shin-1さんの日記

○フィールドワーク現地調査

 今年も愛媛大学法文学部総合政策学科フィールドワークの授業で現地調査が始まりました。今年は少し方向を変えて、合併後の地域振興とまちづくりについて、大きな街と合併した旧中島町・旧中山町・旧長浜町・旧双海町の4箇所を訪ねる計画です。その手始めとして昨日は旧中島町を学生19名とともに訪ねました。

 朝の弱い学生にとって高浜発8時30分の高速船は少々きついかも知れないと思いつつ、この便に乗らないと帰りの便が遅くなってしまうので、無理を承知で計画しましたが、学生たちは元気に10分前に集合してくれました。

 松山観光港ができてた最近は高浜港など殆ど利用することもなくなりましたが、私にとっては中島へ行く機会も時々あって忘れ難い港なのです。昨日は梅雨明けを思わせるような久しぶりの好天に恵まれ、瀬戸内の海は穏やかに凪いでいて高速船で中島本島の大浦までは僅か30分で到着しました。この日の研修会場となる中島総合文化センターまでは歩いて5分、島で唯一の信号機を過ぎると目の前に20数億円もかけた立派な建物が目に飛び込んできました。人口5千人余りの島には立派過ぎるほどの建物です。

 昨日は休館日でしたが、金本所長さんと担当の豊田さんが玄関まで向けに出てくれました。ロビーにはかなり大きい電光掲示板があって、旧中島町を初めごご島や釣島などを加えた9つの島々の位置関係について説明がありました。

 一回ロビーの直ぐ横階段下に珍しいものを見つけました。かつて私たちが乗船したことのある丸木舟です。この丸木舟は松山工業高校が愛媛新聞創刊105周年の記念事業として製作し、大分県姫島から愛媛県松山市までの海路140キロを2泊3日で漕ぎ渡ったものなのです。姫島は黒曜石の産地で黒曜石のルートを探ろうと計画された航海の運行に携わり、私は舵取り役として乗り込みました。過酷な航海でしたが、山口県平郡島、中島町由利島に立ち寄りながら無事松山梅津寺に到着した時は精魂尽き果てるほど疲れていました。まさに感動の再会でした。この場所に展示していることは豊田さんから漏れ聞いていましたが、もう遠い彼方の思い出ながら私の人生にとってこの「ゆりひめ」は、ふたみシーサイド公園に展示している丸木舟「21世紀えひめ号」とともに忘れ難い青春時代の思い出なのです。


 2階会議室での研修は金本先生が1時間半に渡って教育問題を交えながら熱っぽく話してもらいました。学生たちは一生懸命メモを取っていました。金本先生とは旧知の間柄であるのでかゆい所に手の届くような、学生にとっても分りやすいお話でした。余り時間がなかったのですが学生の質問も的確で、一斑の班長のあいさつも上手くやれたようでした。


 メタボリ気味の金本先生なので、土産は赤とんぼ先生が作ってくれた竹のとんぼを用意し、学生の代表から先生に手渡しました。その後豊田さんから離島振興法や合併前と合併後のまちづくりについて話しを聞き、町内を歩いて視察しました。島ゆえの狭い路地裏道を、元幼稚園、病院、元役場、BGプール、給食センター、統合中学生徒寮、離島センターなどなど、施設のありのままを見学させてもらいましたが、既に老朽や廃止の施設もあって、合併後の影の部分を存分に肌で感じることができました。さて学生の目にはどう映ったのでしょうか。

 

 帰り際、豊田さんと池田洋子さんのお店に会いに行ったり、豊田さんの連絡で旧友古野セキエさんが船着場まで見送りにきてくれました。先日の公友会に出会わなかっただけに嬉しい出会いでした。お互いいい歳になってきました。これからも元気で島で暮らしてください。


 フェリーを見送る豊田さん、古野さんの姿を見ながら、何年か前丸木舟21世紀えひめ号で大浦に立ち寄ったとき、古野さんが見送ってくれたことをつい昨日のように思い出しました。島人はどの人も温かい者で、ジーンときました。
  
「学生と 船で渡った 中島の そこここ訪ね 懐かし出会い」

  「島人は いつ出会っても 温かく 迎え見送り 忘ることなく」

  「過疎進み 高齢化進む 島暮らし 将来不安 見え隠れする」

  「ビオトープ 青田の上を 夏風が 撫でつ吹き抜け 音も聞こえず」

(ビオトープ、島唯一の田んぼとか)
(松山北高校中島分校にある中村草田男の句碑)

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