人間牧場

〇年輪塾・藤樹塾ツアー(その4)

坂田文部大臣揮毫のあかぎれ記念碑
坂田文部大臣揮毫のあかぎれ記念碑

 ツアーの最後は新谷藩一万石での研修でした。まず道端の記念碑に向かいました。アカギレした母のために新谷で買った塗り薬を届けた有名な話を後世に伝えるため昭和46年、時の文部大臣坂田道太さんが揮毫している青石の立派な記念碑でした。
 坂田文部大臣といえば、忘れられないのは私が愛媛県青年団連合会の副会長をしていた折、国立青年の家の誘致運動が起こり、時の大洲市長村上清吉さんたちと一緒に、誘致運動に奔走しました。十中八九高知県室戸に決っていた青年の家の誘致を、坂田文部大臣を来県させ逆転満塁ホームランともいえる逆転劇で、大洲北只への誘致に成功したのです。その時当時の青年バイク野郎に横断幕を先へ先えとリレーして、坂田文部大臣を感動させた逸話を、知っている人はも私だけになってしまったようです。

エントランスホールの銀河鉄道の絵の前で
エントランスホールの銀河鉄道の絵の前で

 新谷市街の奥まった所に、新谷小学校があります。ここは元新谷藩陣屋があったところです。新谷藩は大洲藩五万石の一万石分家ですが、お城はなく陣屋で行政が行なわれていました。しかし小藩ゆえ財政事情は悪く、特に幕末や明治初期の廃藩置県のころは最悪で、本家に財務を預けなければ成り立たなかったようです。それでも天皇が京都御所から江戸城へ移る時の行列の先頭としんがりは、大久保利光等の配慮で新谷藩が務めたことは、知られざる歴史のひとコマだと、歴史に詳しい岡崎さんが説明をしてくれました。
 最近立派に新築された新谷小学校の裏手に新谷藩政庁麟鳳閣はありました。しっかりとした木造建築の建物は幾多の変遷を経た今も、学校によって立派に保存されていました。

新谷藩政庁麟鳳閣
見事な佇まいの新谷藩政庁麟鳳閣

 余談ですが、新谷小学校は銀河鉄道999の作者松本零次さんが住んでいた処なので、校舎のエントランスには松本さん直筆の大きな絵が描かれていました。また日土小学校の設計で有名な建築家松村正恒さんの生家も新谷小学校の目と鼻の先だと岡崎さんから聞き、弱小藩ながら歴史的風土が人を育てていることに納得しました。
 今回の水先案内人は親友の岡崎直司さんに清水塾頭が依頼し、亀本さんや西田さん、中川さんたちと何度も現地に足を運んで打ち合わせを行い、学習全般を組み立ててもらいました。それにしても岡崎さんの歴史に関する知識は聞きしに勝る凄いもので、納得の一日でした。
 学習ツアーは水先案内人の良し悪しでおおよそ決ります。今回のツアーもその教訓が存分に生かされ、大きな成果を上げました。この2日間、清水さんや岡崎さんから追加補足の書き込みや資料の送付をメールで頂きました。ブログ画面を借りて関係した皆さんに、塾長として厚くお礼申し上げます。

 

 

 

 

  「年輪を 刻むが如く 今回も 多くの学び 大きな進化」

  「早いなあ 6年間が 過ぎ去りて いよいよ今年 4期目の塾」

  「与右衛門と いう名で大洲 17年 わずかな時に 多くを残し」

  「驚いた 水先案内 する親友 博学ぶりに みんな納得」  

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