shin-1さんの日記

○狂った歯車

 今朝妻と食事をしていたら、「最近あなたの財布の中身が早くなくなるような気がする」というのです。「タバコもコーヒーも飲まない上、酒まで辞めているのだからそんなこと言われたって」と腹を立てて反論すべきででしょうが、自分でも同調しているだけに反論のしようがないのです。私の場合財布を何処へでも置く癖があって財布を持たない暮しが長らく続きましたが、最近はさすがにそれもなく中身が減ったら私が恥を書かないようにと、一定額をきちんと妻が補充してくれるのです。そういう意味ではできた妻ですが、その中身が早くなくなる原因はどうやらガソリン代のようだと妻に話しました。1リッター120円前後だったガソリンが今は170円を越えているのです。私はセルフのスタンドはどちらかというと嫌いで、主に知人友人のガソリンスタンドで給油をしますが、スタンドの店員さんはさも自分が値上げしているような感じがするのか「ガソリン代が高くてすみません」と平謝りの低姿勢です。何も店員さんが悪いのではないのですが、それでも給油を終えて財布からお金を出す度にガソリンの値段の高さに驚き、「車に乗るのを極力避けようとするのです。しかし松山市をフィールドにしている私の日常活動にとって、往復50キロは縮めようのない距離なのです。

 楽しむべき食事の席が、こんな政治に対する不満をぶっつけなければならない現代社会は異常なような気がします。イージス艦あたごの衝突問題、年金問題、道路特定財源問題、後期高齢者問題、国家公務員の汚職問題など、これでもかといわれるほどの難問題が次から次へ飛び出し、その都度政党間の駆け引きで国会は空転し、日銀総裁ひとり決められないお粗末な状態となっているのです。まさに機能不全、脳死状態の内閣です。

 これまで総理の顔など滅多に拝めないと思っていたのに、何でもかんでも総理が出て、総理はまるで百面観音様のようです。それぞれ大臣がいるのですからそこできちんと対処する責任の取り方を考えないと、阿部さんのように途中で押し潰されてしまう気がするのです。これは総理と総裁を同じ人がやるために起こる弊害であり、その事に自民党はまだ気付いていないようです。

 食事の席で政治を語ることは何も悪いことではありませんが、政治を意識せずに生きていられるような、つまり投票で選んだ人たちがもっと真剣に政治に取り組んで欲しいのです。政治家は二言目には国民の意思だとかいっていますがそれは二枚舌で、国民のことを考えているのならもっとましな政治ができるはずなのです。

 平和学の第一人者であるノルウェーのJ・ガルトゥングが「戦争がないから平和だというのは、今自分は病気をしていないから健康だと思い込んでいるのに似ている」と言っているように、すでに体内で病気が進行しているのに、健康だと思い込み検査も何もしないとの同じだとすると、日本の政治的現状は知らない間に末期がんに侵されているのかも知れません。政治への非難の声は日増しに高まるばかりです。国の歯車が狂えば、国民の歯車も狂うのです。今一度狂った歯車を元に戻さないと大変なことになるような気がするのです。

  「今平和 今健康だとて 油断せず 足元固め 生きる肝要」

  「知ってます? 平和の敵は 平和です 平和に溺れ 平和崩れる」

  「財布減る 原因油 自衛策 車頼らず 思うがやれぬ」

  「年金は 下がる油は 高くなる 何処で辻褄 妻のやりくり」

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shin-1さんの日記

○水平線の家に「shin-1さんの日記」ブログコーナー設置

 先日人間牧場を訪ねてもらったわが21世紀えひめニューフロンティアグループのパトロンである、関奉仕財団理事長関宏成さんから、藤原茂さんを通じ、創業者関定さんに関する分厚い2冊の本が届きました。水平線の家のインテリアのように設えている書棚に並んだ書籍類を見ての贈呈でしょうが、有難く拝受し、早速昨日本棚に置きました。

 この本と一緒にわが書斎の書棚に無造作と思えるようにうず高く積まれていた、私のブログ「shin-1さんの日記」のプリントアウトした綴りを水平線の家へ運びました。一か月分毎に表紙をつけているもののその厚さたるや一冊2~3センチもあり、それが既に2年9ヶ月で33冊にもなっていて、田舎のオープンカーの助手席に積んで移動しましたが、積もれば積もるので中々大量なのです。

 本当は読む人のためもさることながら自分のためにも、一ヶ月毎に目次をつけたかったのですがそんな時間的余裕もなくついついそのままでのお引越しとなってしまいました。昨日はあいにくの雨で小雨が降っていましたが、濡れないように注意をして移動を完了しました。

