shin-1さんの日記

○久しぶりにNHKテレビ出演

 先日双海町出身でえひめ地域政策研究センターに出向している松本研究員から電話が入り、今月29日に予定されている「恋人の聖地選定記念イベント」の一環として、NHKテレビいよかんワイドへの出演の打診がありました。夕方4時から7時までの範囲というので、「まあいいか」と思いOKしました。彼の頭の中でこの番組は一連のストーリーであることを知っているので、うまくこの番組を誘致したものだと心の中で大きな拍手を送りました。

 「恋人の聖地」という地域指定を獲得するまでの様々な想いと手続き、地域指定を受けてからそれを記念イベントや記念碑建立などで内外に周知認知させる作業、ここまでは多少の壁はあったにせよ順調過ぎるほど順調に事が運んでいるようです。しかも公共のメディア媒体であるNHKまで使う手口は、かつて金のない時代に私がやった手法と全く一緒で、これぞ若松進一直伝の手法で、まるで私の姿を見ているようです。

 さて今回の「恋人の聖地」ストーリーの私の役割とは一体何か、それはいうまでもなく米湊さんや松本さんの時には知的サポーター、時には通行人的サポーターに徹することです。まずシンボルを作らないといけないので記念碑を造ることを考え、製作のお手伝いをしました。この話はシーサイド公園に沢山のモニュメントを造った経験が生かされどうにか海開きまでに間に合いました。金が伴うことも第三セクターを巻き込みOKです。昨日も本当はこの記念碑を映像として出したかったのでしょうが、チラリズムでした。


 さて、昨日のテレビ出演は通行人的サポーターです。昨日は夕日と赤とんぼを組み合わせるために、元上中校長窪田先生にご出演をいただきました。夕日と赤とんぼの関係は詳しく述べませんが、通称赤とんぼ先生の赤とんぼ製作の模様をシーサイド公園で再現してもらいました。またご存知漁協女性部の皆さんにはラブじゃこ天での出演です。そして私はそのつなぎとして顔役出演です。いずれも恋人の聖地という主役の、脇役ならぬちょい役通行人として役割を果たしました。

 テレビ出演が終わってわが家へ帰ると妻はビデオに収録して待っていましたが、中々上手く映っていたようでした。白鳥アナウンサーとは、「列島12000キロの旅」で下灘駅が紹介された時出演してハーモニカを吹いて以来の出会いで懐かしく思いましたが、早速宇和島の山本さんなど何人かの知人友人から「テレビ見たよ」とメールや電話が入っていました。

 昨日は心配された雨も上がって、自慢の夕日こそ見えなかったものの、穏やかな瀬戸内海の夕映えが見えました。西空の一点にポッカリト大きな穴が開き、夕日が差し込む姿はまるで降臨とでも表現したいような風景でした。真赤に燃える夕日も良いのですが、この風景もおつなものです。

 いよいよ二日後、本番に記念イベント」が始まりますが、本番の後が本当の本番です。「恋人の聖地」選定という願ってもないビッグチャンスを生かして、物語を紡ぎながら経済と融合させなければなりません。その責任の一翼を脇役となってサポートしなければなりません。責任を痛感しています。

  「チョイ役の 通行人で テレビ出る 主役は聖地 二日後出ます」

  「赤とんぼ 作る姿を 大写し 校長少し 顔が紅潮」

  「ラブじゃこ天 久々ヒット この次は ホームラン打つ 気概を持って」

  「降臨と 言うに房わし 天空の 光注ぎて 瀬戸海静か」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○地域づくり人養成講座

 昨日は驚きました。集会の会場となった愛媛県美術館は松山城を見上げる堀の内にあって、モダンなその建物の2階にある研修室へ通じる階段を昇ってゆくと、何やら会場の前に見慣れた人が立っているのです。しかも私そっくりで木になるカバンまで持っているではありませんか。直感で私の人型パネルと分りましたが、それにしてもこんなたくらみを誰がしたのでしょう。察するにえひめ地域政策研究センターの清水研究員と新居浜の加藤さんが仕組んだに違いないのです。この人型パネルは私の持っているものより少し小ぶりなような気がしましたが、電光掲示板も私の名前も、「しずむ夕日が立ちどまる町」にキャッチフレーズまでもが入ってプリントされていました。よく見ると移動に便利なように二枚に折りたためるよう工夫が凝らしていていました。センターの谷本さんに比較のつもりでモデルになってもらい、デジカメで撮影しましたが、モデルになった人が男前過ぎて私が見劣りする結果となってしまいました。

(谷本さんより少しだけ男前が落ちる私の人型パネル)

