shin-1さんの日記

○島人からの贈り物

私の町は双海町という名前が示すとおり、ほぼ東西に一直線の海岸線が北に広がる瀬戸内海に沿って伸びています。雨の日の海、晴れの日の海、時化の日の海など海は四季折々その趣きを変えて私たちに語りかけ、悪さもするが大きな恵みを与え続けているのです。その海の彼方にぽっかりと島が幾つも浮かんで見えます。毎日見ているはずなのに、町民はこの島の事を殆ど知らないし、また生きるために余り必要がないからか知ろうともしないのです。私は子どもの頃からこの島々や水平線にとても興味があって、親や大人から随分色々な事を聞かされました。そしていつか大きくなったらあの島に行って見たい、また見えぬ水平線の向こうにも行って見たいと淡い夢を描き続けていました。その夢のお陰でしょうか、とてつもない水平線の向こうである建国二百年のアメリカや、赤道を越えた珊瑚海まで行くことが出来たのです。そして身近な島では由利島も20年間に渡って無人島キャンプで関わり続けることが出来たのです。

 その沖合いに浮かぶ温泉郡中島町大浦、いや合併したので正式には松山市中島大浦に住む旧友古野セキヱさんから先日「いつも一緒」という素敵な本が届きました。古野さんは私が公民館主事をしていた頃からの友人で、女性ながらと言っては大変失礼ですが、長浜町の菊地さんとともに私が最も気を許して活動した人の一人なのです。彼女は品格があって達筆で文章が上手い、そして理路整然と話せるという、これまた失礼ながら女性には珍しい行動派なのです。私が県公連の主事部会長をしていた折、菊地さんとともに、副部会長として活動を一緒にやりました。

 何処でであってこんな深い間柄になったのか、もう随分前のことなので出会いのきっかけなど忘れてしまいましたが、役場に勤めていた頃は宿直があってその度によく電話を掛けて意見を戦わせたものでした。私より少し年齢が上のため一足早くリタイアして、家業である農業をご主人としながら、穏やかな日々を暮らしていますが、愛媛新聞の「てかがみ」欄や「川柳」欄には度々時々の想いが作品として紹介されていました。

 私の尊敬する元校長先生の金本房夫さんは古野さんの義理の姉、つまり金本先生の奥さんなのですが、これまた達人で書いて良し喋って良しの凄い人なのです。血のつながった兄弟ではないのですが何故かよく似たところがあって、お互いいい刺激や影響を受けて成長したようです。

 今回の本も金本先生が「老いてなお青春」という序文を書き編集も手伝ったようで、その分何処かセンスの良さを感じるのです。この本は僅か42ページの短さなので、一気に読める気楽さがあります。私が先日出した「夕日徒然草」もそうですが、活字の大きさと活字の容量は今後考えなければならないとしみじみ思いました。

 早速私は彼女にハガキをしたためました。達筆な彼女にハガキを書くのは多少ためらいがありますが、やはり手書きのハガキはいいものだと信じて出しました。また声が聞きたくて電話もしました。残念ながら彼女は留守でご主人が出ましたが、私のことも昔から知ってる間柄なので、いい会話が出来ました。

 若い頃あれ程仲良くした人たちでも、音信が途絶えてしまった人は数え切れません。しかし古野さんのようにいつも何となく気になり音信を通じ合える人は数少ないのです。彼女の本から滲み出る「老い」を迎える一抹の寂しさは誰にでも訪れる宿命なのですから、お互い音信を気にしながら生きて行きたいものです。

 今夕もう一度電話をかけました。電話の向こうの弾んだ彼女の声が何とも嬉しい便りでした。

  「てかがみと 川柳綴る 一冊の 本が届いて 勇気付けられ」

  「達筆で 文章書ける 達人も 老いはどうにも 逃れすべなく」

  「あの島に 暮す友人 今頃は どうしているか 島見る度に」

  「夕日まで 味方につけた まちおこし 俺を詠んでる 歌と知りつつ」

  

 

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