 水平線の家の片壁の殆どを書棚にするとわたしが提案し息子もそれに同調し、大工さんにお願いしたところ、頼まれた大工さんは「若松さんそんなに大きな書棚を作って本屋さんでもするんですか?」と大笑いされました。出来上がった書棚を見て私も最初はそう思うほどでした。しかしわが書斎の半分以上の書籍類を運んでみると、既に書棚は満杯で、その後の新刊図書などはわが家から移動できないで相変わらず本に埋もれたような暮らしをしているのです。

(書棚の一角を占領したブログ「suin-1さんの日記」コーナー)

 それでも人間牧場開設時から始めたブログのプリント綴りは、最初から人間牧場へ置くつもりだったので、予定通りの引越しです。しかしいつの間にかもうその場所はなくなっているのです。昨日は書棚を少し整理をしました。そして一番手に取り易い一角をどうにか確保して順番に並べたのです。少し窮屈かも知れず、これから増えるであろうブログの綴りを思うと、何か考えなくてはいけないようです。

 私は水平線の家の「背もたれ椅子に座って本を読み昼寝をする」という本来の目的をまだ勝ち得ていません。退職して4年目を迎え暇になるであろうはずの身の回りも相変わらず忙しく、それどころではないのです。そのうちそのうちと思いつつ加齢するのでしょうが、とりあえず10年間はブログを毎日書くことを自分のささやかな目標にしたため、このコーナーはその後も健康であれば増え続けるものと思われます。

(2年9ヶ月、私のような凡人にとっては非凡な成果です)

 自分自身も読みたいし、人間牧場に来た人にも読んでもらいたいと思いコーナーを設けました。後7年後には若松進一という人間の10年間の日々の生き様が並ぶことは凄いことだと独りよがりの思いにワクワクしているところです。ブログの何であるかも知らぬまま、その操作さえも知らぬまま始めた日々の小さな営みが、ここまで蓄積するとは正直思いませんでした。でも人間はやる気になって毎日コツコツ努力すれば、それなりの成果はあるものだと平凡が非凡になることを感じた昨日でした。

  「無造作に 朝晩書きし ブログさえ 年月経てば 生きた証言」

  「ポッカリと 空いた書棚の 一角に 増えてゆくのか ブログの綴り」

  「金残す こともできない 自分だが 知恵と思いは その気になれば」

  「ブログとて 息子にゃただの 紙ごみと 一方思う 心乱れて」

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○塾の名札を取り付けました

 朝起きると「今日は雨か」と思わせるようなどんよりした梅雨空で、小雨が既にポツポツ落ちていました。台風崩れの低気圧が梅雨前線を刺激して、これから大雨の恐れがあるとテレビで報じていたので、人間牧場へ行くことをあきらめかけていました。でもツルインゲン豆が沢山できているので人間牧場の途中だし、いつも魚を届けてくれる親類へ持ってゆこうと収穫して出かけました。二軒の親類の叔母は大そう喜んで、お礼にチヌ、イカ、太刀魚をいただきました。久しぶりの人間牧場は、夏草が勢いよく伸びて、作物が埋まりそうになっていました。雨も小降りのようなので草刈り機に混合油を注入しスタートです。陽もささず雨に濡れた草は切れ味抜群で、随分作業がはかどりました。

(左・岡本さんと、右是沢さん)

 そのうちズボンのポケットの携帯電話のバイブレーションが肌を伝って電話の着信を知らせてくれました。慌ててエンジンを切り、作業ストップです。今日は次々電話が入っていて、気がつけば留守着信が7本もかかっていました。休憩しながら次々と連絡を取りましたが、県外もあって結構長い休みとなりました。さあ作業開始というようになってまたもや着信です。聞けば宇和島の是沢康久さんが双海町の岡本廣志さんを伴って人間牧場へ来るというのです。先日の電話予約では明日にはずだのに、私の聞き間違いかも知れないと思いましたが、どうやら明日のイベントにも参加するため今日は石畳ふるさとの宿に泊まるとのことでした。岡本さんは双海町の元町議会議長だし、是沢さんとは同級生だそうで、久しぶりに積もる話をしました。世の中狭いもので宇和島市議会の元議長の土居さん(私と水産高校の同窓)とも親類だそうで話が弾みました。

 お二人が帰った後、用意していた人間牧場塾生名札の取り付けにかかりました。等間隔にキリで穴を開け、銅でできた釘をペンチで半分に切り、裏側から開けた穴に差し込んでゆくのです。見苦しくもできないので緊張しながら一人で作業をしました。やがて時計の下の鴨居付近に釘で止め、名札を吊り下げて微調整しました。メジャーもなく紙を半分に折ったりして工夫をしたアバウトなやり方にしては上場の出来栄えに一人満足しました。偶然にも電波時計は午後3時を指していて、何かいい予感を感じさせました。

 その作業が始まる前に高知県四万十市西土佐の和田修三課長さんから電話が入り、塾生に加えて欲しい旨の申し出がありました。和田さんとは高知で一番古い付き合いなので断る理由もなく、OKする事にしました。いよいよ面白くなってきました。高知の木下さんにそのことを話すため携帯を入れたら、彼は北海道網走にいました。北海道へ行くとの連絡は先日メールでありましたが、相変わらず行動範囲の広い男のようです。