 昨日は地域づくり人養成講座があり、「地域をいかにコーディネートするか」というテーマで、19年度にまちづくりアシスト事業の指定を受けた団体の成果発表を聞いてコメントをさせてもらう機会を得ました。5団体の発表はそれぞれ僅か10分の持ち時間だったため、詳しく述べることはできませんでしたが、それでもみんな一生懸命発表していました。誰でもそうですが発表は発表する自分自身もさることながら、目の前の聴衆にいかに伝えるかという点がややもすると忘れられがちだし、逆に聴衆を意識し過ぎて自分を忘れる事だってあるのです。発表した後に「ああ、いい発表だった」と思わせる発表は、やはりそこら辺のテクニックがないと、せっかくの発表が居眠りの対象となってしまうのです。

 私と邑都計画研究所の前田さんがコメンテーターとなり、調査役の丹羽さんがコーディネーターで2時間を過ごしました。私も発表の都度にコメントを求められましたが、適切な意見が述べれたかどうか気になるところです。発表に先立って上勝の横石さんが「彩~気を育てる地域づくり~」について講演をしました。何度も出会っている私が部屋にいるとやりにくいと思って、私は講演が終わるまでロビーで待機をしていましたが、今をときめく横石さんの話しにみんな満足したことでしょう。

(右がマーマレードの谷晴美さん、左は同僚の松尾和さん)

 昨夕はオフライン交流会と称する懇親会が農協会館地下の会場で行われました。今年の講座生は22名とか、特に活気のいい女性の姿が目立ちました。宇和島市商工観光課の小林祥子さんや愛ワークの大内さん、西条市教育委員会の谷さんなど知り人が多く、色々な話しに花が咲きました。また人間牧場の塾生第1号にこのほど

なった濱田さんやメダカの井上さん、朝降フル会の丹下さんなどいい人の顔ぶれが揃っています。

 さてさて期待はずれにならぬようせいぜい頑張って欲しいし、できる限りのサポートをしたいと思っています。

 人を育てることは容易なことではありません。心の変容とそれを実践に結び付け、波及しなければ意味がないのです。毎年こうして新しい人が育って行きますが、その人たちが巡り巡ってまた新しい人を育てるような人間に育って欲しいと願っています。

  追伸   浜田さんが酔った勢いで即興オペレッタをやりました。突然のことでみんな開いた口が閉じませんでした。やはり浜田さっは鉄人28号ならぬ変人1号のようです。でもその馬力には敬服しました。存在感誇示率は100%でした。さすが人間牧場塾生1号です。


(この顔でオペレッタとは)
  

  「入口に 見慣れた人が 立っている よくよく見れば 俺の看板」

  「発表を する人熱を 帯びてきて 時間呼び鈴 二回鳴らされ」

  「オペレッタ 突然大声 驚いて 開いた口を 閉じることさえ」

  「キーワード やはり女性だ 感性が 男と違い ジーンとしたね」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○親類とはいいもんだ

 私には沢山の知人友人がいて、何かにつけて出会い、楽しいお喋りやボランティア活動などをしています。またメル友、ハガキ友、風呂友(風呂で知り合った人)もいます。お酒を辞めたため主流だった飲み友はさすがに激減して限りなくゼロに近くなりましたが、それでも年に何回かは飲まない私を会費負担の片棒だけ担がされて、誘い込まれることがありますが、まあ仕方がないと諦めノコノコと出かけています。最近増えたのは学習友で、たとえば限界集落勉強会のように、そのことを深く学習しようと誘われたり誘ったりしながら、加齢とともに右肩下がりになろうとしている気力と体力、それに知力をせめて落さないよう懸命に努力している所です。

 さて先日の日曜日、嬉しい出会いがありました。私の従兄弟洋子さんです。洋子さんとは従兄弟でありながら同級生ということもあって、子どもの頃から何かにつけて出会っていました。しかしお互い結婚してからは別々の生き方をしていることもあって、お目出度やお悔やみに顔を合わせる程度、同級会で顔を合わせる程度で、それほど深くもなく、そうかといってそれほど浅くもなく丁度よい距離で出会っていました。

 先日ひまわり塾という学集会に招かれ講演に行ったことはブログに書きましたし、洋子さんや万寿恵との出会いも書きました。その後お礼を言おうと妻の作っている親類知人のアドレス帳で電話番号を探し、お礼の電話をしようと試みましたが、間違い電話で三回も同じ人に電話してしまい恐縮してしまいました。その後104で電話番号を調べてもらったところ、1と7の数字が違っている事に気がついたのです。妻にそのことを指摘したら、「ああそうだったの」と軽くいなされ少しだけ頭にきましたが、グッと堪えて電話をしました。電話口に出た洋子さんは、先日私の講演を聞いた感想を話してくれました。一般の人から見れば90分という長い時間も話すことは驚きのようで、「あなたは凄い」と少し持ち上げてくれました。早速私の「夕日徒然草」が読みたいので何処で購入すればいいのかとという話になりました。近々松山へ行く所用があるのでその折にと電話を切りました。

