思いました。私たちが結婚したとき、披露宴は近くの農協でしたし挙式は家の床の間でした。今は結婚式は洋式の教会、披露宴では和服とまるでチグハグな日本人の姿が垣間見え、考えてみれば奇妙に感じずにはいられません。そして日本に住んでいるのにわざわざラスベガスの教会も奇妙だと、妻は首をかしげています。でもまあ結婚する二人が決めたことですから、それもよしと考えなければ次には進めません。

 ラスベガスで結婚するということは、両家の両親や親族にとってラスベガスへの海外旅行を意味します。義兄の部屋には渡米までまだ20日間もあるというのに、大きな海外旅行用のバックや中身が所狭しと置かれ、事の重大さを物語っているようでした。私たち親族にとっても行くべきか行かざるべきか迷うところですが、義兄からごく内輪の親と兄弟だけで挙式する旨の回答があり、妻も先日のカナダ旅行の時差ぼけを思い出して、ほっと胸を撫でていました。

 義兄の家を出て妻の先祖の墓参りをしました。八幡浜のお寺さんの裏山から見える晩秋の宇和海は絶景で、日本一といわれるみかん畑が耕して天に至るの表現どおり何処までも続いていました。

 お墓に水とシキビ、飴などを供え、線香に火をつけ敬虔な祈りを捧げました。妻の両親はもう10年前に他界していますので、感慨も一入の面持ちで、思い出話をしました。

 人間はたかだか80年しか生きられません。長生きしたとしても100歳ですから短いものです。妻にも私にも両親がいて、その両親に又両親とねずみ算式に数えて行くと、私には10代前まで遡ると何と1024人の先祖がいることになります。妻も同じ1024人ですから合計2048人の血肉を受け継いでわが息子たちは生まれているのです。その2048個のパズルのどれひとつがなくても、若松ジュニアのパズル絵は完成しないのですから驚きです。しかしこうしてお墓参りしても、以外や以外、私の記憶、妻の記憶にある先祖はたかだか2~3代前くらいしか思い出せないのです。民俗学のルーツがこうも浅いことを、うやむやにする民族も少ないのではと、自分の探究心の浅さに呆れています。

 嘉永といえばペルーが日本に来た頃の墓など、百年以上の風雪に耐えた墓標に線香を手向けながら、先祖を空想してみました。妻の実家は二宮という姓ですから、日本の飛行機王二宮忠八とも関係があると聞き及んでいた物語が広がってきました。墓地の裏山にははぜが真赤に紅葉して秋風が爽やかに通り過ぎて行きました。

 私もまた、場所こそ違え墓に入る運命を不思議に思いつつ急な石段を降りて行きました。

 「人生ははかないけれど墓はある いつか私もこの墓の土」

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