 水平線の家もこのところ、少年少女おもしろ教室などで泥んこわんぱくな子どもたちが沢山来訪して、汚したまま帰っているので、今日は丹念に掃除機をかけ、床にワックスを塗りました。小さなお皿にワックスを小出しにして刷毛で塗ってゆくのです。これだけで床は見違えるように綺麗になります。僅か25畳の広さでもワックスを一人で塗ると結構時間がかかります。地べたを這うようにして、透明な液体のため塗り斑ができないように丹念に仕上げます。そしてそのまま部屋を締め切って乾かし、次の機会に乾いたタオルで拭くと綺麗になるという仕掛けです。皆さんそれぞれ人間牧場を使って楽しみますが、草刈りも掃除も口では手伝いますと言うものの誰も手伝おうとしないのです。これまで唯一手伝ったのはわが3人の息子と、囲炉裏の灰を砥部焼の窯元から貰ってくれた稲葉真光さんくらいなものです。まあそんなものだと割り切って今日も黙々一人でやりました。

  「鯛持って 弁当持参の お客様 あっけに取られ 私驚く」

  「手伝いに 行くよというが 誰も来ず 今日も黙々 一人ワックス」

  「名札吊り 準備万端 できました 性根を入れて 完塾目指し」

  「午後三時 電波時計が 時告げる 今は間もなく 過去になりつつ」

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shin-1さんの日記

○11年目の出会い

 毎日毎日、毎年毎年、色々な人に出会い、色々な人から学び、少しずつ少しずつ進化していく自分、そのアリのような歩みを確かめるように始めた1日3枚のハガキを書く活動ももう22年になりました。単純計算すると22年×3枚×365日=24.090枚という気の遠くなる尺取虫のような歩みを振り返る時、よくぞ頑張ったと、自分で自分を褒めてやりたいような気分になるのです。

 私がハガキを出した人の中には、定期的に出す人もいれば、1回だけの人もいます。多分1回だけの人の方が圧倒的に多いのですが、昨日そのハガキと11年ぶりに再会しました。昨日所用で松山から一人の女性がわが家にやって来ました。私の都合で午前9時の約束だったものですから、彼女が松山を出たのは8時ころではないかと思われます。失礼とは思いましたが急ぎの用だったので仕方なく失礼とは思いながらこの時間を選んでしまいました。彼女は4月にもわが家へ来て今回が2回目なので、わが家への新入路が狭いという思いがあったのでしょう、車を市役所支所へ止めて500mも歩いてやって来ました。

 東屋に案内し一通り打ち合わせが済んで雑談していると、彼女は手提げバッグから封筒を取り出しました。「若松さん覚えていますか。実は若松さんの講演を聞いて、旅先からおハガキを出したんですよ。その折若松さんは丁寧にも私に返事をくれました。嬉しくてそのハガキをずっと持ってるのです」と封筒の中から一枚のハガキを出して机の上に置きました。驚いたのは私です。そんなこともうとっくに忘れていました。でも記憶の糸をたどれば確かに彼女から届いたハガキの存在は知っていました。

(私が11年前彼女宛に書いた、双海の夕日をあしらった絵ハガキです。消印は平成9年です。切手の下に押した朱色のゴム印はまだ合併していない「愛媛県伊予郡双海町」のままで、激動の後が垣間見えるようです。それにしても下手糞な字ですね。汗顔に至りです)

 というのも私は人から来たハガキの中で「これは」という素敵なハガキは小さなイーグル風のハガキ立てに入れて机の上に飾って、来客に自慢していました。彼女からのハガキも私の机の上で約一ヶ月間自慢の種にしていたのです。残念ながらそのハガキは捨てられてはいないものの、退職時のどさくさにまぎれてダンボールに入れられ、倉庫の隅に眠っているのです。いつか日の目をと思っているのですが、残念ながらその日はまだもう少し先のようです。

 自分が書いたハガキとの11年目の面会に嬉しくなってデジカメで一枚写真を撮らせていただきましたが、しかし何という几帳面な人なのでしょう。有名人ならいざ知らず私如きから届いたハガキを11年間も捨てもせず大事小事に持っていてくれるなんて感激です。でも私はこのハガキを見て字の不味さと文章の不味さに戸惑ってしまいました。でも過ぎたことなのでまあいいかと思いつつ、手にとって懐かしい再会を喜びました。

 私はお礼に、赤とんぼ先生が作ってくれた竹のとんぼを彼女の手の指先に止まらせてあげました。心地よい浜風が指先に止まったとんぼを揺らし、彼女は驚いていました。土産に一匹差し上げました。多分何処かでとんぼは驚きの目に触れることでしょうが、これもまた出会いの印となったようです。満面の笑みを忘れまいと、有無を言わさず写真まで撮ってしまいました。