 昨日はあいにくの雨でしたが、洋子さんと約束した甘夏柑を菜園の横の木から数個取り手土産ほどでもなく持って行きました。ご主人はあいにく留守でしたが洋子さんは在宅で、「まあ上がってお茶でも」と誘われるまま上りしばしの談笑です。最近の家族の音信や同級生の消息など、この2~3年話していない近況を矢継ぎ早に話して、午後の集会の時間もあるので早々においとましました。洋子さんは手先が機用でパッチワークなどは玄人です。お土産にと妻と近所に住む姉のために手づくりの手提げバック二個いただきました。

 この歳になるとといってもまだまだ若いつもりの63歳ですが、それでもこの歳になると親類の人が恋しくなるもので、親類とはいいもんだとしみじみ思いました。

 洋子さんは筆まめな人で、ひまわり塾で出会って一枚、そして昨日一枚とハガキをくれました。一日三枚のハガキを書く自分でさえ、忙しさにかまけて一枚も出していないのに二枚もハガキが届いてビックリです。

 昨夜は研修会の修了後懇親会があり家へ帰ったのは午後9時半を回っていました。妻に洋子さんからの土産を手渡すと早速お礼の電話をかけていました。甘夏柑を使って早速マーマレードを作ったそうです。美味しく仕上がったかどうか、味見に伺わなければなりません。

(洋子さんの送ってくれた短歌)

 さて、洋子さんに叱られるのを承知でちょっと遊んでみました。私のブログ末尾にには笑売啖呵と称する短歌を毎回四首載せていますが、それに感化されたのか洋子さんはハガキに短歌を一首作って送ってくれました。「ふる里の 訛で話す 進ちゃんの 二時間余りが アッと過ぎゆく」でした。名句です。私などは足元にも及びません。余り褒めるとお世辞に聞こえますのでこの程度に留めますが、久しぶりにホットな出会いでした。またお会いしましょう。

  「この歳に なると従兄弟が 懐かしい DNAが 呼んでいるのか」

  「私書く 笑売啖呵に 呼応して 名作一句 ハガキしたため」

  「手づくりの バッグ手土産 喜んで 早速電話 妻の素早さ」

  「進ちゃんは 立たされてたと 告げられて 目玉食らった 従兄弟懐かし」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○顔も背中も自分で見れないものだから

 ~前号からのつづき~

 ⑤コンプレックスを持たない

 顔に自信のない人は何かとコンプレックスを持つものです。美しい人でさえあそこがここがと、気に入らない部分を探して美容整形するようで、豪腕な美容整形の先生の手にかかると、昔の顔は何処に行ったの?と思うほど変容するそうです。美を求めて止まない人間の嵯峨とでも言うべきでしょうが、コンプレックスの固まりのような人は対人関係も悪いようです。

 ⑥顔の状態が精神の状態をつくる

 顔は、目は心の鏡といわれるように、顔の状態が悪いと心まで悪くなり、ついには病気になってしまいます。一概には言えませんが、私自身病人となって入院した時、鏡に写った自分の顔はまさに病人のような顔をしていました。退院の日の顔の何とすがすがしかったことでしょう。顔に笑みを浮かべると心も笑みを浮かべたような状態になるものです。

 ⑦目と目の間を広げる

 眉間にシワを寄せる人がいます。自分でも怒った時は眉間にシワが寄って狭くなります。目と目の間を広くするような気持ちになると顔は温和になります。

 ⑧口と歯で美しく笑おう

 口を広げて歯を見せ笑うことはお行儀が悪いと昔は咎められました。故に女性は手を口に添えてウフフ笑いが上品とされました。しかし喜怒哀楽の喜楽を顔で表現する方が楽しいと思うのです。笑う門には福来るです。いつも笑みを絶やさず口と歯で笑いましょう。入れ歯だって気にすることはないのです。

 ⑨左右対称の顔相になる

 悪役の人の顔は左右のバランスが崩れています。つまり鏡を見て左右のバランスが崩れている人は悪い人間に見られるから要注意です。

 ⑩いい顔、楽しい顔は人に伝わる

 どうやらいい顔、楽しい顔は人に伝わるようです。自分の家で誰かが落ち込んだ顔をするとみんなが暗い顔になります。何年か前県が提唱して「太陽のお母さん運動」というのがありました。家庭の源であるお母さんが太陽のような心を顔に出して家族、特に子どもに接すれば、子どもたちは太陽と旅人の童話のように自分のマントを脱ぎ捨てるのです。

 私はこれまで自分では見れない自分の顔を何度となく鏡で見てきました。しかしそれ以上に不特定多数の人が二つの目で私を見続けてくれています。昨日も500人を超す人の中に身を投じましたが、「あら若松さんお元気」とか、「久しぶりですね」と何人もの人が気軽に声をかけてくれました。それは美しく見せようと肩肘張っていない自然体でいるからかも知れません。

