人間牧場

〇旧瀬戸町魚成小学校を訪ねる(その2)

 昨日の昼過ぎ、サツマイモの苗を取りに旧瀬戸町魚成の旧友宅木嶋水産を訪ねました。潮風メロディラインと呼ばれる197国道頂上線を走り、瀬戸の道の駅で左折し、堀切の道を下りました。この場所は13里もある日本一細長い佐田岬半島の中ほどにありますが、かつてはここを掘り切って運河を作る計画が持ち上がった経緯があり、堀切大橋を見上げながら右三机(瀬戸内海側)、左魚成(宇和海側)の道路標識に沿って、魚成へ向かいました。

時間の止まった大きな柱解け
乗り手がいなくなった運動場のブランコ
学校の校門
学校の校舎
コンクリート壁に架かれた校歌

 つづら折りの道を下ると魚成地区に出ますが、静かな漁村の真ん中に細長い瓦葺の屋根を見つけました。何年か前今は亡き小学校の校長先生から、昔魚成小学校に校長として赴任していた話を聞いていたので、いつかは訪ねてみたいと思っていたので、木嶋さんがまだ自宅に帰っていなかったので、持参のタブレットを持って魚成の集落内を歩きながら横切りました。小学校は閉校して長い年月を経ているため、運動場も草に覆われ、歩くのもやっとでした。

 閉校の前年に葺き替えたという屋根だけが立派でしたが、校舎は周りを板戸で覆われ人の気配は全くなく、所々破れた隙間から昔の教室の姿を覗き見ることができましたが、多い時は200人を超えた児童が在籍したとも思えぬちょう落ぶりに心が痛みました。聞けばこの地区の子どもは現在3人だそうで、別の小学校へ通っているそうです。魚成に限らず地方の集落ではまるで時間が止まっているような寂しさで、日本の政治の貧困を嘆かざるを得ませんでした。

 私たちの地域にも、かつて田舎の学校に赴任した経験のある先生たちが何人もいますが、死ぬまでに一度だけでも学校を訪ねて欲しいと思いました。止まったままの大きな時計、乗り手のいなくなったブランコ、手洗い場、板戸が壊れた便所、色々な張り紙が去れたであろう掲示板などなど、見るもの全てに目を奪われました。運動場の隅のコンクリートの壁に書かれた校歌が印象的でした。

「堀切の 橋を見上げつ 左折する 魚成集落 今年二度目」

 「長い屋根 あれは閉校 小学校 訪ねてみたく 一人散策」

 「そこここに 歴史刻まれ 懐かしい 時計・ブランコ 往時を偲ぶ」

 「日本の 田舎朽ち果て しまうのか 政治の貧困 嘆かざる得ず」

 

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