 丁度庭木を剪定手入れしていた90歳の親父がそこを通りかかり、親父は座布団を二枚、それにオロナミンC2本まで用意し、久しぶりの感動に浸る気の効かぬ息子のサポートまでしてくれました。

  「9の文字 切手の上に 消印が 時の流れを しみじみ思う」

  「あの頃は 伊予郡だった 今伊予市 時の流れを しみじみ思う」

  「十年余 手元に置きし 絵ハガキと 再会なんて 感激ですね」

  「座布団と オロナミンC 差し出して 気効かぬ息子 親父サポート」

  

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○ハッピーステージという雑誌で紹介

 一昨日外出先から帰ってみると、「ハーッピーステージ」という雑誌が玄関先に置かれていました。数日前編集に携わった宮本舞さんから掲載紙が送られてきながら、封筒の糊が表紙と封筒にべったりついて、肝心の記事が途中で破れて読めなかったものですから、嬉しいお届け物です。まだ確認していませんが地元の伊予銀行支店長さんが届けていただいたのではないかと推察するのです。支店長さんは数日前人間牧場に案内したこともあっての配慮ではないかと思いました。

 さてこの「ハッピーステージ」というのは伊予銀行のお客様用情報誌で、株えひめリビング新聞社が製作を引き受けているようです。印刷をセキ株が行っていて、先日の関奉仕財団理事長の人間牧場訪問といい、何か因縁めいたものを感じるのです。

 さてこの雑誌の表紙には「人間牧場、今日も元気です。-スローも落伍することも『若松進一流の進化論』-」と凄い見出しで読者にアピールしています。ページをめくると見開き2ページに渡って記事が載っていますが、いやあこの写真、自分で言うのもおこがましいのですが、今まで撮っていただいたどの写真にも負けないような穏やかな表情で写っていて、一辺で気に入りました。何せこの顔ですのでこれまで自分の顔写真を撮られるのを極端に嫌っていました。したがってこれほど長い間まちづくりに携わりながら、写真をといわれても中々出てこないし困ってしまうのです。わが妻もこの写真は気に入ったようで、「お父さん、この写真が一番いい」と褒めてくれました。

 さて、記事の内容ですが、記者の鋭いタッチでこれまでにない切り口で書いています。「子どもの頃の原点に還って心を開放するとっておきの場所」「どんどん進化しているよ、人間、進化しないとだめだよ」「小さなことも続ければ『スゴイ』、創作落伍(らくご)を極めます」と三本の中見出しが並んでいます。

 リード文だけ紹介しておきます。

 町役場に在職中、職員としてまた一私人として下灘駅夕焼けプラットホームコンサートや無人島キャンプの実施、ふたみシーサイド公園などに関わってきた若松さん(63歳)。退職後も「さすが若松進一的」な生活を実践中。50代から構想があった「人間牧場」を完成させて2年余り。この場所に集う地元の子どもや、訪れる人たちとの交流は、さらなる境地へ向っています。


 ウッドデッキでくつろぐ姿、ロケーション風呂、落伍風景の写真3枚と夕日徒然草という自著本、それに私が毎日書いているブログのトップページが紹介されています。写真それぞれのキャプションも少し長めの文章タイプなのでかなり奥深く仕上がっているようです。

 私など、銀行に行くことなど滅多にない貧乏人ですが、ブログを読まれた県内読者の方々なら伊予銀行のロビーなどに置いていると思われますので、ぜひ手にとって読んで見てください。男前の若松進一さんに紙上で出会うかも知れません。

  「これまでは 写真撮影 お断り ところが最近 顔に自信が」

  「この写真 葬式用に しようかと 提案妻に 縁起でもない」

  「若松も まんざらでなし 老松に 実物だけは 見ないようにと」

  「金のない 俺が銀行 情報誌 載ってる不思議 妻も同感」

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shin-1さんの日記

○久しぶりにNHKテレビ出演

 先日双海町出身でえひめ地域政策研究センターに出向している松本研究員から電話が入り、今月29日に予定されている「恋人の聖地選定記念イベント」の一環として、NHKテレビいよかんワイドへの出演の打診がありました。夕方4時から7時までの範囲というので、「まあいいか」と思いOKしました。彼の頭の中でこの番組は一連のストーリーであることを知っているので、うまくこの番組を誘致したものだと心の中で大きな拍手を送りました。

 「恋人の聖地」という地域指定を獲得するまでの様々な想いと手続き、地域指定を受けてからそれを記念イベントや記念碑建立などで内外に周知認知させる作業、ここまでは多少の壁はあったにせよ順調過ぎるほど順調に事が運んでいるようです。しかも公共のメディア媒体であるNHKまで使う手口は、かつて金のない時代に私がやった手法と全く一緒で、これぞ若松進一直伝の手法で、まるで私の姿を見ているようです。