 昨日嬉しいい事がありました。金銭教育で三津浜幼稚園へお話に行ったことを覚えていた若い女性がいて、試食交流会で立ち話となりました。私の講演の中ではわが子育ての失敗談を話していますが、ある人が同じようなことを失敗し同じような対処をしたという話しをしていたらしく、話に花が咲きました。嬉しい反応にお互い思わず顔がほころびました。その若い女性の素敵な笑顔が昨日はずっと心の中に残像として残りほのぼのとしました。

  「今日からは お化粧品など 金かけず 笑う訓練 美人になるよ」

  「美人とは 顔や形じゃ ありません コンプレックス 持たず生きよう」

  「お光を 幾ら着けても 生まれつき 豚に真珠と 人は悪評」

「俺の顔 親父おふくろ 合作品 息子娘も 夫婦合作」  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○顔も背中も自分で見れないものだから

 鏡を使わない限り、自分お顔も背中も自分で見ることはできません。故に人間は水に写った自分の顔を見て驚き、それと同じように顔が写る鏡を発明したに違いありません。古墳から出土する銅鏡などはその最たる物で、見えにくいものの当時はかなり位の高い人でないと持てない物だったようです。時代は移り江戸時代になると外国から鏡が輸入され庶民の暮らしに広がって行き、今は高校生のバックにさえ顔がスッポリ入るほどの大きさの鏡が入っているのです。しかし人間はよくよく欲の深い動物で、見えないはずの体内まで見てしまおうとレントゲンやファイバースコープなどを発明し、病気の治療に役立てているのです。

 さて、人間は誰でも顔を持っていますが、童話に出てくるように「鏡よ鏡よ鏡さん」とばかりに、飽きもせず毎日自分の顔を鏡に写し、特に女性はそれなりの顔をより以上に見せるため、内壁、中壁、外壁と塗りたくり、まるで仮面をつけた別人と思われるように、様々な努力を死ぬまで繰り返しているのですから、考えてみれば悲しい動物としかいいようがありません。時にはこんな顔に産んだ親を憎んだり、最近まで女性の専用だったお化粧を男性さえもするようになって、益々顔の行方が気になるようなのです。しかしわたし等は「そんな暇があったらもっと別のことをすればいいのに」とも思ったりするのです。

 昨日はコープえひめの総会で美し過ぎるお姉さんを沢山見過ぎて、中々寝付かれませんでした。今朝は早く起きて書斎で読書とラジオを楽しみました。ラジオから偶然にも顔の話が流れていました。「顔を美しくみせる法」だそうで、化粧のことかと思いきや心がけ次第でいい顔になるというのです。思い当たる幾つかをご紹介しましょう。

 ①自分の顔を好きになる

 自分の顔に自信が持てなくて何で人に見せられるのでしょう。人の顔は千差万別、世の中いい顔をした人は希なのに、映画やテレビの出現によって、一応美人という基準がみんなの頭にイメージされてしまいました。小野の小町や楊貴妃などの噂はありましたが、いつの間にか山本富士子や藤原紀香が美人の代名詞になったのです。生まれてから死ぬまで付き合う自分の顔を好きになることは、顔を美しく見せる第一歩かも知れません。そういう意味でブスの代名詞のように言われていても、自分の顔に自信を持って生きている人は沢山いて、それなりに輝いてむしろそれを武器にして生きているのです。

 ②人に見られる緊張を持つ

 人間は多くの人とともに生きています。自分は二つの目でしか他の人を見れないのですが、自分は人数×2の無限大とも思われる目で見られているのです。見られているという意識は、より美しく見せたいという気持ちを生みます。こうして常に見られているという緊張が心の中にあると、スッピンのままパジャマやネグリジェでウロウロすることはないと思うのです。昔は車がなかったから身なりを整えて外に出ていました。ところが車の普及によってパジャマのまま目的地へ行く事だって出来るようになると、もうゴムが切れたパンツのようなものです。人は見ていないようで見ています。そして粗を探して自分の優位性を確認し、時にはその粗を小声で人に告げるのです。緊張は大事です。

 ③人に褒められると美しくなる

 世の中には腐し上手な人もいれば褒め上手な人もいます。腐せば腐すほど人は卑屈になってその人のことを敬遠し嫌いになりますが、褒められれば褒められるほどその人に好感を持ち好きになるものです。褒められるような人間になる第一歩は人を褒めるような人間になることです。猿の実験でも叱って教えると服従しますが覚えにくいようで、褒めると直ぐに芸を覚えるのだそうです。「こんな顔の何処を褒めるの」とお思いでしょうが、陽とに褒められた時の顔は何ともいえず美しいものです。

 ④人と違う個性を見つける

 顔は十人十色好き好きがあるのです。だからみんなそれなりに結婚しそれなりに生きて行けるのです。私のような醜いアヒルの子でも見方によれば個性があり、オンリーワンなのです。最近わたしは友人が書いてくれた似顔絵入りの名刺を持ち歩くようにしています。これは他人が私を見て書いてくれた個性です。よく特長や個性を掴んでいると名刺と顔を照合しながら離してくれます。時には実物の方がいいとか、似顔絵は出来過ぎとも批評してくれますが、人それぞれの見方もまた私の個性なのです。

