shin-1さんの日記

○江戸時代に学ぶこと

 日本中が大型連休と騒いで海外や国内旅行などに出かけ、各地で交通渋滞が起きているようですが、殆どの人は「何で休みなの?」とも思わず、ただただ「連休休み」だけが独り歩きしているようです。私のようなサンデー毎日な人間でも、勤めている妻が休みで嬉しそうなので、おこぼれにあやかって何か得したような気分になるのですから、無理からぬことです。今日は憲法記念日です。各地で憲法擁護と憲法改正の旗印を掲げて集会が持たれているようですが、反対、賛成と言いたい放題言論の自由が謳歌できるのも平和の証かも知れません。

 日本は敗戦以来60年余りもある意味で平和な時代が続いています。それは憲法に戦争放棄が謳われているからだという主張も、私たち凡人には納得できる話です。しかし一方で国際社会の在り様が60年前と大きく違い、今の憲法で国際貢献活動ができないから、憲法を変えなければならないという理論も筋の通った話です。総論はどちらも正しいのですから「まあええようにやってくれ」と、「他岸の火事」を決め込む冷めた国民が多いのも平和な証拠なのです。でも今の平和は憲法によって守られているという意識も持たないと法治国家の国民とはいえないのです。

 色々あっても今の社会が平和だと思えるのは、戦争をしていない、食べるものに事欠かない、住む所がある、働く仕事がある、年金が支給される、医療や教育や福祉などある意味の行政サービスが充実している、言論が自由である、防災防犯が行き届いて安心であるなどなど、戦争や飢餓で苦しんでいる地球上の他の国々を思うと、まるでこの世の楽園のような気もするのです。

 昨日、ある友人とテレビの時代劇の話をしました。暴れん坊将軍や水戸黄門など親父が好きで見ている250年余りも続いた江戸時代は、一見華やかな江戸文化が花開いたと言われていますが、それは江戸の町での話で、まるで北朝鮮のように将軍様や殿様が絶対的権力を持って君臨し、庶民の暮しは貧富の差が激しく、身売りや売春など食うことにさえ事欠く士農工商の時代でした。特に田舎と呼ばれる地方では貧富の差が激しく、ついぞ最近と思われる親父が若かった時代までその食うにも事欠く貧乏な暮しはずっと続いていたのです。私さえ覚えている戦後の厳しい時代を思い返せば、これまた現代がいかに平和であるか想像できるのです。

 老中松平定信は本を読む限り偉い人で、大規模な飢饉や洪水・災害に備えて江戸中期に「町民の生活の安定を第一」に寛政の改革と呼ばれる行政改革に着手し様々な制度を確立しています。中でも七分積金令と町会所の設立は今も専門家の間で高い評価を受けています。

 江戸の町は住民による自治が行き渡っていた都市だといわれています。治安の維持、道路、水道の維持管理、町火消しなどに関することが町内毎に実施されていたのです。これらの経費、いわば町の行政予算は町入用と呼ばれ、地主が負担していました。定信はこの町入用の節減・節約を奨励し、節減した額の70パーセントを毎年積み立てることを命じたのです。これが七分積金令です。江戸中の町入用の年間節減額はおよそ3万両、その70パーセントですから2万両ものお金が毎年非常時の備えとして積み立てられたのです。

 その資金の管理運用に当ったのが町会所で飢餓や災害時に備えて籾米の備蓄までしたというから驚きです。この資金は幕末まで運用され東京の近代化に大きく貢献したのですが、新東京銀行に400億円もの追加融資を行ない批判に晒された石原都知事の政策と比較してみると、改革といいながら定信は質素倹約、石原都知事はばら撒きのような気がしないでもありません。

 今一度平和がゆえに平和とは何かを考える一日にしたいものです。

  「連休と 愚かに騒ぐ 国民に 今日は何の日? 聞いてみたいな」

  「つい昨日 食えぬ時代が あったのに 喉元過ぎて 暑さ忘れる」

  「食べれると 唯言うだけで どれ程の 価値があるのか 飢えを忘れじ」

  「倹約を するが最上 策なりて 今の時代も 同じ理論で」 

 



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shin-1さんの日記

○名残惜しい春の夕日

 「夕日は何時の夕日が一番美しいいですか」とか、「何処から見る夕日が綺麗ですか」と、夕日に狂ったように見える私によく質問されるのですが何とも答えようがなく、「あなたが見る時が一番、あなたの見る場所が一番」と答えにもならぬ回答で質問した人を煙に巻いています。

 暑くもなく寒くもない丁度良い季節がやって来ました。夕日を鑑賞するにはもってこいの季節です。明日から始まる連休も、外国や国内旅行を楽しむ人は多いと思われますが、花や旧所名跡を巡るのも一向なら、夕日や朝日など時間の移ろいを感じるのも一向だと思われます。