 さて今回の「恋人の聖地」ストーリーの私の役割とは一体何か、それはいうまでもなく米湊さんや松本さんの時には知的サポーター、時には通行人的サポーターに徹することです。まずシンボルを作らないといけないので記念碑を造ることを考え、製作のお手伝いをしました。この話はシーサイド公園に沢山のモニュメントを造った経験が生かされどうにか海開きまでに間に合いました。金が伴うことも第三セクターを巻き込みOKです。昨日も本当はこの記念碑を映像として出したかったのでしょうが、チラリズムでした。


 さて、昨日のテレビ出演は通行人的サポーターです。昨日は夕日と赤とんぼを組み合わせるために、元上中校長窪田先生にご出演をいただきました。夕日と赤とんぼの関係は詳しく述べませんが、通称赤とんぼ先生の赤とんぼ製作の模様をシーサイド公園で再現してもらいました。またご存知漁協女性部の皆さんにはラブじゃこ天での出演です。そして私はそのつなぎとして顔役出演です。いずれも恋人の聖地という主役の、脇役ならぬちょい役通行人として役割を果たしました。

 テレビ出演が終わってわが家へ帰ると妻はビデオに収録して待っていましたが、中々上手く映っていたようでした。白鳥アナウンサーとは、「列島12000キロの旅」で下灘駅が紹介された時出演してハーモニカを吹いて以来の出会いで懐かしく思いましたが、早速宇和島の山本さんなど何人かの知人友人から「テレビ見たよ」とメールや電話が入っていました。

 昨日は心配された雨も上がって、自慢の夕日こそ見えなかったものの、穏やかな瀬戸内海の夕映えが見えました。西空の一点にポッカリト大きな穴が開き、夕日が差し込む姿はまるで降臨とでも表現したいような風景でした。真赤に燃える夕日も良いのですが、この風景もおつなものです。

 いよいよ二日後、本番に記念イベント」が始まりますが、本番の後が本当の本番です。「恋人の聖地」選定という願ってもないビッグチャンスを生かして、物語を紡ぎながら経済と融合させなければなりません。その責任の一翼を脇役となってサポートしなければなりません。責任を痛感しています。

  「チョイ役の 通行人で テレビ出る 主役は聖地 二日後出ます」

  「赤とんぼ 作る姿を 大写し 校長少し 顔が紅潮」

  「ラブじゃこ天 久々ヒット この次は ホームラン打つ 気概を持って」

  「降臨と 言うに房わし 天空の 光注ぎて 瀬戸海静か」


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shin-1さんの日記

○地域づくり人養成講座

 昨日は驚きました。集会の会場となった愛媛県美術館は松山城を見上げる堀の内にあって、モダンなその建物の2階にある研修室へ通じる階段を昇ってゆくと、何やら会場の前に見慣れた人が立っているのです。しかも私そっくりで木になるカバンまで持っているではありませんか。直感で私の人型パネルと分りましたが、それにしてもこんなたくらみを誰がしたのでしょう。察するにえひめ地域政策研究センターの清水研究員と新居浜の加藤さんが仕組んだに違いないのです。この人型パネルは私の持っているものより少し小ぶりなような気がしましたが、電光掲示板も私の名前も、「しずむ夕日が立ちどまる町」にキャッチフレーズまでもが入ってプリントされていました。よく見ると移動に便利なように二枚に折りたためるよう工夫が凝らしていていました。センターの谷本さんに比較のつもりでモデルになってもらい、デジカメで撮影しましたが、モデルになった人が男前過ぎて私が見劣りする結果となってしまいました。

(谷本さんより少しだけ男前が落ちる私の人型パネル)

 昨日は地域づくり人養成講座があり、「地域をいかにコーディネートするか」というテーマで、19年度にまちづくりアシスト事業の指定を受けた団体の成果発表を聞いてコメントをさせてもらう機会を得ました。5団体の発表はそれぞれ僅か10分の持ち時間だったため、詳しく述べることはできませんでしたが、それでもみんな一生懸命発表していました。誰でもそうですが発表は発表する自分自身もさることながら、目の前の聴衆にいかに伝えるかという点がややもすると忘れられがちだし、逆に聴衆を意識し過ぎて自分を忘れる事だってあるのです。発表した後に「ああ、いい発表だった」と思わせる発表は、やはりそこら辺のテクニックがないと、せっかくの発表が居眠りの対象となってしまうのです。

 私と邑都計画研究所の前田さんがコメンテーターとなり、調査役の丹羽さんがコーディネーターで2時間を過ごしました。私も発表の都度にコメントを求められましたが、適切な意見が述べれたかどうか気になるところです。発表に先立って上勝の横石さんが「彩~気を育てる地域づくり~」について講演をしました。何度も出会っている私が部屋にいるとやりにくいと思って、私は講演が終わるまでロビーで待機をしていましたが、今をときめく横石さんの話しにみんな満足したことでしょう。