   ~次号へつづく~

  「自分顔 好きになってと 人がいう 味のある顔 寅より上だ」

  「こりゃどうだ 顔も洗わず 化粧せず パジャマウロウロ 女コンビニ」

  「誰も皆 ほめられ人は それなりに 悪い気もせず 少し自信が」

  「オンリーワン 褒めているのか 腐したか どっちにとるか 自分次第で」  

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○コープえひめ第4回通常総代会に出席しました

 この2年間有識理事として関わったコープえひめの通常総代会が、県民文化会館のサブホールであり出席しました。2年前は驚きの連続だった総代会でしたが、自分の気持ちの余裕ができたのか、それとも総代会が変化したのか分りませんが、気を引き締めて参加しただけに少し拍子抜けがするほど静かな総代会となりました。

(立派な県民文化会館ロビー)
(県下各地から集まった総代さんの受付風景)
 有識理事とはいいながら何が有識理事なのかも分らぬまま、他の理事さんと共にサブホールの壇上に居並び、役割分担に沿ってテキパキとこなす女性理事さんを頼もしく思いながら、約2時間半傍観に徹しました。私が参加する集会に限って言えばコープえひめは完全に女性社会であり、私たち男たちは理事長さん、専務さん、それに常任理事さんを除けば完全に蚊帳の外でいれて大助かりです。

(ブロックごとに並んで座る参加者の皆さん)

 それでも分りやすい議案書に沿って事業報告、決算報告、剰余金処分、事業計画、予算などが承認され、改正生協法の成立・施行を受けた定款の改訂についても原案通り承認されました。総代会では賛成と反対を紙を上げて意思表示し、地区毎にその数をカウントして最後に報告するような方法がとられており、反対への意思表示もしっかりできるようになっているのです。

 参加する総代さんにはあらかじめ発言のための「わたしの想いカード」が配られ、送られてきたそのメモを精査して10人の人が選ばれて意見を述べ、その意見に対して理事が陳述するようになっています。専務さんも理事さんも手短くテキパキと答え、スムーズに事が運びました。

 そんな中で私の心に残ったのは、西条西ブロックの近藤和恵さんの発表でした。

 前略「ところで、きゅーりの真っ直ぐなのと曲がったのが並んでいる時、みなさんはどちらを買いますか?。真っ直ぐな方に手が伸びるでしょう。きゅうりは成長途中で曲がってくるんじゃあないんです。花の時から曲がっています。ですから味が変わらないのに小さい時に捨ててしまうんです。

 ほうれん草はチッソ成分が多ければゆぶゆぶと色も濃く育ちます。見かけもきれいで、早く収穫できますが、茎、葉の中にシュウ酸が残ります。これが「あく」といわれるものです。人の身体の中に入ると石ができやすくなります。胆石、腎臓結石などです。野菜も人間の成人病に似た症状があります。そういうものは食べてもおいしくありません。

 皆さんのご近所にも、こだわりの農業をしている変人がいらっしゃると思います。そういう人を応援していくことが地球温暖化防止になり、めぐりめぐって10年後、20年後の日本の、私たち自身の食糧確保につながっていくことになると確信しています」後略。

(真珠の間での試食交流会)
(大川理事長さんもテーブルを回って総代さんや来賓の方と親しく懇談されていました)

 近藤さんの話しを聞きながら知らなかったことを知り、異業種から学ぶことの意味を改めて教えられました。

 午後はお楽しみ試食交流会がありましたが、これまでのような激しさも見られず穏やかな昼食となりました。

(ピンクのエプロンを掛けて皆さんのお世話に徹していた理事さんたちのお陰で、試食交流会もスムースな運営ができました。どう私たち若く見えるでしょう。はい、とても若く素敵です)

  「和やかな 年に一度の 総代会 女性パワーも 少々湿り」

  「痩せたいと いってる割に 皿の上 山盛り取って 痩せるはずなし」

  「親しみが もてる顔です 私は 気軽に声を 掛けられどうも」

  「その昔 食べれば元気 今違う 喰わぬが身体 健康秘訣」 


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○「さる」の教え

 今や世界遺産になっている日光東照宮、ご存知のとおり徳川家康をお祭りしている神社です。徳川家康は三河岡崎城で生まれ、戦国乱世を平定し幕藩体制を確立、江戸時代260年の基礎を築きました。家康は駿府城で75歳の生涯をおえていますが、久能山に埋葬された一年後遺言によって現在の地に移されたたそうです。私は若い頃何かのついでに行ったような記憶があるのですが、煌びやかな陽明門などが記憶に残っているもののはっきり覚えていないのです。栃木県日光から比べるとはるかに近い広島県瀬戸田に西日光と異名を持つよく似たお寺があって、むしろ何度も訪ねているこのお寺の記憶の方が鮮明なのでダブっているようです。

