shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年6月20日

 昨日は来年に予定されている県立松山工業高等学校創立100周年記念事業の設立実行委員会が開かれ、私もかつてこの学校のPTA会長を6年間も務めたため、顧問として名を連ねる事になり、長年ご愛顧いただいている高須賀先生が準備室長ということで逃げる訳にも行かず就任し、会議に出席しました。学校にとっても卒業生にとっても、また私たちのようにPTAとして間接的に携わった者にとっても、一世紀という気の遠くなるような時空に身を置いたことを感慨深く感じました。

 会議は1時間の予定が40分も長引きましたが、それだけいい議論が出来たようです。会議中に妻から携帯電話がかかってきました。一度は電話を切ったのですが、再度の電話です。年寄りを抱えているため何事か心配になって部屋の外に抜け出し電話を取ると、次男が今日は非番なので遅ればせながら父の日のお祝いをしてあげると、自宅に帰って来たようです。「何時に何処で待ち合わせるか」というのです。久しぶりに寿司でも食べようと相談がまとまりました。妻は追い討ちをかけるように、「お父さん、帰ったら驚くよ。一生君がお父さんに椅子のプレゼントをするのだといって、お父さんの書斎で椅子を組み立てている。持つべきものは子どもだねえ」と感心して電話を切りました。

(立派な椅子が入り、まるでオフィスのようになった私の書斎)

 やがて妻と次男は待ち合わせのお寿司屋さんへやって来ました。「今日は僕のおごりなので大船に乗ったつもりで沢山食べて」と金もないのに太っ腹なところを示してくれました。私「夏のボーナスが出たのか」、次男「いいやまだだがこれくらいは何とかなる」。妻「おごってもらうと喉を通らないから気にしないで」。私「仕事は慣れたか」、次男「大分ね」、私「そうか頑張れよ」。次男「うん頑張る」・・・・・・・・。そういいながら親子3人で寿司を食べました。やがて食事も終り息子は自分のマンションへ帰って行きました。私たち夫婦は途中で買い物を済ませ午後8時過ぎにわが家へ帰って来ましたが、まあ凄い立派な椅子です。何年か前、私が希望して長男に買ってもらった巾の広い机にはまるで不揃いの豪華さです。私が在職中に使っていた教育長時代の椅子と座り心地もデザインも殆ど一緒で、一辺に気に入りました。やがて次男から電話が入り「お父さんどう、座り心地は、気に入ってくれた?」、「高かっただろう」「それ程でも」「有難う」、少なめながら息子との会話に子育ての嬉しさを感じました。

 次男は高校の機械科をを出ると直ぐ、自分で見つけたコンピューターの関連会社に技術者として就職しましたが、思うところあって8年間も勤めた会社を円満退社し、看護師の資格を取るため医療専門学校に5年間も通い、一昨年正看護師の資格を取得し、日赤へ看護師として就職しました。その間高校から続けていた演劇集団イリュージョンに身を置きながら、一度も辞めることなく活動してきた頑張り屋です。三交替の職場なので演劇は断念しましたが、今でも時々手伝いに行っているようです。

 私の書斎のこれまで使っていた椅子はリビングの椅子です。家族が少なくなって空いていたのを使っていましたが、余りにもみすぼらしく感じたのでしょうか、今回のプレゼントになったようです。昨日はいい一日となりました。これからはこの椅子に座ってせいぜいいい仕事をしたいものです。息子よありがとう。

  「凄い椅子 届きびっくり 仰天す まるで社長だ サンデー毎日」

  「肘付きの 椅子に座って 考える 今まで以上に 思考巡りて」

  「この三年 支え続けた 古き椅子 名残惜しいが 退役処分」

  「わが息子 平凡ながらも 親思う 優しき心 妻が育てた」