(右がマーマレードの谷晴美さん、左は同僚の松尾和さん)

 昨夕はオフライン交流会と称する懇親会が農協会館地下の会場で行われました。今年の講座生は22名とか、特に活気のいい女性の姿が目立ちました。宇和島市商工観光課の小林祥子さんや愛ワークの大内さん、西条市教育委員会の谷さんなど知り人が多く、色々な話しに花が咲きました。また人間牧場の塾生第1号にこのほど

なった濱田さんやメダカの井上さん、朝降フル会の丹下さんなどいい人の顔ぶれが揃っています。

 さてさて期待はずれにならぬようせいぜい頑張って欲しいし、できる限りのサポートをしたいと思っています。

 人を育てることは容易なことではありません。心の変容とそれを実践に結び付け、波及しなければ意味がないのです。毎年こうして新しい人が育って行きますが、その人たちが巡り巡ってまた新しい人を育てるような人間に育って欲しいと願っています。

  追伸   浜田さんが酔った勢いで即興オペレッタをやりました。突然のことでみんな開いた口が閉じませんでした。やはり浜田さっは鉄人28号ならぬ変人1号のようです。でもその馬力には敬服しました。存在感誇示率は100%でした。さすが人間牧場塾生1号です。


(この顔でオペレッタとは)
  

  「入口に 見慣れた人が 立っている よくよく見れば 俺の看板」

  「発表を する人熱を 帯びてきて 時間呼び鈴 二回鳴らされ」

  「オペレッタ 突然大声 驚いて 開いた口を 閉じることさえ」

  「キーワード やはり女性だ 感性が 男と違い ジーンとしたね」

 

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shin-1さんの日記

○親類とはいいもんだ

 私には沢山の知人友人がいて、何かにつけて出会い、楽しいお喋りやボランティア活動などをしています。またメル友、ハガキ友、風呂友(風呂で知り合った人)もいます。お酒を辞めたため主流だった飲み友はさすがに激減して限りなくゼロに近くなりましたが、それでも年に何回かは飲まない私を会費負担の片棒だけ担がされて、誘い込まれることがありますが、まあ仕方がないと諦めノコノコと出かけています。最近増えたのは学習友で、たとえば限界集落勉強会のように、そのことを深く学習しようと誘われたり誘ったりしながら、加齢とともに右肩下がりになろうとしている気力と体力、それに知力をせめて落さないよう懸命に努力している所です。

 さて先日の日曜日、嬉しい出会いがありました。私の従兄弟洋子さんです。洋子さんとは従兄弟でありながら同級生ということもあって、子どもの頃から何かにつけて出会っていました。しかしお互い結婚してからは別々の生き方をしていることもあって、お目出度やお悔やみに顔を合わせる程度、同級会で顔を合わせる程度で、それほど深くもなく、そうかといってそれほど浅くもなく丁度よい距離で出会っていました。

 先日ひまわり塾という学集会に招かれ講演に行ったことはブログに書きましたし、洋子さんや万寿恵との出会いも書きました。その後お礼を言おうと妻の作っている親類知人のアドレス帳で電話番号を探し、お礼の電話をしようと試みましたが、間違い電話で三回も同じ人に電話してしまい恐縮してしまいました。その後104で電話番号を調べてもらったところ、1と7の数字が違っている事に気がついたのです。妻にそのことを指摘したら、「ああそうだったの」と軽くいなされ少しだけ頭にきましたが、グッと堪えて電話をしました。電話口に出た洋子さんは、先日私の講演を聞いた感想を話してくれました。一般の人から見れば90分という長い時間も話すことは驚きのようで、「あなたは凄い」と少し持ち上げてくれました。早速私の「夕日徒然草」が読みたいので何処で購入すればいいのかとという話になりました。近々松山へ行く所用があるのでその折にと電話を切りました。

 昨日はあいにくの雨でしたが、洋子さんと約束した甘夏柑を菜園の横の木から数個取り手土産ほどでもなく持って行きました。ご主人はあいにく留守でしたが洋子さんは在宅で、「まあ上がってお茶でも」と誘われるまま上りしばしの談笑です。最近の家族の音信や同級生の消息など、この2~3年話していない近況を矢継ぎ早に話して、午後の集会の時間もあるので早々においとましました。洋子さんは手先が機用でパッチワークなどは玄人です。お土産にと妻と近所に住む姉のために手づくりの手提げバック二個いただきました。

 この歳になるとといってもまだまだ若いつもりの63歳ですが、それでもこの歳になると親類の人が恋しくなるもので、親類とはいいもんだとしみじみ思いました。

 洋子さんは筆まめな人で、ひまわり塾で出会って一枚、そして昨日一枚とハガキをくれました。一日三枚のハガキを書く自分でさえ、忙しさにかまけて一枚も出していないのに二枚もハガキが届いてビックリです。