 早いもので今年も4月の春は終わりました。デジカメの写真を整理しながら名残惜しくも春の夕日の写真を取り出して見ました。この写真は私の家の裏庭から撮影したものです。春から夏にかけては、太陽の通るコースは最も北寄りです。6月の末には山口県周防大島の旧東和町辺りに沈むのです。その時期にはこのように私の家から居ながらにして美しく海に沈む夕日が見えるのです。

 この日私は、久しぶりにわが家へやって来た孫尚樹を抱っこして夕暮れ迫る庭を散歩していました。運良くポケットにカメラを忍ばせていたので、来月1歳になる孫を抱きかかえたまま裏庭に上ってシャッターを押したのです。今のカメラは手ぶれも殆どなく写せるため、それなりに撮れていました。そのうち夕日が丸くしっかりしたため自称夕観所と名付けた東屋へ行き、孫を台座の上に置いて少しズームインしてみました。今まで気付かなかった電柱や電線がやたら視界に入って、残念ながらいい写真は取れませんでしたが、それでも「夕やけこやけ」の歌を孫に歌って聞かせながら夕日のお話をしてやりました。まだ赤ちゃんと呼ぶようなゼロ歳の孫故、夕日の美しさなど知る由もありません。でも赤ちゃんの顔を真赤な夕日が染めて幸せそうに見えました。

 薄暗くなり不安なのか孫がぐずり始めたので家へ入りましたが、偶然最後の一枚はまるでローソクか線香花火を逆さにしたように電柱に夕日が重なって写っていました。電柱や電線を景観ではまるで悪者のようにいいますが、こんな生かし方を考えたりするとまた違った趣きがあるようです。まあ電線や電柱は心で消せばいいのです。

 最近の子どもたちは夕日を見る機会が殆どないと多くの人が指摘します。それもそのはず夕日が沈む頃は塾へ行って猛勉強したり、テレビのマンガに夢中になっているのです。かけがえのない一瞬の輝きを鑑賞するくらいな心の余裕を持ちたいものです。子どもが夕日を見ないのではなく、親が夕日を見ないから子どもが夕日を見ないのです。せめて明日からの4連休の一回くらいは親子で夕日を見ては如何でしょうか。お金はかからないと思うのですが・・・・・。

  「写真でか 見れぬ四月の 夕日見る 名残惜しむも 既に過去形」

  「電柱に かかった夕日 これもまた 面白いねと 一人ニヤニヤ」

  「赤ちゃんの 顔に夕日の スポットが 当りて一層 赤く染まりて」

  「わが家から 夕日見えると 自慢する これから当分 一人楽しむ」 

  

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shin-1さんの日記

○余りの美しさに立ち寄り

 ブログを書くようになった最近は毎日デジカメを持ち歩いています。しかし残念な事に「アッ、面白い」と思ってデジカメの行方を捜すと車の中に置き忘れていたり、時には食事の食べ物に熱中し机の下に忘れたり、「こんなに忘れ丈がいいなんてあなたももう歳ね」と妻から呆れた声が聞えるのもしばしばなのです。でもデジカメは充電さえしておけば、フィルムがいる訳でもなく、また適当に消去や保存が出来る便利さから、これからも重宝したいと思っているのです。しかし写真を撮る場合注意しなければならないのは相手の了解です。写真に夢中になり過ぎると、シャッターチャンスを逃すまいと気持ちが焦り、被写体にだけ気持ちが集中して、迷惑を感じる人だっているのです。

 私のパソコンの写真フォルダーにはそういう訳ですからあっという間に枚数が溜り、時折整理をしたり、CDに移したりしないと、パソコンの容量が増え過ぎて立ち上がりが遅くなるのです。相変わらずパソコン操作の苦手な私は、パソコン不具合の対処法やそんな場合のパソコン操作法を、息子にマニュアル化してもらっていて、虎の巻のように①スイッチをオンにする、②マウスの右を2回クリックするなどと書かれたメモを頼りに操作し覚えるのです。まるで子どものようですがこれが結構重宝で、暇さえあればやっているため、どうにかメールが送れ、写真が送れたりするようになって、トラブルさえなければそれなりの活動が支障なく出来るようになっているのです。

 写真を整理していると先日妻と大洲方面に行った折、目に留まった美しいい庭の風景が出てきました。大洲市五郎のとある民家です。民家というよりは和風ながら西洋料理のお店なのです。妻は妹からこの店の料理や民家の行き届いた設えの話しを聞き友人を誘って食事に行き、感激して帰ったことがあるので、道すがらその話をしながら車を走らせていたのです。その家が視界に入った途端、庭の見事な彩が目に飛び込んできました。私は思わず運転していた妻に寄り道するよう頼み、鉄道トンネルを抜けて細い路地道へ入りました。