 日光東照宮の境内に神厩舎というのがあります。ご神馬をつなぐ厩です。昔から猿が馬を守るとされているところから長押上には猿の彫り物が8面あり、人間の一生が風刺されています。中でも見ざる・言わざる・聞かずの三猿が有名で、何かにつけて引き合いに出されるため、知っている人も多いようです。

 昨日大学の講義を終えて帰り、くつろいでいるとわが家のチャイムが鳴りました。着替え中だったこともあって「少々お待ち下さい」と大声で叫び玄関に出ました。すると50歳がらみの見知らぬ夫婦が立っていました。「突然で恐縮ですが、ちょっとお聞きしたいことがありましてお伺いしました。近所で聞けば若松さんは双海町の事だったら何でも知っているらしいのですが、実は息子が結婚することになりそうなので、行く当てもなく調べに来ました・・・・・・。」と切り出すのです。その方は栃木県に住んでいるらしく、息子さんが東京で知り合った双海町出身の女性と恋仲になり、親に結婚したい旨の相談があったそうです。しかし縁もゆかりもない愛媛県のことゆえ、どうしたものか思案した挙句、飛び込みのような形で双海町へやって来たというのです。それとはなしに娘さんの家を探し当てましたが、内情は聞くに聞けずうろうろしていたら、シーサイド公園であるおばさんに会ったそうです。そのおばんさんはその娘さんの家のことを知らなかったようで、丁寧にも「双海町のことだったら若松さんにお聞きなさい」と、まあこんな具合でチャイムを鳴らしたようです。

 はてさて、あなただったらどう対処しますか?。普通滅多なことは言えないと、栃木県日光東照宮の猿の彫物のように「見ざる・言わざる・聞かざる」で通せば問題はないのですが、お節介な私は「まあお茶でも」とお茶まで出して話しを聞きました。私は人権教育を受けているし、人権教育をした人間なので、慎重に言葉を選び、そして人権教育の立場からお話をさせてもらいました。幸いご両親やそのご家庭のことは知ってたので、身の上調査にならないよう配慮をしたのです。

 この場合ある部面では「見ざる・言わざる・聞かざる」を貫くことも大切です。でも結婚はあくまでも若い二人の幸せを第一に考えなければならないので愛の深さについても「見るぞう・言うぞう・聞くぞう」で望むようお話しました。その娘さんがどんな家柄でどんな町の人かなんてことは、二人の愛の深さや強さに比べたら些細なことなのです。その娘さんは私もよく知っている人だったので幸せに結婚できるよう両親の胸のつかえを取ってあげました。お二人は明るい笑顔で帰って行きました。降って湧いた栃木県日光からのお客さんは、私に猿の教えを残して去って行きました。

  「ピンポンと チャイムを押して 知らぬ人 唐突話す 結婚話」

  「あの人に 聞けば何でも 知っている いわれる私 どうすりゃいいの」

  「東照宮 猿が三匹 彫ってある 見ざる言わざる 聞かずの教え」

  「目も口も ましてや耳も ある身ゆえ それを上手に 使うは知恵か」

  


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○塾の立ち上げ準備

 人間牧場での塾活動がいよいよ始まりそうです。というのも人間牧場を作った時、かつて10年間で40回のフロンティア塾のようなものをつくりたいと思っていたものの、リタイアしたにもかかわらず私の日常が余りにも忙しく、向こうが見えにくかったため伸び伸びになっていました。しかしそこら辺の飲み込みも一応できたので、そろそろ始めようかと思っていました。人間牧場を作った折、もし塾を開くのなら私が第一号とばかりに名乗りを上げ、申請書まで持参した人がいます。関西汽船に勤める浜田久男さんです。彼は不思議な人で、子どもの頃お父さんの仕事の関係で旧下灘村日喰に住んでいました。その後のことは不祥なのですが、今は民俗学者宮本常一の足跡をたどることをライフワークにして、その生き方を研究しているのです。アカデミックな凄い読書家で、私も彼から沢山の宮本常一に関する情報を得てきました。たまたま人間牧場の眼下に宮本常一の生誕地である周防大島が見えることも、彼が人間牧場に興味を示した大きなきっかけなのです。

 私はこれまで3年間、別に意図があった訳でもないのですが彼の塾生第1号希望を無視し続けてきましたが、それでも彼は足繁く人間牧場へ通い続けているのです。先日地域試政策究センターの清水研究員と松本研究員が浜田さんと一献盃を交わしたらしく、その模様を三人三様酔いたんぼの声で電話してきたのです。「機は熟したからそろそろ浜田さんを門下生に」という懇願でした。開塾となるとそれ相当な準備をしなければなりません、先日長崎へ行く途中で乗った松山観光港~小倉間のフェリーの中で坂本龍馬の船中八策ばりに、色々考えてみたのです。そのことについては志ある人に示すとして、浜田さんを塾生第一号にすることを決めました。