 昨夜は研修会の修了後懇親会があり家へ帰ったのは午後9時半を回っていました。妻に洋子さんからの土産を手渡すと早速お礼の電話をかけていました。甘夏柑を使って早速マーマレードを作ったそうです。美味しく仕上がったかどうか、味見に伺わなければなりません。

(洋子さんの送ってくれた短歌)

 さて、洋子さんに叱られるのを承知でちょっと遊んでみました。私のブログ末尾にには笑売啖呵と称する短歌を毎回四首載せていますが、それに感化されたのか洋子さんはハガキに短歌を一首作って送ってくれました。「ふる里の 訛で話す 進ちゃんの 二時間余りが アッと過ぎゆく」でした。名句です。私などは足元にも及びません。余り褒めるとお世辞に聞こえますのでこの程度に留めますが、久しぶりにホットな出会いでした。またお会いしましょう。

  「この歳に なると従兄弟が 懐かしい DNAが 呼んでいるのか」

  「私書く 笑売啖呵に 呼応して 名作一句 ハガキしたため」

  「手づくりの バッグ手土産 喜んで 早速電話 妻の素早さ」

  「進ちゃんは 立たされてたと 告げられて 目玉食らった 従兄弟懐かし」

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shin-1さんの日記

○顔も背中も自分で見れないものだから

 ~前号からのつづき~

 ⑤コンプレックスを持たない

 顔に自信のない人は何かとコンプレックスを持つものです。美しい人でさえあそこがここがと、気に入らない部分を探して美容整形するようで、豪腕な美容整形の先生の手にかかると、昔の顔は何処に行ったの?と思うほど変容するそうです。美を求めて止まない人間の嵯峨とでも言うべきでしょうが、コンプレックスの固まりのような人は対人関係も悪いようです。

 ⑥顔の状態が精神の状態をつくる

 顔は、目は心の鏡といわれるように、顔の状態が悪いと心まで悪くなり、ついには病気になってしまいます。一概には言えませんが、私自身病人となって入院した時、鏡に写った自分の顔はまさに病人のような顔をしていました。退院の日の顔の何とすがすがしかったことでしょう。顔に笑みを浮かべると心も笑みを浮かべたような状態になるものです。

 ⑦目と目の間を広げる

 眉間にシワを寄せる人がいます。自分でも怒った時は眉間にシワが寄って狭くなります。目と目の間を広くするような気持ちになると顔は温和になります。

 ⑧口と歯で美しく笑おう

 口を広げて歯を見せ笑うことはお行儀が悪いと昔は咎められました。故に女性は手を口に添えてウフフ笑いが上品とされました。しかし喜怒哀楽の喜楽を顔で表現する方が楽しいと思うのです。笑う門には福来るです。いつも笑みを絶やさず口と歯で笑いましょう。入れ歯だって気にすることはないのです。

 ⑨左右対称の顔相になる

 悪役の人の顔は左右のバランスが崩れています。つまり鏡を見て左右のバランスが崩れている人は悪い人間に見られるから要注意です。

 ⑩いい顔、楽しい顔は人に伝わる

 どうやらいい顔、楽しい顔は人に伝わるようです。自分の家で誰かが落ち込んだ顔をするとみんなが暗い顔になります。何年か前県が提唱して「太陽のお母さん運動」というのがありました。家庭の源であるお母さんが太陽のような心を顔に出して家族、特に子どもに接すれば、子どもたちは太陽と旅人の童話のように自分のマントを脱ぎ捨てるのです。

 私はこれまで自分では見れない自分の顔を何度となく鏡で見てきました。しかしそれ以上に不特定多数の人が二つの目で私を見続けてくれています。昨日も500人を超す人の中に身を投じましたが、「あら若松さんお元気」とか、「久しぶりですね」と何人もの人が気軽に声をかけてくれました。それは美しく見せようと肩肘張っていない自然体でいるからかも知れません。

 昨日嬉しいい事がありました。金銭教育で三津浜幼稚園へお話に行ったことを覚えていた若い女性がいて、試食交流会で立ち話となりました。私の講演の中ではわが子育ての失敗談を話していますが、ある人が同じようなことを失敗し同じような対処をしたという話しをしていたらしく、話に花が咲きました。嬉しい反応にお互い思わず顔がほころびました。その若い女性の素敵な笑顔が昨日はずっと心の中に残像として残りほのぼのとしました。