 駐車場に車を止め、歩いてその家に行きました。見るとご主人と思しき人が竹箒で庭の掃除をしていました。「すみません。余りにも見事なので立ち寄りました。ちょっと見せてくれませんか。ついでに写真も撮りたいのですが」と頼むと、ご主人はわざわざ掃除の手を休めて案内しながら説明をしてくれました。ご主人はもう盛りを過ぎたいいながら、裏庭の斜面を埋めた霧島ツツジや岸ツツジの見事さに妻と二人は見とれてしまいました。わが家も同じように裏庭は斜面なのに、何とみすぼらしいことかと、妻と話しました。

 家の入り口の庭も立派で、料理屋といいながら個人の民家だけに圧倒されてしまいました。

 手を休めて案内してもらったお礼をいい、その場所を後にしましたが、気配りと手入れを欠かさずやるからこそ、この時期に美しい花を咲かせるのだと感心しながら、草の生えたわが家の庭を思い出しながら対比し、そのギャップを感じた次第です。

 美しいものを見ると、心に美しいものに憧れるような今までにない新しい風が吹きはじめます。しかしそこで立ち止まると自分の変容は期待できません。その風をいかに実践に取り込むかです。私も及ばずながら庭の手入れをしようと心に決めました。出来るかどうかではなく出来ると信じること、そして後は実践です。十年後私の裏庭もあんな人のうらやむ姿にしたいと絵を描いてみました。さあ実践です。

  「道すがら 視界飛び込む 美しさ 立ち寄り眺め デジカメ撮って」

  「感性を 磨いて庭の 造作を まずは設計 何を植えるか」

  「和風美を 田舎の民家 さりげなく 霧島ツツジ 彩り添えて」

  「金かけず 手間暇かけて 庭つくる 心次第で 美しくなる」

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shin-1さんの日記

○庭のシノブの芽吹き

 夏の緑茂り、秋の紅葉と何度かブログで紹介してきた書斎の窓から見えるシノブですが、殺風景だった冬の季節が終り、やっと芽吹きの頃を迎えました。私の背丈ほどもある大きな石にまるで蜘蛛の巣のようにへばりつき、雨水だけで年中を生きているシダ類のシノブは、まさにその名に相応しく耐え忍ぶように生きているのです。

 へばりついた先端から綿帽子を被った新芽が伸びだしていますが、根とも枝とも思える古い部分からワラビのようなこれまた新芽が、数日前から顔をのぞかせ開き始めました。秋の落葉から約半年ぶりの変化です。これからどんどん葉芽を出して石の部分が見えなくなるほど覆い尽くして夏の涼しさを演出してくれるのです。

 最近ガーデニングでコケ玉がすっかり人気となって愛好者が増えてきましたが、この石つきシノブはまさに大型のコケ玉といってもいいようなボリュームなのです。家にいる時は無意識のうちに殆ど毎日眺める書斎からの風景ですが私は結構気に入っているのです。

(殺風景な庭石に生え始めたシノブの新芽)
(気がつけば石にへばりつくように寄生したシノブにこのような新芽が沢山伸びていました)

 このシノブの元々の出所は双海町の黒山という730mの山頂付近に自生していたものを一株持ち帰り、木炭に巻き付かせていたものが次第に増えてあちらこちらにおすそ分けされ、この石に根付かせるためには相当古老しました。まず切取ったシノブの穂先を魚網で固く縛っておきます。2~3年すると石のくぼみに根を張るようにくっついて屋泥義のように寄生し伸び始めるのです。シノブには色々な種類があるそうで、トキワシノブなどは年中青々とした葉っぱを茂らせていますが、わが家のシノブは落葉型で秋に紅葉し、まるで落ち葉のように元からポロリと落ちてしまうのです。その分季節感があって私としては好きな種類なのです。

 窓から何気なく見える日々の景色も、季節によって、また自分の日々の気分によって随分違って見えます。今頃は陽足もすっかり長くなって、時折開いたままの室内に吹き込む爽やかな風がとても気持ちよく、遠くで近くですっかり上手くなったウグイスの鳴き声が聞こえてきます。また最近まで咲いていたサザンカや椿に変わってさつきが咲き始め、もうすっかり初夏の装いです。
 早いもので今日から5月です。「このところ月日の経つのが早くなったように感じるのは歳のせいかしら」と妻が言うように私たちも知らず知らずのうちに初老の坂道を下ろうとしているようです。