 さて一号で始まり一号で終わるかも知れないようでは芸がないと思い、日頃からこのことについて話している清水さんと松本さん、それに弓削島に越してきた兼頭さんと馬路村の木下さんを加える事にしたのです。このことがパソコンネットで流れて、菊間の大河内さんの耳に入り、強烈な入塾へのアピールがありました。早速返事を保留していましたが、あらかじめ用意していた名札用の板に、塾生の名前を書かなければならず、「夕やけ徒然草」出版の折、題字をお願いした伯父に名札を書いてもらうよう依頼したのです。伯父も体調が優れず高齢のため嫌がりましたが、シブシブ引き受けさせました。昨晩出来たから取りに来るように連絡があり、大学の講義日なので途中立ち寄りました。あいにく病院通いのため留守でしたが、机の上に置いているとの託けだったので、受け取ったものの文字が違うのです。塾という字の下の土が抜けているのです。困ったと思いつつ、病院から帰る頃を見計って家に押しかけ、間違った部分を書き直してもらいました。病院から帰った直ぐのドタバタだったので、これまた間違いがありまあ大変でした。

 持って帰って気がついたのですが、何とその名札に大河内さんの名前が既に書かれているのです。多分私が一昨晩書いた原稿に大河内さんの名前を、無意識のうちに書いていたのでしょう。大河内さんについても断る理由もないのですんなりことが運びました。

 さて塾長はフロンティア塾での経験から私が務めますが塾頭には清水さんになっていただくようお話しました。

私の思案ですが、塾の目指す方向にある理想の人は二宮尊徳と坂本龍馬(ジョン万次郎を加える)それに宮本常一の三人です。故に塾生はこの三人の生き方を基本とするため、誰よりも詳しく学ばなければなりません。二宮尊徳は経済と愛国、坂本竜馬とジョン万次郎は行動力と夢や発想、それに運命です。また宮本常一は日本人の心と生き方、それに愛郷心です。

 さあいよいよ船出です。血が騒いできました。

  「入門を 願い三年 経ったので ここらでそろり 腰を上げるか」

  「達筆の おじに頼みし 名札書き 土書き忘れ 半塾未熟」

  「わが名前 まんざらでなく 手にとって 付けた親父に 感謝をしつつ」

  「人の書く 文字をあれこれ いうけれど 自分の文字は まるで落書き」 

 

  

  

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○過去と今を語るOB会

 私は26歳から39歳までの13年間教育委員会に勤め社会教育、とりわけ公民館に重きを置いた仕事をやりました。故に公民館関係者との交友が深く、今もその人たちと様々な活動を行っています。他の人は知りませんが、当時の私はこの仕事を終生の仕事と選び、プロに徹し思いを込めて仕事に打ち込んでいたように思います。ですから13年目に一枚の辞令で産業課に異動した時は一日中涙が出て止りませんでした。それでも様々なことを学んだ公民館をこれまた終生の恩人と選び、今も公民館の事だったらなにはさて置いても馳せ参じるようにしているのです。

 当時たもとを分かち合い、夢を語り合った人たちも年齢を重ね、一抜け、二抜けと去っていく姿を見ながら時の流れの儚さを思うのです。しかし老いや病気、それにそれなりの理由なら一抜けも納得できますが、公務員とは勝手なもので、自分が仕事の間は夢中になるのにその仕事を離れれば、「今まで言っていたことや行動は一体何だったのか」と思わんばかりに、「そんなの関係ない」的になって、私たちの視野から消えてゆくのです。

 社会教育もまちづくりも福祉も産業も、殆どの仕事はボランティアによって支えられています。ボランティア精神の必要性を仕事として説いただけなら、その人の仕事は給料のためだけだったということになるのです。公民館に勤めていた人が異動になって他部局へ変わったことを知らずその家へ電話したら、「私は公民館ともボランティア活動とも関係ない」と言って冷たく電話を切った話はそれを物語っているようです。

 昨日は公友会という公民館OBの会が催されました。道後にぎたつ会館に集まった参加者は12人で少し少なめでしたが、集まった人数など問題ではなく、久しぶりに懐かしい燃える人たちに出会い嬉しいひと時を過ごしました。欠席通知の中には病気や会議の都合で来たくても来れない人も沢山いて、コメントを寄せていました。

 近況報告では、誰もが過去と今を思いを込めてお話ししていました。中には今の公民館へのご意見や痛烈な批判もあって、衰えぬ毒舌に誰もが自分の人生や意見を重ねながら熱心に聞き入りました。しかし寄る年波とでも言うべきか、その話は過去と今の話が多く、残念ながら未来を語る部分は少なかったように思うのです。無理駆らぬ事ながら、残された余命をどう生きるか、それはとりもなおさず自分への問いかけでもあるのです。