  「今日からは お化粧品など 金かけず 笑う訓練 美人になるよ」

  「美人とは 顔や形じゃ ありません コンプレックス 持たず生きよう」

  「お光を 幾ら着けても 生まれつき 豚に真珠と 人は悪評」

「俺の顔 親父おふくろ 合作品 息子娘も 夫婦合作」  

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shin-1さんの日記

○顔も背中も自分で見れないものだから

 鏡を使わない限り、自分お顔も背中も自分で見ることはできません。故に人間は水に写った自分の顔を見て驚き、それと同じように顔が写る鏡を発明したに違いありません。古墳から出土する銅鏡などはその最たる物で、見えにくいものの当時はかなり位の高い人でないと持てない物だったようです。時代は移り江戸時代になると外国から鏡が輸入され庶民の暮らしに広がって行き、今は高校生のバックにさえ顔がスッポリ入るほどの大きさの鏡が入っているのです。しかし人間はよくよく欲の深い動物で、見えないはずの体内まで見てしまおうとレントゲンやファイバースコープなどを発明し、病気の治療に役立てているのです。

 さて、人間は誰でも顔を持っていますが、童話に出てくるように「鏡よ鏡よ鏡さん」とばかりに、飽きもせず毎日自分の顔を鏡に写し、特に女性はそれなりの顔をより以上に見せるため、内壁、中壁、外壁と塗りたくり、まるで仮面をつけた別人と思われるように、様々な努力を死ぬまで繰り返しているのですから、考えてみれば悲しい動物としかいいようがありません。時にはこんな顔に産んだ親を憎んだり、最近まで女性の専用だったお化粧を男性さえもするようになって、益々顔の行方が気になるようなのです。しかしわたし等は「そんな暇があったらもっと別のことをすればいいのに」とも思ったりするのです。

 昨日はコープえひめの総会で美し過ぎるお姉さんを沢山見過ぎて、中々寝付かれませんでした。今朝は早く起きて書斎で読書とラジオを楽しみました。ラジオから偶然にも顔の話が流れていました。「顔を美しくみせる法」だそうで、化粧のことかと思いきや心がけ次第でいい顔になるというのです。思い当たる幾つかをご紹介しましょう。

 ①自分の顔を好きになる

 自分の顔に自信が持てなくて何で人に見せられるのでしょう。人の顔は千差万別、世の中いい顔をした人は希なのに、映画やテレビの出現によって、一応美人という基準がみんなの頭にイメージされてしまいました。小野の小町や楊貴妃などの噂はありましたが、いつの間にか山本富士子や藤原紀香が美人の代名詞になったのです。生まれてから死ぬまで付き合う自分の顔を好きになることは、顔を美しく見せる第一歩かも知れません。そういう意味でブスの代名詞のように言われていても、自分の顔に自信を持って生きている人は沢山いて、それなりに輝いてむしろそれを武器にして生きているのです。

 ②人に見られる緊張を持つ

 人間は多くの人とともに生きています。自分は二つの目でしか他の人を見れないのですが、自分は人数×2の無限大とも思われる目で見られているのです。見られているという意識は、より美しく見せたいという気持ちを生みます。こうして常に見られているという緊張が心の中にあると、スッピンのままパジャマやネグリジェでウロウロすることはないと思うのです。昔は車がなかったから身なりを整えて外に出ていました。ところが車の普及によってパジャマのまま目的地へ行く事だって出来るようになると、もうゴムが切れたパンツのようなものです。人は見ていないようで見ています。そして粗を探して自分の優位性を確認し、時にはその粗を小声で人に告げるのです。緊張は大事です。

 ③人に褒められると美しくなる

 世の中には腐し上手な人もいれば褒め上手な人もいます。腐せば腐すほど人は卑屈になってその人のことを敬遠し嫌いになりますが、褒められれば褒められるほどその人に好感を持ち好きになるものです。褒められるような人間になる第一歩は人を褒めるような人間になることです。猿の実験でも叱って教えると服従しますが覚えにくいようで、褒めると直ぐに芸を覚えるのだそうです。「こんな顔の何処を褒めるの」とお思いでしょうが、陽とに褒められた時の顔は何ともいえず美しいものです。

 ④人と違う個性を見つける

 顔は十人十色好き好きがあるのです。だからみんなそれなりに結婚しそれなりに生きて行けるのです。私のような醜いアヒルの子でも見方によれば個性があり、オンリーワンなのです。最近わたしは友人が書いてくれた似顔絵入りの名刺を持ち歩くようにしています。これは他人が私を見て書いてくれた個性です。よく特長や個性を掴んでいると名刺と顔を照合しながら離してくれます。時には実物の方がいいとか、似顔絵は出来過ぎとも批評してくれますが、人それぞれの見方もまた私の個性なのです。

   ~次号へつづく~

  「自分顔 好きになってと 人がいう 味のある顔 寅より上だ」

  「こりゃどうだ 顔も洗わず 化粧せず パジャマウロウロ 女コンビニ」

  「誰も皆 ほめられ人は それなりに 悪い気もせず 少し自信が」

  「オンリーワン 褒めているのか 腐したか どっちにとるか 自分次第で」  

 

 

 

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