shin-1さんの日記

○私の呼び名は何?

 私は若松進一、小さいころから「進ちゃん」と呼ばれ、丁寧な人は「若松の進ちゃん」と呼んでくれます。しかし我が家では、私の呼び名が随分変遷してきました。結婚したごろ妻は「あなた」と呼んでいました。「あなた」という声の響きはいいもので、すっかり気に入っていました。最近の若者は結婚しても名前や愛称で呼び合い、まるでお友達といった感じです。

 長女・長男が生まれ、子どもが言葉を喋れるようになった頃から妻は私のことを「お父さん」と呼ぶようになりました。「お前のお父さんではない」と何時も言ってやるのですが、未だに私のことを「お父さん」と読んでいます。ところが孫が出来た最近では私のことを「じいちゃん」と呼ぶのです。我が家にはじいちゃんが二人おるので、物心付いた孫から「どっちがじいちゃん」と先日指摘を受けました。「あっちはおおじいちゃん。こっちはじいちゃん」と説明しましたが、2歳の孫には理解し難いようです。

 我が家には池があってじいちゃん自慢の立派な鯉が8匹泳いでいます。実は孫にとってこれも「じいじ」なのです。結局我が家には「じいじ」が3匹いや2人と1匹、合計3つもいるのです。それでも孫の呼ぶ「じいちゃん」という響きは何ともほのぼのとして気持ちがよいので、これからも妻には孫がいる時は「じいちゃん」と呼んでもよいと思っています。

 妻の呼び名は結婚した最初から「繁子」と偉そうに呼び捨てにしています。しかし家庭では面倒くさいこともあって、「おい」や「お母さん」などと呼んでいますが、期限が悪いときに「おい」などと呼ぼうものなら「私はおいという名前ではありません」とぴしゃり返されます。「しもうた」と思いつつ、結局は「おい」で通じる夫婦間のコミュニケーションで何とか日々を暮らしています。

 先日どういう風の吹き回しか私のことを妻が「進一さん」と呼ぶのです。何か魂胆があるのではと思ったのですが、さりげなく過ぎて行きました。

 日々の暮らしもこうしてじっくり観察してみると案外面白いものです。

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shin-1さんの日記

○忘れることの意味

 私只今61歳、親父88歳、その差27歳なのですが、この歳になって親父にどうしても勝てないものがいっぱいあります。その最たるものは年齢で、こればかりは生まれた時から死ぬまでよう追いつきようがありません。それから手先の器用さとチャレンジ精神もギブアップです。一昨日からミニチュアの水車を作っていますが、実に見事な空想と実践が融合されていて、感心する外ありません。また88歳だというのに、7キロ先の診療所まで自転車で行く有様です。若い頃ガンを患ったこともあって「もう長くはない」と口癖のように毎日言っていますが、まだまだあの世は遠いようです。

 しかしその父も最近物忘れすることが多くなりました。昨日も私が外出から帰ってみると、メガネの置き場所が分からないと、家や畑を探し歩いていました。

 ところが夕方になって通院している診療所から、忘れ物らしいメガネがひとつあると連絡がありました。親父にして見れば、家の周りにあるはずと信じきっているものですから、今日自転車でわざわざ診療所まで確認に行ったところ、自分のものだと分かりました。

 「あー、自分のメガネを置いた所も思い出せない」と嘆いていますので、私がすかさず「じいちゃん世の中のこと全部覚えとったら、頭が爆発するから、神様がすこし忘れた方がよい」と思って忘れさせてくれるのよ」と、遠くなった耳元で話してやりました。また「歳をとるとロクなことはない。歳はとられん」と言うものですから「歳をとるということは素晴らしいことだと思わんと」と言ってやりました。

 差別用語だから痴呆症のことを認知症というようになってまだ日は浅く、一般には馴染みのない言葉ですが、痴呆になることもある意味長生きの証だと諦めれば上手に付き合うことが出来るのだと思います。

 我が家もいよいよ高齢者介護が重要なテーマになってきました。退職したら旅行三昧なんて思っていた妻も、少々観念した様子ですが、親父が元気なうちに旅行にも連れて行ってやりたいものです。

 一昨日我が家でも大騒動が起きました。泊まりに来ていた孫と娘が帰る時、妻に渡したはずの娘の車のキーがどうしても見つからないのです。いくら探しても見つからず諦めかけていた所、車の横の長い塀の上にチョコンと置いているではありませんか。「じいちゃんの物忘れを笑うけど、私も一緒だわ。歳はとれんねえ」とは妻の弁、私がそんな失敗をしたらとがめられますが、それでも「オホホ」と笑って自分の失敗を済ませるところが妻らしい。いえ、人のことを言える立場ではありません。私だって一日のうちどれほど探し物に時間をついやすることか。お互い様です。

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shin-1さんの日記

○菊の実験(支柱を立てると菊は伸びる)

 私は盆栽を育てるのが好きで、一時期は自宅の庭に大小300鉢もの盆栽を育てていました。中には名品のようなものもありましたが、長期出張や仕事が忙しく水やり適わず枯らすことが多く、ついに盆栽育てを断念しました。だって社会教育主事の資格取得講習は香川大学へ一ヶ月以上、青年の船班長で建国200年のアメリカ行きは2ヶ月以上、青年の国内研修引率は10日以上と家を空ける日が多かったのです。その都度妻に水やりをお願いして、妻もそれなりに水をやってくれました。しかし水不足や植え替え、剪定などの手作業が私の多忙に拍車をかけ、親父の「盆栽をやるんだったらそれなりのことをしないといけない」と猛反対にあって、あえなくやめてしまいました。しかし今でも庭の隅にうず高く積まれている盆栽鉢に、いつか出番を作ってやりたいと密かに思っています。ひょっとしたらセミ・リタイヤをした今が適期かも知れません。

 ところで、私は公民館主事をしていたころ、花作りの指導普及を何の技術も持たないままやっていました。菊やサツキが主でしたが、その時菊の実験なるものを自己流でやってみたことがあります。

 菊は1本仕立て、3本仕立て、懸崖作り、ダルマ仕立てなど色々な作り方がありますが、私の実験は3本仕立てで行いました。同じ株から出た3本の同じ高さの菊(8月1日くらいの時期)に1本だけ支柱を立ててやります。さてここで問題です。この菊は1ヵ月後どうなるでしょう。

 正解は「支柱を立てた菊が他の2本より伸びる」のです。支柱を立てた菊は支柱に縛られて固定するため風雨に会っても倒れないばかりか、支柱という目標に勝とうという無意識の意識が働くのです。私はこの「若松式菊の実験」とでもいうべき実験結果に驚きました。そして次のような意味づけを考えたのです。

 「菊は支柱という目標を側に置くことによって、支柱という目標に勝とうという意欲が生まれます。物言わぬ植物さえ目標があれば上へと伸びます。まして百獣の王たる人間が目標を持ったなら、目標目指して頑張り結果を出せるのです。目標設定がいかに大切かを菊の実験は物語っています。」

 この話はとりわけ多くの青年たちに話してやりました。みんな「えーっ本当?」「うそー」などと半信半疑のようでしたが、黒板に書いた図式の分かり易い私の論理は青年の心に染み込んだようでした。間もなく各地で文化祭が行われ菊の鉢植えが会場を飾って、かぐわしい香りを漂わせてくれます。そんな目で菊を鑑賞するのも一考でしょう。

 はい、白色レグホンの話でした。(白色レグホンは白い鶏ですから尾っぽも白く「面白い」のです

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