 私は幸せな事に今は未来への夢を持ち、夢の実現に向って走れています。健康も今のところ問題もなく暮らしています。また人間関係もすこぶるよく、これといったトラブルも抱えていませんが、親父の加齢と妻の健康が気にかかり始めました。これまでどちらかというと自分だけの人生を思う存分生きてきただけに、これからは周りの人にお返しもしなければなりません。

 こうして過去と今を語る人の話しを聴きながら、今に自分もそうなる運命にあるのだろうかとしみじみ考えさせられた一日でした。

 この日私の提案で昨年卒寿を迎えられた岡島会長さんにご退任願うことにしました。20年間公友会をリードされ、私たちの星でもあり恩人だっただけにいつまでもと思っていましたが、やはり世代交代です。新会長に魚島村の佐伯元村長にご就任いただきました。岡島さんご苦労様でした。佐伯さんよろしくお願い致します。

  「懐かしい 人に出会いて 懐かしむ 懐かし話 記憶の彼方」

  「消息を 聞きつつ人は 老いるもの しみじみ思う 俺もそのうち」

  「ああそうか 過去があるから 今がある 今なき未来 ある訳もなし」 

  「恩人も ついに今年は 顔見せず 少し寂しく 体案じて」

  「

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○凡人の私でも論語から学ぶ

 この歳になると、落ち着いて本を読みたい心境になるのですが、逆に長時間本を読むと目が疲れてきて体に疲労がたまるようになりました。昨晩も本を読んでいると夢中になって、気がつけば時計は回り午前2時です。孫をトイレに連れて行くため起きた妻が、「お父さん、早く寝ないと体にさわるよ」と注意してくれました。それでもその言葉を「うんうん」とうなずきながら無視して午前3時まで読みふけりました。サンデー毎日の自由さがそうするのでしょうが、今日は朝起きるとさすがに寝不足のような気だるさを感じるようです。それでも読書によって何か体内に新しい知識が注入されたみたいで、読書の持つ魅力を感じています。

 私の場合は読書と文字書きを組み合わせているため、読んだ本の中から感じた部分を単語にしてメモします。丸写しだと自分流にならず盗作になりますので、極力単語を自分流に解説するようにしているのです。時に分らない部分はヤフーの辞書検索もしますが、それも全て書き写したりプリントアウトしたりはしないようにしています。

 昨晩読んだ本の中に論語が出てきました。論語は「論語読みの論語知らず」といわれるように昔から何かと引き合いに出されるものの、原本などは浅学な私には到底理解できず、解説本を読む程度なのです。論語学而編では天与の尊い道を「温・良・恭・倹・譲」という五つの言葉で表現しているようです。この五つの言葉は道徳真髄を表しているようですが、解説で「温」とは柔軟な義、「良」とは善良にして人を愛する、「恭」とは容貌、起居、動作などの敬虔にして篤実な事、「倹」とは他人を敬って他人に快感、満足を与える事、「譲」とは他人に対して当然自己の受くべき名誉、若しくは利益を譲り与える事と書かれ、シンプルな漢字一字も解説によって随分深みが出ると思う反面、解説に解説を加えなければいけないような迷い道へと入ってしまいました。

 まあ余り深いことを考えず、漢字の読み方そのままにポジティブに考えれば大体の意味は通じるのです。「温」は暖かい思いやりの心を持つことだし、「良」は良い行いをすればよいのです。「恭」は比較的馴染みの薄い文字ですが敬うことぐらいでしょうか。「倹」は読んで字の如く倹約です。「譲」も譲るですから相手に渡すことです。

 日々の暮しを反省してみると、言うは簡単ですが行いとなるとこれまた難しいものです。特に倹約は自分の暮らしの中で実行しなければならないし、譲ることも相手があることですから譲るものや地位名誉も対象となります。

 今朝は倹約について考えてみました。数日前部屋を掃除していて沢山ストックしていた紙ごみを焼きました。この量たるや半端なものではなく、キャリーに5杯分は処分したでしょう。本来ならこの紙ごみは分類して資源ごみに回すべきなのでしょうが、シュレッダーにかけなければならないような個人情報が多く、その分類をする暇もなく処分してしまったのです。もし私に資源ごみという意識があったら、日頃から廃棄紙ごみと情報処理ごみに分別していたらこんなことにはならなかったのです。一方では環境問題を語り一方ではこんな事もできないとはお粗末な話です。

 このところ、電気を小まめに消すこととつもり貯金を始めました。コーヒーを飲んだつもり、タバコを飲んだつもり、お酒を飲んだつもりで貯金箱に小銭をれて行くのです。ちょっとしたことですが、これが意外と貯まるのです。わたしはこんなささやかな小銭しか融通しかできませんが、「一円を笑うものは一円に泣く」の姿勢で人間牧場という大きな成果を得たことを思えば、これからもつもり貯金で自分の次なる夢を是非手に入れたいと思っています。

 

[ この記事をシェアする ]