  「何時の間に 石に生えたる ノキシノブ 新芽が伸びて 初夏の装い」

  「もう五月 月日経つのが 早いねと 一つ違いの 妻に同調」

  「行く春を 惜しむが如き 一輪の 残りし椿 今朝は地上に」

  「何を食べ 生きているのか 石の上 今年も新芽 伸ばして初夏を」

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shin-1さんの日記

○お茶を作ってみました

 昨日は人間牧場のトラブルで散々な目に会いました。どこか心の霧が晴れぬままでしたが、気を取り直して辺りを見渡すと畑の隅に背丈ほどのお茶の木が3本あって、季節を象徴するように新芽が沢山伸びていました。ふと子どもの頃に習った歌が思い浮かびました。

 ♭夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉がそよぐ あれに見えるは茶摘じゃないか 茜だすきにすげの傘♯

 まさにこの頃を歌った歌なのでしょう。人間牧場へ入植?以来三年が経ち、毎年この茶の木を見つめ、来年こそはと三回もお茶作りを決意しながらこれまで一度も挑戦していないのです。「そうだ、お茶を作ってみよう」と急に思い立ちました。

 早速水平線の家に置いてる紙袋を持ち出し、一番新芽を指先で器用にむしりとって袋の中に入れてゆきました。新芽は柔らかく、むしりとると指先からほのかなお茶の香りが漂い何ともいえない香ばしさです。お茶の木を三本渡り歩きかなりの量を確保したので、早速家に持ち帰って製茶の準備です。

 まず大きなボールに水を張り、新芽を少しずつ入れてゴミを取り除き洗います。洗った新芽をザルに移し、倉庫から取り出したセイロに入れて蒸すのです。どの程度蒸すのかも分らぬままものの五分も蒸しました。

 仕事から帰ってきた妻が、「何をしているの」と興味深そうに覗き込みました。妻は嫁いできた頃近所にお茶を自家製で作る家があって、珍しかったので見覚えがあるそうで、茹で終わったら熱いうちに手で揉むよう助言をしてくれました。さあそれからが大変です。ザルに上げた湯気の出ているお茶を手で揉んで行くのですが、これが中々上手く行かず、多分蒸し過ぎて柔らかくなり過ぎたため多分失敗したのではないかと思われるのです。それでも妻は「もっと揉んで」掛け声をかけ、自分も手で揉んで見せました。やがてお茶は丸くなってきましたが、見るからに美味しそうではないようです。


 「お父さんお茶は陰干しなのよ」と口を出すので、「そんなこと分っている」と、さも知っているような口ぶりで突っぱねました。

 かくして生まれて始めての製茶作業は無事でなく見音に失敗をして終わりました。それでも手揉みのお茶は数日後できる予定なので、人間牧場へ持って行って全国から来る人たちに、「これはこの人間牧場で作ったお茶です」と自慢しながら接待に使いたいと思っているし、来年こそはお茶の産地である四国中央市新宮で製茶業を営んでいる友人大西さんに引けとを教えてもらってレシピを作りたいと思っています。

 農薬もかからない自然の、しかも自分が作ったお茶の味ははてさてどんな味か、今から楽しみです。

  「夏近く 茶摘み作業で 摘みし芽を 蒸すとほのかに 香り漂う」

  「蒸し過ぎて しっ茶かめっ茶か 茶にならぬ 茶々入れ妻が 側でうるさく」

  「何気なく 毎日飲みし お茶にさえ 作る苦労が 隠されいるとは」

  「失敗も いい経験と 慰める 妻の一言 やはり同伴」 


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shin-1さんの日記

○人間牧場でのトラブル

 今日は人間牧場の草刈りに出かけました。途中ガソリンスタンドで草刈機用の混合油を10リッター買って人間牧場に到着すると、見知らぬ車が止まっていました。近所の人がお墓参りにでも来ておるのだろうと思って、倉庫から草刈機を取り出し給油してエンジンをかける準備をしていると、何やら下の方が騒々しいのです。はてな?と下へ降りて見ると、梅林の上にある蕗畑で見知らぬ女性が四人わが家の蕗を取っているではありませんか。しかも真昼間堂々と蕗畑の中に蕗を踏み潰すように入ってです。私は驚くというより呆れて、「その蕗は栽培しているのだから勝手に取らないで欲しい」と注意をしました。すると向こう意気の強そうなおばちゃんがしゃしゃり出て、「山蕗だから取ってもいいと思って」と悪びれる様子もなく、手に持っている蕗を持って帰ろうとするのです。欲しいのなら差し上げますが、持ち主のいる蕗ですし、こうして見つかったのですから済みませんの一言ぐらいは言ってもいいのじゃあないですか」ときつく叱りました。他の三人は「済みません」と謝っているのに、引っ込みがつかなくなった彼女は、「それほど言うのだったら要りません」とまるで持っていた蕗を地面に叩きつけるように置いてさっさと車の所へあがって行きました。そして後から来た私の車が前にいて自分お車が出ないため、「邪魔です車をどけてください」と八つ当たりです。「この道は私の市道です。勝手に入ってそれはないでしょう」「どこに私道と書いているのですか」「私が言うのですから間違いありません」と売り言葉に買い言葉のやり取りです。ところが彼女は頭に来ている上に運転が未熟で、何度やっても車を回すことができず、ついには車の後ろをロケ風呂外壁にぶつけてしまいました。側でオーライオーライと誘導していた人たちも、これはヤバイトと思ったのでしょう、四人で内輪もめをし始めました。運転していた彼女は泣きべそをかいて大粒の涙を流していました。

