shin-1さんの日記

〇3月は異動の季節

 このところ毎日のように、知人友人から「異動の内示があった」と近況や心境を知らせるメールが届くようになりました。異動は一応希望を出すものの、希望通りに動く可能性や保障は殆どなく、毎年この頃になるとビクビクしながら日々を過ごす人の姿を良く見かけるのです。

 私も役場35年の生活で教育委員会から産業課、企画調整室、地域振興課、教育長と4回の異動を経験しました。私の場合教育委員会13年、産業課4年、企画調整室9年、地域振興課9年、一旦退職して就任した教育長という特別職を除けば3回しか異動辞令をいただいていないのです。私の若い頃は人事評価などなかった時代ですから、異動希望などまったく皆無だったし、その後異動希望調査が取り入れられたものの一度も異動希望を書いたことがなく、「「現在のまま」と書いていました。

 私の異動で思い出されるのは教育委員会から産業課へ異動した時でした。教育委員会では社会教育とりわけ公民館活動に情熱を燃やし、日本一の公民館主事を目指していました。しかし教育委員会に出向していながら企画調整室係長、総務課係長という兼務辞令をもらって町名変更の担当をしました。町名変更は町長リコール問題にまで発展して町長が辞職して信を問う選挙となり、町長が当選したものの騒動は治まらず、次の選挙で新町長が誕生、私もその責任を取らされて産業課へ異動したのです。心に左遷意識や焦燥感のようなものがあったことは事実ですが、その時恩師である静岡県の朝比奈博さんから、「ぼうふらも 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水すすり浮き沈み」という言葉を送ってもらいました。その言葉に励まされて再びチャレンジし、その後の夕日をテーマにしたまちづくりへと発展して行ったのです。

 昨日の夜、えひめ地域政策研究センターへ伊予市から3年間出向している松本研究員と、JAから一年間出向している武田研究員の送別会が、年輪塾のメンバーが集まって、ふじという居酒屋でありました。奇しくも昨日伊予市では異動内示があったようで、松本さんは地域事務所へ、武田さんは退職して別の会社へ再就職するそうでした。お二人ともかつて私が代表を務めていたえひめ地域づくり研究会議の事務局を務めてくれた人なので、今後の発展と活躍を心より祈っています。

 松本さんは身近な場所への異動なので私にとっては大歓迎の部署なのですが、最近の異動を見ると、何やら1年異動が目に付き気がかりです。市町村の場合行政サービスの相手たる住民のことを思うと、せめて同じ職場に3年はいないといい仕事は出来ないのではないかと思うのです。1年の異動はやっと仕事になれた頃替わり、人の作った予算で仕事をしなければならず、自分の独自性が発揮できないのです。マニュアルどおりにすれば何ら問題はないようにも取れますが、やはり行政は人がするもの、人間関係が絡むものなので、もう少し地に着いた異動をして欲しいと思いました。


 追伸

 県境の向う高知県四万十市西土佐に住む和田修三さんから、教育委員会へ異動した旨の一報が届きました。西土佐も学校統廃合の難しい問題が控えているようです。教育委員会事務所長として活躍を期待しています。

 警察官の息子から、異動したと連絡がありました。月末には引越しの手伝いをしに行かなければならないようです。


  「今年又 異動の季節 迎えたり 来たり去ったり 一喜一憂」

  「この異動 誰が原案 作るのか 知る由もなく 人生決まる」

  「栄転や 左遷と人は 言うけれど 何のことない 給料一緒」

  「わが息子 新たな場所へ 異動する 何を夢見て 行くのだろうか」


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