 蕗は勝手に取られるし、文句は言われるし、挙句の果ては家にまで車をぶつけられ八方塞とはこのことで、文句を言った彼女に強い憤りを感じたのは当然です。普通の人だと殴り合いになるか、警察へ通報でしょうが、結局私は彼女に変わって彼女の車を運転して馴れた手つきで回転し方向転換してあげました。そして勝手に取った蕗を手土産に渡し、弁償するといったけどロケ風呂の事故も不問にしてしまったのです。

 最近山歩きを楽しむ人が増えて、里山を通ると山菜取りをしている人によく出会います。野山に生えたワラビやゼンマイ、ウドや蕗、ツワブキ、タラの芽など地元の人がささやかな楽しみにしているものまで、ごっそり持っていかれると地元の人はぼやいています。日本全国どの土地も誰かの持ち物で、底に生えているものは所有者の占有物なのですが、都会の人はそれがさも天からの恵み物であるかのような錯覚をしているのです。私がロケ風呂の入口に植えているツワブキは受難続きで、今年は新芽が出そうだと楽しみにしているのに、新芽が出るほどに無残にも引き抜かれてしまいました。

 さて、こんな場合あなただったらどんな対応をするでしょう。私のような少しだけ頭にきた人の対応、私より厳しく喧嘩になって挙句の果ては警察沙汰にするような人の対応、私より緩やかで笑って済ませる人の対応と、人様々ですが、私の対応は果たして良かったかどうか・・・・。

 今日は帰り際無残にも踏み荒らされた蕗畑の蕗を一抱え程収穫して、シーサイド公園で頑張る漁協女性部のみなさんにおすそ分けしてあげました。おばちゃんたちには昼間の蕗騒動のことは話しませんでしたが、同じおばちゃんでも、田舎のおばちゃんたちは大そう喜んでくれて、お土産にじゃこ天のすり身まで一パックいただきました。都会のおばちゃんは社会人としてのマナーがなっとらん人もたまにいるようです。

  「その蕗は 私の所有 いうものの 何処に書いてる いわんばかりに」

  「車どけ これは私道だ いうものの 挙句の果ては 器物損壊」

  「今頃は どんな顔して 蕗炊いて 食ってるだろう 喧嘩おばちゃん」

  「若し今度 再度出会った その時は どんな顔して あいさつするか」

 

 

 

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shin-1さんの日記

○口当たりのよい食べ物と人当たりのよい人にご用心

 「若松さん、朝フルしませんか」と、えひめ地域政策研究センターの清水研究員から数日前電話がかかってきました。「午後は所用が入っているので休日である29日の朝はどうですか」と相談がまとまり、29日午前9時という時間が私のWriting Calendarに書き込まれました。しかしこのところの叔父の葬式や各種の会議でそのことをすっかり忘れていたのです。妻が「29日は昭和の日で祭日だから、前日の夜孫朋樹が泊まりに来たいと言っているから、大学の講義が終わったら迎えに行って欲しい」と頼まれました。「ああいいよ」と安請け合いして朋樹を連れて帰ったのです。孫のお目当ては、私が電話で「朋樹君、人間牧場の養殖カブトムシの幼虫が這い出したから見に来ない」と誘っていたものですから、その言葉につられていたのです。

 かくして孫朋樹はわが家へ一人で泊まりにやって来ましたが、その夜は妻の仕事が夜遅くまで続いて、帰宅が午後8時半を回っていたため、妻が手間暇掛けて作ったハンバーグも、半分しか食べることが出来ず、疲れて風呂にも入らず眠ってしまったのです。それでもカブトムシの幼虫の事は気になるらしく昨日の朝はさすがに早く起きて、「おじいいちゃん、人間牧場へ早く行こう」と誘うのです。妻を起こしサンドウィッチを作らせました。実は前日孫と一緒に帰宅途中に松前町のエミフルという商業施設にパンを買うため立ち寄りました。夕方なので空いているかも知れないと思ったからです。初めて訪れた施設は四国最大級というふれ込みだけあって広大で、夕方だというのにひっきりなしに車が出入りして、店内もかなり混んでいました。パン屋さんで食パンをサンドウィッチ用に薄くスライスしてもらっていたのです。

 さあいざ出発という時間に、清水さんから携帯電話のメールが入りました。「しまった」ととっさに思い出しWriting Calendarを開けて清水さんとの約束が午前9時であることに驚きました。偶然の一致か幸運の一致か、清水さんの約束と朋樹との行動が見事に一致していたのです。

 午前9時に5分前、私と朋樹は人間牧場へ到着です。まるで待ち合わせたように清水さんの車も一緒に到着しました。清水さんは朝フルの会員である谷晴美さんを伴っていました。「早速準備をします」と清水さんは持参した果物を包丁で切り分け朝フルの準備です。コーヒーもマイカップ持参で用意周到です。晴美さんは陶芸やお菓子作りが趣味のようで、それは見事な自作のお皿に自作のチョコレートケーキを盛り付けての持参です。さあ朝フルです。自慢のスライド窓をいっぱい広げ朝の清々しい空気を吸いながら楽しいお喋りを孫を含めた4人で楽しみました。

 晴美さんが加わっただけで、話が楽しくなりました。清水さんと私のこの日の話は、タイトルのような「口当たりのよい食べ物と人当たりの良い人にはご用心」という話でした。確かに最近は口当たりの良い食べ物が目立ちます。しかし口当たりが良い食べ物を食べ過ぎると健康を害することが多いのです。事実日本ではその弊害が現れ肥満や成人病がやたらと多いのです。そこへゆくと朝フルはまさに口当たりより健康重視です。心の戒律をきっちり守り、食事に細心の注意をして体の健康にいいものを食べているのですから、これに越したことはないのです。



 

 さて「人当たりのいい人」も要注意です。そんな視点で身の回りにいる人を頭に思い出してみましたが、私の身の回りには嬉しいい事に気心の知れた人当りのいい人は沢山いますが、初対面で騙された人は過去に何人もいるのです。信用が商売のような地域づくりの世界でも、いきなり最初から信用してかかることは禁物だと、よく妻からも注意を受けましたが、なるほどと話が弾みました。

 朝フルは楽しいものです。束の間の時間を過ごした後、農業の専門家である清水さんの指導を受けて始めている、サツマイモ命のリレープロジェクトのミニハウスのビニールを一緒になって剥がし、草取りまで手伝ってもらいました。

  「口当たり いい食べ物は ご用心 体にいいもの たくさん食べる」

  「人当たり いい人に見え ご用心 どこか怪しい 下心かも」

  「束の間の 朝の時間を 楽しんで どこか元気に なったようです」

  「爽やかな 時の流れに 身を任せ 自然感じつ 話に花を」

 孫朋樹は谷晴美さんの事を晴美さん、晴美さんのまるで恋人のように呼んでいて、家へ帰ってケーキの事を母親に話しました。「晴美さんにもらったケーキ」と説明して、母親から「晴美さんって誰?」でした。孫と私の秘密です。

 

  

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shin-1さんの日記

○珠算教育連盟からの講演要請

 私が講演に出かける度に妻は「お父さん今日は何処へ出かけるの?」と聞きます。その度に「今日は○○という団体(会社)に頼まれて講演に行く。帰りは○○時頃だ」と答えます。すると妻は追い討ちをかけるように「えっ、そんな団体(会社)に何を話すの」と聞き返します。再び私は「呼ばれたのだから仕方がない」と捨て台詞のような形で妻の追い討ちを断ち切るのです。

 今日もそうでした。「お父さん今日は何処へ出かけるの?」と聞かれました。私が「今日は全国珠算教育連盟愛媛県支部に招かれて行く。帰りは午後4時過ぎだ」と答えました。すると妻が追い討ちをかけるように「えっ、珠算連盟に行ってあなたが何を話すの?」と聞き返しました。再び私はいつものように「呼ばれたのだから仕方がなかろうが」と答えました。それでも妻は私の浅学非才を心配してか、「よくそんな所で話をするね」と呆れ顔でした。何度もそんな事を言われると「まてよ、私の話でいいのかな」なんて不安が過ぎりますが、それでも一度引き受けた仕事ですから穴を開ける訳にはいかないのです。妻の磨いてくれた靴を履いて「行ってらっしゃい」の言葉を背に受け出かけました。

 このところ、松前町にオープンしたエミフルという商業施設のお陰で、国道56号線が渋滞気味で時間が読めないため、少し早く出発しましたが、松山市内が祭日で空いていたためほぼ時間通りの到着となりました。

 今日の会場は久しぶりに愛媛文教会館エスポワールです。教育行政に携わっていた頃は頻繁に利用した施設で馴染みの職員もいますが、玄関に入るなり「お久しぶりです」と声を掛けてもらいました。あらかじめ到着時間を知らせていたので会長さん以下役員の方に玄関で出迎えてもらい食事までご一緒しました。

 今回は新聞社に勤める三瀬さんの紹介と三瀬さんの奥さんのお世話で招かれました。故に三瀬さんご夫妻に「恥をかかせてはならない」という、気負いもありました。また奥さんから「スライドでもご紹介を」と暖かいお誘いを受けていたものですから、いきなり紹介のつもりでDVDまで流してもらい、すっかり和やかな雰囲気で進行したのです。(実は今日予定していたのは双海町を紹介するスライドの予定でしたが、会場について手元のケース内を見るととんでもないDVDが入っていました。少し慌てましたが、ジタバタしても仕方がないのでさも用意周到なように見せかけ、そのDVDを流してもらいました。誠に失礼しました。

 私は元来、あらかじめレジメを作ったりしないため、その場の雰囲気に応じて話す癖があり、話が終わって帰ってからも、「はて私は今日どんな話をしたのだろう?」と思い出せないくらいなのです。でも会場の反応は上々で、「まあ、良かったか」くらいの自己満足をしているのです。

 今日は天候もよく、穏やかな初夏の日差しが照り注ぎ、部屋の中で過ごすのが勿体ないくらいに感じました。90分の講演を終り、勿体なくも謝辞までいただきました。謝辞に立たれたのは四国中央市の方で、今年2月17日に川滝公民館女性のつどいに招かれ講演した様子をケーブルテレビで見て、楽しみにしていたとの事、汗顔の至りです。それでも今日は何となくほのぼのとした集会でした。

 帰ると妻が「どうだった」と聞きました。「うん、ええ会じゃった」。「それは良かったですね。一安心です」と労をねぎらってくれました。

  「何処へ行く 講演に行く 何時帰る 終われば帰る いつも同じだ」

  「そんなとこ 浅学私 心配し 行くなと止める 妻の心配」

  「ケーブルで あなたの姿 見てました 会うの楽しみ 終わって言われて」

  「まあいいか 自己満足も 必要と 自分自身に 納得させて」


 

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shin-1さんの日記

○今年も大学の授業が始まりました

 地元愛媛大学法文学部総合政策学科の非常勤講師として、及ばずながら教壇に立ち始めて6年目の春を迎えました。最初は役所に勤めていたこともあって一年のつもりで始め、そのうち「大学だから4年間ぐらいはいいか」とズルズル引き込まれて6年目となってしまいました。妻はもうそろそろ引き時というのですが、若者と出会うことは自分の若さを保つためには必要と別に悪い気もせず、言われるがまま引き受けているのです。それでも年間60時間2単位を付与する大学にとっても学生たちにとってもテーマである「地域振興とまちづくり」は大切なテーマなので、手抜きをすることなく「私でしかできない」、しかも「理論でなく論理の教育」をしっかりとやりたいと肝に銘じているのです。

 今年から私は大学の求めに応じて夜間主から昼間主へ移ったため時間割が変更になりました。これまで午後6時からだったのが午後2時40分からになったのです。しかも毎週水曜日が毎週月曜日に変更です。土日に講演やイベントが集中する私としては明くる日の月曜日ですから体力的にはからりきついかなと思っていますが、これまでのように一週間の真ん中にセットされるよりはメリハリがついていいかも知れません。

 

 先々週先生たちで打ち合わせを行い、先週生徒たちにガイダンスを行って、希望調査に従ってそれぞれの先生たちに学生が振り分けられました。昨日は第1回目の授業ということで、レジメ資料を人数分コピーして法文学部の事務局職員に案内され、指定された工学部24番講義室という教室へ行きました。今までと違ってかなり広い教室が用意されていました。

 今年度の私の教室に割り当てられた人数は男性5人女性14人の計19人です。こんなに女性が多いのも始めての経験だし、夜間主と比べれば昼間主はどこか雰囲気が違うと思いながら出席簿順にお互い自己紹介をして講義を始めました。

 1回限りの出会いなので学生の資質についてはまだまだ掌握が不十分なところもありますが、2回生(一人だけ3回生)だけあって随分落ち着いた雰囲気で授業が始まりました。

 今年は合併して消滅した地域をターゲットにしてフィールドワークを組み立てて行く予定です。前期5回くらいは講義中心で地域づくりの予備知識を持ってもらい、2回くらいのグループワークで実態調査の事前準備をします。その後旧中島町、旧中山町、旧長浜町、旧双海町へ出かけ、離島地域、中山間地域、南予地域、漁村地域へ出かけて調査したものをレーダーチャートにまとめて中間発表を行います。

 その後は訪ねたい町と住みたい町の理想像を探りながらモデルをつくり上げるのです。そして最後にモデルの発表会やレポートを提出して評点となるのです。

 「楽しい」と「苦しい」を組み合わせた造語「たの苦しい」学習に何処まで迫ることが出来るかどうか、私にとっても地域づくりの現場で生かせるいい研究材料となるはずです。

 さあ張り切って頑張りましょう。学生さんたの苦しい学習を宜しくね。

  「学習の 社会も女性 優位なり 男性しっかり 小声に向って」

  「もう少し 前に寄ってと お願いし マイク使わず 自声で講義」

  「滋賀県や 広島県から 来た学生 親の仕送り 応えなければ」

  「この子らを 選んでくれた 先生に 感謝できるか? あるいは逆か?」

 

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shin-1さんの日記

○蒟蒻を植える

 人間牧場には春の訪れを告げるように蕗が今を盛りと茂っています。最近はこの蕗がえらい人気で、沢山の人が欲しい欲しいとやって来ては取って帰るのです。ふつう山に自生している蕗は地主の相談もなく誰かれなく取って帰るのが普通の山歩きの楽しみになっているよですが、本当は持ち主の許可を得なければならないのです。先日も畑に植えていたツワブキを殆ど取られたと農家の方は嘆いていましたし、私が人間牧場のロケーション風呂の入り口に風流を楽しむために植えているツワブキの新芽も昨日行って見るとごっそり引き抜かれていました。蕗も畑のあちらこちらに蕗を取ったと思われる葉っぱが散乱し、少し重苦しい気分になりました。

 昨日は久しぶりに妻と二人で大洲の温泉に出かけました。このところ叔父の葬儀などで忙しくてお互いお疲れモードなので午後から出かけました。帰りに迂回して人間牧場へ出かけ、先日種物屋で買った蒟蒻芋を植えました。何処へ植えるか思案しましたが、結局はイモヅルを育てている小さなハウスの横の畑に決めました。よそ行きの格好をしていたので、急遽人間牧場水平線の家に置いている農作業着に着替え、地下足袋を履いての作業です。地堀鍬で雑草を根っこから削り取り、鍬で掻き均しました。

 用意した蒟蒻芋の種は10個です。昨年野菜を植えた時使っていた細い竹を10本切り分け、芋を植える目印にしました。親父だと定規を使って杓子定規に植えるのでしょうが、アバウトな私は適当に間配って竹を差し込んでゆき、小さな穴を掘ってその中に植え込んでゆくのです。


 種芋は既に芽吹いて芋の中央からまるでハナワさんの頭のような芽がニョッキリ出ています。ここは赤土なので育つかどうか分りませんが10個も植えたのですから、何個かは育ってくれるものと期待をしているのです。聞くところによるとコンニャクイモは大きくなるのに4~5年もかかるそうです。この種芋は2年間育てられた芋なので、今年3年目になるようです。コンニャク芋には子どもが出来て、その小芋を掘り上げて種芋にして大きな芋を育てるという、まさにこれも命のプロジェクトなのです。うまくいけばの話ですがやがて人間牧場でコンニャクイモの増産が出来るようになれば、これまた蒟蒻作りの楽しいプログラムが楽しめると、取らぬタヌキならぬ取らぬ蒟蒻の味算用をしています。一個250円も出した種芋ですから大切に育てて行きたいものです。

 それにしても人間牧場の土いじりもずいぶん様になってきました。今年の春に植えたブルーベリーは早くも花をつけていましたし、昨年植えたスモモの木も少し花をつけました。多分生理落果で実をつけるのは来年くらいからだろうと思われますが、様々な植物がそこそこ育って人間牧場へ行くのが楽しみになってきました。

 そして楽しみといえばもうひとつ、孫朋樹と二人で育てているカブトムシの幼虫が先日何と土から顔を出していました。真っ白な肌をしている幼虫ですが、明日は朋樹がこのカブトムシの幼虫の話を聞きつけ休みなのでやって来ます。昨日は幼虫は腐葉土の下にもぐってしまって上には出ていませんでしたが、明日がとても楽しみです。

  「持ち主が いるのに蕗を 取り帰る 不平言いつつ 監視も出来ず」

  「蒟蒻の 芋を十個も 植えました 何時になるやら 食すまでには」

  「カブトムシ 白い幼虫 顔を出し もう直ぐ夏だと 言ってるように」

  「作物を 作る喜び かみ締めて 次はあれこれ 夢は広がる」

 

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